第一九三話 暗闘
・前回までのあらすじ
自身の願いを叶えるべく、父親と懇意にしていた隣国の大貴族に取り入り、『エリンディア遺跡』にて失われた成果物の行方を追っていたマルセルは、調査を重ねる中でついにその手掛かりを掴む。
マルセルはシュネス伯に『ウェルバーグ公国』への入国を依頼した。
もちろん身元を偽装した上での極秘入国だ。
シュネス伯はその提案を了承、マルセルは『エルザンヌ共和国』の外交使節団に同行する事となった。使節団が後ろ盾として存在するなら動き易い。
入念な準備の末に入国を果たしたマルセルは、すぐに行動を開始する。
最初に調査すべき事柄は二点だ。
一つは『ウェルバーグ公国』の錬成科学が、どの程度発展しているか。
もし『エリンディア遺跡』の成果物が『ウェルバーグ公国』で解析され、活用されていたなら、ガラリアとは異なる発展を遂げている可能性もある。
そしてもう一つは『エリンディア遺跡』へ派遣された男子学生の足取りだ。
地道な作業となるだろうが、当時一八歳なら二〇年後の今でも存命だろう。
そうなれば成果物の行方を間接的にでも、確認する事が出来るかも知れない。
まず、ひとつめの関心事項――『ウェルバーグ公国』の錬成科学だが、その発展は残念な事に『神聖帝国ガラリア』と大差無いか、やや遅れているのではと感じられた。『エリンディア遺跡』より回収された成果物が適切に扱われていないのか、或いは解析されていないのか、もしくは誰かが独占しているのか、何れにせよ先進的かつ革新的な技術発展の様子などは見当たらなかった。
ただ、『ウェルバーグ公国』は『神聖帝国ガラリア』と違い、オートマータを円形闘技場で競わせるといった、錬成科学の発展を誇示する様なイベントが行われておらず、そういう意味では『ウェルバーグ公国』の技術力は未知数であるとも言えた。
次に調査すべき事柄――発掘調査に参加した男子学生だが、こちらは容易に消息を辿る事が出来た。該当する学生は当時、高等学習院に在籍しており、そこは『ウェルバーグ公国』の貴族、政治家、官吏、商業的成功者といった地位にある者達の子息が通う事で有名だった。それだけに過去の記録が適切に保存されており、二〇年前に在籍していた学生の活動記録も残っていたのだ。
二〇年が経過した今、三八歳となった当時の学生は『ウェルバーグ公国』の都市企画部・蒸気機関管理課で働いていた。
マルセルは探し出した元学生――蒸気機関管理局員の男と接触を図った。使節団に同行したシュネス伯関係者と共に、『ウェルバーグ公国』の内務省職員を装ったのだ。
公安調査の名目で面会を果たし、刑事事件を匂わせて圧力を掛けると同時に、調査協力と口外せぬ事を守るなら、褒賞が出ると賄賂を用いて口止めし、男が入手した成果物の行方について聞き出す事に成功する。
男は入手した成果物の価値が解らず、自身が通う学習院の講師に相談していた。
その講師も成果物に関する知識が無かった為、知人の錬成技師に預けたという。
知人の錬成技師は『ウェルバーグ公国』の貴族に仕える技師であり、成果物の解析には時間が掛かると告げたそうだ。数か月後、技師は預かったアイテムの考古学的な価値を説き、可能なら寄贈して欲しいと男に伝える。
男は講師と共に話を聞き、僅かばかりの謝礼と引き換えに成果物を技師に寄贈していた。
マルセルは成果物を受け取った技師の消息を追う。
貴族に仕える技師なら、特定は容易いと考えていた。
しかし、ここから雲行きが怪しくなる。
その技師の後見人たる貴族が、なんと一七年前に政治犯として投獄されていたのだ。
しかも投獄された二年後には獄中で病死、領地は没収され完全に没落している。
庇護下にあった技師も困窮して私財を全て売却、隠者の如き暮らしを余儀なくされた。
技師の行方も探り出す事は出来たが、彼が発見されたのは精神病院だった。
まともな情報は得られず、成果物回収は一気に暗礁へ乗り上げる。
