第二十五話 決断
前回までのあらすじ
返済不可能な程の莫大な負債を背負う事になった孤児院『ヤドリギ園』。人造乙女であるエリーゼは、主人であるレオンに対し、自分をグランギニョールに出場させる様、提案する。しかしレオンは、そんなエリーゼの要請に疑問と疑惑をぶつけた。
エーテル水銀式の黄色灯が、室内を淡く照らしている。
微かに瞬くあえかな光源の元、エリーゼの言葉は続く。
「――お父上は決して、ご主人様を諦めません。ダミアン卿を、ヤドリギ園の子供達を、ご主人様と繋がる全ての人間を、纏めて破滅させてでも、グランギニョールへの道を開こうとするでしょう。遅かれ早かれ、一切の手段を選ばす、ご主人様に纏わる全てを犠牲にして、ご主人様を引き摺り出そうとするでしょう。対峙している物は『狂気と妄執』、端から他に道などございません。選択肢などございません。覚悟を以ってその道を進むしか無いのです」
「何を言っているんだ、質問の答えに……」
「守るべき物を守る為には、戦うしか無いのです」
「質問に……」
「成すべき事を成す為には、戦うしかありません」
「質問に答えろ、エリーゼ!」
湧き上がる苛立ちのままに、レオンは声を荒げてしまう。
動揺を隠し切れない。
エリーゼは、静かに言った。
「……私がヤドリギ園を選んだのは、ご主人様に、この状況を理解して頂きたかったからです。グランギニョールへの道を選ばざるを得ない、逃げる事など許されない、最初から逃げ場など無い、この状況を理解して頂きたかったからでございます」
「……っ!」
レオンは声も無く、ベッドから立ち上がる。
――なんだ、それは。
つまりエリーゼは。
逃げ場の無い状況を作り出す為に『ヤドリギ園』を選んだという事だ。
心臓が荒々しく早鐘を打ち、レオンは両手を握り締める。
胸の奥から、黒々とした憤怒の感情が込み上げて来る。
憔悴と切迫。背中を嫌な汗が伝う。
しかし、この回答が。
この回答こそが正解なのだと感じる、辻褄が合う。
全て、仕組まれていたという事だ。
父・マルセルに。
そして、エリーゼに。
しかも、この状況。
既に、何もかもが。
奥歯を食い締めながら、レオンはエリーゼを睨む。
それでもエリーゼは、表情を変える事などなかった。
凜とした佇まいのまま、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「ご主人様」
僅かな濁りすら感じさせない白い美貌が、レオンを見上げる。
後ろ暗さや後悔の色、悪意、裏切り、そんな歪みなど、微塵も感じさせない。
ただ純粋に、真っ直ぐに、レオンを見つめていた。
そして言った。
「本当はご主人様も、お気付きだった筈です」
紅く煌めく、ピジョンブラッドの瞳。
その目を見つめ返しながら。
レオンは言葉を失う。
「ご主人様はお父上の思惑に、最初から気づいておられた筈です」
「……」
最初からとは、どういう意味か。
レオンは困惑し、混乱する。
視界が歪むほどに怒りを感じる。
握り締めた指先が、手のひらへ食い込むほどの怒り。
しかしその怒りを、エリーゼにぶつける事が出来ない。
ヤドリギ園の子供達に危機が及ぶ可能性を知りつつ、それを隠蔽したのだ。
それは、裏切りでは無いのか。
恩を売るつもりなど無い、恩を返せとも思わない。
己の責任で、命と引き換えにエリーゼを救いたいと願ったのだ。
それでもエリーゼは、裏切っていたも同然だ。
しかしそれでも、エリーゼを糾弾出来ない。
言葉が出ない。それは何故か。
その想いの根に在る、違和感が。
ここに至るまで、消える事の無かった違和感が。
違和感。この違和感は。
「私などよりもずっと深く、お父上を理解されて、おいででしょうから」
「……」
胸の内に湧き上がる憔悴と、苛立ち、焦りの根源は。
