第二十三話 相談
前回までのあらすじ
レオンは自身が救い出したオートマータ・エリーゼの思考が読めず、不穏な物を感じていた。その一週間後、衆光会の貴族が借金返済を理由に『歯車街』に所有する土地・20ヘクタールの売却を決定、その土地に含まれるヤドリギ園に、存亡の危機が訪れていた。
「し、失礼します……」
カトリーヌは震える声で告げながら入室すると、テーブルに着く皆の前へ、ティーカップとソーサーを並べた。
ソーサーを差し出す手が、微かに震えている。
園長が穏やかな口調で話し掛けた。
「――聞いていたのね?」
カトリーヌは一瞬、凍りついた様に動きを止めた。
しかしすぐに園長の方へ向き直ると、頭を垂れて謝罪した。
「申し訳ございません、園長。決して盗み聞きするつもりは無かったんです、ただ、耳に届いてしまって……」
「いいえ、責めている訳では無いの。そうよね、この建物は古いから、音が外に漏れてしまって困り物ね」
園長はそっと微笑む。
そして優しい眼差しで、カトリーヌを見つめながら言った。
「シスター・カトリーヌ。今聴いた話、子供達には、まだ伝えないで欲しいの。自分の胸の裡にしまっておく事が出来るかしら?」
「勿論です、この事は誰にも……」
園長の言葉に、カトリーヌは微笑みを浮かべようとして、出来なかった。
瞳を潤ませると手で口許を抑え、小さく失礼致します……と告げた。
ワゴンを押しながら、応接室から立ち去る。
レオンも、シャルルも、シスター・ダニエマも、その後姿を黙って見送る事しか出来ない。
絶望的な状況だけが、目の前に広がっていた。
◆ ◇ ◆ ◇
給仕用ワゴンを給湯室に片付けたカトリーヌは、急いで自室へと戻った。
とにかく顔を洗って、気持ちを切り替えたかった。
こんな顔を、子供達に見せるわけにはいかない。
園長の仰る通り、子供達に知られるべき事では無い。
それに、まだどうなるのかも解らない。
園長も、副園長も、レオン先生も、ダミアン卿も、問題を打開する為に話し合っていたのだ。
洗面台の前に立ったカトリーヌは、給水の蛇口を捻る。両手で水を掬うと、涙で腫れぼったくなってしまった目蓋を冷やす様に、顔を洗った。冷えた水が、頬と目蓋に心地良く染みる。
でも。
応接室の前で聞いてしまった話の内容が、頭から離れない。
ヤドリギ園が売却されてしまうという話。
それはつまり、ヤドリギ園の閉鎖を意味する。
もし、本当にそんな事になれば、子供達はどうなってしまうのか。
恐らくガラリアが運営する、公立の児童養護施設へと編入されるのだろう。
しかし公立の養護施設に関する噂は、決して良い物ではない。
身寄りの無い孤児を成人するまで教育する方針に、政府は消極的だ。
安価な労働力として、活用すべきという意見があるとも聞く。
いや、それらは噂だ、噂で公立養護施設に偏見を持つ事は間違っている。
それでも。
ずっと兄弟の様に暮らして来た子供達が、バラバラになってしまうのは。
そんな子供達が悲しむ姿を見たく無い、みんな良い子ばかりなのに。
洗い流したはずなのに、また涙が滲んでしまう。
こんな事ではいけないと、改めて手のひらで水を掬おうとした時。
部屋のロックが外れ、扉が軽い音を立てて開くのを聞いた。
ノックの音は無かった、自分以外に部屋の鍵を持っている者は一人だけだ。
「シスター・カトリーヌ、いらっしゃいますか?」
「え? う、うん、いるよ? どうしたの?」
エリーゼの声だった。
カトリーヌはタオルを手に取ると、顔を拭い、洗面所から部屋へと戻る。
薄暗い部屋の中、灰色の修道服を身に纏ったエリーゼが佇んでいた。
エリーゼはカトリーヌを見上げると、話し掛けて来た。
「先ほど廊下でお見掛けしたのですが、酷く思いつめた表情をされておいででした。何かございましたか?」
「あ……えっと、その……」
カトリーヌは口篭る。
おいそれと口外して良い話題では無いからだ。
この話を知る事になるなら、それは園長から知らされるべきだろう。
「うん、ちょっとね……。なんでも無いの。ごめんね、心配させちゃって」
曖昧な笑みを浮かべつつ、カトリーヌは答えた。
そして手にしたタオルに、視線を落とす。
エリーゼの眼差しから、逃れたかったのかも知れない。
園長との約束があるとはいえ、後ろめたい想いがある。
「左様でございますか」
エリーゼは小さく頷いた。
気にした風も無い。
しかしエリーゼは、静かに言葉を続けた。
「……シスター・カトリーヌ、私はあなたを、好ましく感じております」
「えっ?」
カトリーヌは顔を上げた。
唐突な言葉に、どう反応して良いのか解らなかった。
エリーゼが他人に対する印象や想いを、語るなど初めての事だ。
しかも自分に直接向けられた言葉。
なんと返事をして良いのか解らない。
でも。
「シスター・カトリーヌがお困りならば、力になりたいと思います」
静かにそう告げたエリーゼの口許に浮かぶ微笑は、とても優しくて。
