第三十七話 異能
前回までのあらすじ
武装を全て喪失したエリーゼは、ナヴゥルの圧倒的な連続攻撃の前に、回避行動を取る事しか出来ない。
全身を少しずつ切り裂かれ、血に塗れるエリーゼを見て、焦りを覚えるレオン。
しかしこの圧倒的優位な状況にあって、攻撃し続けているナヴゥルもまた、奇妙な憔悴感に囚われるのだった。
漆黒のレザースーツを着込み、巨大な戦斧を振るうナヴゥル。
鮮血の如き濃縮エーテルに、純白のドレスを紅く染めるエリーゼ。
ナヴゥルの圧倒的な攻撃力に、貴族達は笑みを浮かべる。
エリーゼの身体から染み出す紅の色に、貴族達は眼を細める。
舞い踊るが如くに斬り結び、祈るが如くに血花咲かせよ!
斬り結びてこそ輝ける魂、我らが神に捧げよ!
これぞ人が咲かせる叡智の花ぞ!
この世の悪意に抗う花ぞ!
我らが聖女・グランマリー、見給えこれぞ聖なる戦ぞ!
神に捧ぐる兵の舞を観給え、血花咲く様を観給え、御霊の許へ届き給え!
暴力の享楽に酔い痴れる貴族達は、上擦った声で聖歌を口ずさむ。
場内の空気を震わせる糜爛した歌声に、管弦楽団が伴奏で寄り添う。
目許をマスクで隠した歌姫の切なげな歌声が、主旋律を紡ぐ。
響き渡る歌声がアリーナの死闘を彩り、煌めかせ、聖戦へと昇華させる。
グランマリーの御許へ捧ぐ、至高の宴を彩る聖歌、であると。
――少なくとも貴族達は、その様に思っていた。
ナヴゥルとエリーゼの死闘が開始され、三分が経過した頃。
ナヴゥルは自身の攻勢に疑問を抱き始めていた。
武装を散逸させ、白い肌を裂き、紅に染め続けて尚、疑問は晴れない。
振るえば必殺の戦斧が今尚、エリーゼを捉え切れぬ理由。
なぜコイツは、攻撃を回避しないのか。
否、そうではない、回避はしている。
回避はしているが――これは何かがおかしい。
そう感じている。違和感を覚える。
違和感の根は深く、根拠もある。
仕合う相手を把握し、全てを認識する、それがナヴゥルの『能力』だからだ。
その『能力』が。
絶対的とも言える、この『能力』が。
コイツには。なぜコイツは。
――否。
確かに私の『能力』は、適用されている。
コイツにも、私の『能力』は適用されているのだ。
コイツの成す事など、全て手に取る様に解る。
コイツの行動、全てが読める。
ナヴゥルは攻撃の手を休める事無く、エリーゼを追い込み続ける。
エリーゼは風に靡く枝葉の如く、柔軟に身をくねらせては回避する。
その動きをナヴゥルは読んでいる。
どれほど巧みに回避しようと、その動きをナヴゥルは読み取る。
読めるが故に、刃先がエリーゼの肌を裂き続ける。
エリーゼの裂傷が増えてゆく。
血がしぶく。
後ろへ逃れようと足を踏み出す。
切先を躱そうと、身体を反らせる。
そのまま右へ、更に右へ。
『ドライツェン・エイワズ』から放ったワイヤーを巻き上げ、急速に後方へ。
全て読める、読み取れる。
――しかし。しかし違う。
遅い。行動が遅い。立ち上がりが遅い。
少しずつ、少しずつ、ズレている。
その遅さが、このズレが、コイツの不確実な回避となっている。
そしてこの不確実な回避こそが、私の攻撃が当らぬ理由だ。
コイツは自身の身を刻みながら、意図的な行動の遅延によって、私の能力をギリギリで掻い潜り、攻撃を避けている――そうとしか思えない。
でなければ、こんなリスキーな回避方法を選択する必要が無い。
つまり、気づいたという事か。
私の『能力』に気づいたと。
