第七十五話 計謀
前回までのあらすじ
『グランギニョール』の高覧仕合に際して行われたエキシビジョンマッチは、負傷したコッペリア・ジゼルを救うべくシスター・マグノリアが乱入し、事なきを得た。その光景を見た貴族達は、二十年前にレジィナとして君臨していた『蛇の女王』の異名を持つ『コッペリア・マグノリア』の事を思い出すのだった。
――『グランギニョール』の序列を適正な物とする為、今日より三か月後、序列一位『レジィナ』以下、八名のコッペリアによる『トーナメント戦』を開催する。
高覧仕合として催された、今回の『グランギニョール』を締め括る閉会式。
エリク・ドミティウス・ドラージュ・ガラリア皇子は、高らかに宣言した。
それは前例に無い、全く新しい試みだった。
闘技場に集う貴族達は、その宣言を受けて狂喜する。
足を踏み鳴らし、手を打ち鳴らし、声を上げては歓迎の意を示した。
天才ピグマリオン『アデプト・マルセル』の一人息子・レオン。
天才の血を継ぐ男が錬成したオートマータ――『コッペリア・エリーゼ』。
二人の登場により状況が一変したのだと、皆そう考えていた。
『コッペリア・エリーゼ』の性能は凄まじく、初陣にて序列一〇位の『コッペリア・ナヴゥル』を、二週間後に行われた二戦目にて、序列四位の『コッペリア・グレナディ』をそれぞれ下し、瞬く間に上位ランカー入りを果たしたのだ。
この強烈な結果を受けて、多くの貴族達が胸を躍らせた。
或いは『コッペリア・エリーゼ』の刃は、一〇年不敗の『レジィナ・オランジュ』に届くのでは無いか。その歴史的瞬間に立ち会えるのでは無いか。
更には『ベネックス創薬科学研究所』所属の『コッペリア・ベルベット』――こちらも下位リーグから数えて僅か四戦、序列七位の『コッペリア・ガニアン』を討ち果たす大番狂わせを演じている。
故に『グランギニョール』の序列が大きく変動、オッズ管理が困難となり、トーナメント戦にて序列を調整する必要が生じた――そういう話であり、貴族達もその話を聞き、さもありなんと納得したのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
足元には臙脂色の絨毯、天井には木製のシーリング・ファン。
アカンサス模様の壁には、色鮮やかな風景画。
部屋の中央には、木製の椅子と共に配された巨大なテーブル。
広々としたその部屋は、闘技場スタッフ専用の会議室だった。
まず目につくのは、赤紫色の修道服を纏う男達だ。
テーブルの片側へ横並びに六名、猫脚の椅子に腰を下ろしている。
彼らは『枢機機関院』より派遣されて来た職員達だった。
その背後には、壁に沿って八名の警護兵が立ち並んでいる。
そんな男達とテーブルを挟み対峙しているのは、黒い修道服を纏った痩身の男――『マリー直轄部会』所属、ランベール司祭だ。
司祭は痩せた肩を怒らせ、眉間に刃物傷の如き深い皺を刻みつつ、口を開いた。
「先のエキシビジョン……あれはいったいどういう事か、ご説明頂きたい。『錬成機関院』が擁するオートマータは、うちのジゼルに明確な殺意を以て刃を向けていた。にも拘らず、あれほどの暴挙を目の当たりにしながら、あなた方は必要な措置を取ろうとしなかった、それは何故か?」
眼光鋭く繰り出される質問は詰問に近く、その声には怒気が滲んでいた。
対する『枢機機関院』の職員達は、鷹揚な笑みを浮かべている。
自らの地位と確かな後ろ盾に、絶対の自信を持っているが故の余裕か。
職員の一人、膨張した様に肥えた男が応じた。
「殺気の有無など、ただの聖職者たる我らには判別しかねますな。この度の件は、エキシビジョンの延長線上にて発生した事故――それが我らの見解ですよ」
「左様。エリク皇子ご高覧に際して催されたエキシビジョン、熱の籠ったものとなる事など必定」
