第一八九話 取引
前回までのあらすじ
『ヤドリギ園』周辺の土地を巡っての軋轢に終止符を打つべく、レオンはナヴゥル蘇生施術を引き受ける。その一方で工房に残り、エリーゼの治療を行っていたカトリーヌ達の元へ『マリー直轄部会』のメンバーが訪ねて来る。彼らは国内での使用が禁じられている『タブラ・スマラグディナ』がエリーゼに内蔵されているのではと疑っており、その疑いを晴らすべく、エリーゼの頭部を開いての確認を提案する。
レオンの工房に設けられた狭い応接室に、シスター・ジゼルの言葉が響いた。
耳を疑う言葉だった。
「失礼……今、なんと仰いましたか?」
シャルルは思わず問い直していた。
対してシスター・ジゼルは、ライトブラウンの頭髪を揺らしつつ、改めて口を開く。
「捜査協力の要請です。我々『マリー直轄部会』に『コッペリア・エリーゼ』を預けて頂きたい。その上で頭部の『エメロード・タブレット』を確認させて欲しいと、その様に申し上げました」
「いや、さすがにそれは無理がある。我々はトーナメントで戦勝し、一週間後に決勝の仕合を控えている。いくら『マリー直轄部会』の要請とはいえ、仕合に支障の出る真似は出来ませんよ」
ヨハンは眉を顰めて異を唱える、当然の反応と言えた。
エリーゼの『エメロード・タブレット』を解析されては不味いという想いもあるが、『グランギニョール』への参加が決定している『ピグマリオン』と『コッペリア』に対し、これは不躾にもほどがある提案だろう。
しかしランベール司祭は、冷徹な眼差しをヨハンに向けると言った。
「なるほど……。ところで『衆光会』は『ヤドリギ園』周辺の土地を巡り、ラークン伯と対立していると聞き及んでおります。我々『マリー直轄部会』は『在俗区会』に近しい組織ですからな。あなた方が金策の為『グランギニョール』に参加している事も、承知しております――」
「……」
「――ですが、そちらのダミアン卿とシスター・カトリーヌは、ラークン伯と面会した際に取り引きを行い、 一週間後の仕合を回避した上で金銭問題を解決すべく、互いに妥協点を見出しておられた筈だが?」
「なっ……!」
虚を突かれたヨハンは二の句が継げず、シャルルとカトリーヌも驚愕の眼差しでランベール司祭を見つめる。
三人の視線が集まる中、黒衣の司祭は傍らのシスターを示すと、事も無げに続けた。
「いやなに、ダミアン卿とシスター・カトリーヌが『衆光会』の控え室前で行っていたラークン伯とのやりとりを、このシスター・ジゼルが偶然にも目撃しておりましてな」
「――はい。先の仕合で損壊した『コッペリア・ナヴゥル』の治療をマルブランシュ氏が引き受ける、その対価として『ヤドリギ園』の子供達と、施設内で働くシスター達を、全てラークン伯が領地に受け入れる……そういった取り引きを行っておいででした」
シスター・ジゼルは背筋を伸ばし、淡々と語る。
そんな偶然があるものか――と、ヨハンは思う。
つまり既に『マリー直轄部会』の監視対象になっていたという事か。
ランベール司祭が追い打ちをかける様に言った。
「この場にマルブランシュ殿がいらっしゃらない理由も、ラークン伯との取り引きを成立させるべく、伯爵の工房へ出向かれた為でしょう。つまり『コッペリア・エリーゼ』は、一週間後の仕合に出ずとも良いという事なのでは? ならば――我々の要請を断る理由は無いはず」
「そ、そんな勝手な理屈は通らんでしょう、いかに『マリー直轄部会』とはいえ……」
焦りと動揺を隠せぬまま、シャルルが口を挟む。
対してランベール司祭は、低い声で応じる。
「我々は何の確証も無く、こちらを訪ねた訳では無い。しかし『神聖帝国ガラリア』の安寧を維持する為とはいえ、疑惑を解明すべく高圧的な捜査の執行は避けたい。故に捜査協力を要請させて頂いた。ただ――この要請を理由も無く断るようなら、我々は『衆光会』並びにマルブランシュ氏を、危険分子として監視するつもりだ。『神聖帝国ガラリア』の安寧を乱す者達としてな」
「いや、それこそ高圧的ではありませんか……!? 我々、錬成技師にとって『オートマータ』と『エメロード・タブレット』は研究成果そのものだ、おいそれと開示できる物では無い、疑惑の段階で『エメロード・タブレット』の情報を開示せよというのは……」
