第四十九話 業前
前回までのあらすじ
対ナヴゥル戦で勝利を収めたものの、全身に損傷を負ったエリーゼは、レオンの工房にて負傷個所の治療を受ける事になった。そんなエリーゼに対してレオンは、孤児院の子供達やシスター・カトリーヌの為に、無謀な戦闘は出来るだけ避けて欲しいと頼み、エリーゼもその事を受け入れる。
一方、次戦の相手となるグレナディは、ヨハンより戦闘の依頼を受けるのだった。
『シュミット商会』本部施設内に設けられた、緑豊かな中庭。
陽光降り注ぐ穏やかな空間の周囲には、石造りの白い列柱が連なる。
そこにいるのは、八人の年若い娘たちと『コッペリア・グレナディ』。
そして『コッペリア・グレナディ』に声を掛けた男がひとり。
列柱の影から、ゆっくりと歩み出て来た。
中肉中背、暗い灰色のスーツを身に纏っている。
襟元には朱色のタイが締められている。
歳若く見えるが、実際には三〇代半ばといったところか。
どちらかと言えば童顔だ、頭髪は金色で、短くカットされている。
ガラリアにて錬成に携わる者ならば、誰もが知っている男だろう。
『革命児』『アデプト・マルセルの再来』そんな異名を持つ錬成技師。
そして『シュミット商会』の代表――ヨハン・ユーゴ・モルティエだった。
「グレナディの力を借りたい、どうしても許せない奴がいる……」
そう切り出したヨハンの言葉に、グレナディは柔和な笑みを浮かべて頷く。
右手でロングスカートの裾を軽やかに捌きつつ、木製ベンチに腰を下ろす。
手にした長剣――グランド・シャムシールを、ベンチにそっと立て掛けると、朗らかな声音で応じた。
「ええ、ええ、何でも仰って下さいな? ヨハンの望みを叶える事が、グレナディの望みですからねえ?」
ヨハンは黙したまま、グレナディの傍へと近づく。
トネリコの木陰に集っていた、白いワンピース姿の娘たちは戯れる事を止め、ヨハンの姿を眼で追いながら、ゆっくりと身体を起こす。
ベンチに辿り着いたヨハンは、グレナディの隣りに腰を下ろした。
そのまま膝の上で両手を組み、視線を落として呟く。
「――僕はレオンに勝ちたい。勝たなきゃいけない。レオン・ランゲ・マルブランシュ。僕は、あの男が許せない……」
ヨハンの眼差しは暗く、その声は掠れていた。
グレナディはヨハンの横顔を見つける様に顔を向け、耳を傾けていた。
ただ、その目許には刺繍入りの黒い布が巻かれている為、本当に見えているのかどうかは解らない。
二人の周囲には、八人の白い娘たちが、何時の間にか集まっていた。
娘たちは芝生の上で膝を崩すと、しどけなく座り込んだ。
「僕は……『アデプト・マルセル』を目指していた。『アデプト・マルセル』が僕の目標だった。天才的な発想で、数多のコッペリアを発案したあの人に、僕は錬成技師の理想を見た……そんなあの人に、僕は認めて欲しかった……。だからこそ僕は、技術を極めんと努力した、知を探求し続けた、『シュミット商会』の代表にも選出された……彼の傍に近づけたと思ったんだ、なのに……」
沈痛な面持ちで語るヨハンの声が、仄暗い怒気を帯びた。
「あの人はレオンを……レオン・ランゲ・マルブランシュを……自分の『宿敵』だと言うんだ、解るかい? 『グランギニョール』に参加した事も無い奴を『宿敵』だと言うんだ、僕じゃ無かった……あの人は自分の息子を……レオンを……」
怒りは悲嘆へと変わり、ヨハンは背中を丸めて項垂れる。
周囲に集う白い娘たちも、悲し気な表情でその様子を見つめている。