「その通り。むしろ『コッペリア・ジゼル』の未熟が、この事故を招いたのではと『錬成機関院』側から、そういう意見も挙がっているが?」
肥えた男の左右に座る二人も、頷き合いながら同調する。
いずれも皺深い老齢の男であり、口許に酷薄な笑みを浮かべていた。
ランベール司祭は、嗤う三名を睨めつけながら言う。
「シスター・ジゼルは、教皇グランマリー様を守護すべく、ガラリア帝国軍協力のもと、錬成されたオートマータだ。不備も死角も無い。この度の問題は『錬成機関院』所属のルミエールが、隠し武装を使用したからに他ならない。あんなものを、エキシビジョンで使用する事などあってはならない」
当然とも言える抗議の言葉だった。
が、その言葉に対しても異を唱える職員が現れる。
髭も眉毛も白い高齢の職員は、嘲る様な調子で声を発した。
「エキシビジョンとは実戦の予行演習という側面もある筈だが? キミら『マリー直轄部会』は、教皇グランマリー様を守ると、帝国を守ると言いながら、実戦を想定せず活動しとるのかね? キミらは実戦で相手が隠し武器を使用したなら、使用すべきでは無いと叫ぶつもりなのかね?」
赤紫色の修道服を着た男達は、嗤いを噛み殺しつつ身体を揺らす。
彼らの背後に並ぶ警護兵までもが、卑しく口許を歪めている。
ランベール司祭の表情がますます険しくなる。
「……では更にひとつ確認したい。今回、事故に巻き込まれ負傷した『衆光会』のピグマリオンに代わり、我々『マリー直轄部会』が『コッペリア・エリーゼ』のメンテナンスを申し出たところ、闘技場スタッフより『相互不干渉』を理由に止められた。なぜ『マリー直轄部会』が『相互不干渉』の対象となっているのか? 我々は仕合に参加しない、エキシビジョンにのみ参加する、故に『相互不干渉』の対象とはならない。『枢機機関院』の独断で、仕合参加要請が成されていたという事か? であるなら、これは問題ですぞ!」
厳しい調子で司祭は指摘する。
事前連絡も無く『枢機機関院』が『マリー直轄部会』の活動方針を決定する、それは『マリー直轄部会』と互恵関係にある『ガラリア帝国軍』に対しても礼を欠いた行為だ。その事は『枢機機関院』も理解している筈だ。
その指摘に対し男達は、それでも尊大な姿勢を崩す事無く答えた。
「閉会式にて、エリク皇子が仰っていただろう? 『グランギニョール』の序列を適切な物とする為、序列一位から八位までのコッペリアでトーナメント戦を行うと」
「我々『マリー直轄部会』はエキシビジョンにしか参加しない旨、通達していた筈だ……!」
ランベール司祭は、吐き捨てる様に言う。
言いながら――同時に違和感を覚える。
『枢機機関院』が『ガラリア帝国軍』に対し、何の根回しも無く、勝手な決定を下す筈は無い――そういう事だ。
それはつまり。
疑問点に気を取られていると、肥え太った職員が声を発した。
「解っておりますよ。次のトーナメント戦、『マリー直轄部会』に頼ろうとは思っておりません。君らが乗り気にならん事は承知しておりましたし、何より君ら『マリー直轄部会』所有の『コッペリア・ジゼル』が、『コッペリア・ルミエール』にあの有様では……君らと提携している『ガラリア帝国軍』も、出て欲しいとは思わんでしょう」
「如何様左様。故に『マリー直轄部会』の失態は、『枢機機関院』所有のコッペリアを『グランマリー教団』所属として参戦させる事で、拭おうと思っておる」
「その通り。そして『枢機機関院』よりコッペリアを出場させるとなれば、同じグランマリー教団に属する『マリー直轄部会』も『相互不干渉』となる事は必定、お分かりか?」
太った男の両脇に座る職員も、粘ついた笑みと共に追従する。
事前に打ち合わせでもしていたかの様な対応だ。
何れにしても、こんな事を認めて良い筈が無い。
『枢機機関院』所有のコッペリアだと?
