第六話 医院
前回までのあらすじ
練成科学の恩恵に与る大都市ガラリア・イーサ。
しかし現実は厳しく、貧富の差に喘ぐ民衆の生活は厳しい物だった。
ヤドリギ園の正門を通り過ぎ、真っ直ぐ進めばそのまま建物の正面玄関となる。
大きな下駄箱と受付カウンター、こじんまりとした待合ロビーがあり、そこには聖女・グランマリーの姿が描かれたステンドグラスが飾られている。
ロビーの向こうでは長い廊下が左右に伸び、左へ曲がれば礼拝堂と食堂が、右へ曲がれば職員室と準備室、そして保健室が並んでいる。
しかし良く見ると保健室の扉には、小さな木製のプレートが貼られており、そこには『マルブランシュ練成医院』と書かれている。
つまりこの部屋は、保健室では無く医療機関……それも、義肢の調整等も行える診療所、という事なのだろう。
「……メイン・フレームとシャフトに、劣化等の問題は見当たりませんでした。生体部分にも異常はありません。手首周辺のピニオン・ギア磨耗が原因でしたので、これを交換処理しました。以後は問題無く作動するでしょう。但し、ガスパールさんの義手は年代物です、交換したギアは純正品ではありませんから、必要以上に出力を上げたりしない様にして下さい」
回転椅子に腰を降ろした青年は、落ち着いた声でそう言いながら、手にしたカルテを診察机の上に置いた。
白いシャツに濃紺のタイ、黒のウェストコート、ボトムの色も黒。
身長は高く痩躯、頭髪の色はダークブロンド、瞳の色はアンバー。
二十五、六歳といったところだろうか。
人を安心させる様な、穏やかな笑みの似合う青年だ。
「助かったよレオン先生。仕事に差支えが出ていたんだ、恩に着るよ、本当に」
そう言って笑ったのは、丸椅子に腰を降ろした中年の男だった。
皺深い頬に不精髭を生やしたその男は、工場作業員が着用する、分厚いが粗末な生地の衣服を身につけていた。
そして左腕には、良く使い込まれた感のある、蒸気駆動の金属製義手。
男は軽く義手を掲げると、微かな作動音と共に指の開閉を繰り返した。
「ほれ、一〇年前の、東方ジブロール自治領で発生した、機械化傭兵団の武装蜂起事件……アレの鎮圧に参加したんだが、その時に負傷しちまってね。以来、この有様で。年々、使い勝手が悪くなるもんだから困っていたんだ、レオン先生にメンテを頼むようになってから随分と楽になったよ」
「ガスパールさん。その義手は体内の生体エーテルに感応して動くタイプの義手です。飲酒を控えれば、もっと機能が安定しますよ」
レオンと呼ばれた青年はそう言いながら、机の上を片付ける。
男は照れた様に笑うと答えた。
「いやいや、酒は俺が動く為に必要なエーテルなのさ。控えるなんてな、無理な相談だ」
その言葉を聞いたレオンは、苦笑しながら肩を竦めてみせる。
そんな二人の傍らに立つのは、濃紺の修道服を纏った若い尼僧だった。
背がそれほど高く無い為、子供っぽくも見えるが、年齢は十八歳。
思いのほか豊かな胸元で揺れるシルバーのシンボルは、グランマリーの紋章。
ヴェールとウィンプルの下から見える頭髪は、短くカットされた巻き毛のブルネット。
艶やかで健康的な褐色の肌と、大きな黒い瞳が特徴的な、童顔の娘だ。
娘は修道服の裾をはためかせつつ腰に手を当てると、唇を尖らせて言った。
「ガスパールさん? お酒を買うお金があるのなら、治療費のツケを支払って頂きたいんですけれど?」
棘を含んだ娘の声音に、ガスパールは罰の悪そうな笑みを浮かべて答える。
「あ、ああ……分割で支払おうと思っているんだ、ちゃんと払うよ、踏み倒したりするもんか。先生にはみんな世話になっているんだから……」
ガスパールのその言葉を聞いた娘は、肩を落としながら溜め息をつく。
「他の皆さんにもお伝え下さい。治療費のツケはきちんと支払うようにと。レオン先生は仙人じゃないんです……霞を食べて過ごしているわけでは無いのですよ?」
「解ってる、解ってるよそんな事は……。まったく、お嬢ちゃんはいつも小五月蝿いね……」
ガスパールは椅子から立ち上がりつつ、ぶつくさと文句を言う。
そんなガスパールの態度に娘は、垂れ目の眦をぐっと吊り上げ、大きな声で宣言した。
「ガスパールさん? 私はグランマリーの助祭・カトリーヌですから。お嬢ちゃんと呼ばないように。聖職者には敬意を払わなければいけないんですからね?」