過去、誰にも気づかれる事の無かった私の『能力』に。
有り得ない、有り得ない筈だ。
仮に万が一、気づかれたとしても、対策など取れる筈も無い。
ならば、考えるな。
この無謀な回避を、何時までも続ける事は出来まい。
肌からしぶく濃縮エーテルは、オートマータの血液そのものだ。
浅い出血であっても、出血が続けば必ず支障が出る。
支障が出れば回避に乱れが生じる、僅かでも加撃が動脈に至れば。
それで終わるのだ。
ナヴゥルは眼前の敵――エリーゼの全てを把握している。
同時に、観覧席にて熱狂する貴族達の姿も把握している。
そして、貴賓席で仕合を観覧する主――ラークン伯の様子も把握していた。
意識を向ければ、感じ取る事が出来る。
有象無象の中に紛れようと、愛しき我が主の鼓動を、感じ取る事が出来る。
顎を撫で、笑みを浮かべる、その仕草、その表情を。
淡く、仄かに、感じ取る事が出来る。
期待されているのだ。
我が主が、私に期待しているのだ。
野卑な有象無象を屠り、浅ましき者達の浅慮を砕き散らす、その有様を。
ならば、拘る必要など無し。
ならば、考えるな。
この眼前のコイツを、敵を、確実に屠り去るのみ。
ナヴゥルは戦斧を大上段に構えると、深く激しく踏み込んだ。
回避を続けるエリーゼは、その攻撃に合わせて、前へと距離を詰める。
長大な戦斧では、懐へ飛び込む敵に対応出来ない――そういう事か。
が、それこそがナヴゥルの思惑だった。
仕留め切れぬと焦った挙句、強引な撃ち下ろしで勝負を急いだ――その様にナヴゥルは見せ掛けたのだ。
ここまでの攻防、観客共には伝わらずとも。
仕合うコイツには、私の憔悴と苛立ちが伝わっていただろう。
私の攻めをいなし、紙一重で回避するコイツなら、感じ取っていた筈だ。
認めたくは無いが認めよう、コイツはガラクタではなく、強者であると。
ならば、その読み、その冴え、更に、私の焦りと苛立ちすらも『餌』として。
この一撃にて打倒する。
全力で戦斧を、唐竹に振り下ろすナヴゥル。
その刃を掻い潜り、飛び込むエリーゼ。
低い姿勢で、ナヴゥルの脇をすり抜けるつもりか。
が、その位置への回避は、ナヴゥルの誘導によるモノだ。
エリーゼは前傾姿勢のまま、石床を滑る様に移動する。
ナヴゥルの戦斧――その刃は、エリーゼが通り過ぎた地点を斬り裂く筈だ。
しかし、戦斧の柄を握るナヴゥルの腕は。
今まさに通過しようとするエリーゼを、捉える事の出来る位置だ。
緑色に発光し、白い蒸気を吐く鋼鉄蛇腹の甲冑籠手。
ナヴゥルが装備する強化外殻だ、その前腕部から。
鋭い鉤爪が、勢い良く弾き出された。
かつてアーデルツの攻撃を止め、その腹部を撃ち抜いた、隠し爪だった。
例え事前に情報があったとしても。
このタイミングでの仕掛けには、気づけまい。
戦斧による徹底した連続攻撃が、意識を硬直させている。
故に隠し爪による加撃は、間違いなく不意打ちとなる。
振り下ろされる戦斧を潜ったエリーゼの首筋に、光る鉤爪が伸びる。
更に爪は、それ自体が意思を持つかの様に角度を変え、エリーゼを狙う。
だが、必殺と思えたナヴゥルの爪は、エリーゼの喉を裂くには至らなかった。
その白い喉を掻き切る直前、エリーゼの挙動が唐突に変化したのだ。
『ドライツェン・エイワズ』から射出された、フック付きのワイヤーだった。
闘技場に敷かれた石板を利用し、跳躍するエリーゼを真横へ牽引したのだ。