父の介在を予想出来なかった――からでは無かった。
予想に難くない事でありながら、無意識のうちに。
気づかぬふりをしようと。その心の置き所にこそ。
問題があったという事か。
練成技師としての父は、優秀だったのかも知れない。
しかし父は、人が社会で生きる為に必要な、道徳や倫理というモノを、明らかに軽視していた。
『叡智探求に伴う止むを得ない措置』……こんな馬鹿げた文言を、練成技師の免罪符として、実際に公的文書へ記述し始めたのは、父・マルセルではなかったか。
道徳や倫理、常識に捉われる事無く、自由に、野放図に、思うが侭に、父・マルセルは練成術の真髄を模索し続けた。
レオンはそんな父の背中を、複雑な想いで見つめ続けていた。
軽蔑、嫌悪、畏敬……一言では言い表せない感情。
あらゆる高等練成技術の極みを理解し修め、前へ、前へと進み続ける姿。
その姿はまさに高等練成技師――ピグマリオンそのものだった。
好奇心の赴くままに、決して諦める事無く、真理に手を伸ばし続ける。
全てを犠牲にしてでも、真理を掴もうとする、その想い。
破滅してでも、成すべき事を成したいと言う想い。
死と引き換えにしてでも、己を貫くという想いが。
執念とも言うべき父の想いが、レオンには理解出来る。
理解出来てしまう。
レオンもまた、父・マルブランシュの血を受け継ぐ練成技師なのだ。
――そうか。
「そうか……」
でなければ。
エリーゼの再生に際し、命を捨てるという判断には至らない。
狂っている――そう断ぜられても仕方の無い判断に、身を委ねたのだ。
レオンもまた、死と引き換えの『何か』を、選べてしまう人間なのだ。
レオンも、『狂気』の側に立つ人間なのだ。
しかし。
それでも人は。
人には人として、踏み込んではならない領域がある。
人として、守らねばならない道理がある。
だが、マルセルは、そうでは無い。
躊躇も無い、逡巡も無い、全て無視して前進し続ける。
叡智探求の為ならば、全ての道理を平然と無視する。
そんな父の想いを、父の思想を、父の理想を。
レオンはこれ以上、理解したく無かった。
理解出来るが故に。
理解したくなかったのだ。
故に――レオンは父を恐れ、父を憎み、父から遠ざかった。
父に関する全ての事柄から、目を背けたかった。
それこそが。
レオンの裡に生じた、思考の盲点だったのだ。
エリーゼの声が、レオンの耳朶を打った。
「私にお命じ下さい」
自身の胸元に、たおやかな右手を添えて。
濁りの無い双眸で、紅い瞳で、レオンを真っ直ぐに見つめたまま。
「お命じ下さい、ご主人様」
父の計画。
エリーゼの思惑。
自身の想い。
それでも、子供達を救わなければならない。
子供達の居場所を守らねばならない。
「お命じ下さい、コッペリアとして戦えと。戦う事で道を切り開けと――」
しかし、勝てるのか。
エリーゼの身体は、減痛措置すら施していない、戦う事を想定していない。
身体的強度では、戦闘用のオートマータとは比較にならない。
それで勝てるのか。
「――必ず勝ちます」
混じり気の無い透明な声で、エリーゼは言った。
身に纏った灰色の修道服、頭に被ったベールとウィンプルの下から零れ流れ落ちたプラチナの髪が、美しく煌めく。
更に言葉を続ける。
「……子供達の為に」
子供達の為に。
シャルルより伝えられた言葉だった。
アーデルツが、そう言っていたのだと。
「子供達の為に、必ず勝ちます」
もはや他に道が無く、戻る事も叶わず、時間も無い。
ならばもう、前へ進むしかない。
敗北した時の事を考えて、行動しないなどという選択肢は有り得ない。
「解った」
レオンは、エリーゼを見つめる。
その紅く煌めく瞳を見つめ返す。
「子供達の為に、戦って欲しい」
そして言った。
「僕がサポートする――ピグマリオンとして」
