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人造乙女の決闘遊戯 ~グランギニョール戦闘人形奇譚~  作者: 九十九清輔
第七章 危急存亡
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第二十三話 相談

前回までのあらすじ

レオンは自身が救い出したオートマータ・エリーゼの思考が読めず、不穏な物を感じていた。その一週間後、衆光会の貴族が借金返済を理由に『歯車街』に所有する土地・20ヘクタールの売却を決定、その土地に含まれるヤドリギ園に、存亡の危機が訪れていた。

「し、失礼します……」


 カトリーヌは震える声で告げながら入室すると、テーブルに着く皆の前へ、ティーカップとソーサーを並べた。

 ソーサーを差し出す手が、微かに震えている。

 園長が穏やかな口調で話し掛けた。


「――聞いていたのね?」


 カトリーヌは一瞬、凍りついた様に動きを止めた。

 しかしすぐに園長の方へ向き直ると、頭を垂れて謝罪した。


「申し訳ございません、園長。決して盗み聞きするつもりは無かったんです、ただ、耳に届いてしまって……」


「いいえ、責めている訳では無いの。そうよね、この建物は古いから、音が外に漏れてしまって困り物ね」


 園長はそっと微笑む。

 そして優しい眼差しで、カトリーヌを見つめながら言った。


「シスター・カトリーヌ。今聴いた話、子供達には、まだ伝えないで欲しいの。自分の胸の裡にしまっておく事が出来るかしら?」


「勿論です、この事は誰にも……」


 園長の言葉に、カトリーヌは微笑みを浮かべようとして、出来なかった。

 瞳を潤ませると手で口許を抑え、小さく失礼致します……と告げた。

 ワゴンを押しながら、応接室から立ち去る。

 レオンも、シャルルも、シスター・ダニエマも、その後姿を黙って見送る事しか出来ない。

 絶望的な状況だけが、目の前に広がっていた。


◆ ◇ ◆ ◇ 


 給仕用ワゴンを給湯室に片付けたカトリーヌは、急いで自室へと戻った。

 とにかく顔を洗って、気持ちを切り替えたかった。

 こんな顔を、子供達に見せるわけにはいかない。

 園長の仰る通り、子供達に知られるべき事では無い。

 それに、まだどうなるのかも解らない。

 園長も、副園長も、レオン先生も、ダミアン卿も、問題を打開する為に話し合っていたのだ。

 洗面台の前に立ったカトリーヌは、給水の蛇口を捻る。両手で水を掬うと、涙で腫れぼったくなってしまった目蓋を冷やす様に、顔を洗った。冷えた水が、頬と目蓋に心地良く染みる。


 でも。

 応接室の前で聞いてしまった話の内容が、頭から離れない。

 ヤドリギ園が売却されてしまうという話。

 それはつまり、ヤドリギ園の閉鎖を意味する。

 もし、本当にそんな事になれば、子供達はどうなってしまうのか。


 恐らくガラリアが運営する、公立の児童養護施設へと編入されるのだろう。

 しかし公立の養護施設に関する噂は、決して良い物ではない。

 身寄りの無い孤児を成人するまで教育する方針に、政府は消極的だ。

 安価な労働力として、活用すべきという意見があるとも聞く。

 いや、それらは噂だ、噂で公立養護施設に偏見を持つ事は間違っている。

 

 それでも。

 ずっと兄弟の様に暮らして来た子供達が、バラバラになってしまうのは。

 そんな子供達が悲しむ姿を見たく無い、みんな良い子ばかりなのに。

 洗い流したはずなのに、また涙が滲んでしまう。

 こんな事ではいけないと、改めて手のひらで水を掬おうとした時。

 部屋のロックが外れ、扉が軽い音を立てて開くのを聞いた。

 ノックの音は無かった、自分以外に部屋の鍵を持っている者は一人だけだ。

 

「シスター・カトリーヌ、いらっしゃいますか?」


「え? う、うん、いるよ? どうしたの?」


 エリーゼの声だった。

 カトリーヌはタオルを手に取ると、顔を拭い、洗面所から部屋へと戻る。

 薄暗い部屋の中、灰色の修道服を身に纏ったエリーゼが佇んでいた。

 エリーゼはカトリーヌを見上げると、話し掛けて来た。


「先ほど廊下でお見掛けしたのですが、酷く思いつめた表情をされておいででした。何かございましたか?」


「あ……えっと、その……」


 カトリーヌは口篭る。

 おいそれと口外して良い話題では無いからだ。

 この話を知る事になるなら、それは園長から知らされるべきだろう。


「うん、ちょっとね……。なんでも無いの。ごめんね、心配させちゃって」


 曖昧な笑みを浮かべつつ、カトリーヌは答えた。

 そして手にしたタオルに、視線を落とす。

 エリーゼの眼差しから、逃れたかったのかも知れない。

 園長との約束があるとはいえ、後ろめたい想いがある。


「左様でございますか」

 

