第四十三話 宣言
前回までのあらすじ
満身創痍の中で繰り出されたナヴゥル渾身の刺突。
エリーゼは両手両脚を用いて絡め取り、ナヴゥルの頸動脈を絞め上げる。
ナヴゥルは最後まで自身の主・ラークン伯の為に逆転を狙うが、ついに意識を失う。
それは異様な光景だった。
熾烈壮絶な殺傷技術の応酬。
その果てに二人のコッペリアは、動きを止めた。
低い姿勢でエリーゼの顔面を撃ち抜こうと、右腕を突き出したナヴゥル。
その腕を両手で引き寄せ、ナヴゥルの腕と首に両脚を絡めたエリーゼ。
ナヴゥルの右拳は、エリーゼを捉える事が出来なかった。
しかしエリーゼも、ナヴゥルの動きを脚で封じただけにしか見えない。
にも拘わらず、どちらも動かない。
気づけば管弦楽団の演奏も止まっていた。
不可解な状態での完全静止に、誰もが困惑していた。
更に数秒が経過し、観客席がざわめき始める。
何が起こったのか。
何故ナヴゥルは、あの体勢から逃れようとしないのか。
エリーゼの不可解な姿勢は、いったいなんであるのか。
汗に塗れて闘技場を見下ろす貴族達の大半が、この事態を理解出来ない。
だが、激闘を目の当たりにした熱は醒めていない。
興奮した面持ちのまま闘技場を見下ろし、小さな声で囁き合うのだ。
この興奮を、互いに共有し合うかの様に。
さざなみの様に、ざわめきが広がり始める闘技場。
やがて。
動きを止めたナヴゥルから、エリーゼがゆっくりと離れた。
首に掛かっていた脚を解き、そのまま静かに立ち上がる。
ナヴゥルは床の上に力無く項垂れたまま、動かない。
観客席のざわめきが、一際激しくなった。
ナヴゥルはどうしたのだ?
何があった? まさか、動けないのか?
まさか、これは決着なのか?
決着したというのか?
斬撃。刺突。打突。殴打。どれでも無い決着。
不可解な戦闘技術による唐突な機能停止。
そんな事が起こり得るのか。
貴族達が騒然とする中、立ち上がったエリーゼは静かに闘技場内を歩く。
そして、石床の上に転がるロングソードを拾った。
踵を返すと、倒れ伏したナヴゥルへと近づく。
右手に剣を携え歩くエリーゼの姿に、貴族達がどよめく。
とどめを刺す――とどめを刺して決着をつけるというのか。
とどめを。決着を。魂を捧げるというのか。
グランマリーに戦乙女の魂を。
成り行きを見守っていた貴族の一人が、身を乗り出したまま歌い始める。
それは聖歌であり、鎮魂歌だった。
幾度と無くこの闘技場で歌われた、あの鎮魂歌だった。
恐れを知らぬ勇猛な魂よ、聖戦の果てに昇天する意思よ。
我らが聖女・グランマリーの御許に還り給え。
音の外れた耳障りな歌声ではあったが、その歌に皆が共感した。
今こそ鎮魂歌を歌うべき時なのだと。
この仕合の決着に相応しい鎮魂歌を歌い上げる時なのだと。
我も我もと皆がそれぞれに歌い始め、歌声が歌声を呼ぶ。
幾らほどの時間も於かず、歌は闘技場を揺るがす大合唱となっていた。
恐れを知らぬ勇猛な魂よ、聖戦の果てに昇天する意思よ!
我らが聖女・グランマリーの御許に還り給え!
新たなる叡智の礎となりて、再び我らの元へ戻るその時まで!
痛みは再生の源、死は安息、練成の奇跡に現れし戦乙女よ!
眠れ眠れ、永久に! 眠れ眠れ、恐ろしくはない!
眠れ眠れ、永久に! 眠れ眠れ、恐ろしくはない!
