第一九〇話 思惑
・前回までのあらすじ
レオン不在の工房に『マリー直轄部会』のメンバーが訪れ、エリーゼがその身に抱える秘密の保護と引き換えに、トーナメントの参加を継続する様に要請、カトリーヌ達は苦渋の選択を迫られる事となった。
黒いスチームワゴンが『特別区画』の街路――その路肩に停車している。
広々としたスチームワゴン後部には、シートが向かい合う形で配置されている。
八人は座れそうなロングシートだ、しかし今は二人しか腰を下ろしていない。
黒い修道服を身に纏った二人――ランベール司祭と、シスター・ジゼルだった。
「――今回の件、いきなり『衆光会』の『ヤドリギ園』に仕掛けて良かったんですか? シスター・マグノリアはきっと、この捜査方針は望まないと思うんですが」
シスター・ジゼルは、自分の斜向かいに座るランベール司祭に言った。
穏やかな口調ではあったが、僅かに揶揄する様な響きが含まれていた。
「ああ……シスター・マグノリアは望まんだろうが、これが最も効果的かつ単純だ。だいたいアイツが始めた事だ、手緩い真似なんぞやっとれん。マルセルが何事かを成さんと急いでいるなら、こちらも最短で行動すべきだ」
ランベール司祭は低く答える。顔は上げない。
その右手にはペンが握られており、左手の小さなメモ用紙に何事かを書き込んでいる。
シスター・ジゼルは更に質問を重ねた。
「疑わしいコッペリアは他にも残ってますよね? 『コッペリア・ルミエール』所有の『錬成機関院』はともかく、『コッペリア・ブロンシュ』を有する『ダンドリュー男爵』には仕掛けないんですか?」
メモ用紙に文字を記入しながら、ランベール司祭は応じる。
「以前『枢機機関院』所有の『コッペリア・フラム』が、トーナメントへの出場権を賭け、シスター・マグノリアと対峙し、敗北した。その際フラムは『エメロード・タブレット』の状態をマグノリアに探られぬ様に自害した。『エメロード・タブレット』を自壊させてな」
「……」
「マグノリアは、自害直前まで『針』による『触診』を試みていたんだが、その結果『コッペリア・フラム』には禁制品の『タブラ・スマラグディナ』が使用されていたと、そう証言している」
「……つまり『ダンドリュー男爵』に仕掛けたなら『コッペリア・ブロンシュ』は自衛の為、内蔵された『タブラ・スマラグディナ』を自壊させると?」
シスター・ジゼルはランベール司祭の意を汲み、状況を確認した。
司祭は手にした用紙を、指先でクルクルと筒状に丸めながら答える。
「その可能性が高い。故に監視態勢は敷けど、強引な仕掛けは危険だと判断する。だが、三〇年前の時点で現世に存在する『コッペリア・エリーゼ』は別だがな」
「別ですか」
「アレは小賢しく、同時に己が主人以外にも感情移入している節がある。シスター・カトリーヌが良い例だ。主人であるレオン・マルブランシュと、シスター・カトリーヌを天秤に掛け、主人を選ぶといった事はすまい、自害もせん。あの場にいたなら、恐らく我々の交渉に乗っただろう」
「……」
ランベール司祭はおもむろに身を屈め、シートの下から金属製のケースを取り出した。
ケースのサイズは四〇センチ四方といったところか。
ランベール司祭はケースの蓋を開くと、内側へ手を入れる。
その様子を眺めながらシスター・ジゼルは、再び声を掛けた。
「ランベール司祭は『コッペリア・エリーゼ』が勝利したなら、一定の自由を約束すると仰っていましたが……本当に監視をつけた上での自由を許可するつもりですか?」
司祭は金属ケースの内側から、何か小さな黒い物を掴み出す。
掴み出されたものは司祭の手の中で、小刻みに震えながら動いている。
