第七十四話 蛇王
『グランギニョール』の高覧仕合に際して行われたエキシビジョンマッチ、コッペリア・ルミエールは殺意に満ちた攻撃にてコッペリア・ジゼルを攻め立てる。全力で凌いでいたコッペリア・ジゼルだが、仕込み武器を見切る事が出来ずに被弾、戦闘不能の状態へと追い込まれる。もはや後が無いというギリギリのところでシスター・マグノリアが乱入、窮地を救うのだった。
床に倒れたシスター・ジゼルを仕留めるべく、ルミエールの鉄槍が唸る。
強烈に撃ち込まれた鋭い穂先が、シスター・ジゼルの喉を貫くかに見えた。
――が、閃光の如き一撃は、白い喉に届かず停止する。
「……っ!?」
何時の間に近づいたのか。
黒衣に包まれたしなやかな長身が、二人の間に飛び込んでいた。
身体を低く沈め、その左腕をシスター・ジゼルの眼前にかざしている。
差し出したその前腕で、ルミエールの放った穂先を受け止めたのだった。
「――エキシビジョン・マッチだと聞かされていた」
黒曜石の如き瞳が、鉄槍を握るルミエールを凝視していた。
その低い声は、冬の夜の海原を思わせる程に寒々と響いた。
「せ、先輩……」
紅色の飛沫に塗れたシスター・ジゼルは、苦しげに息を吐きつつ呟く。
鉄槍を両手で突き込んだルミエールは、密かに戦慄していた。
動かない。鉄槍が微動だにしない。
これ以上、穂先を押し込む事も出来ない。
引き抜く事も出来ない。
シスター・マグノリアの前腕に突き刺さったまま、どうする事も出来ない。
そしてルミエールは気づく。
穂先を受け止めた左腕に突き刺さる、微細な金属片の存在に。
それらは針か――二本、三本、その前腕に刺さっている。
だからといって、何故こうなるのか。
万力で固定されているかの様な違和感。
「決死決着は求められていない筈。ならばここで退け」
「……なんだ貴様は?」
改めて告げたシスター・マグノリアに、ルミエールが反応する。
冷淡だった表情は、いつしか苛立ちの滲む物に変化していた。
シスター・マグノリアはルミエールから視線を逸らす事無く、短く告げる。
「――面識はある筈だが」
「くっ……」
ルミエールは口許を歪め、全力で手にした鉄槍に力を籠める。
同時にシスター・マグノリアの右手が微かに動き、左腕の針を引き抜く。
途端にルミエールは、たたらを踏んで後退った。
「!?」
微動だにしなかった穂先の拘束が、唐突に解かれたのだ。
倒れこそしなかったものの、ルミエールは姿勢を崩しよろめく。
眼に殺気が宿る。
「おのれっ……!」
ルミエールは身体を沈めると、鉄槍を構えて攻撃姿勢をとる。
鋭く研ぎ澄まされた穂先は、シスター・マグノリアに向けられる。
穂先の向く先で、黒衣に包まれた長身が緩やかに揺らめいた。
両脚を肩幅に開き、直立する自然体。
両腕も脱力した様に、左右へと垂らされている。
ただ、その指先には左右共に長い針が保持されていた。
何処から取り出したのか。
三〇センチ、いや、三十五センチは優に超える長さの針だった。
「エキシビジョンなら事故の範疇――が、ここからは私闘になる。良いのか?」
ルミエールの表情が、その瞳が、再び凍てついてゆく。
濃厚な殺意が、あらゆる感情を塗り潰しているのだ。
対するシスター・マグノリアには変化が無い。
黒い瞳には何の感慨も浮かんではいない。
その時、どよめく観覧席から複数の声が漏れ聞こえて来た。
『バジリスク』だ――。
蛇の女王だ、蛇の女王だぞ。
『バジリスク』が闘技場に立つなんて、二〇年ぶりか?
六代前、幻の『レジィナ』だ――。
『グランギニョール』に長年通い詰めている様な、年季の入った有閑貴族達の興奮した様子に、会場内がざわめく。
高覧仕合の延長で行われたエキシビジョンが、何時しか血飛沫の舞う凄惨な死闘へと切り替わり、更には幻の『レジィナ』が闘技場へ乱入するという極まった状況に、誰もが驚きを禁じ得無い。
どよめき、ざわめき、騒然とする観覧席。
そして睨み合うルミエールと、シスター・マグノリア。
「それまでっ! それまでぇーっ!」
その時、エキシビジョンの終了を告げる大音声が、闘技場内に響いた。
演台の前に立つ、司会進行の男だった。
大気を震わすその声に、観覧席の貴族達は一斉に口を噤む。
一呼吸、二呼吸の後、司会の男は続けた。
「――波乱の展開と相成りましたが! ガラリア皇帝陛下・第二皇子! エリク・ドミティウス・ドラージュ・ガラリア様にご高覧頂くエキシビジョン! 『錬成機関院』所属『コッペリア・ルミエール』と! 『マリー直轄部会』所属『コッペリア・ジゼル』の余興! ご堪能頂けましたでしょうか!?」
卓上の伝声管に向かい、男は声を張り上げる。
エキシビジョン中に発生した全ての事を、完全に余興と断じる事で、会場内に広がり掛けた混乱を収束させようとしているのだ。
「ご来場の紳士淑女の皆様! どうか素晴らしい演武を披露した両名に! 盛大な拍手を! そしてこの機会を設けて下さったエリク皇子に感謝を!」
司会者は闘技場の最上段を振り仰ぎ、両手を打ち鳴らし始める。
懸命かつ大仰な姿ではあったが、貴族達もそれに倣い、一斉に拍手を送る。
それだけの見世物だったと、皆が認めているのだ。
更にオーケストラ・ピットの管弦楽団も、荘厳な曲を奏で始める。
驚きに満ちたエキシビジョンに相応しい幕切れを、演出しているのだろう。
ルミエールは息を吐きつつ構えを解き、鉄槍を下ろす。
鈍く輝く碧い瞳でシスター・マグノリアを睨みつけると、視線を切る。
姿勢を正すと観覧席を見上げ、然る後、優雅に会釈を繰り返した。
盛大な歓声が湧き上がる。
無数の拍手が降り注ぐ中、ルミエールは踵を返し、悠然と歩き始めた。
その背を見送ったシスター・マグノリアは、おもむろに身を屈める。
そして床の上で動けないシスター・ジゼルに、声を掛ける。
「動かなくて良い、出血が酷い。手を貸す」
「すみません……先輩……」
シスター・マグノリアは血の滲む黒衣に腕を回し、軽々と抱き上げる。
そのまま入場門へ、ゆっくりと歩き出す。
貴族達の拍手は途切れない。
エキシビジョン中に頽れたシスター・ジゼルに、罵声を飛ばす者もいない。
二〇年ぶりに闘技場へ姿を現した幻の『レジィナ』――『コッペリア・マグノリア』に対し、過去を知る者達が敬意を払っているのだった。
・シスター・マグノリア=『マリー直轄部会』所属のシスター。元序列一位『レジィナ』。
・シスター・ジゼル=『マリー直轄部会』所属コッペリア。グランギニョール序列三位。
・ルミエール=『錬成機関院』所属コッペリア。グランギニョール序列二位。




