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人造乙女の決闘遊戯 ~グランギニョール戦闘人形奇譚~  作者: 九十九清輔
第六章 危機意識
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第二十一話 無償

前回までのあらすじ

街での用事を終えて帰路に着くカトリーヌとエリーゼ。しかしそんな二人の前で、窃盗事件が発生する。目の前で起こった凶行を見逃せないカトリーヌは、身を挺して犯人を取り押さえようとする。そしてエリーゼは、危機に陥りつつも立ち向かおうとするカトリーヌに代わり、暴漢二名を事も無く取り押さえるのだった。

 治安事務所での事情聴取が終了したのは、夜の二十一時を幾らか過ぎた頃だった。

 襲われた老婦人は、貸し倉庫の管理を行う事務所の代表で、普段から護衛もつけずに金銭管理の全てを自身で行っていたらしい。

 犯人はいずれも、一〇年前のジブロール自治領・武装蜂起事件に参加した機械化兵士で、暴力事件及び傷害事件で収監された過去があり、今回の件は事業家である老婦人の行動を調べた上で起した、計画的窃盗である事が判明した。


 とはいえそれらの事情は、カトリーヌにもエリーゼにも関係が無い。

 聴取を行った治安官達は、グランマリー教の助祭であるカトリーヌに対し、礼儀正しく接したものの、同行していたエリーゼが、オートマータであるという点で話が拗れた。

 犯罪抑止の件はともかく、管理上の不備は無かったのか、という話だ。


 オートマータは所有者と共に在るべき『物』である――それがガラリアの法ではあるが、しかし、その事以上に、オートマータの存在を理解している治安官が少なく、結局、エリーゼの保護者としてレオンが、そしてヤドリギ園の副園長としてシスター・ダニエマが、共に呼び出される事となってしまった。


 レオンは治安官達に、ヤドリギ園で行った便宜上の説明を行い、オートマータを保護した練成技師の責任を説き、今回の外出は経過観察の一環であり、管理等の問題は無かったと主張し、漸く開放される運びとなった。


 一時間後、ヤドリギ園へ帰り着いたカトリーヌには、シスター・ダニエマより、長く厳しい説教が与えられた。

 多くの子供達を導く立場にある者が、危険を省みず行動してどうするのか、向こう見ずな行動が子供達の規範と成り得るのか、それは何ひとつ言い返す事の出来ない正論だった。

 正しいと思えた事は、その瞬間だけを切り取った、短絡な考え方だったのかも知れない。


 それが使命であり、仕事であるなら、或いはただ一人で生きているのなら、良いのかも知れない。

 しかし多くの場合、人はその様な生き方を選択してはいない。

 他者との繋がりを維持し、社会性を維持し、快適な生活を送っているのだ。


 あの場面で無理を通し、カトリーヌが酷い怪我を負っていたならば、子供達は悲しんだだろう、カトリーヌが仕事を抜ける事で子供達の生活にも悪影響が出る、レオンの仕事も円滑に回らなくなる、歯車街の人々も心配するだろう。

 あの場に於いての判断が正しかったとは、今ではとても思えない。

 自分の行動に酔っていただけなのでは、と思えてくる。


 肩を落として寝室へ戻ったカトリーヌは、エーテル水銀灯の明かりを燈した。

 エリーゼは未だ部屋に戻ってはいない。

 レオン先生によるメンテナンスが、まだ終わらないのだろうか。


 オートマータは人間よりも遥かに身体能力が高く頑強であるが、自然治癒能力が低く、怪我や故障に際しては、ピグマリオンによる修復作業が不可欠だと習った事がある。 

 カトリーヌの目前で、機械化した暴漢二人を全く寄せ付ける事無く、瞬く間に制圧したエリーゼではあったものの、実際には過剰な負荷が掛かっていたのかも知れない。

 エリーゼもまた、身の丈に合わない行動を取ったのだろうか。


 あの時、エリーゼは私に『お見事です』という言葉を掛けてくれた。

 しかし今となっては、自分の行動が見事と呼べるモノであったとは、とても思えない。

 カトリーヌは修道服姿のまま自分のベッドに腰を降ろし、ため息をつく。

 

 その時、ドアノブの回る微かな音が聞えた。

 ゆっくりと部屋の扉が押し開いたのは、灰色の修道服を纏った小さな姿。

 エリーゼだった。


「おかえりなさい、エリーゼ」


 カトリーヌは顔を上げるとエリーゼに声を掛ける。


「ただいま戻りました、シスター・カトリーヌ」


 エリーゼは軽く会釈し、扉を閉める。

 頭に被ったヴェールを脱ぐと、プラチナに輝く長い髪が美しく波打った。

 