怒涛の混声合唱は、滾る思いの発露であった。
激闘の決着を望み、声を張り上げる、至高の散華を目の当たりにしたいと。
しかし、その想いが純粋であるのかどうか。
観覧席に居並ぶ貴族達の眼は、好奇と愉悦にぎらついていた。
喧騒と絶叫に塗れた鎮魂歌を背に受けながら。
エリーゼはロングソードを手に、歩き続ける。
純白だったドレスは、今や余す所無く紅に、ナヴゥルに解かれたプラチナの長い髪も、紅く染まっている。
そんなエリーゼの姿を、レオンは入場門脇の待機スペースから見つめている。
ただの一仕合見届けただけで、レオンは憔悴し切っていた。
膝が震え、頽れそうになる身体を、欄干に凭れ掛けさせ、支えている状態だ。
命懸けの戦い――そう言葉にすれば、聞こえは良いのかも知れない。
しかしこれは、純粋に殺し合いだろうと思う。
娘同士の殺し合いを見て、何故こんなにも貴族達は馬鹿騒ぎ出来るのか。
血みどろの死闘を行う為に、錬成技師達は錬成技術の粋を極めているのか。
こんな事の為に、こんな残酷な、こんな虚しい事の為に、錬成技術を。
こんな事が、錬成技術の極みである訳が無い。
残酷と虚しさ、浅ましさ、享楽に満ちた血の宴を否定する為に、レオンは敢えて、非戦闘用オートマータ『アーデルツ』を錬成した。
しかし結局は自分も、この『グランギニョール』に参加してしまっている。
戦えない『アーデルツ』の身体をエリーゼに与えて。
エリーゼは歩く。剣を持ち、血に塗れた傷だらけの姿で。
倒れたまま動かないナヴゥルの元へ、近づいて行く。
ナヴゥルを殺すつもりなのだろうか。
ナヴゥルは未だ生きている筈だ、レオンは思う。
エリーゼの戦闘技術が何であるのか、それは解らない。
しかし最後の瞬間、あの姿勢。
エリーゼは腕と脚を使い、ナヴゥルの頸動脈を締め上げたのではないか。
『エメロード・タブレット』を維持する『人工脳髄』への、酸素供給を断つ為に。
ならばナヴゥルは未だ生きている、意識がシャットダウンしているだけだ、そう思う。
生きているのに、殺すのか。
生きているのにも拘わらず……いや、だからこそ殺すのか。
敗北の宣言が成されていない以上、確殺でしか勝利を決定出来ない為か。
こんな馬鹿げた『決闘遊戯』の為に、殺すのか。
錬成技術の結晶であるオートマータを、オートマータが殺すのか。
やがてエリーゼはナヴゥルの傍らへとたどり着く。
欲望の爛れが滲む貴族達による合唱。
欺瞞に満ちた聖戦の決着。
耐えきれず、レオンが口を開こうとした、その時。
「止めろっ! アデリーッ!!」
レオンの背後――見えぬ位置に配された観客席から、静止の言葉が飛んだ。
悲壮感に満ちた声だった。
極まった様に震えてはいたが、聞き覚えがあった。
シャルルだった。
「アデリーッ! もう止めてくれっ……」
大声で訴えるシャルル。
合唱の中とはいえ、その叫びは何度も繰り返され、闘技場に響き渡った。
エリーゼは歩みを止め、シャルルの方を振り仰ぐ。
続けてレオンも声を上げる。
「エリーゼ! 相手は損壊しているんだろう!? なら、もう良い!」
静止を促す二人の声に、水を差された貴族達の歌声は、徐々にまばらな物となる。歌声は不満げなざわめきに切り替わり、やがて声を上げる者が現れた。
また貴様か! 無礼な下民上がりが!
シャルルを詰る、強烈な野次だった。
その野次を呼び水に、観客席のあちこちから、痛烈な罵声が次々と浴びせ掛けられた。
愚昧のチンピラ貴族めが! ルールを守るという事を知らんのか!
ガラリア貴族の面汚しが! グランマリーの教えを愚弄するのか!
今すぐ神聖な戦いの場から立ち去れ! 成金貴族のこせがれが!