「……確かにレオンって奴は優秀だった、アイツの錬成したオートマータを精査して確認出来たよ、奴はスペシャルだった、さすがは『アデプト・マルセル』の息子だよ……確かにね! でも戦えないオートマータを錬成する事に、何の意味があるっ!?」
その眼に涙が滲む。
発せられる声は慟哭だった。
「僕は『アデプト・マルセル』に近づきたくて……全力を尽くしたんだ、なのに何故僕じゃないんだ!? 何故アイツなんだ!? アイツは逃げた奴じゃないか! オートマータの錬成を捨てて、勝負から逃げた卑怯者だ! なのに……何故アイツがっ、あの人の息子ってだけでっ、何で僕じゃないんだ……くそっ……」
グレナディのしなやかな両手が、そっと差し伸べられて。
震えるヨハンを優しく包み込む。
そのまま薄緑色のブラウスに包まれた豊かな胸許へ抱き寄せた。
「……グレナディ」
崩れた姿勢のままグレナディに縋りつくヨハンは、嗚咽を漏らす。
グレナディはヨハンの頭を撫でながら囁く。
「――大丈夫ですよ? ヨハンの努力は、グレナディが誰よりも知っていますからね? それはグレナディの戦績が物語っていますものね? グレナディの戦績は、ヨハンが積み上げた努力の証です。皆、そう思っていますからね?」
泣き崩れるヨハンをしっかりと抱き留めつつ、語り掛けるグレナディ。
二人を取り囲む白いワンピース姿の娘たちも、ヨハンと同じく悲しみの涙を流しながら、口許を手で抑えて俯く。
すすり泣く声が漣の様に、暖かな日差しが差し込む中庭に広がる。
暫くして。
ヨハンは、グレナディの胸元に頬を押し付けたまま言った。
「次の仕合……レオンが錬成した『コッペリア・エリーゼ』に勝利して欲しい……。レオンよりも、僕が優れていると証明したい。僕こそが『アデプト・マルセル』を継ぐ人間なんだと、そう知らしめたい……」
涙に濡れたヨハンの頬を、繊細な白い指先が拭う。
黒い布で目許を隠した美貌は、穏やかな笑みを崩さない。
「ええ、ええ、心配はいりませんよ? 必ずそうなります。このグレナディが、責任を持って、エリーゼを始末しますからね? レオンにはエリーゼの亡骸を届けましょうねえ」
グレナディの言葉に、ヨハンは顔を上げた。
そして低い声で告げる。
「……グレナディ。あの『コッペリア・エリーゼ』は、恐らく戦闘用オートマータじゃ無い。筋力も瞬発力も『コッペリア・ナヴゥル』に全く及んでいなかった。ただし、身体制御と知覚……この二点が突出している。僕には解る、アレは僕がメンテナンスを担当していた、ダミアン家の『アーデルツ』って奴と同種同型だ」
「――まあ、そうなのですね?」
そう応じるグレナディの背中に、骨ばった手を回して縋りついたまま、ヨハンは息を吐き出しつつ、更に続ける。
「ああ……。半年前、君に施した神経網の再錬成施術――あれは『アーデルツ』の体内に使われていた神経網の錬成技術を参考にしている……あの神経網は、君の技にこそ相応しいと思ったからね」
「まあ、そうなのですね? まあまあ……ヨハンはいつも私が喜ぶ贈り物を、こっそり用意して下さるから、本当に有難くて嬉しくて、グレナディ、困ってしまいます。どうやってお礼を返せば良いのかしら? ふふっ……グレナディはヨハンに感謝してばかり……感謝してもしても、し足りない程ですよ? ふふふっ……」
グレナディはヨハンの頭を、慈しむ様に撫でながら相槌を打つ。
冷静さを取り戻したのか、ヨハンの声音は落ち着いたものに変化していた。
「通常のオートマータでは考えられない精度の神経網だった。更には成長性まで備わって……人工脳髄に随時、成長して書き換わった神経網の地図が、バックアップされる仕組みだ。あんな物をただのオートマータに組み込むだなんて、アイツはイカれてる。そういう意味じゃ……確かにアイツは『アデプト・マルセル』の息子だろう」