技師が売却した私財を誰が購入したのか、それを逐一調べるしか無さそうだった。
非常に薄い手掛かりだったが、それでもマルセルは諦めず調査を続けた。
だが、二〇年近く前の独立錬成技師に関する調査は、困難を極める。
大した成果も得られぬまま、瞬く間に半年という月日が経過してしまった。
行き詰まった状況の中、マルセルにひとつの情報がもたらされる。
それはオートマータを用いた、決闘ゲームに関する事柄だった。
『ウェルバーグ公国』ではオートマータによる決闘ゲームは規制されている。オートマータは存在自体が国防に関する重大な機密である為だ――が、ウェルバーグの貴族達は秘密裏に連絡を取り合い、『ジングシュピル』という非合法な賭博を愉しんでいた。
勿論こんな情報が正規ルートで『エルザンヌ共和国』の使節団員として参加しているマルセルに提供される筈は無い。『ウェルバーグ公国』に常駐している外交職員の一人が、懇意にしているウェルバーグ貴族の特別な計らいを以て、観戦に誘われたのだ。
マルセルはその提案に乗った。
『ウェルバーグ公国』の戦闘用オートマータがどんな物か、知りたかったのだ。
戦闘用オートマータこそが錬成科学の粋であると、マルセルはそう考えていた。
同時に、ある種の予感があったのだ。
『エリンディア遺跡』の成果物が、もし有効に利用されているのなら。
戦闘用オートマータとして再現する事こそが、相応しい筈なのだ。
◆ ◇ ◆ ◇
数日後、駆動車に乗り込み訪ねた先は、廃棄されて久しい紡績工場だった。
巨大な建屋は、赤い鉄錆の浮く太い鉄骨で組まれていた。
建屋内は広く、半壊した蒸気機関式の紡績機器が幾つも並んでいる。
しかし建屋の中央部は機材を全て取り払ったのか、開けた空間が設けられていた。
開けた空間とはいっても、元が工場なだけに鉄骨が露出した柱も立っている。
ともあれ、その開けた空間は三〇メートル四方といったところか。
足元は剥き出しのコンクリートだ。
そんな空間の周囲には、幾人もの人影が連なっていた。
そこに並ぶ者達は、黒いタキシードと黒いバッスルドレスを身に纏っていた。
特徴的なのは皆、目許を黒いマスクで隠している事だろう。
仮面舞踏会を思わせる、顔を隠す装い――彼らは貴族なのだと、マルセルは思う。
違法な催しに参加しているのだ、念の為に顔を隠しているのだろう。
皆が立ち並ぶ足元には、臙脂色の絨毯が敷かれていた。
周囲には、廃工場に似つかわしくない丸テーブルが配置されており、そこにはワインのグラスが並んでいた。良く見れば給仕と思しき服装の男達が、慣れた手つきで皆にワインをサーブして回っている。
「じきに始まる……『グランギニョール』と違ってこんな場所だが、試合のレベルは低く無かったよ」
傍らに立つ常駐外交職員の男が、その様に耳打ちをする。
マルセルは頷くと応じた。
「ルールは? 賭けの対象の様だが、胴元がいるのかい?」
「ルールは参加しているオートマータか、或いはオートマータの主が敗北を宣言した時点で決着だ。それ以外の細かなルールは、仕合を見守る貴族達が状況に応じて判断している。基本的には騎士道精神って奴が重んじられているな。胴元は秘密とされているが、ウェルバーグの大貴族達が仕切っている――『ジングシュピル』って呼び名をつけたのも、その貴族達さ」
その時、建屋奥の暗がりから、貴族達のざわめきが広がり始めた。
人垣の向こうから、深緑色に煌めく金属鎧を装備した女が歩み出て来たのだ。
全身に纏う鎧の関節部は鈍く発光しており、同時に白い蒸気が仄かに溢れていた。
それは鎧が『強化外殻』であり、装備している女がオートマータである事を示していた。
悠然と歩く女の身長は、一八〇センチほどだろうか。
金属鎧に包まれた身体は、優美かつ豊かな曲線で構成されている。
頭部はヘルムで覆われており、顔は半ば隠れている。
それでも視界を確保する為の隙間より覗く女の相貌は、美しく端正だった。
