第五話 帝国
前回までのあらすじ
凄惨無比なブラッドゲーム・グランギニョール。
その頂点に立つ人造乙女『レジィナ』オランジュ。
圧倒的な強さを誇る彼女の願いを叶える為に、練成技師マルセルが動き始めた。
薄暮の空が燃えていた。
淡い退紅、そして紫。
石造りの重厚な街並みが古びて見えた。
とはいえ老朽の色は感じられない。
ゴート風に統一された、豪奢かつ堅牢な造り。
古典的な建築様式と最新の練成技術を組み合わせた、巨大な建造物群だった。
背の高い尖塔が並ぶ建物にはバットレス(控え壁)が寄り添っている。
列柱と片蓋柱が何処までも延々と連なる有様からは、荘厳さすら感じられる。
ステンドグラスのバラ窓、白いバルコニーと意匠を凝らした鉄柵。
メインストリートには幾何学模様のペーブメント、黒塗りの高級レシプロ蒸気駆動車「八四年式シュタイナー・カブリオレ」が、緩やかに走行する。
警邏の為に隊伍を組み、足並み揃えて行進するのは、小銃を担いだ衛士達だ。
身体の要所要所を機械化し、強化した彼らは、非常に優秀な兵士でもある。
衛士達が歩く道路の脇には、プロムナードと低木、そして花壇。
エーテル水銀式街灯が等間隔に並ぶ。
一際大きく目立つ建造物といえば、イーサ・ユリウス王宮にガラリア帝国議事堂。
グランマリーを奉る大聖堂、神聖教会館、枢機機関院。
高等衛兵院、高等裁判院、練成機関院。
喜捨投機会館と大劇場、そしてグランギニョール円形闘技場。
ここは『神聖帝国ガラリア』の行政と神聖を司る『首都イーサ』の中心だった。
世界広しと言えど、ここまで豪壮かつ瀟洒な街並みは二つと無い。
それは神聖帝国ガラリアが、人類文明を栄華へ導いた練成術発祥の地であり、太古の昔より練成技師たちが研鑽を積んだ地であり、その技術に魅せられた貴族達が集まり興した国である事に由来していた。
世界に先駆け、常に練成技術の最先端を行く、それがガラリアだった。
ガラリアの練成技師こそが最高峰である、それが世界の共通認識だった。
知と財と栄華に彩られた、それがガラリア・イーサの特別区画だった。
故に警備は驚くほど厳重だった。
街を守護する武装衛士隊の大半が、この特別区の警備を行っていた。
しかも特別区の周囲は、高さ二〇メートルを超える堅牢な外壁で覆われていた。
外壁の要所要所には、巨大な側防塔と、張り出し矢倉が設けられている。
その有様はまさに城塞都市……招かれざる者の侵入を一切認めない意思が、はっきりと見て取れた。
そんな剣呑な仕切りに隔てられた、対となる側。
そこには庶民の住まう、一般居住区が広がっていた。
画一的な五階建てのアパートが目につく。
戸建て住宅も存在するが、それらの多くは特別区画に程近い地域に限られており、そこで暮らす居住者の多くも教会関係者か役人、あるいは企業経営者や資産家が大半だ。
一般庶民の殆どは、公営アパートで生活していた。
アパートの多くは昔ながらのレンガ造りだ、白い漆喰で固められたレンガ壁には、何本もの鋳鉄ダクトが配管されており、そこから各世帯へ向けて、生活用水と生活用蒸気、そして希釈エーテルが供給されていた。
整然と均等に並ぶガラス窓には、質素なバルコニーと鎧戸が設けられており、天気が良ければ洗濯物を吊るす者も多い、しかし風向きによっては漏れ出した生活用蒸気の湿気を浴びて、すっきりと乾燥しない事もあった。
敷石舗装の目抜き通りに面しては、雑貨や衣類、食料品を扱う商店が軒を連ね、酒を提供する酒場や大衆演芸場の看板も見えた。
通りの空気が妙に澱んでいるのは、街に漂う蒸気のせいばかりではない。
荷台に大量の荷物を積載したレシプロ蒸気駆動車両が車列を組み、排気ガスを撒きつつ、ノロノロと走行している為だ。
しかし、速度を上げて走り抜ける事も難しい、通りは人で溢れていた。
男達は灰色や黒のジャケットに同色の外套という出立、女達は地味な色彩のワンピースとオーバースカートにショールや頭巾を合わせている。
楽しげに賑わっている、という風では無かった。
行き交う人々は皆、俯き加減で足早に歩く。
夕闇の訪れに帰路を急いでいるのかも知れず。
政情不安と不景気、それに伴う治安の悪化を憂いでいるのかも知れず。
いずれにせよガラリア・イーサの一般居住区には、『喜ばしき凪の時代』に在ってなお、仄暗い澱みの気配が漂っていた。
◆ ◇ ◆ ◇
公営アパートが連なる一般居住区から、やや離れた所に工業地帯がある。
外洋へと繋がる大きな川に面したその地域は、大小様々な工場が密集しており、主に金属加工製品の製造が行われていた。
それら加工製品を運搬する為の、大型レシプロ蒸気駆動車の出入りも激しい。