 エリーゼは小さく頷いた。

 気にした風も無い。

 しかしエリーゼは、静かに言葉を続けた。


「……シスター・カトリーヌ、私はあなたを、好ましく感じております」


「えっ?」


 カトリーヌは顔を上げた。

 唐突な言葉に、どう反応して良いのか解らなかった。

 エリーゼが他人に対する印象や想いを、語るなど初めての事だ。

 しかも自分に直接向けられた言葉。

 なんと返事をして良いのか解らない。

 でも。


「シスター・カトリーヌがお困りならば、力になりたいと思います」


 静かにそう告げたエリーゼの口許に浮かぶ微笑は、とても優しくて。

 カトリーヌは、はにかみつつ、目を伏せる。


「あの……ありがとう……で、良いのかな?」


「はい」


 エリーゼは、小さな会釈と共に答える。

 そして、子供達の許へ戻ります……と言い残し、部屋を後にした。

 その後姿を見送りながら、カトリーヌはほんの少し、胸の裡が軽くなるのを感じていた。


◆ ◇ ◆ ◇ 


 その日の夜。

 自室へと戻ったレオンは、力無くベッドに腰を降ろした。

 ネクタイを解き、シャツのボタンを外す。

 部屋は決して暑く無い、にも関わらず嫌な汗が首筋を伝っていた。

 不安と憔悴が、レオンの代謝機能を狂わせている。

 何故こんな事になったのか、そんな事を考えている場合では無かった。

 早急に有効な手段を講じなければ、確実に最悪の事態が訪れる、既にそういう状態だ。


 ヤドリギ園の存亡に関わる危機だった。

 園長と副園長、レオン、衆光会の会員であるシャルルが話し合ったところで、すぐに解決する様な問題では無かった。

 それでもシャルルは、衆光会経由で各方面に働き掛け、問題の解決が可能か改めて確認する事を約束した。

 園長と副園長は、ヤドリギ園の存続を恃むべく、グランマリー在俗区派閥トップである教区長に打診する方向で話を進めていた。

 

 しかし実際の所、この問題を解決する方法は、たった一つしか無いのだ。

 まとまった額の金を用意する、それだけだ。

 金で土地を購入する、それ以外の方法で解決する事など出来ない。


 更に付け加えるならば、ヤドリギ園の敷地のみを購入するのでは無く、この辺り一帯、要するに流通拠点として活用し難くなる程度には、土地を押さえなければならない。


 でなければラークン伯とコルベル運輸は、ヤドリギ園の敷地のみ残した状態であっても、強引に周囲の土地を開発し、合法の範囲内で圧力を掛けて来る可能性もある。そういう事態は避けたい。


 ならば、その金を自分に用意出来るのか、という話だ。

 レオンの所持する最大の財産と言えば、練成機関院付属学習院の在学中に考案した、人工血管と人工神経に関する複数の特許だ。

 これら特許に纏わる技術は、大手企業や公的機関で採用されており、そこから発生するライセンス料が、レオンの主だった収入となっている。

 この権利を企業に売却すれば、かなりの金額にはなる。

 しかしそれでも、四億四〇〇〇万クシールには遠く及ばない。

 多く見積もって、四〇〇〇万クシールに届くかどうか……といったところか。


 四〇〇〇万クシールは確かに高額だ、しかし医療技術系特許の売却益と考えれば、かなりの安価であるとも言える。

 まず、レオンの考案した特許技術は、画期的かつ革新的な技術ではあるが、その措置が施された義肢は高価となる為、一般需要がそこまで伸びていない。

 特別区画を警護する様な、機械化した衛士達の義肢にも採用されてはいるが、それも部分的な運用に限定されている。練成技師達の利権問題が関わっている為だ。


 そしてレオンの特許技術は、オートマータにも応用出来る物ではあるが、これを利用するピグマリオンも殆どいなかった。学生の考案した、ましてや練成機関院と繋がりの薄い者の技術を使用する事に、練成技師達の多くが屈辱を感じる為だ。

 また、安定したライセンス収入があるにも関わらず、唐突に権利を売却するという事実に、購入を希望する企業サイドはつけ込んで来るだろう。

 いわゆる足元を見る、という奴だ。


 更に問題点を挙げるならば、特許の権利を全て手放すという事は、レオンの生活基盤が根本から損なわれる事を意味する。

 それは生活水準が下がる云々では無く、医療活動が困難になるという話だ。エリーゼのメンテナンスは必須であるし、薬品や機材資材の維持も必要になる、それらの現実を踏まえるなら、特許の全てを手放す事など出来ない。


 そう考えれば上限の半分……二〇〇〇万クシール。

 それがレオンに支払える限界だろう。


 ふと。

 部屋のドアをノックする、硬質な音が響いた。

 こんな時間に誰だろうと思いつつ、レオンはベッドから立ち上がる。


「どなたでしょう?」


 レオンは声を掛けつつ、シャツのボタンを閉じる。

 ドアの向こうから、澄んだ声が聞えてきた。


「夜分遅く、恐れ入ります。エリーゼでございます」


 レオンはドアを開いた。

 戸口の前に立つエリーゼは、修道服の胸元に手を当て、眼を伏せたまま言った。


「ご主人様に相談したい事がございます」

◆登場人物紹介

・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。

・シャルル=貴族でありレオンの旧友、オートマータ・エリーゼに甘い。

・園長=孤児院「ヤドリギ園」の園長。慈悲深く、子供達を庇護する。

・シスター・ダニエマ=副園長。厳格であり曲がった事を許さない性格。

・カトリーヌ=孤児院「ヤドリギ園」のシスター。レオンの助手を務める。

・エリーゼ=レオンに蘇生されたオートマータ。元は戦闘用だった。


※神歴一八九〇年の四億四千万クシールは、現在の貨幣価値に換算すると、約四十四億円である。

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