第三十九話 死地
前回までのあらすじ
絶対だった筈の攻撃を回避され、焦りを覚え始めるナヴゥル。
エリーゼはナヴゥルの秘めたる『能力』に気づいたのか、戦闘を優位に進め始めた。
仕合は大きな分岐点を迎えていた。
広大な円形闘技場に、粘りつく様な熱気が満ちている。
血生臭い決闘遊戯を、娯楽として鑑賞する者達から滲み出す、濁った熱気だ。
この決闘遊戯を野蛮だと窘める者などおらず、謗る者もまたいない。
驕れる貴族達は皆、喜色満面に拳を固め、汗に塗れて聖歌を歌う。
血生臭いこの遊戯を、神への供物と昇華するべく歌うのだ。
全ては欺瞞、全ては虚飾。
虚しさと熱狂の中。
二人の人造乙女が互いに相食み、血を流していた。
闘技場の床面に敷き詰められた、石板の上。
鋼鉄のロングソードが垂直に立ち上がっている。
鋭く光る切っ先――その僅かな一点のみを支えに直立している。
有り得ないバランスで直立する、全長一六〇センチのロングソード。
その柄頭に。
背筋を伸ばし、つま先を揃えたエリーゼが、超然と佇んでいた。
鮮血の如き真紅のエーテルに染まった、タイトなドレス。
細い木の梢にとまる鳥の様に、小さな身体は一切揺るがない。
ピジョンブラッドに濡れ光る瞳で、ナヴゥルを静かに見つめながら。
しなやかに伸びた両の腕を、繊細な指先を、緩やかに躍らせている。
エリーゼの周囲には、銀色に輝く半透明の光球が四つ。
それは空中に浮遊したまま、高速旋回し続けるスローイング・ダガーだ。
その背に装着された錬成武装『ドライツェン・エイワズ』から繰り出される、特殊ワイヤーを用いての操作によるものだった。
「――そう、それが『場』に憑く妖というモノ。『水妖』であれば『水場』、海魔たる貴方は、この場を『海』と『見立て』るべく手を打ち、策を弄した……」
「黙れ……」
エリーゼの言葉を遮りつつ、ナヴゥルは戦斧を手に低く構える。
一〇メートルの距離を突撃にて詰め、斬り込むという戦法に変化は無い。
ナヴゥルは、敢えて同じ攻撃を選択する。
背に装備された『特殊武装』――あの複雑な機構さえ正確に把握出来れば。
ワイヤーを用いた、有り得ぬ姿勢制御も恐るるに足らず。
反撃に関しても、ロングソードを用いつつ、スローイング・ダガーを操るという技術は奇特なれど、所詮は攪乱目的の変化技に過ぎず、一撃で致命となる事は無い――そう判断している。
「――つまり」
重ねて言葉を紡ごうとするエリーゼを無視し、ナヴゥルは猛然と突撃した。
横に構えた戦斧の切っ先が石床で跳ね、火花を撒き散らす。
エリーゼに後方回避の様子は無い。
二人の距離が瞬く間に縮む。
刀剣の上に立つエリーゼは両腕を振るうと、前方へ差し出した。
空中に浮遊する四本のスローイング・ダガーが、一斉に射出される。
ナヴゥルはその攻撃を、事前に予測していた。
喉元へ飛来する四本のダガー――ワイヤーを使った高速の投擲。
とはいえタイミングと軌道が読める攻撃だ、脅威とは成り得無い。
ならば戦斧による下段からの斬り上げで、全て弾き飛ばせると――。
しかし。
「つまり『策』が見切られたならば――」
「……っ!?」
鈴の音を思わせる、エリーゼの声が耳朶を打つ。
予測が覆る。
確かにダガーは射出された。
だが、その軌道は直線では無く、うねる様な曲線。
上下左右に分かれ、四方から襲い掛かって来る。
明らかに不自然かつ不規則な軌道。
それは鞭の先端を思わせた。
つまりワイヤー先端部のフックでダガーを保持、波打たせては打ち据える様に振るったという事か。
「――ここは既に『見立て』通りの『海』に非ず『場』に非ず。そういう事でございます」
「賢しやっ!」
何故、予測と食い違う結果に至るのか。
何故、『能力』が正確に効果を発揮しないのか。
背中の『武装』――ワイヤーを繰り出す複雑な『機構』。
その『機構』を掴みつつあるという認識に誤りがあったか。
或いはコイツが、我が『能力』を見切ったというのか?
