第五十六話 圧倒
前回までのあらすじ
「シュミット商会」の代表であり高名な錬成技師であるヨハンは、自身が錬成した「グレナディ」の戦いぶりに勝利を確信していた。一方闘技場では、エリーゼが変幻自在の攻撃を繰り出し続けるも、グレナディが驚異的な戦闘能力を発揮し、終始エリーゼを圧倒し続けるのだった。
怒声にも似た歓声と絶叫にも似た合唱が、大気を震わせている。
粘度すら帯びた匂い立つほどの熱気が、円形闘技場内に渦巻いている。
刃を振るいて果たし合う人造乙女達の艶姿を、聖なるものとして崇めつつ、邪な欲望を存分に満たす――倒錯的とも言える享楽に、貴族達は浸っていた。
好奇と興奮の視線が集まるアリーナでは、死闘を続ける二人の乙女が向かい合っている。
一人はダークグリーンのコルセット・ドレスを纏った、優美な貴婦人。
手には朱色の鞘に納まった長大な刀――グランド・シャムシール。
目許には、視界を塞ぐ様に巻かれた黒い布。
グランギニョール序列四位『コッペリア・グレナディ』だった。
もう一人は純白のタイトなドレスを身に纏った、美麗な少女。
輝く様な白い肌が美しく、丁寧に纏められたプラチナの髪もまた美しい。
ただ、斬撃を浴びて負った切創の紅が、痛々しく滲んでいる。
グランギニョール二戦目『コッペリア・エリーゼ』だった。
向かい合う二人の距離は六メートルほど。
グレナディの身体能力を考慮するなら、これは決して遠く無い距離だ。
これまでに三度、二人は交錯し、その都度グレナディが優位を取っている。
深手で無いとはいえ、負傷したエリーゼが劣勢に映る状況だった。
グレナディは闘争の場に不釣り合いな、穏やかな口調で告げる。
「愛しき主・ヨハン曰く……エリーゼの身体は戦闘用に造られていないと。実際に手合わせしてみて、私もそう感じましたよ? 瞬発力も、筋力も、恐らくは耐久力も、戦闘用には遥かに及ばず、その上、痛覚までも生きた状態にあると」
笑みを形作り濡れ光るグレナディの唇が、艶めかしい。
軽く小首を傾げつつ、言葉を続けた。
「んー……何故エリーゼの創造主・レオンは、エリーゼをそんな身体にしたのでしょうねえ? 確かにエリーゼの背負った武装は酷く難解な代物、繊細かつ鋭敏な感覚で無ければ、扱えないのかも知れませんし、身体能力の低さを補うに足る、奇抜な回避が取れる点も、優れているのかもですが……何れにせよ戦える身体を錬成すれば、何も問題は無かった筈」
エリーゼは紅い瞳でグレナディを見つめている。
拾い上げたロングソードを右手に、真っ直ぐに立っている。
但し、その小さな背中では『ドライツェン・エイワズ』の金属アームが、淡く蒸気を吐き出しながら、静かに稼働していた。
八本あるアームのうち四本が、フック付きワイヤーを伸ばし、大腿部に巻きつけられた革製のホルダーから、スローイング・ダガーを抜き出している。これら金属アームとワイヤーの挙動は、全てエリーゼが制御している、言ってしまえば、増設された八本の腕の様な物だ。
フックによって固定され、抜き出されたスローイング・ダガーは、ワイヤーに繋がれたまま、エリーゼの背中で揺れていた。
「そう考えるなら……エリーゼは何らかの『試作』でしょうか? 特殊で複雑なオートマータを錬成する前段階の足掛かりとして、実験的に造られたとか――であるなら、レオンの高過ぎる下馬評と、エリーゼの能力がオッズと著しく乖離している点にも、説明がつこうというもの」
グレナディは再び左脚を後ろへ引くと、姿勢を沈めつつ前傾する。
再び突撃の構えか。
口許の笑みは消えない。