「身体に問題は無かった? レオン先生のメンテナンスを受けていたんだよね?」


「はい、メンテナンスの結果、何処にも異常はございませんでした。ただ――」


「ただ?」


 やはり何か問題があったのだろうか。

 ヴェールを脱いだエリーゼは修道服の裾を手で抑えつつ、カトリーヌと向かい合う形でベッドに腰を降ろし、言葉を続けた。


「叱責されてしまいました。危険な事をしてはいけないと」


「ああ……うん、そうだね……。私もシスター・ダニエマに叱られちゃった」


 身体的な問題では無いというエリーゼの返答に、カトリーヌは安堵したものの、それでも今回の件は自身の無謀に端を発しているという想いが残る。

 カトリーヌは俯きながら、謝意を口にした。


「ごめんね、エリーゼ。私が考えも無しに先走ったせいで……」

 

 考えも無しに、という言葉が妥当だと思う。

 実際、深く考えた上での行動ではなかった。

 己の生活や子供達の事、レオンの事、そしてエリーゼの事すら頭に無い状態だったのだと思う、やはり恥じるべき行いだったのだ。


「うん……本当に、後先の事なんて考えて無かった。ヤドリギ園の事や、子供達や皆の事を忘れちゃって、本当に浅はかな行動だった……」


 情けないなと感じる。

 ヤドリギ園の為に、子供達の為に、自らを律して行動すべき立場なのに。

 咄嗟の事に全てを忘れて、無茶な事をしてしまうなんて。

 カトリーヌは口許に自嘲的な苦笑を浮かべながら、言葉を続ける。


「私が馬鹿な真似しなきゃ、エリーゼも私を庇う為にあんな危険な事を、しなくて済んだんだ……本当にごめんね? エリーゼ」

「それは違います、シスター・カトリーヌ」


 否定の声が響いた。

 カトリーヌは驚いた様に顔を上げる。


「え……?」


「利他的行為、その衝動を、恥じる事はありません」


 静かな眼差しで、エリーゼはカトリーヌを見つめていた。

 そして小さく頷くと、改めて口を開く。


「人は本来、利己的な生き物です。皆、己が愛おしい。己の立場が、己の地位が、己の財産が、己を取り巻く環境が愛おしい。それは人という生物が、人の世を渡る為に必要な要素だからでございます。人は皆、己が愛おしく、惜しい、他者の命を己が苦痛で購おうなどとは思いません。生物としての人は、基本的に自己犠牲を善しとしないのです」


 背筋を真っ直ぐに伸ばし、揃えた膝の上で両手を組み、ベッドに腰を降ろしたまま一切の澱み無く、エリーゼは言葉を紡ぐ。


「それは倫理や善悪とは別の基準……生物の本能に基づいた思考でございます。生物なればこそ、自己の安定を第一に考え、それによって次世代へ生命を繋ぐ。それが生物としての、動物としての、人の性なのでございます。己が種を残そうとする保存本能、そこから生ずる血縁者に対する利他的行為を除けば……人間は皆、基本的に己が利こそが可愛いのでございます」


「……」


 滔々と語られるエリーゼの言葉は、高圧的でもなければ否定的でも無い。

 カトリーヌは黙って耳を傾ける。


「ですが、そうではない者もいるのです。己が築き上げた生活基盤、人との繋がり、人生、愛情……あらゆる己の利。にも関わらず、その時、その刹那、他者の利を優先する。そう思考する者がいるのです。己が裡に在る道理の天秤が、例え不均衡を示していようと、衝動的に他を活かす道を選択する者がいるのです。否応も無く、利他を選択してしまう魂が存在するのでございます――」


 エリーゼは何事かに想いを馳せる様に、そっと目蓋を閉じた。

 長い睫毛を伏せた白い相貌が美しい。


「――事に於いて他が為を願う、打算無く他者の利を選択する……誰にでも出来る事ではありません。人を生物として捉えるなら、それは生物本来の在り方と矛盾するやも知れません。ですが私は、人の人たる美徳をひとつ挙げよと問われたならば、利他的行為を選択出来る魂の衝動に在ると、答えるでしょう」


 エリーゼはゆっくりと目蓋を開く。

 一点の曇りも無く煌めくピジョンブラッドの瞳が、カトリーヌを見つめる。


「規律を守り、安寧を願い、危うきものに近づかない、シスター・ダニエマの主張は、一点の曇りも無く正しいと思います。ですがシスター・カトリーヌ。貴方を突き動かした衝動、胸の奥から湧き上がる想いも、決して恥じる様な物では無いのです」


「……本当に……そうなのかな?」


 カトリーヌは、眩しすぎるエリーゼの眼差しから視線を反らして呟く。

 エリーゼの声が優しく響いた。

 

「はい。だからこそ孤児院の子供達は、シスター・カトリーヌを慕っているのです。一切の利害無く、無償で差し伸べられた手だと、彼らは理解しているからです」


「……ありがとう、エリーゼ」


 カトリーヌは照れて俯く。

 そんなに立派な志を意識した事は、一度も無いかも知れない。

 それでも、エリーゼの言葉が嬉しかった。

 