カトリーヌは、はにかみつつ、目を伏せる。
「あの……ありがとう……で、良いのかな?」
「はい」
エリーゼは、小さな会釈と共に答える。
そして、子供達の許へ戻ります……と言い残し、部屋を後にした。
その後姿を見送りながら、カトリーヌはほんの少し、胸の裡が軽くなるのを感じていた。
◆ ◇ ◆ ◇
その日の夜。
自室へと戻ったレオンは、力無くベッドに腰を降ろした。
ネクタイを解き、シャツのボタンを外す。
部屋は決して暑く無い、にも関わらず嫌な汗が首筋を伝っていた。
不安と憔悴が、レオンの代謝機能を狂わせている。
何故こんな事になったのか、そんな事を考えている場合では無かった。
早急に有効な手段を講じなければ、確実に最悪の事態が訪れる、既にそういう状態だ。
ヤドリギ園の存亡に関わる危機だった。
園長と副園長、レオン、衆光会の会員であるシャルルが話し合ったところで、すぐに解決する様な問題では無かった。
それでもシャルルは、衆光会経由で各方面に働き掛け、問題の解決が可能か改めて確認する事を約束した。
園長と副園長は、ヤドリギ園の存続を恃むべく、グランマリー在俗区派閥トップである教区長に打診する方向で話を進めていた。
しかし実際の所、この問題を解決する方法は、たった一つしか無いのだ。
まとまった額の金を用意する、それだけだ。
金で土地を購入する、それ以外の方法で解決する事など出来ない。
更に付け加えるならば、ヤドリギ園の敷地のみを購入するのでは無く、この辺り一帯、要するに流通拠点として活用し難くなる程度には、土地を押さえなければならない。
でなければラークン伯とコルベル運輸は、ヤドリギ園の敷地のみ残した状態であっても、強引に周囲の土地を開発し、合法の範囲内で圧力を掛けて来る可能性もある。そういう事態は避けたい。
ならば、その金を自分に用意出来るのか、という話だ。
レオンの所持する最大の財産と言えば、練成機関院付属学習院の在学中に考案した、人工血管と人工神経に関する複数の特許だ。
これら特許に纏わる技術は、大手企業や公的機関で採用されており、そこから発生するライセンス料が、レオンの主だった収入となっている。
この権利を企業に売却すれば、かなりの金額にはなる。
しかしそれでも、四億四〇〇〇万クシールには遠く及ばない。
多く見積もって、四〇〇〇万クシールに届くかどうか……といったところか。
四〇〇〇万クシールは確かに高額だ、しかし医療技術系特許の売却益と考えれば、かなりの安価であるとも言える。
まず、レオンの考案した特許技術は、画期的かつ革新的な技術ではあるが、その措置が施された義肢は高価となる為、一般需要がそこまで伸びていない。
特別区画を警護する様な、機械化した衛士達の義肢にも採用されてはいるが、それも部分的な運用に限定されている。練成技師達の利権問題が関わっている為だ。
そしてレオンの特許技術は、オートマータにも応用出来る物ではあるが、これを利用するピグマリオンも殆どいなかった。学生の考案した、ましてや練成機関院と繋がりの薄い者の技術を使用する事に、練成技師達の多くが屈辱を感じる為だ。
また、安定したライセンス収入があるにも関わらず、唐突に権利を売却するという事実に、購入を希望する企業サイドはつけ込んで来るだろう。
いわゆる足元を見る、という奴だ。
更に問題点を挙げるならば、特許の権利を全て手放すという事は、レオンの生活基盤が根本から損なわれる事を意味する。
それは生活水準が下がる云々では無く、医療活動が困難になるという話だ。エリーゼのメンテナンスは必須であるし、薬品や機材資材の維持も必要になる、それらの現実を踏まえるなら、特許の全てを手放す事など出来ない。
そう考えれば上限の半分……二〇〇〇万クシール。
それがレオンに支払える限界だろう。
ふと。
部屋のドアをノックする、硬質な音が響いた。
こんな時間に誰だろうと思いつつ、レオンはベッドから立ち上がる。
「どなたでしょう?」
レオンは声を掛けつつ、シャツのボタンを閉じる。
ドアの向こうから、澄んだ声が聞えてきた。
「夜分遅く、恐れ入ります。エリーゼでございます」
レオンはドアを開いた。
戸口の前に立つエリーゼは、修道服の胸元に手を当て、眼を伏せたまま言った。
「ご主人様に相談したい事がございます」
◆登場人物紹介
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友、オートマータ・エリーゼに甘い。
・園長=孤児院「ヤドリギ園」の園長。慈悲深く、子供達を庇護する。
・シスター・ダニエマ=副園長。厳格であり曲がった事を許さない性格。
・カトリーヌ=孤児院「ヤドリギ園」のシスター。レオンの助手を務める。
・エリーゼ=レオンに蘇生されたオートマータ。元は戦闘用だった。
※神歴一八九〇年の四億四千万クシールは、現在の貨幣価値に換算すると、約四十四億円である。