「もし本当にそうであるなら、哀れの極みですがね? 代用品であり実験体、つまりは主に愛されていないと……まあ、憶測ですがね? 単なる冗談ですよ? 忘れて頂いて結構、ふふふっ……」
「――私も気づいた事がございます」
エリーゼは左腕を掲げると緩やかに波打たせ、躍らせながら言った。
背後に、微かな光を放つ銀色の球体が浮かび上がる。
その数は四つ。
ワイヤーによって操作され旋回する、四本のスローイング・ダガーだった。
「その双眸――閉ざされているようで、実際には驚くほど良く見えている」
「勿論ですよ? 慈愛と闘争を司る精霊・ラミアーの眼は、伝承にある通り『天眼通』――いわゆる千里眼。愛しき主・ヨハンは、それをグレナディに授けて下さったのです、エリーゼの姿は完璧に捉えていますよ?」
エリーゼの言葉に応じるグレナディの姿勢が、更に深く沈み込んでゆく。
左手に握る朱色の鞘を腰の位置へと構え、右手を束へと添える。
顔は伏せられている。
目許には布が巻かれている。
前が見えているとは、とても思えない。
それでも見えていると言う。
事実、見えているとしか思えない動きだ。
それも、ただ見えているだけでは無い。
ここまでエリーゼが放った攻撃全てに対応している。
全てを把握しているのだ。
「主より賜った全てを見通す『天眼通』……存分にご堪能下さいな――」
そう告げるや否や。
グレナディの姿が、半ば歪みながらに融けて流れた。
つまりは六メートルの距離を一息に詰める、強烈な踏み込み。
前方への圧倒的な加速に因るものだった。
同時にエリーゼも後方へ、大きく跳躍する。
ただの跳躍では無い、背面へと回転する跳躍だ、高さがある。
更に左腕を振るうと、四本のスローイング・ダガーを打ち込んだ。
ワイヤーによって誘導されたダガーは、四本ともに急激な曲線を描く。
僅か程の間も置かず、前傾姿勢のグレナディが突っ込んで来る。
目許を布で覆った美貌へ二本、縦に連なりダガーが迫る。
更に両脇腹へも二本、下から抉る様に異なる角度で跳ね上がる。
至近距離から放たれた頭部への二連撃は、致死性が高い。
確実に防がねばならぬ危険な攻撃であり、そしてグレナディの技量ならば防ぎ得る攻撃だった。
つまり、致死に至らぬ可能性の高い、下段からの二本が本命という事だ。
微妙にずれたタイミングと角度――しかもグレナディは加速の最中にある。
これを回避、防御する事は、至難と思えた。
にも拘らず。
「甘いっ!」
疾駆の中で成された抜刀は、エリーゼの攻撃を易々と凌駕した。
火花が四つ、明滅する。
長大な白刃と朱色の鉄鞘、それぞれが迅速かつ正確無比に、縦横に振るわれ、瞬く間に四本のスローイング・ダガーを叩き落したのだ。
頭部への二連撃――この晦ましを以てしても、下段からの攻撃が成立しない。
異様とも思える精妙さ、技の冴えであった。
しかもグレナディの動きは止まらない。
振り切られた両腕は、流れのままに得物を振るい、エリーゼへの攻撃へと切り替わる。
右順手のグランド・シャムシールは上段から撃ち込む、片手袈裟。
左逆手の鉄鞘は下段への、薙ぎ払い。
グランド・シャムシールによる斬撃であれ、朱色の鉄鞘による殴打であれ、このグレナディであれば、いずれも必殺必死の過撃に至るだろう。
対するエリーゼは、後方跳躍から着地へと移る姿勢にあった。
左腕はダガーを弾かれた衝撃で、ワイヤーごと真横へ振り切れている。
残る右手はロングソードの柄に掛かっていた。
グレナディが間合いへ踏み込むのと同時に。
エリーゼの両爪先が、足指が、逆立つグレートソードの柄と柄頭を捉える。