目鼻があり、ヒクヒクと周囲の様子を伺っている様に見える。
その有様はネズミを思わせたが、そうでは無い。
黒いコウモリだった。
羽根と繋がるコウモリの腕部に、微細な円筒形のカプセルが取り付けられている。
ランベール司祭は、そのカプセル内に丸めたメモ用紙を仕込む。
振り返り、車窓を僅かに開くと、その隙間からコウモリを外へ放った。
他のターゲットを見張る『マリー直轄部会』の部員に、状況を連絡したのだ。
再び車窓を閉じながら、ランベール司祭は返答する。
「シスター・マグノリアの針に、二ヶ所も刺突された状態で『コッペリア・オランジュ』に勝てるとは思えん。エリーゼは確実に敗北する。我々の勝負は決着直後だ。妥当な理由を宣言し、雪崩れ込む事に専念する」
「あの子は悲しむでしょうね……」
シスター・ジゼルは、闇の中を飛び去って行くコウモリを眼で追いながら呟く。
金属ケースをシートの下に片づけつつ、ランベール司祭は言う。
「感傷に揺れては身動きが取れなくなるぞ」
「……」
身体を起こした司祭は自身のふところを探り、煙草を取り出す。
小さな紙片に草を広げて乗せると、指先で細く丸める。
そのまま口に咥え、マッチで先端に火を着ける。
深く吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出しながら、ランベール司祭は言った。
「現世はな、己が裡にある尺度に胸を張るだけじゃ辛過ぎるのさ。だから『グランマリーの教え』なんてものが必要になる。この結末は私のせいじゃない、神の与えた試練だ、愛する者の死別は不幸じゃない、神の御許へ旅立ったのだ、そんな風に思える『感情の捨て場所』が必要なのさ……」
◆ ◇ ◆ ◇
工房内を白々と照らすのは、高い天井に設置されたエーテル式白色水銀灯だった。
その寒々しい光源の下では各種錬成機器が、微かに蒸気を漂わせつつ稼動していた。
壁際にそびえるのは一際巨大な錬成機器――『蒸気式精密差分解析機』だ。
鋼鉄製のパイプオルガンを思わせる異形は、ギア同士が噛み合う静かな駆動音と共に、入力された要求を満たすべく演算処理を続けている。
『蒸気式精密差分解析機』からは大量のケーブルが伸びており、床の上を波打ちながら、傍らに配置された円筒形の水槽を思わせる『錬成用生成器』に接続されていた。
『錬成用生成器』の内側は、薄紅色に透き通る希釈エーテル製剤で満たされている。
その薄紅色の中に、肌を晒して口許のみを酸素吸入器で覆ったエリーゼが、ゆったりと沈んでいた。全身の負傷を癒すべく、再錬成処置を受けているのだ。
そしてヨハンは暗い眼差しで『錬成用生成器』の動作確認を行っていた。
再錬成措置を受けたなら、エリーゼの外傷は一週間もあれば、ほぼ塞がるだろう。
筋繊維も神経網も、一週間程度でおよそ八割――或いは九割は回復する筈だ。
だが恐らく、シスター・マグノリアの刺突を受けた右上腕と左足首は回復すまい。
ダメージを受けた神経網が、部位ごと麻痺しているのだ。
麻痺した箇所を切除し、新たに接合するといった措置も現実的では無い。
一週間後に仕合を行わねばならないという制約が、厳し過ぎる。
エリーゼの身体を錬成したレオンでなければ、治療の糸口すら見つけられぬ状況だ。
しかしそのレオンは『コッペリア・ナヴゥル』の施術を行うべく、ラークン伯が有する工房へ出向いたばかりだ。大貴族であるラークン伯お抱えの錬成技師達が、手をこまねくほどの重傷だ、どれほど時間が掛かるのか、予想出来ない。
『コッペリア・ナヴゥル』の施術が成功したなら、『ヤドリギ園』が抱える問題は半ば解決する――ラークン伯と直接交渉し、その様に譲歩案を引き出したのはカトリーヌだ。