「解ったよ、シスター・カトリーヌ様! すまなかった、以後気をつけるし、ツケだってきちんと支払う、約束するよ!」
口煩くて敵わんとばかりに、ガスパールは頭を振りながら答える。
そして改めてレオンの方へ向き直ると、笑顔で挨拶した。
「それじゃあレオン先生、ありがとうございました。……本当に、ツケは必ず支払うから。そうさ、グランマリー様に誓ってね。安心しとくれ」
「解ってますよ、ガスパールさん。お大事に」
弁解の言葉を付け足すガスパールに、レオンは右手を上げ、笑顔で応える。
ガスパールは嬉しそうに何度もありがとうと繰り返し、部屋を後にした。
カトリーヌは腰に手を当て、頬を膨らませたまま、ガスパールの背を見送る。
そして部屋の扉が閉じられると、回転椅子に腰掛けたレオンの方へ向き直り、口を開いた。
「レオン先生……治療費の請求はきっちりと行うべきです。お金は大切なんですよ?」
「そうだね……でも、無理強いも出来ないからね、みんな生活が大変だろうし」
眉根を寄せて小言を口にするカトリーヌを見上げ、レオンは困った様な笑みを浮かべて答える。
沼に杭という様な手応えの無いレオンの返答に、カトリーヌは首を振った。
「駄目ですよ? そういうの……。患者さん達の為にもなって無いんですから。締めるべき所は締めないと、お互い傷つく事になるんです。優しいだけでは幸せにはなれないんですよ?」
子供っぽく見えてもグランマリーの助祭。
世の理に通じ、人々を導く、世界最大宗教の教えを守り伝える信徒だ。
カトリーヌは的確な諫言を以って、その事を証明してみせた。
その言葉に、レオンは小さく頷き応える。
「ありがとう……心配してくれて。シスター・カトリーヌがいてくれて、僕は本当に助かっているよ」
そう言って口許に微笑みを浮かべるレオンから、カトリーヌは視線を逸らした。
艶やかな頬が林檎の色に染まっている。
横を向いたまま、カトリーヌは口ごもりつつ言葉を紡いだ。
「ヤ、ヤドリギ園も、先生が子供達の健康管理を無償で請け負って下さって、随分と助かっていますから。その、お互い様です……」
カトリーヌは横目でチラリとレオンを見た。
穏やかに微笑むレオンと目が合い、カトリーヌは再び視線を逸らすと、どぎまぎしながら言葉を続ける。
「いえ、むしろ、お互い様というか、その……衆光会の援助があっても、在俗司祭様達の後押しがあっても、孤児院の運営は結構ギリギリみたいで……不景気じゃないですか、世の中やっぱり。だからその、レオン先生が来てくれて……この部屋も、職員寮の部屋も借りて下さって……その、本当に有り難くて……」
頬を染めて俯き加減に、取り留めなく話し続けるカトリーヌ。
そんなカトリーヌの様子を、レオンは楽しげに見つめる。
その眼差しは、おしゃまな妹を見守る兄の様に穏やかで。
唐突に、部屋の扉がスイングすると、賑やかな高い声が転がり込んで来た。
それは六、七歳ほどの子供達だった。
輝く様な笑顔と共に、レオンの傍へ駆け寄って来る。
「レオン先生! 診察の時間は終わったんでしょう!?」
「だったら僕達と少しだけ遊んでよ!」
「ねえ! 良いでしょう!?」
親鳥の姿を見て一斉に囀る雛鳥の様に、子供達はレオンに話し掛けた。
はしゃぐ子供達の姿に、カトリーヌは声を上げる。
「あなた達、レオン先生に無理を言っちゃ駄目でしょう? それに、この部屋へ入る時は、扉をノックなさいとも教えたでしょう? 本当にもう!」
叱責を受けた子供達はカトリーヌを振り仰ぎ、口々に不満を述べた。
「ええー! ずっと待っていたのにー!」
「カトリーヌ先生はずっとこの部屋でさぼっていたクセにー!」
「カトリーヌ先生は小五月蝿いからキラーイ!」
「こらっ! サム! アビィ! 先生に向かってなんて事を言うの!? 謝りなさい!」
「あはははっ!」
「逃げろー!」
「カトリーヌ先生が怒ったー!」
目を三角にして立腹するカトリーヌの姿に、子供達は笑いながら逃げ出す。
パタパタと走り、そのまま開きっぱなしの扉の方へ。
しかし子供達は、そこで足を止めた。
扉の向こう……廊下に立つ年老いた尼僧と、フロックコートを着込んだ青年の姿を見たからだった。
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