『錬成機関院』と共同開発した護衛用オートマータか。
そんなモノを勝手に使えるものか。
『ガラリア帝国軍』との関係に禍根が残る……いや――そうでは無い。
彼らの口ぶりから考えても『枢機機関院』は、既に水面下で『ガラリア帝国軍』と、何らかの交渉を終えていると考えて良い。しかし『ガラリア帝国軍』が『枢機機関院』からの提携要請を、全面的に認めるとは思えない。
『枢機機関院』と完全に提携するなら、『マリー直轄部会』が独自に構築した国内外の諜報ルートを維持出来なくなる為だ、機密が担保されなくなる。
それは『ガラリア帝国軍』としても避けたい損失の筈だ。
となると、恐らく『ガラリア帝国軍』内部に籍を置く有力者と、内密に取引したのだろう。
つまり『枢機機関院』は『マリー直轄部会』との全面対立を望んでいる訳では無く、部会の影響力低下を謀りたいのだ。
エキシビジョンの事故と、トーナメント戦を利用し『マリー直轄部会』の実行力に疑問符をつける事で『ガラリア帝国軍』に取り入る……今回の一件を、その足掛かりとする目論みか。
ふざけるな……その想いを噛み締めつつ、ランベール司祭は口を開いた。
「――『コッペリア・エリーゼ』が勝利を重ねたが為、序列が大きく変動、故に序列の適正化を図るべくトーナメント戦を開催する……そこに異存は無い。しかし『コッペリア・エリーゼ』の試合直後に、我々は会場スタッフより『相互不干渉』を通達された。なぜ末端のスタッフに、これほど早く『錬成機関院』の決定事項が伝わっているのか?」
「……」
最初の疑問点はここだ。
更に続ける。
「百歩譲り、末端にまで迅速な伝達が行われたのだとしても、『マリー直轄部会』を差し置き、君ら『枢機機関院』が『グランマリー教団』を代表し、オートマータを参加させるというのなら、『マリー直轄部会』と連携している『ガラリア帝国軍』に対しても、事前連絡が必要だった筈だ。今回の『グランギニョール』で、序列変動によるトーナメント戦の開催が決まったタイミング以降に、そんな連絡を『ガラリア帝国軍』内部高官と取る事が出来たのか?」
「……」
この二つの質問に『枢機機関院』の職員達は答えない。
ただただ嫌な笑みを浮かべ、こちらを見つめている。
――が、これは返答に窮している訳では無い。
ここまで知れても構わない、そう予想していたという事だ。
つまり、筋が通らぬ事を行い、道理に悖る真似をしているという事だ。
白い顎鬚を蓄えた老職員が、おもむろに言った。
「エリク皇子の要請によるトーナメント戦の在り様を疑うと……」
「論点をずらさないで頂きたい!」
ランベール司祭はテーブルを叩いて遮る。
『枢機機関院』の職員達は、それぞれ不満げに口を開き掛ける。
その出鼻を挫く様に、司祭は宣言した。
「――良いでしょう。この度のトーナメント参加要請、我ら『マリー直轄部会』は、特例的に受け入れる事とする!」
途端に職員達は色めき立つ。
「それこそ論点がズレている、唐突じゃないか!? 認められるとお思いか!?」
「左様左様! しかも君らのオートマータは『コッペリア・ルミエール』に後れを取る程度の実力しか無いと証明されておる!」
「その通り! 序列三位らしからぬ、醜態を晒したのですぞ!?」
構わない、これではっきりしたのだ。
話し合いでは埒が明かぬ、そう理解した。
声を荒げつつ暴言を吐く彼らに、ランベール司祭は上体を起こす。
対峙する全員を睨みつけながら、改めて発言した。
「――『マリー直轄部会』は『元・レジィナ』、『コッペリア・マグノリア』を出す。異存は無いな? シスター・マグノリア」
「無い」
短い返答が、低く響いた。
その声は、職員達の声でも無ければ、警護兵達の声でも無かった。
「……っ!?」
壁に居並ぶ警護兵の一人が不意に狼狽え、息を飲んだ。
驚愕する兵士の異変に、ランベール司祭を除く全員が、首を巡らせる。
彼らが見つめる先には、黒い修道服を纏った長身のシスターが一人。
居並ぶ警護兵のすぐ隣り――壁際に、ひっそりと佇んでいた。
警護兵に気づかれず、何時の間に入室したのか。
誰一人、気づく者がいなかったのか。
『枢機機関院』の誰かが、掠れた声で呟いた。
「バジリスク……」
「トーナメントには私が出る」
腰まで届く黒髪が揺れ、鈍く光る黒い瞳が、冷たく周囲を睥睨していた。
シスター・マグノリアは、低く宣言した。
「異存があるなら『枢機機関院』のコッペリアと、予備戦を行っても構わない」
・シスター・マグノリア=『マリー直轄部会』に所属している背の高いシスター。
・司祭(ランベール司祭)=『マリー直轄部会』所属の司祭。