八方塞がりだった状況に風穴を開け、希望のを見出すに足る快挙だった。
にも関わらず、幾らほどの時間も経たぬうちに、この理不尽だ。
カトリーヌの胸中を想えば、暗澹たる心持ちになる。
どういう慰めの言葉も思いつかぬまま、ヨハンは苦しげに告げた。
「――すまない、シスター・カトリーヌ。エリーゼ君に内蔵された『エメロード・タブレット』の件、隠し立てするつもりは無かったんだが……ただ、レオン君にも、僕にも、アレが本当に『タブラ・スマラグディナ』なのかどうか、判断がつかなかったんだ」
隣りに立つシャルルも、沈鬱な表情で俯いている。
状況の悪さは理解していた。
禁制品である『タブラ・スマラグディナ』が、エリーゼに内蔵されている可能性。
それに伴い、レオンにも嫌疑が掛けられている事実。
治療も儘ならぬ状況で、エリーゼが仕合に臨まざるを得ない現実。
掛ける言葉が無いのだ。
苦悩する二人の傍らでカトリーヌは『差分解析機』と向き合っていた。
不安そうではある、それでも作業を行う姿勢に澱みは無い。
タイプアウトされる用紙を確認しながら、カトリーヌはヨハンに答えた。
「いえ、モルティエ様に非があるとは思いません……」
ヨハンもカトリーヌが手にした用紙に目を通す。
整然と連なる数値に、際立った異常は見当たらない。
筋肉と神経はともかく、皮膚の損傷は数日もすれば塞がるだろう。
ただ、相当に疲労を抱えている為か、眠るエリーゼに覚醒の兆しは見られない。
カトリーヌは改めて口を開いた。
「今は……私に出来る限りの事を行う、それだけに集中するつもりです」
そう答えるカトリーヌの横顔を、ヨハンは見つめる。
カトリーヌの大きな黒い瞳には、真摯な光が宿っている。
迷いや苦悩、不安は感じているに違いない。
それでも、闘技場地下の控え室で見た様な、絶望の色は無かった。
ヨハンは頷き応じる。
「確かにな……君の言う通りだ」
状況の悪さを嘆いても仕方無い。
先が見通せなくとも時間は過ぎて行く。
今はエリーゼの治療を優先し、それ以外の事柄は保留すべきだ。
ヨハンはシャツの袖を、肘まで捲り上げる。
次いで傍らのシャルルを見遣り、口を開いた。
「――ダミアン卿、今日のところは身体を休めた方が良い。明日以降になると思うが、『ヤドリギ園』の『ゲヌキス領』移設について、『ヤドリギ園』のシスター達と『衆光会』に打診して貰えないだろうか? レオン君が行っている施術の結果報告を待ってからになるが、彼は必ず施術を成功させる。ならば、その心づもりで動く準備を頼みたい」
その提案にシャルルは首肯する。
自分が工房で出来る事は、もう無いと判断したのだろう。
「そうだな……解ったヨハンさん、後の事は頼む。シスター・カトリーヌも無理せずに……この工房に隣接している待機所で仮眠が取れる。保存食もそこにあるが、明日の午前中には食事を用意して、改めて様子を見に来るよ」
「ありがとうございます。ダミアン卿……」
カトリーヌは僅かに微笑むと目を伏せ、謝意を示す。
シャルルも頷き、そのまま工房を後にした。
シャルルが帰路についた後も、ヨハンとカトリーヌはエリーゼの状態に注視する。
『差分解析機』より出力されるデータから、得られる物は無いかと精査を重ねる。
とはいえ、状況の改善に繋がりそうな情報は見つからない。
「――仮に完調まで届かなくとも、僕が調整した『強化外殻』を全身に装備するなら、エリーゼ君の動きはカバー出来る。重量は相当な物になるが……筋力と瞬発力は向上するし、防御力も格段に増す、仕合自体は問題無く行える筈だ」
ヨハンはタイプアウトされた用紙を確認しながら呟く。