『アーデルツ』の――『エリーゼ』の身体には、レオンが独自に開発した『自己発展型神経網』が採用されていた。
それはレオンが組み上げた『人工脳髄』と連動したシステムであり、オートマータの運動と活動によって成長、より精度の高い動きを可能とする、特殊な神経回路網だった。
加えてこのシステムには、成長した神経回路の状態が随時人工脳髄へバックアップされるという機能も付随している。つまり、負傷等で神経網に問題が生じた場合でも、成長した状態にまで容易に復元する事が可能なのだ。
この機能は、自己修復機能が極端に低いオートマータの欠点を覆す、驚くべき成果であり、更には人間の義肢に使用した場合、生身の手足と遜色の無いレベルにまで、感覚や動作を成長させる事も期待出来る。
まさに画期的と呼ぶに相応しい錬成技術だった。
そしてレオンは、この神経回路網に関する複数の特許を取得していた。
――他者に自身の錬成したオートマータのメンテナンスを任せるという行為は、いわばそのオートマータが持つ身体情報を提供する事と同義だ。
ただ、レオンは『アーデルツ』を戦わせる事など、想定していなかった。
故に、メンテナンスによって『アーデルツ』のデータが、ある程度解析され、開示されても良いと考えていた。
とはいえ『アーデルツ』の身体情報を解析し、そこからレオンが錬成した『神経網』システムの全容を的確に把握する事など、一流の錬成技師であっても容易では無い。むしろ不可能に近い……そう言い換えても良いだろう。
しかし、解析する者が『革命児』――ヨハン・ユーゴ・モルティエとなれば、話が違って来る。
ヨハンは、一流の錬成技師では無い。
『アデプト・マルセルの再来』とまで噂される、超一流の錬成技師なのだ。
ヨハンは言う。
「……それでも勝つのはグレナディだ。アイツの神経網は、戦闘を考慮していない。確かに驚異的な身体制御と知覚を可能にしているが、それは筋力と瞬発力を戦闘用に調整していない為だ、『アーデルツ』は痛覚の抑制機能すら放棄していた。だから僕は痛覚を抑制可能な『強化外殻』を用意したんだ。なのに『エリーゼ』は、外殻を装備していない。恐らく、知覚と身体制御に特化した、あの神経網を最大限活かす為だろう。主人ともどもイカれてる」
「まあまあ……そういう事なのですねえ――」
ブラウスのフリルが揺れ、グレナディの白い指先が、ベンチに立て掛けられた長剣の柄に掛かった。
「それならもう、何も心配はいりませんよ? グレナディの必勝ですからね?」
グレナディは静かに囁きながら、長剣を取り上げる。
右手で柄を軽く握り、左手で朱色の鞘を軽く握り。
伸ばした両腕の間に、胸元に縋るヨハンを抱えたまま。
「んー、そのまま、そのまま……ただただ御覧じませ、グレナディの業前を――」
グレナディに促され、ヨハンは周囲に視線を送る。
芝生の上で車座に居並ぶ八人の娘達は、ゆるりと右手を差し出した。
真っ直ぐ前に突き出した者、肘を曲げておずおずと差し出した者、様々だ。
ただその白い指先には一様に、シロツメグサの小さな花が一輪、摘ままれている。
直後、ひゅんっ……という、鋭い風切り音。
眩い銀光は残像となり、空中に朧な円を刻みつける。
それは目視不能の一閃だった。
グレナディの右手が抜き放った長刀は、既に左手が握る朱色の鞘へと、半ばまで納まっている。
「これこそ、ヨハンがグレナディに授けた、比類無き精度ですよ?」
謡う様に、穏やかな声が流れて。
娘たちは皆、指先に摘まんだシロツメグサを、差し伸べたままだ。