エリーゼは静かに眼を伏せて応じた。
◆ ◇ ◆ ◇
エリーゼのグランギニョール参加を認めた翌日。
レオンは園長と副園長に、ヤドリギ園存続に必要な資金の調達を行うと、申し出た。
「――確実とは言えませんが、資金調達の方法があります。つきましては、ヤドリギ園周辺の土地購入を計画しているコルベル運輸に売却を留保する旨、お伝え頂けますか?」
園長室のソファに座り、レオンはそう切り出す。
予期せぬ提案に園長は息を飲んだ。
しかしすぐに姿勢を正すと、落ち着いた口調で答える。
「……レオン先生、お心遣い深く感謝致します。それが可能であれば、子供達も救われる事でしょう。ですが途方も無い金額です……どの様に調達されるおつもりですか? レオン先生の生活に問題が生じる様な方法でなければ良いのですが――どの様な方法を採られるのか、お聞かせ願えませんか?」
園長の言葉からは、喜びよりもレオンに対する気遣いが感じられた。
よほどの大貴族であっても、簡単に賄い切れる金額では無い。
園長はレオンの出自や過去について、ある程度理解している。
父親との確執や、練成機関付属の学習院を自首退学するに至った経緯について、知っている。
それだけに憂慮しているのだろう。
ヤドリギ園存続の為、無理をするのでは……そういう想いがあるのだ。
レオンもまた、資金調達の方法を、伏せている事は出来無いと考えている。
コッペリアとして仕合に参加するエリーゼを、全面的にバックアップする為には、医院運営もこれまで通りという訳には行かないだろう。
カトリーヌの協力が必要不可欠だ。
レオンは嘘偽り無く、園長の質問に答えた。
「衆光会経由で、エリーゼのグランギニョール参加を打診します。グランマリー教会主催、ガラリア認定のグランギニョールならば、多額の報奨が見込めます」
「まあ……」
園長は胸元に手を沿えると、今度こそ隠す事の出来ない驚きの相を浮かべた。
束の間、言葉を失っていた園長だったが、心苦しげに口を開く。
「……レオン先生がそう仰るという事は、既に様々な問題も考慮された上での事なのでしょう……ですが、我々もグランマリーに仕える者として、出来得る限りの事を検討しております。レオン先生とエリーゼさんばかりが多大な負担を被る状況は……」
園長はレオンが、グランギニョールを嫌悪している事も知っている。
更にアーデルツの件もある。
故に、グランギニョール参加を提言した事に驚き、同時に危惧したのだ。
レオンは首を振ると、園長の憂慮を払拭するべく、落ち着いた口調で答える。
「私とエリーゼ……共に納得した上での事です。ヤドリギ園の一員として、この問題に全力で取り組むべきだと判断しました」
院長は、眼を伏せると目蓋を閉じた。
そして何度か言葉を紡ごうとするも適わず、やがて声を震わせ言った。
「私共が力不足なばかりに……先生とエリーゼさんの心遣いに感謝するばかりです……」
レオンはソファから立ち上がり、園長の傍らへ近づく。
身を屈め片膝をつくと、優しく園長の手を取り、握った。
◆登場人物紹介
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・エリーゼ=レオンに蘇生されたオートマータ。元は戦闘用だった。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友、オートマータ・エリーゼに甘い。
・園長=孤児院「ヤドリギ園」の園長。慈悲深く、子供達を庇護する。
・シスター・ダニエマ=副園長。厳格であり曲がった事を許さない性格。
・カトリーヌ=孤児院「ヤドリギ園」のシスター。レオンの助手を務める。
※神歴一八九〇年の四億四千万クシールは、現在の貨幣価値に換算すると、約四十四億円である。