前向きに響く言葉だが、実際のところ妥協案の提示だ。
それはヨハン自身も理解している。
耐え難い状況に巻き込まれたカトリーヌを慮っての言葉だ。
それでもカトリーヌは素直に応じた。
「はい……手の打ちようがある、というのは救いです」
視線はタイプアウトされた専用用紙に向けられたままだ。
最悪の状況にあっても打開策を探ろうと懸命なのだろう。
「ああ……僕も全力を尽くす。エリーゼは必ず勝つ――そうだろう? ドロテア」
ヨハンの呼び掛けに『錬成用生成器』の前、椅子に越し掛けるドロテアが顔を上げた。
その首筋には『差分解析機』と繋がる複数のケーブルが接続されている。
ドロテアは拳を掲げると、口を結んだまま親指を立て、力強く示し頷いた。
◆ ◇ ◆ ◇
ラークン伯が保有する半地下の錬成工房は広大だった。
高い天井には換気扇と排管ダクト、蒸気を送る鋳鉄パイプが、整然と連なっていた。
工房に並ぶ各種錬成機器は全て起動状態で、何時でも使用可能な状態だ。
『コッペリア・ナヴゥル』の施術に際し、あらゆる状況に対応すべく備えてあるのだ。
この工房を預かる錬成技師の、慎重かつ几帳面な性格を物語っていた。
ラークン伯お抱えの技師は二人組で、いずれも痩躯に白衣を纏い、丸眼鏡を掛けている。
年齢はレオンより上、ヨハンと同年代かも知れない。
二人は施術に必要な器具を用意し、レオンのサポートを行う態勢を整えている。
二人共に高い技量を有した、優秀な錬成技師である事は明白だ。
にも関わらず彼らは、レオンのサポートに徹する姿勢を示している。
自身のプライドや体面以上に、ラークン伯の想いに重きを置いているのだ。
二人が準備を行う中、レオンもまた白衣に着替え、消毒を終えると施術に備える。
エリーゼの仕合をサポートすべく『知覚共鳴処理回路』を使用、疲労してはいるが、ヨハンとドロテアの協力もあり、余力はある。
右の義肢も繊細な施術を行うに足る精度を、最後まで維持出来るだろう。
義肢の接合施術を行ったのはマルセルだが、その技量だけは認めざるを得ない。
眼前には施術台が設置されており、そこにはナヴゥルが仰向けに横たわっている。
施術台からは何本ものケーブルが下方へ伸びており、それらは床を伝って壁際の巨大な『差分解析機』に接続されている。ケーブルはナヴゥルの頸部及び腰部より露出する金属ソケットと、施術台を介し繋がっていた。
腕部から濃縮エーテルとリンゲル液を輸液する為の準備が成されている。
口には酸素吸入を行う為のチューブが取り付けられている。
頭部に巻かれていた包帯は解かれ、頭髪も剃られ、右眼の負傷が露わとなっている。
全ての機器を調整し終えたところで、丸眼鏡の技師がレオンに声を掛けた。
「お願いします、マルブランシュさん」
「――解りました、施術を開始します」
レオンは静かに応じる。
拡大鏡のレンズを目許に近づけつつ、トレイに並ぶ施術用具へ手を伸ばした。
※来週の更新はお休みとなります!
・ランベール司祭=『マリー直轄部会』所属の司祭。マグノリアと共に行動していた。
・シスター・ジゼル=『マリー直轄部会』所属コッペリア。元序列三位。
・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友。レオンより『アーデルツ』を預かっていた。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。レオンのサポートを行う。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。
・ラークン伯=ヤドリギ園一帯の土地買い上げを狙う実業家であり大貴族。