そして川に浮かぶ輸送船舶は、駆動車両よりも更に大量の輸送を可能にする。
空に向けて伸びる無数の煙突からは、幾筋もの黒煙が立ち昇っている。
そんな煤けた空を縦横に区切っているのは、何百本もの鋳鉄ダクト。
工場に設置された金属加工機器の蒸気機関を一〇〇%稼動させる為に必要な、大量の水と濃縮エーテルが、通りに沿って並ぶ鉄塔より架線された、太いダクトから供給されていた。
世界の練成技術を革命的に飛躍させた『エーテル』は、練成文明社会を支える根幹であり、グランマリーから人類に与えられた賜り物のひとつとして人々に記憶されている。
その大いなる恩恵は驚くほど多岐に渡るが、連綿と続くエーテル技術改革史の中で最も庶民に馴染み深く、解りやすい例を挙げるなら、光源、動力源としてのエーテルだろう。
あらゆる蒸気駆動機関のエネルギー効率を極限まで高める『エーテル』の存在により、大規模機械化工業による大量生産が可能になったのだ。
いわばこの工業地帯こそが、庶民が知りえる練成化学の到達点であり、ガラリア・イーサの心臓部であると言っても、過言では無かった。
とはいえ人が暮らすには、不向きな場所だ。
騒音、粉塵、車両の多さ、排出されるガスに蒸気、それに加えて治安の悪さ。
公営アパートが並び建つ一般居住地区とは比較にならない。
それでも、この暮らし辛い地域で生活する者も多い。
他国からこの地へ流れ着いた、身分の不安定な者。
理由あって、公営アパートへの入居が難しい者。
低賃金で働く日雇い労働者。
各地を駆け回る運送業を生業とする者。
そういった人々が、工場地帯に流れる川の沿岸に集まり暮らしている。
身分の保証など無くても、何らかの職にありつける為だ。
そこは工業地帯に隣接する、貧しさと混沌が綯い交ぜになった貧民居住区。
通称『歯車街』。
栄華を極めるガラリア・イーサの、影に存在する街だった。
黄昏時のシレナ川沿いに、錆びた板金屋根のバラックが延々と広がってる。
通りは何処も狭く、迷路の様に入り組んでいた。
生活用水と生活蒸気を供給する鋳鉄ダクトが、無造作に路面を這う。
公的に管理設計されたダクトとはとても思えない、ずさんでデタラメな配管だ。
更に、オイルの匂いを放つ半壊した機械群と、廃材の山が目に付く。
バラックで暮らす人々が工場から持ち込み、使えそうなパーツを探すべく、路上に放置している為だ。
ガラクタの積み上がる通りを歩く者たちは、仕立ての悪いジャケットを羽織り、疲れた表情をしている。
安酒の匂いを漂わせている者もいるが、ここでは裕福な部類と言えるだろう。
板金板で組まれたバラックは、辛うじて雨露を凌げるといった代物ばかりだが、所々存在するレンガ造りの建物は比較的まともに見える。
それら建造物の大半は安い宿泊所で、『一泊五〇クシール』と記載された看板が掲げられており、日雇い労働者や運送業者が好んで利用していた。
鉄とオイルの匂いが漂う工場地帯から少し離れた、歯車街の外れ。
そこにも宿泊所と良く似た、赤レンガ造りの建物がある。
その建物は三階建てで、二棟がL字型に繋がった形をしている。
歯車街で見かける宿泊所の、三倍近い人数を収容出来そうな規模だ。
建物には鉄柵で囲われた広い前庭があり、マロニエの木が植えられている。
屋根にはグランマリー教関連施設である事を示すシンボル――杖と蛇、翼をあしらった紋章が掲げられている。
そして、子供達のはしゃぐ賑やかな声。
十歳に満たない子供達が十数人、夕陽に紅く染まる前庭の中を、楽しげに走り回っている。
見守っているのは、グランマリーの教えを伝えるシスター達。
この施設は、身寄りの無い子供を預かり擁護する『孤児院』だった。
神聖帝国ガラリアは、従属国の内戦や暴動を除けば、他国との大規模戦争など、もう七〇年近く行っていない。
近年、徐々に景気が悪化してきているとはいえ、決して国民生活が限界まで立ち行かぬ程に疲弊しているわけでもない。
それでも、犯罪や事故に巻き込まれ親を失う子供や、生活苦の為か親に捨てられる子供、或いは親の暴力に耐えかね逃げ出した子供など、そういった不幸に見舞われる子供は後を絶たない。
そんな行き場の無い子供達を預かり、衣食住を賄い、読み書きと算術の基礎を教え、十六歳の成人を迎えるまでの間、無償で庇護する……その為に建てられた施設が、グランマリー教会・在俗区派閥の有志と、篤志家たちの出資で運営されるこの孤児院『ヤドリギ園』だった。
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