燃え上がる様な暴言が闘技場内に溢れ、危険な空気にレオンは焦りを覚える。
貴族社会に於いて、シャルルの立場が悪いという事は予てより知っていた。
しかし今回のグランギニョール開催にあたって、シャルルはマルセルとの繋がりを噂されていると考えていた、故に不本意ながらも、この様な問題が発生するとは考えていなかった。
が、貴族社会の特殊性、排他性から生じる軋轢と確執は、レオンの想像を遥かに超えていた。マルセルとの関係をやっかむ者もいたのだろう、何より賭博の結果に納得出来ない者達の反発が激しい。
血と暴力に彩られた闘技場内であっても、法律は生きている、しかし、ここに集まっている連中は貴族ばかりだ、貴族ばかりの集団が、共通意志の基に無法を行うなら、それは、この場に於いての法となってしまう。
こんな状況、こんな環境で、もしも暴動が発生したなら。
シャルルが危ない、周囲にいる使用人達だけで対応出来るのか。
レオンはすぐに自身の短慮を悔いた、が、どうする事も出来ない。
レオンの場所からでは、シャルルのいる観覧席の様子が解らない。
貴族達の怒声が更に激しくなる。
シャルルに詰め寄ろうとしているのか、複数の足音すら聞こえて来る。
血生臭い決闘の直後なだけに皆が興奮しているのだ、これをシャルルの従者達だけで治めるなど、とても無理だろう。
最悪の事態は回避しなければ。
レオンは枢機機関院の職員が待機している、上階へ向かおうと走り出す。
次の瞬間。
耳を劈く甲高い金属音が、闘技場内に響いた。
背筋から頭へと突き抜ける様な、衝撃的な音だ。
貴族達は思わず動きを止め、一斉に高音の源へと視線を向ける。
エリーゼだった。
エリーゼが、手にしたロングソードを石床に叩きつけたのだ。
凍りつく様な残響が、未だに闘技場の空気を震わせていた。
金属が弾ける強烈な音に、全ての貴族達が闘技場を見下ろしていた。
動揺とも、怒りとも、興奮ともつかない、混沌とした感情の籠る視線。
夥しい視線を一身に浴びながらエリーゼは、改めて剣を床に叩きつけた。
再び激しい金属音が響き、そして剣は撓みながら旋回し、跳ね上がった。
直後、エリーゼも全身を撓めると、背面に大きく高く跳躍する。
そのまま、切っ先を下に石床へと落下する剣の柄頭へと着地したのだ。
戦闘中にも見せた、あの姿だった。
逆立つ長大なロングソードの上に、揺らぐ事無く爪先で起立している。
エリーゼは周囲を見渡しつつ、ゆるりと両腕を広げながら叫んだ。
「良いのです!」
朗々と響き渡る声は、清々しい程に透き通っていた。
誰の耳にも心地良く響き、そして妖しく心を揺さぶる様な、そんな声だった。
エリーゼは言葉を紡ぎ続けた。
「騒がずとも良いのです! 私の行いに! 我が主の慈悲深き振舞いに! 異議異論がおありならば! 騒がずとも良いのです!」
小さな身体に真紅のドレスを纏わせ、真紅の長い髪を揺らして。
ピジョンブラッドの瞳を潤ませながら、エリーゼは叫んだ。
「――そう! 私に異議異論がおありならば! 構いません! 私が全てこの地にてお引き受け致しましょう! 騒がずとも良いのです! 私を打ち倒せば良いのです! 私を否定したければ! このグランギニョールにて! 私を打ち倒せば良いのです!」
血に塗れた白い美貌には、妖艶な微笑が浮かんでいた。
◆登場人物紹介
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。戦闘用の身体では無い。
・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。
・レオン=医者。孤児院「ヤドリギ園」維持の為に莫大な金を賭けている。
・ラークン伯=ヤドリギ園一帯の土地買い上げを狙う実業家であり大貴族。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友。レオンより『アーデルツ』を預かっていた。
・アーデルツ=レオンが過去に練成したオートマータ。仕合に敗北し死亡している。