全身を激しく捻り、後方へ倒れ込む様に回転する。
閃光の如くに打ち下ろされるグレナディの白刃が、袈裟掛けに襲う。
電撃の如くに跳ね上がるエリーゼの剣が、逆袈裟に迎え撃つ。
空中に火花が飛び散った。
上段と下段から放たれた白刃同士の交錯か。
否。
エリーゼの逆袈裟は、グレナディが左手に構えた朱色の鉄鞘に防がれていた。
そのまま鐺まで滑り続ける。
勿論、滑り切った先にグレナディの身体は無い、空を斬るばかりだ。
グレナディの刃は防がれる事無くエリーゼの身体――無防備に曝け出された脇腹へと、吸い込まれてゆく。
刹那。
血飛沫と、微細な火花が空中に飛び散った。
グレナディの斬撃は、確実にエリーゼの脇腹を捉えている。
脇腹から下肢まで、一気に斬り裂いた……かに見えた。
そうでは無かった。
高速の一閃は肉を斬り裂くに至らず、エリーゼの体表を走り抜けていた。
不可思議としか言い様の無い現象。
――が、理由は明白。
『ドライツェン・エイワズ』より紡ぎ出された、特殊ワイヤーだ。
エリーゼの体側部に沿って特殊ワイヤーが絡み、縒り合わさっていたのだ。
絡み合い、幾重にも連なるワイヤーの束が、鎖帷子の役目を果たしていた。
加えて斬撃の瞬間、身体を捻り仰け反っていた事もプラスに働いた。
振り下ろされた刃の侵徹が甘くなる角度にて、受け流したのだ。
エリーゼは態勢を崩しながらも更に後方へ回転し、距離を取る。
逃すまいとばかりにグレナディは、大きく踏み込もうとする。
その出鼻を挫く様に、エリーゼの右手からダガーが放たれ、グレナディの喉元を狙った。
踏み込みを阻害する絶妙のタイミングだ。
ワイヤーで操作されたダガーでは無い。
エリーゼが大腿部のベルトから右手で抜き出し、直接投擲したのだ。
このダガーをグレナディは、鉄鞘の一閃にて叩き落した。
この間にエリーゼは、ロングソードの柄頭を爪先で捉えたまま、三度、四度と後方旋回を繰り返し、グレナディと大きく距離を取る。
その距離が、一〇メートルに達したところで上体を起こした。
逆立つロングソードの上、エリーゼは小動もせず直立している。
重さを感じさせないその姿は、木の梢に留まる一羽の鳥を思わせる。
ただし、全身に傷を負った紅い鳥だ。
脇腹から大腿部に掛けて新たに負った、複数の裂傷が痛々しい。
ワイヤーを束ねて刃を弾いた……とはいえ、所詮は即席の防御壁に過ぎない。
辛うじて助かったという状況なのだ。
エリーゼから離れた位置に立つグレナディが、刃を朱色の鞘に納めた。
「奇抜奇特な攻撃と回避、或いは見事と言っても良い……で、あるものの、それではグレナディの命には届きませんよ? 踏み込みが浅い。見切りも早い。あまつさえダガー投擲の危険を冒してまで、逃れようとする始末……それ程に痛みが恐ろしいという事でしょうかね? 或いは、痛みの先にある死を恐れるが故でしょうかね?」
笑みを浮かべると、愉しげに囁く。
「――痛みも、死も、恐怖も、尽くすべき主の為ならば耐えられる筈、それがコッペリアの誇り。そんな事も理解出来ずに仕合いますか……レオンも憐れですねえ。主でありながら己がコッペリアに従事して貰え無いだなんてね……」
そのままゆるりと、優雅に歩き始める。
迷いも恐れも一切感じさせないその姿は、絶対の自信に満ち溢れていた。
◆登場人物紹介
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・グレナディ=シュミット商会が保有する非常に強力な戦闘用オートマータ。