ヨハンが改めて反論する。
錬成技師の知的財産は保護されるべきという、それはガラリアの法に則った意見だ。
それでもランベール司祭は、容赦無く返答する。
「確かに錬成技師の知識と技術は保護されて然るべきものだ、が――『タブラ・スマラグディナ』が絡んでいるとなれば話は別だ。『エリンディア遺跡』での大事故。更には四〇年前に発生した神性帯びたるオートマータの暴走。いずれも大量の錬成技師と兵士が巻き込まれ、死傷している。故に『タブラ・スマラグディナ』は重大な禁制品、こちらとしても入念かつ慎重にならざるを得ない。だからこその捜査協力依頼だ、そちらが違法行為に手を染めていないのであれば、快く応じて頂けると信じているのだが――」
「……っ」
正論過ぎる正論に、ヨハンは唇を噛む。
確かにランベール司祭の言う通り『タブラ・スマラグディナ』は禁制品だ。
先ほどレオンと話し合っていた内容――長期に渡って放置されていたエリーゼのタブレットが『タブラ・スマラグディナ』であるのかどうか、我々には判別がつかない――などと説明したところで、それが免罪符として適用されるのはレオンとヨハンのみであり、エリーゼは救われない。
どうあっても『マリー直轄部会』の追及を振り切る事は出来ないのだ。
――が、ここでランベール司祭は、意外な事を口にした。
「――とはいえ、あなた方も急な捜査協力要請に困惑しておるでしょう。我々としても、ここで協力を拒否され、止む無く強硬手段に訴える……などという方法は、実行可能であるにせよ、可能な限り避けたい。故にもう一つ、司法取引的な方向性を提案しようと思う」
「司法取引ですと……?」
「司法取引……?」
シャルルとヨハンが口を揃えて繰り返す。
すると傍らのシスター・ジゼルが、はっきりとした口調で告げた。
「はい。『コッペリア・エリーゼ』には、次回トーナメントにも参加して頂き、決勝の場にて『コッペリア・オランジュ』を損壊して頂きます」
「え……?」
カトリーヌが小さく声を漏らす。
信じられないという顔つきだ。
シスター・ジゼルは、顔色一つ変えず続けた。
「首尾良く『コッペリア・オランジュ』を損壊出来たなら、我々は仕合状況に問題があったと異議を申し立て、決着の場にて『コッペリア・オランジュ』の『エメロード・タブレット』を確認します。或いは敗北を喫した場合……その際は『コッペリア・エリーゼ』の『エメロード・タブレット』を確認する事としましょう。その流れで『マルセル・ランゲ・マルブランシュ』氏に掛かる疑義を究明する――いずれの場合でも、あなた方の権利と自由は、最大限保証すべく留意します」
「マルセル・マルブランシュ氏を……」
ヨハンは暗い表情で呟く。
レオンの懸念が現実となった事実に、焦りを覚えていた。
ヨハンはマルセルにその才能を認められ、『シュミット商会』の運営に際しても、多大な援助を受けている。レオンとの確執を知った後も、マルセルに対する信頼は失われていない。ありていに言うなら――マルセルが密かに『タブラ・スマラグディナ』を所有し、息子のレオンにそれを託していたとしても、常に錬成科学の深淵を臨む錬成技師であるならば、そうした秘密の一つや二つは抱えていても当然だ……という想いもある。
だが、『マリー直轄部会』の捜査が及ぶとなれば話は別だ。
『マリー直轄部会』といえば、超法規的な権限を与えられた公安組織であり、ガラリア国防軍との繋がりを有し、同時に旧態依然とした異端審問をも追行する危険な組織として噂されている――少なくとも社交界では、その様に噂されている。
噂ではあるがしかし、政財界にパイプを持つ貴族達の噂だ。信憑性は高い。
高圧的な発言も、強引な提案も、彼らが有する権力と実力の査証に思えた。
それにしても――領地を有する大男爵であるダミアン卿と、多くの貴族と繋がりを持つ『シュミット商会』代表たる自分を前にして、『神聖帝国ガラリア』の中枢を担うであろう天才錬成技師『アデプト・マルセル』の逮捕をほのめかすとは、尋常では無い。
情報漏洩を恐れないのか。
そんなヨハンの想いを代弁する様に、シャルルが声を上げた。
