第一九四話 微笑
・前回までのあらすじ
神聖帝国ガラリアと対立する大国、ウェルバーグ公国に極秘入国を果たした若き日のマルセルは、外交官になりすまし、失われたエリンディア遺跡の遺物を得るべく調査を続けていた。その調査が難航する中、ウェルバーグ公国で行われている、オートマータ同士による非合法な賭博試合『ジングシュピル』を観戦しないかと。外交官仲間から誘われる。
廃棄された紡績工場にて、オートマータ同士の賭け試合が行われようとしていた。
ウェルバーグ貴族達の間で人気の非合法な娯楽――『ジングシュピル』だった。
工場建屋内の壁際に群れ集う貴族達の間を、給仕服姿の男達が忙しなく歩き回る。
貴族達は給仕の男に、はがきサイズのプレートを手渡している。
そのプレートには、勝者予想と賭ける金額がそれぞれ記入していた。
建屋の奥には、オッズの数字が記入されたボードが掲げられている。
給仕の男達がプレートを回収する度に、ボードの数値が書き換えられる。
貴族達が集う建屋内に、三〇メートル四方の開けた空間が設けられている。
そこには家屋の屋根を支える複数の柱以外、古びた機材の類いも何も無い。
そんな空間の中央にて、二人のオートマータが対峙している。
一人は深緑色の全身鎧――『強化外殻』を纏った長身の女――ブラスレーナだ。
右手に長さ二・五メートルほどの、穂先が十文字の鉄槍を携えている。
ヘルムの下から見える眼差しは鋭く、真っ直ぐに対戦相手を睨みつけている。
もう一人は純白のドレスを纏い、逆立つ長剣の上にて佇む美貌の娘――エリスだ。
その背には直径一〇センチほどの、鈍く光る金属円盤が装備されている。
剣の上に立つエリスは妖艶な微笑みを浮かべたまま、ブラスレーナを睥睨している。
マルセルは白いドレス姿のエリスを凝視している。
驚くほどに軽やかな動き、しなやかな挙動だった。
あの不安定な状態のまま、戦うつもりなのか。
背中に装備した円盤状の金属武装は何なのか。
『ジングシュピル』にマルセルを誘った常駐外交職員の男が言う。
「あの白いオートマータ――『エリス』ってのはかなり強い、オッズが示す通りだ」
「……奇妙なスタイルだが、あれで戦うのかい?」
マルセルはエリスを見つめたまま質問する。
常駐外交職員の男は答える。
「ああ……剣の上に立ったまま、背中の円盤からワイヤーを伸ばし、何本もの投げナイフを飛ばして戦うんだ。俺も一度観た事があるが……『魔法』の様だったよ」
「――『魔法』?」
「そうさ……『魔法』だ。ウェルバーグの貴族達も噂している、あの『エリス』ってオートマータは『魔法』を使うんだってね」
程無くして、集まった貴族達によるベッティングが終了する。
建屋内に掲げられた、オッズを示すボードの数値も確定する。
やはりエリスというオートマータに、投票が集まっている様だ。
が、一〇度も連勝を重ねているわりには、決定的という程では無い。
相手も四連勝している為か。
「それでは、試合開始の時間でございます!」
司会進行の男が叫ぶ。
同時に集まった貴族達が一斉に拍手を送る。
湧き上がった拍手が収まるのを待って、改めて進行役が口を開く。
「立会人は『ジングシュピル』実行委員会! 東側『コバルトのブラスレーナ』! 西側『墓場鳥のエリス』! 両名共に構えて!」
響き渡る声に併せ、全身に鎧を纏うブラスレーナが、鉄槍の柄を握り低く構える。
その表情に、姿勢に、緊張が満ちてゆく。
対するエリスは構えようとしない。
逆立つ長剣の柄頭の上に爪先立ち、両手を脇に垂らした直立不動、微動だにしない。
或いはこれが構えなのか。
口許に浮かぶ微笑みにも変化は無い、紅い瞳は穏やかに澄み渡っている。
試合開始の時が近づき、建屋に集う貴族達の声が徐々に消えて行く。
次第、次第に、場の空気が硬質化してゆく。
耳鳴りが感じられそうな、張り詰めた静けさが満ちてゆく。
緊張の時が流れて。
司会の男が叫んだ。
「――始めェッ!」
◆ ◇ ◆ ◇
最初に仕掛けたのはブラスレーナだった。
低い姿勢から一気に、深緑色の全身甲冑が霞むほどの踏み込みを見せた。
迷いも駆け引きも無い、放たれた矢の如き一直線だ。
全身を覆う鎧が、生半可な攻撃など通す筈も無いという判断だ。
瞬く間にエリスを、鉄槍の間合いに捉える。
「はぁっ……!」
次の刹那、ブラスレーナは構えた鉄槍を全力で突き込んだ。
それも一撃では無い、立て続けに三度、稲妻の如き連続刺突だった。
「ふっ……」
強烈な三連突きに対し、エリスは後方退避を選択する。