しかし『能力』を見切ったとして、予想を覆し得るのか。
本当にそんな事が可能なのか!?
上方から顔面へと飛び来る二本のダガーを、ナヴゥルは戦斧の一閃で弾く。
次いで下方左から迫るダガーを、左手で掴み取る。
更に右腕で振るった戦斧の勢いを利用し、全身を翻す。
その背に、防ぎ切れなかった最後の一本が突き刺さる。
構わずナヴゥルは身体を旋回させ、上段から戦斧を叩きつけた。
回転による遠心力を加えた渾身の一撃。
背中にダガーを受けたとて、その威力には些かの衰えも無い。
当たれば必殺。
戦闘用として錬成されていないエリーゼでは、受け止める事など出来無い。
もはや避け切れる距離でも無い。
裡なる『能力』が、エリーゼの後方跳躍は無いとナヴゥルに伝えている。
にも拘らず、加撃直前。
エリーゼは上体を捻りつつ、大きく後ろへ仰け反った。
爪先――足指にて、ロングソードの柄頭と『握り』を保持したままだ。
流れる様に背面へ回転すると、ロングソードも共に、大きく弧を描く。
両脚、背筋、更には全身のバネを利用し、エリーゼは逆袈裟に斬り上げた。
上段からの撃ち込みと、下段からの逆薙ぎが交錯する。
逆しに疾走る銀の軌跡が、上段から襲い来る強烈な戦斧の重爆を斜に捉える。
跳ね上がった刃は斜めに傾いでいた。
戦斧の威力を直接受け止めるのでは無く、分散させ、受け流したのだ。
ナヴゥルの放った致命の一撃は、またもやエリーゼに届かない。
逆に、ナヴゥルの攻撃を逸らしたロングソードによる逆薙ぎは、戦斧の柄に沿って刀身を滑らせ、しならせ、懐の裡へと切っ先を深く、伸ばすに至る。
ナヴゥルは刃を逸らし弾くべく、甲冑籠手の隠し爪を起動させた。
「くっ……!」
受け流された戦斧の斬撃は、目標を逸れて闘技場の石板を叩き割る。
同時にナヴゥルの胸元から肩口までが切り裂かれ、真紅のエーテルが飛沫く。
隠し爪で勢いを殺し、切っ先をずらしたものの、被弾は免れ得無かった。
エリーゼはロングソードの柄頭を爪先で捉えたまま、更に三度、四度と、後方旋回を繰り返し、ナヴゥルから距離を取る。
ナヴゥルは流血と裂傷のダメージを無視し、強引に踏み込もうとする。
が、その踏み込みを遮る様に、風切り音が響く。
「おのれっ……」
足を止めたナヴゥルは手にした戦斧を旋回させ、力強く横に払う。
スローイング・ダガーが足元に弾けて転がり、戦斧の柄には黒い特殊ワイヤーのラインが絡みついている。
ナヴゥルがワイヤーを絡め取り、引き千切ったのでは無い。
『ドライツェン・エイワズ』に内蔵された、ワイヤーカッターによる措置だ。
ワイヤーを絡め取られた際の対策として、事前に用意された機構だった。
後方へ跳躍旋回を続けたエリーゼは、闘技場中央にまで移動していた。
ナヴゥルとの距離は八メートルほど。
エリーゼはロングソードの柄頭を爪先で捉えたまま、小動もせず静止する。
冷たく光る切っ先を下に、揺らぐ事無く直立している。
しなやかに伸びた両腕のみが、虚空に優雅な軌跡を描き続けている。
そして小さな風切り音と、周囲に浮かぶ銀色の光球が五つ。
エリーゼは息を吐きながら、そろりと囁いた。
「――入場時に放たれた八門の『空砲』。あれは演出に非ず、あれこそが『策』。この場を水妖ナクラヴィの『依り代』に相応しい、暗黒の海と仕立てるべく誂えたモノ」
「……」