この、石板とフック付きワイヤーを駆使した急旋回、急加速こそが、エリーゼの回避能力を極限まで高めていた。
重力と慣性を無視した挙動が相手の混乱を誘い、追撃を鈍らせるのだ。
しかし。
その『ドライツェン・エイワズ』の挙動すら、ナヴゥルは把握していた。
否、初手の回避時点で、ナヴゥルは既に見抜いているのだ。
その背に備わる複雑な機構、その全てを把握する事は出来ずとも。
稼動する『直前』を『感じ取り』『捉える』事は出来る。
ならば構える事も可能、対応が可能なのだ。
コイツは常々、回避が間に合わぬ事を想定し、背なの玩具を命綱としていた。
つまりはこの回避こそが、最後の手段。
故に。
「賢しや! 死ぬるが良い!」
振り下ろした戦斧は布石。
更に繰り出した隠し爪すら布石。
本命は、両手で握り締めた柄の先端――石突きを用いた渾身の打突だった。
横滑りに回避するエリーゼ。
その眉間を砕かんと迫る鋼鉄の打撃。
逃れる事の叶わぬタイミング、角度、そして距離。
必殺以外の結果は有り得ぬ――そう見えた次の瞬間。
微かな風切り音。
ナヴゥルは不穏な気配を感じる。
違和感。圧迫感。背後から気配が三つ。
「ちっ!」
ナヴゥルは上体を捻り、後方へ向けて全力で戦斧を振るう。
金属音が響くと火花が二つ、飛び散り弾ける。
弾けた火花は高速で旋回しつつ、頭上へと撥ね上がる。
それは二本のスローイング・ダガーだった。
煌めく放物線が二筋、空中に描かれる。
が、床へ落ちる事無く、煌めきは空中にて唐突に真横へと引かれた。
ナヴゥルは金属が放つ微かな光の軌跡を眼で追い、向き直る。
距離にして一〇メートルほど前方。
ドレスを赤く染めたエリーゼが石床に片膝をつき、屈んでいる。
右手には、先ほど弾き飛ばしたロングソードが握られている。
鞘は壊れ、抜き身の状態だ。
更に。
ナヴゥルはエリーゼの背後に浮かぶ、半透明の球体を見た。
何も無い空中に、音も無く浮かぶ銀色の球体。
高速旋回し続ける、スローイング・ダガーだ。
床に撒き散らされていた物を回収し、使用したのだろう。
エリーゼの左腕がしなやかに動き、何も無い空間を指先がなぞる。
が、そうでは無かった。
空中に波打つ特殊ワイヤーを、指先と腕のしなりを以て、操作しているのだ。
ナヴゥルはエリーゼを睨みつけたまま、自身の左肩へ手を伸ばす。
突き刺さったダガーを抜き取り、傍らへ捨てる。
後方から飛び来る気配は三つだった。
首筋への二本を弾いて防ぎ、肩口への一本は無視した。
痛みは事前に抑制してある。
故にスローイング・ダガー程度は、発達した筋肉で止める事が可能だ。
ナヴゥルは改めて戦斧を両手で構えると、吐き捨てる様に言った。
「ふーっ……賢しい、手品紛いの曲芸で、我を出し抜けると思うな……」
「死角からの攻撃に対しても反応出来る――左様でございますか」
エリーゼは、紅く濡れ光る瞳でナヴゥルを見つめながら応じる。
その口許に浮かんだ微笑は、遠目には解らぬ程に淡いものだった。
◆登場人物紹介
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。戦闘用の身体では無い。
・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。
・レオン=医者。孤児院「ヤドリギ園」維持の為に莫大な金を賭けている。
・ラークン伯=ヤドリギ園一帯の土地買い上げを狙う実業家であり大貴族。




