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人造乙女の決闘遊戯 ~グランギニョール戦闘人形奇譚~  作者: 九十九清輔
第二十八章 堅忍不抜
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第一八七話 来訪

・前回までのあらすじ

ラークン伯の譲歩案にカトリーヌとシャルルは同意する。一方、レオンとヨハンはエリーゼの治療を行う一方で、エリーゼに組み込まれた『エメロード・タブレット』が、或いは『タブラ・スマラグディナ』だった場合の対応について意見を交換する。そんな中でレオンの元に、カトリーヌからの連絡が届いた。

 シャルルとカトリーヌ、そしてラークン伯を運ぶ車列が工房前に到着した。

 到着時刻に併せて待機していたレオンとヨハンが出迎える。

 蒸気を吐く駆動車のドアが開き、シャルルとカトリーヌが降りて来る。

 後方より追随するスチームワゴンも、ゆっくりと停車する。

 レオンの姿に気づいたカトリーヌは、すぐさま駈け寄ると謝意を伝えた。


「レオン先生、私の独断をお詫びします。そして無理を聞き入れて下さったこと、心より感謝します」


 レオンを見上げる黒い瞳は、夜の海を想わせる深い光を湛えていた。

 そんなカトリーヌの瞳を、レオンは静かな眼差しで見つめる。

 自らの独断をカトリーヌは謝罪したが、責める事など出来ない。

 大貴族と対峙し、限られた時間の中でギリギリの決断を迫られたのだ。 


 ラークン伯が有する『コッペリア・ナヴゥル』の施術を請け負うか否か。

 損傷個所は『人工脳髄』である為、状況の先送りなど出来ない。

 しかもこの施術を行うなら、一週間後に仕合を控えたエリーゼの治療は疎かになる。

 これだけの懸念事項に対し、カトリーヌは一定の回答を導き出したのだ。 


 それがラークン伯との取り引きだった。

 『コッペリア・ナヴゥル』の治療をレオンが引き受ける代わりに、ラークン伯の責任に於いて『ヤドリギ園』を存続させるという取り引きだ。

 これによって『ヤドリギ園』は救われ、同時にエリーゼも仕合から解放される筈だ。


 しかしこれは、全てが解決する回答では無い。

 『ヤドリギ園』はともかく『歯車街』の住民達はどうすれば良いのか。

 彼らを見捨てる事になるのでは無いか。

 また、ラークン伯は本当に約束を守るのか。

 子供達とシスター達の生活が懸かった事柄なのだ。

 それを助祭という立場のカトリーヌが、独断で決定して本当に良かったのか。

 

 そういった問題に対してカトリーヌは、ある種の覚悟を以て臨んだのだろう。

 大切な物が失われる可能性を知りながら、大切な物を守る為に決断したのだろう。

 レオンは言った。


「……僕は、シスター・カトリーヌを信頼している。君の判断を信じる」


 その言葉にカトリーヌは、唇を震わせると眼を伏せる。

 束の間の沈黙を経て、ありがとうございます――と、小さく答えた。


 スチームワゴンの方から足音が聞こえ、レオンはそちらを見遣る。

 太った身体を揺すりながら、ラークン伯が歩み寄って来る。

 ラークン伯はレオンに右手を差し出しつつ口を開く。


「――マルブランシュ殿。この度は当家の施術依頼を受けて頂き感謝する。正式に礼を尽くすべきだが、如何せん時間が無い。済まないがこのまま、当家の工房まで御足労願えんか?」


「解りました、ラークン伯。すぐに参りましょう」


 レオンは握手に応じ、即答する。

 傍らに立つヨハンが施術用具の入ったケースを差し出す。

 ケースを受け取りながら、レオンは口を開く。

 

「エリーゼを頼みます、ヨハンさん。シスター・カトリーヌ、あとは任せる」


「レオン君も気をつけて」


「はい、レオン先生」


 ヨハンとカトリーヌが応じる。


「――無理はするなよ、レオン」


「ああ、シャルルもな」


 シャルルの言葉に短く応じつつ、レオンはラークン伯と共に歩き始めた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 黒塗りの蒸気駆動車に先導され、スチームワゴンは街路を走る。

 車内はそれなりに広く、首都イーサを巡回する小型蒸気バスを髣髴とさせる。

 しかし蒸気バスとは違い、客席の連なりは無く、代わりに寝台が設置されている。

 寝台の上には、ベルトで固定された『コッペリア・ナヴゥル』が横たわる。


「――原因は槍状の棒による刺突、傷は右眼窩から頭部中枢まで達っしており『エメロード・タブレット』は辛うじて無事という状態です。ですが『人工脳髄』に著しい損壊、それに伴い『エメロード・タブレット』及び心臓、肺といった生命維持に関わる部位の制御が困難となった為、『小型差分解析機』にて外部から制御を行っています」


「ナヴゥルの『神経網』に関する記録は、我々が所有する『差分解析機』の『ギアボックス』に、数値化された状態で保存されています。しかし『神経網』に合致する『人工脳髄』の再生は、残念ながら我々の手に負えんのです……この『神経網』を開発したマルブランシュ殿でなければ」


 寝台脇の簡易座席に座る二人の男は、沈痛な面持ちで口々にそう言った。

 二人共に痩せており、白いシャツに丸眼鏡を掛けている。

 年齢はヨハンと同じくらいか、ラークン伯お抱えの錬成技師達だった。

 

 自分達では手の施しようが無い――この状況でそう告げる事が、錬成技師にとってどれほどの屈辱であるのか、同じ錬成技師であるレオンには理解出来る。それでも彼らは一縷の望みに賭けて、レオンに施術を依頼するよう、ラークン伯に進言したのだ。