◆ ◇ ◆ ◇ 


 自室の灯りを燈したレオンは、指先でネクタイの結び目を緩めた。

 次いでシャツのボタンを二つ外すと、窓際のデスクへ近づく。

 革張りの椅子に腰を降ろし、本棚に置かれた林檎酒のボトルへ手を伸ばした。

 銅製のマグカップへ金色の液体を注ぎ、それを一息にあおる。

 それは比較的アルコール度数の高い、発砲林檎酒だった。

 寝付けない夜、僅かだけ口にする代物だが、今日はそれに留まらない。

 更にもう一杯、空になったカップへとボトルを傾ける。

 レオンは診察室での、エリーゼとの会話を思い出していた。


◆ ◇ ◆ ◇ 


「――神経、関節、筋肉各部位、過負荷による磨耗や損傷といった問題は無さそうだ。それじゃ、コネクタ・ケーブルを取り外す……もうしばらく動かないでくれ」


「承知致しました」


 レオンは蒸気式小型差分解析機――スチーム・アナライザー・アリスからタイプアウトされる出力用紙を確認しつつ、診察ベッドの上でうつ伏せに寝そべるエリーゼにそう告げた。

 両腕をベッドの上で組み、その上へ頬を乗せたエリーゼは、雪の様に白い背中を晒したまま、肩越しにレオンを見上げると静かに答える。

 小さな身体の各所に設けられた接続ソケットには、冷たく光る金属コネクタが幾つも接続され、そこへ繋がるケーブルが束となって解析機まで伸びていた。


 エリーゼのメンテナンス自体は、特に問題無く終了した。

 問題を挙げるとするならば、エリーゼの行動が問題だった。

 機械化した暴漢を制圧する様な、そんな危険を冒す必要があったのか、という点だ。

 

 エリーゼの身体は、身体強度と耐久性、安定性を考慮し、高純度のモリブデン練成合金を筋骨として、受肉置換させている。

 見た目も質感も、人と変わらない肉体ではあっても、実際には金属を基とした重厚かつ強靭な複合練成体だ、一五〇センチに満たない身長でありながら、体重は八〇キロを超え、筋力も瞬発力も耐久力も、人間とは比較にならない。


 しかしそれでも、エリーゼの身体は戦闘用では無い。

 精妙かつ滑らかな可動、自然な動きを追求すべく、独自開発した成長型練成神経網を採用しているが、これには人間らしい身体制御の妨げとなる減痛措置を施していない。

 負荷の掛かる動作を行えば、或いは外部からの衝撃に際しても、人間と同様に痛みを感じるという事だ。

 更に、痛みを感じる程の過負荷な状態に陥る事を避ける為、練成筋肉繊維を最大出力値で稼動させる事の無い様、人造脳髄にリミッターを設定してある。


 そんなエリーゼが、義肢を戦闘用に機械化した、元兵士を制圧したという。

 戦闘用の機械化兵士といえば、銃器で武装した治安官や一般兵士を、遥かに凌ぐ存在だ。純粋な戦闘能力で比較するなら、グランギニョールに参加する中堅クラスのコッペリアに単独では及ばないものの、訓練を受けた複数の機械化兵士であれば、それを制圧する事も可能だ。


 つまり身体的要素だけを取り上げて考えるならば、戦闘用に調整されていないエリーゼが、単独で制圧出来る相手では無かった、という事になる。


 エリーゼよりも先に、シスター・カトリーヌが暴漢を止めようと前へ進み出た、そんなシスターを守るべく、エリーゼが暴漢を制圧したと聞き及んでいる。

 そういう意味では、確かに必要に応じた防衛であったのかも知れない。

 しかし身体能力的に考えれば、それは危険な行動と言わざるを得ない。


「エリーゼ、今日の話なんだが……戦闘用に義肢を機械化した暴漢を二人、制圧したそうだね」


「はい、ご主人様」


 レオンはエリーゼの脚部に取り付けられた接続ソケットから、コネクタ・ケーブルを取り外しつつ口を開く。

 エリーゼは普段と変わらない口調で答える。

 レオンは質問した。


「他に方法は無かったのか? 傍にはシスター・カトリーヌもいたのだろう?」


「あの場での制圧が、最良の選択だと判断致しました」


 後悔や逡巡を一切感じさせない声音だった。

 そんな明朗過ぎるエリーゼの返答が、逆にレオンの心を波立たせた。

◆登場人物紹介

・カトリーヌ=孤児院「ヤドリギ園」のシスター。レオンの助手を務める。

・エリーゼ=三〇年間、タブレットの状態で放置され続けたオートマータ。

・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。

・シスター・ダニエマ=副園長。厳格であり、曲がった事を許さない性格。

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