「あの『空砲』は、貴方の体内に在る『濃縮エーテル』と同質のエーテル粒子を、闘技場内に効率良く撒き散らす為の、仕掛けにございましょう。自身の体内エーテル粒子が漂う範囲内に在る『者』を、正確に感知感応する――それが『水妖』としての、貴方の能力」
ナヴゥルはエリーゼを睨めつけたまま動かない。
背に刺さったダガーを、背面で旋回させた戦斧で弾き落とす。
胸元の傷口から、鮮血と見紛う濃縮エーテルが溢れ出している。
が、ダメージは感じられない。
痛覚の抑制もあるが、それ以上に眼前の敵――エリーゼに対する憤怒が、身体的ダメージを麻痺させているのだ。
「水妖ナクラビィは、暗黒の海に迷い込んだ哀れな人畜を容赦無く襲う。その所在を探る術は『熱』? 『音』? 『息づかい』? ……いいえ、水妖は、襲うべき人畜の『命の調べ』を手繰り近づく」
「……」
「練成学的に説くなら『エーテル・プルス』。エーテルの流れ。貴方は大気中に拡散した自身のエーテル粒子にて、私の体内エーテルに干渉、手繰っていた。そして貴方が手繰る『エーテル・プルス』は、血流より伝わる『脈動』では無く――『神経伝達』としての『波動』。」
ナヴゥルはエリーゼの言葉に応じる事無く、ゆっくりと身体を沈める。
戦斧を両手に低く構えた。
その姿をエリーゼは、直立した刃の上より見下ろし続ける。
「神経を伝う『波動』こそが情報伝達を行い、筋肉を可動せしめる。そして『波動』は行動に先んじて生ずる。『神経伝達』の微弱な『波動』を把握出来たなら。先読みにも似た行動が可能。ですが『神経伝達』の『波動』は『脈動』よりも遥かに微弱、微弱であるが故に捉える事は難事、流血の箇所が増えれば、阻害に至ると……」
「そうか……」
ナヴゥルは血に塗れたエリーゼを見据え、低く、唸る様に言った。
「全身に負ったその傷、その流血は……敢えてか……」
鋼を思わせる全身の筋肉が、ギリギリと隆起している。
金属の軋む音が、聞こえて来そうな程だ。
歯を軋らせる口元から、鋭く尖った犬歯が見えた。
エリーゼは血の色の瞳でナヴゥルを見つめ、応じた。
「行動の遅延にて『神経伝達』の『波動』は読み難くなる、遅延による負傷にて溢れ出す流血はノイズとなる、『神経伝達』の微弱で繊細な『波動』を、ノイズに塗れた状況下で、正確に掴む事は、更に難事……」
ナヴゥルは紅のドレスを纏ったエリーゼを見据えたまま、低く身構える。
手にした戦斧は横構えに非ず、肩に担ぐが如き姿勢だ。
戦法を変えたのだ。
更に攻撃へと偏重した、特攻の構えだった。
「優れた能力故、混戦、乱打戦になる事が無かった、相手が流血に至る打撃は既に致死性の高い深手……『エーテル・プルス』を手繰り、敵を侮り、一方的に圧倒する仕合ばかり行っていたのでしょう。貴方の敗因は――」
エリーゼは両の腕を、ゆるりと左右に大きく開いた。
長大なロングソードの柄頭に爪先立ち、流血の絡む腕を広げた紅い姿は。
不吉を告げる鳥の様にも見えて。
囁く声が小さく流れた。
「死ぬる覚悟も無く、死地へ踏み込んだこと」
◆登場人物紹介
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。戦闘用の身体では無い。
・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。
・レオン=医者。孤児院「ヤドリギ園」維持の為に莫大な金を賭けている。
・ラークン伯=ヤドリギ園一帯の土地買い上げを狙う実業家であり大貴族。