ふと。
ヨハンの見つめる先に座る娘が摘まんだ、シロツメグサの白い花が。
コロリ――と、後ろへ転げる様に倒れた。
が、花は落下する事無く、シロツメグサの細い茎と繋がったままだ。
垂れ下がる白い花は、その細い緑の茎と、薄い表皮のみで繋がっていた。
そのまま時計回りに、ひとつずつ、コロリ、コロリと。
娘たちの手にしたシロツメグサの花が、全て項垂れた。
ただし一つとして地に落ちる事無く、花は薄皮一枚で繋がり、風に揺れる。
「素晴らしいよ、グレナディ……」
ヨハンの素直な言葉に、グレナディは小さく頷き応じる。
二人を囲む娘たちも、満足げな笑みを浮かべている。
きっとこれは、何時も行う試しのひとつ……余技であり戯れなのだろう。
しかしこの技量。
この精密さ。
花の茎を斬り、花を地に落とす事無く、薄皮で繋ぐ。
或いは一輪の薔薇に対し、これを成すコッペリアは存在するだろう。
しかしグレナディは、八本のシロツメグサに対して、同時にこれを行った。
シロツメグサの茎は、直径にして一・五ミリ前後という微細な物だ。
その上、均等では無く不揃いに、無造作に突き出されたシロツメグサを。
更には目視する事の叶わぬ、背面の娘が捧げた花をも斬り裂いている。
否、そもそもグレナディの両目は、黒い布で封じられているのだ。
つまりグレナディは。
神速の抜き打ちにて全方位……八か所同時に。
一切目視する事無く、太さ一・五ミリの茎を斬撃した、という事になる。
それも透ける程に薄い、植物の表皮のみを残して。
想像を絶する神業であった。
「――痛みとは天啓ですからねえ」
カチン……と、鋭い音が微かに響く。
グレナディの手にした朱色の鞘――それは木製では無く、金属製で。
左右に張り出した金属の鍔と、口金部分が噛み合っていた。
長刀を納めたグレナディは、静かに呟いた。
「痛みにて己を諫め、顧みよと、天がそう決めたのでしょうねえ。ですが、グレナディには天など不要。故に痛みという軛もまた不要」
神業を披露したグレナディの右手が、再びヨハンの頬を撫でる。
「何故ならグレナディは人に非ず。何よりグレナディの天は、創造主たるヨハン。ヨハンさえ在ればグレナディ、それで良いんですよ――」
口許に浮かぶ微笑みは、蕩ける様に美しい。
「となれば、痛みなど精度を乱す雑音に過ぎません。否や、痛みあればこそ至れる境地が……などと嘯く輩もおりましょうが、現実は違いますからねえ……人は痛みに怯え、痛みに惑う、闘争の最中にあってなお、勝利より保身を願い、苦痛を怖れる、それが痛みを知る人の性――」
周囲に侍る八人の白い娘たちもまた、妖艶な微笑みを浮かべている。
シミひとつ無い美貌に、驚くほど無駄が無い、均整の取れた身体。
彼女たちも全て、オートマータなのだ。
「――んー、人のままグレナディの白刃に臨むなど滑稽。ましてや勝利の為に打つ手が博打紛いとは憐れでさえある、悲喜劇に踊る道化の首は刎ね転がして、断罪としましょうね?」
「頼んだよ、グレナディ……」
「はい、大丈夫ですよ? グレナディ、頑張りますからねえ……」
グレナディはそう囁くと、胸元へ縋るヨハンの額に、そっとキスを落とした。
ヨハンはグレナディの胸に頬を押し当てたまま、安堵した様に目蓋を閉じる。
穏やかな日差しと、そよ風、そして微笑む八人の娘たちに囲まれながら。
二人は満たされた笑みを浮かべていた。
◆登場人物紹介
・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。
・グレナディ=シュミット商会が保有する非常に強力な戦闘用オートマータ。