「……我々の前で、その様に宣言しても宜しいのですか? 『マリー直轄部会』は、我々がマルセル・マルブランシュ氏と何らかの繋がりがあり、極秘裏に『タブラ・スマラグディナ』を受け取ったのでは無いかと、そう疑っておられるのでしょう?」
「ええ、もちろんその可能性も考慮しております。故に、あなた方と同じくマルブランシュ氏も、我々の監視対象となっております。まず不可能でしょうが、仮にあなた方が我々に気取られる事無く、マルブランシュ氏と連絡を取ったとしても、マルブランシュ氏の行動の変化を把握する事が出来ます。そうなれば我々は『コッペリア・エリーゼ』の身柄を拘束させて貰った上で、マルブランシュ氏に接触を図る」
ランベール司祭はあっさりと答える。
こうまで明け透けに行動方針を口にするとは、監視に絶対の自信があるという事か。
或いは、敢えてこちらに情報を与える事で揺さぶりを掛け、暴走の誘発を狙っているのか。暴走を機に職務を強制遂行、エリーゼの身柄を確保しようという、そういう策か。
いずれにせよ、こちらから過剰なアプローチを仕掛け、状況が改善するとは思えない。
それだけは確かだ。
その時――
「……シスター・マグノリアも、その方針に賛同されているんですか?」
掠れた声で尋ねたのはカトリーヌだった。
眼を伏せ俯く表情は、言いようも無く寂しげだ。
ランベール司祭はその様子を、猛禽の眼差しで見据える。
幾許かの沈黙が流れ、程無くしてランベール司祭は答えた。
「――いいや。シスター・マグノリアには、治療に専念して貰っている。しばらく捜査に復帰して貰うつもりも無い」
「そうなんですね……」
相槌を打つカトリーヌの表情に変化は無い。
拭い難い寂寥感が、その表情に滲んでいる。
ただ、シスター・マグノリアが治療を受けていると聞き、安堵した様に小さく頷いた。
その様子を見つめながらランベール司祭は、改めて口を開く。
「……ただ彼女は、随分とキミを気に掛けていた。同時に『コッペリア・エリーゼ』にも執着していた。キミら二人に対する想いと執着が、彼女に判断を誤らせたのか、或いは鈍らせたのか――」
問われても無い事を口にする司祭へ、傍らのシスター・ジゼルが訝しげに視線を送る。
気にせずランベール司祭は続ける。
「オートマータは身体的限界が来ない限り活動出来る。そして活動する限り記憶が積もる。記憶とは繊細かつ厄介な代物だ、心を殺しても、積もる記憶が精神を揺さぶる」
「……」
カトリーヌは、司祭が言わんとしている事の意味を考える。
だが、どう好意的に解釈しようと、事態が絶望的である事に変わりは無い。
逃げ道を塞がれた状態にある事だけは理解出来た。
――ならば。
「……ランベール司祭。先ほど司祭様は『司法取引』と仰いました。それは、エリーゼが次の仕合で勝利したなら、エリーゼも捜査対象から解放されるという、そういう取り引きと考えても良いのでしょうか?」
その様に質問しながら、カトリーヌは自身の無力を噛みしめていた。
如何ともし難いほどに無力だった。
もはやエリーゼを戦いの場へ送り出すしか道は無いのか。
しかしそれ以外に、取るべき手段が思い浮かばない。
「そうですな……『コッペリア・オランジュ』を損壊という形で討ち取ったなら、確たる証拠が手に入る。そうなれば――『コッペリア・エリーゼ』を取り押さえた上で『タブラ・スマラグディナ』を強引に回収する必要は無い。ただ、危険な禁制品が使用されているのかどうか、やはり調べる必要はあります。その上で使用が認められたなら――以降の生活には、監視と行動制限がつくでしょう。しかし、一定の自由は保証しましょう」
ランベール司祭は鷹揚に頷くと、そう答えた。
・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友。レオンより『アーデルツ』を預かっていた。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・ランベール司祭=『マリー直轄部会』所属の司祭。マグノリアと共に行動している。
・シスター・ジゼル=『マリー直轄部会』所属コッペリア。元グランギニョール序列三位。