 それは己のプライドよりも、雇い主であるラークン伯の望みを優先したという事だ。

 それだけの恩義を、ラークン伯に感じているという事か。


 レオンは、寝台の上で肌を晒して目蓋を閉じているナヴゥルを見下ろす。

 俯せの状態で横たわるナヴゥルの頸部からは、複数のケーブルが伸びており、それらは全て車内壁面に設けられた『差分解析機』と繋がっている。更に左右の腕には、リンゲル液と濃縮エーテルを輸液する為の、ゴムチューブが打ち込まれている。

 目視する限り、ナヴゥルの身体に目立った外傷は無い。

 ただ、包帯が巻かれ覆われた右顔面は、濃縮エーテルの紅色に滲んでいた。


「槍……による刺突ですか」


「はい、ですが鋭利な刃による切創ではありません、挫滅創に近い。木の棒を斜めに切り落とした様な武器で突き込まれたのです」


 説明を聞いただけであるが、状態は芳しく無いと言わざるを得ない。

 それでもこの施術は成功させねばならない。

 シスター・カトリーヌがラークン伯と交わした約束を成立させる為だ。


 『コッペリア・ナヴゥル』の施術を請け負うなら『ヤドリギ園』のシスター及び孤児達を、ラークン伯が所有する『ゲヌキス領』に移転させる……そういった約束だ。

 その約束が果たされたなら、土地買収に関する問題は半ば解決したも同然だろう。

 エリーゼも不安要素を抱えた状態で、仕合に参加せずとも良くなる。


 しかしそれは、施術を成功させてこその約束である筈だ。

 ラークン伯ほどの大貴族が、対立する者に頭を下げて施術を依頼したのだ。

 『コッペリア・ナヴゥル』に対する伯爵の想いを窺い知る事が出来る。

 施術の失敗が許されるなどと考えるべきでは無い。


 舗装された街路を走り続けて二〇分ほど、スチームワゴンは速度を落した。

 貴族の邸宅が建ち並ぶ『特別区画』にあって、その屋敷は一際巨大で堅牢だった。

 敷地は高い塀に囲まれており、白い外壁に鋭角的な黒い屋根が特徴的だ。

 城壁には鎧窓が連なり、閉じられた鎧戸もまた黒く、威圧的な気配を漂わせている。

 そこはラークン伯のタウンハウスであり、錬成技師の工房も併設されていた。


 巨大な鉄扉が左右に開くと、車列が内へと滑り込む。

 駆動車は車回しを巡って正面玄関の前を通過し、そのまま錬成技師の工房へと向かう。

 工房は敷地の最奥に設けられており、窓の無い半地下のコンクリート製建造物だった。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 強化ガラスの向こう側。

 薄紅色に透き通る希釈エーテル製剤に沈んだまま、エリーゼは目蓋を閉じている。

 傷ついた白い素肌を晒し、全く動こうとしない。

 『差分解析機』を確認するまでも無く、睡眠状態である事は明白だった。


 脱力したエリーゼを、ボトル状の『錬成用生成器』に移す工程は骨が折れた。

 ヨハンとドロテア、カトリーヌとシャルルの四人掛かりで手分けしての作業だった。

 エリーゼの口許は酸素吸入器で覆われ、身体には何本ものコネクタが接続されている。

 緩く束ねた長い頭髪が、希釈エーテルの中で水草の様にゆらりと揺れている。


 眠っているだけだと解かっていても、カトリーヌはその様子に不安を覚える。

 生と死が混在する闘技場での戦闘、肌を刻まれ血に塗れたエリーゼの姿。

 目を覚まさないのではないか――そんな不吉な想いが脳裏を過る。


 しかし『差分解析機』から出力される数値が、そんな想いは杞憂であると示している。

 最悪の状態は脱していると、手元の用紙にタイプアウトされている。

 何より一週間後に仕合を行わないのであれば、後は時間が解決してくれる。


 そう、レオン先生は必ず施術を成功させてくれる。

 レオン先生が施術を成功させたなら、エリーゼと『ヤドリギ園』の子供達は救われる。

 全てが解決するわけでは無いし、恨まれるかも知れない。

 それでも私は、やるべき事をやらなきゃ駄目だと思う。

 まずはこの状況を、確実に乗り切ろうと。


 ――その時。

 工房入口に取り付けられた呼び鈴を鳴らす音が響いた。

 カトリーヌは振り返えり、椅子に腰を下ろしていたシャルルが立ち上がる。


「……こんな時間に誰だ? ラークン伯の関係者か?」


「施術が終わる様な時間じゃないな……まだ開始すらしてない筈だ」


 ヨハンも怪訝そうに呟く。

 シャルルは戸口へ近づくと誰何する。


「どなたでしょう?」


「夜分遅くに失礼――『グランマリー教団』所属『マリー直轄部会』の者です」


 意外な返答に、シャルルはドアスコープのカバーをスライドして覗き込む。

 ドアの向こうには、黒い修道服を纏った長身痩躯にして鋭い眼差しの司祭と、年若いシスターが立っていた。

・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。

・シャルル=貴族でありレオンの旧友。レオンより『アーデルツ』を預かっていた。

・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。

・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。

・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。


・ラークン伯=ヤドリギ園一帯の土地買い上げを狙う実業家であり大貴族。


・ランベール司祭=『マリー直轄部会』所属の司祭。マグノリアと共に行動している。

・シスター・ジゼル=『マリー直轄部会』所属コッペリア。元グランギニョール序列三位。

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