足場としている長剣の柄頭を足指で捉えたまま、撓む刀身の弾力を用いての跳躍だ。
白いドレス姿が、身を捻りながらに宙を舞う。
だが、確実な回避とはならない。
十文字槍の穂先には、敵を斬り裂く為の刃が左右に張り出す形で設けられている。
故に刺突に加えて斬撃が可能となり、その回避は著しく困難であった。
エリスの腕に、肩に、ドレスのスカートより覗く大腿部に、紅いラインが引かれる。
先の攻撃にて斬り裂かれた傷口だ、紅色の濃縮エーテルが、そこからぱっと飛沫く。
後退するエリスの身体を包む白いドレスに、紅色の染みがポツポツと広がる。
大きく後退したエリスを、ブラスレーナは追う。
逃がすまじと、更に加速し追い詰める。
三連突きで得たアドバンテージを活かすべく、一気呵成に攻め込むつもりか。
撃ち放った鉄槍を手元へ引き寄せると、踏み込みざまに改めて全力で刺突する。
「はああっ……!」
裂帛の気合いと共に、再び放たれる三連突き。
必殺の意思を秘めた高速の穂先を、エリスは再びの後方跳躍で回避しようとする。
しかしブラスレーナの刺突が速度で勝ったか、またもやエリスは被弾する。
脇腹を浅く裂かれ、二の腕と頬にも一筋ずつ傷を負う。
傷口より滲む濃縮エーテルで、純白のドレスがじわじわと紅色に浸食されてゆく。
「……っ!」
ブラスレーナは三度目の刺突を試みんと、身体を沈めて前傾姿勢となる。
――が、突撃寸前に踏み止まり、素早く上体を起こし、スウェーバックした。
直後、ブラスレーナの鼻先を青白い斬光が、半透明の弧を描いて跳ね上がる。
後方跳躍の姿勢をとったエリスが、身体ごと空中にて後方回転したのだ。
その脚――足指にて長剣の柄頭を捉えている為、刃もまた空中にて真円を描く。
予想を超えた逆風の太刀筋だった。
にも関わらずブラスレーナは、虚を突く軌道の逆風を、あっさり見切って回避した。
エリスは長剣を閃かせての後方回転移動を、二度、三度と繰り返して距離を取る。
「――その手は通じん、お前が好む『下策』の類いは既に周知だ」
七メートルほど離れた場所に着地したエリスを見遣り、ブラスレーナは低く告げる。
鉄槍を手に、仕切り直すべく構えると再び口を開いた。
「お前は小汚い小細工で『ジングシュピル』を汚す小物だ、私の鉄槍でお前の汚れた記録を白紙に戻す」
「左様でございますか」
ブラスレーナの言葉にエリスは微笑み、短く応じる。
長剣の上でドレスの裾を揺らしつつ、エリスは流血の絡む左右の腕を躍らせた。
途端に微かな風切り音が、幾度も幾度も繰り返し響く。
この音がいったい何であるのか――観戦しているマルセルには解らない。
――が、気づけばエリスの周囲に小さな光球が三つ、揺らめきながらに浮遊していた。
その不可思議な様子に、貴族達の間からも感嘆に似た声が漏れる。
マルセルも低く呟いた。
「なんだあれは……」
「アレがさっき言っていた、小型の投げナイフだ。空中に放った投げナイフをフック付きのワイヤーで捉えて高速回転させている、攻撃の際にはアレを放つ。その様子を見て貴族達は『エリスの魔術』と呼んでいる」
常駐外交職員の男が小声で応じた、マルセルは今一つ言葉の意味が掴めない。
しかし目を凝らせば、エリスの背中に取り付けられた円盤状の装備から、複数の小型金属アームが伸びており、そこから幾筋もの光るワイヤーが紡ぎ出されているのが見えた。
ワイヤーを使用し、空中でジャグリングの様に投げナイフを操作しているというのか。
白かったドレスは紅色に変化し始めており、その身に負ったダメージは明白だ。
にも拘らず、逆立つ長剣の上にて起立するエリスは、愉しげに微笑んでいる。
何も無い空間を慰撫する様に、しなやかな指先を、両の腕を躍らせている。
妖しく光る半透明の球体が三つ、ゆらりと周囲に漂う。
どの様に戦闘を続行するのか予想もつかない。
投げナイフを投擲しようというのか。
いずれにせよ、劣勢にあるオートマータの姿には見えない。
何を考えているのか、どういった性質を有するオートマータなのか。
その尋常では無いエリスの姿から、マルセルは眼が離せなくなっていた。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・シュネス伯=ファブリスの『エリンディア遺跡』発掘に力を貸した貴族。
・ブラスレーナ=『ジングシュピル』に参加する強力なオートマータ。
・エリス=魔術を用いると評され、連勝を重ねるオートマータ。