右手には得物を携えている、長さ二・五メートルほどの鉄槍だ。
鋭い先端部以外にも左右に刃が伸びており、切っ先は十文字を描いている。
甲冑の女は、そのまま建屋中央に辿り着くと足を止めた。
直後、向かい側の暗がりから、ざわめきが湧き上がる。
対戦相手が姿を見せたのだ。
居並ぶ貴族達の間を通り抜けて、一人の娘が姿を現した。
身長は一七〇センチほどか。
美々しく、艶やかな曲線で構成された肢体を、純白のドレスが包み込んでいる。
しなやかに伸びた白い脚――素足のまま、ひたひたと床を歩いている。
前方へ自然に垂らされた白い腕――その嫋やかな手には長剣が携えられている。
大きく開いた白い背中には、不可思議な円盤状の機器が取り付けられている。
頭髪はプラチナに煌めいており、後頭部で丸く束ね、纏められている。
真っ直ぐに前方を見据える瞳は、ピジョンブラッドに煌めいている。
口許には、蕩けるような微笑。
その横顔は、息を飲むほどに美しい。
美を司る神が、極限の業を以て彫像した様な。
或いは月光と宝石の国より訪れた美姫の様な。
それほどに、輝く様な美貌だった。
白いドレスを纏う美しい娘は、建屋中央で佇む甲冑の女に近づき、やがて足を止める。
向かい合う二人の距離は、六メートルほどか。
おもむろに一人の男が姿を現した。
赤いスーツを纏ったその男は、恐らく司会進行役なのだろう。
周囲に並ぶ貴族達に向かって、大音声にて宣言した。
「ただいまより『ジングシュピル』を開催致します!」
建屋内に声が響くと、深いどよめきと拍手が巻き起こる。
『グランギニョール』が行われる円形闘技場の観客達と違い、熱狂した様子は無い。
目立たぬ様に振る舞っているのだろう。
ここに集まっているのは、仮面を着けて身分を隠す貴族達ばかりなのだ。
赤いスーツの男が更に言葉を続けた。
「西側より現れし戦闘姫は『コバルトのブラスレーナ』! 無双の鉄槍にて敵を穿たん! これまで四戦無敗の成績、いずれも圧勝! 圧勝にございます!」
深緑色の鎧を纏う女――ブラスレーナは、右手で鉄槍を軽く旋回させて応じた。
鈍い音を響かせて空を切る槍は、やがて切っ先が前方に差し出された状態で止まる。
冷たく光る切っ先が示す先では、白いドレス姿の娘が微笑みを浮かべ、立っている。
「お前を討ち取るべく此処に来た。私と相対した事を悔むが良い……」
ブラスレーナは微笑む娘を見据えて言い放った。
相対する娘の微笑みに変化は無い。
改めて赤いスーツの男が叫んだ。
「東側より現れし戦闘姫は『墓場鳥のエリス』! 魔術にて敵を翻弄する魔性の娘! これまでの戦績は一〇戦無敗! この連勝が何処まで続くのかどうか!」
白いドレスを纏う娘――エリスは、手にした長剣を勢い良く鞘から抜き放った。
抜いた勢いのままに手首を捻る。
途端に放たれた刀身が激しく回転し、光の帯となって虚空に真円を描く。
手は柄から離れていた。
同時にエリスも背面へ高く跳躍する。
ドレスの裾が、両脚が、美しく弓なりに閃く。
次の瞬間、空中にて回転する長剣は切っ先を下に、床の上で垂直に起立した。
逆立つ長剣の柄頭に、エリスが爪先から着地したのだ。
それはいったい、どれほどのバランス感覚である事か。
エリスは爪先で剣の柄頭を捉えると、背筋を伸ばして飄然と立ち上がっている。
逆立つ剣の上から紅い眼差しで、相対するブラスレーナを睥睨している。
艶やかな唇を淡く綻ばせ、やがて静かに告げた。
「それを叶えるに能う業前をお持ちかどうか――貴方の業前をお見せ下さいまし」
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・シュネス伯=ファブリスの『エリンディア遺跡』発掘に力を貸した貴族。
・ブラスレーナ=『ジングシュピル』に参加する強力なオートマータ。
・エリス=魔術を用いると評され、連勝を重ねるオートマータ。




