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人造乙女の決闘遊戯 ~グランギニョール戦闘人形奇譚~  作者: 九十九清輔
第二十八章 堅忍不抜
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第一八五話 譲歩

・前回までのあらすじ

意識不明の重体に陥ったナヴゥルを救うべく、ラークン伯は自身の立場も顧みず、カトリーヌとシャルルに、ナヴゥルの助命を哀願する。それに対してカトリーヌは『ヤドリギ園』の子供達とエリーゼを守るべく、『ヤドリギ園』周辺の土地買収を見送るならという交換条件を提示する。

 カトリーヌは思う。

 いずれにしても遺恨は残ったのだと。

 ナヴゥルを救うべく治療を行おうと。

 その結果、エリーゼが仕合で敗北したならば。

 或いはエリーゼの治療を優先すべく、治療を断ったとしても。

 或いはエリーゼが仕合で勝利し、ラークン伯の土地購入を阻止したならば。 

 ――いや『グランギニョール』への参加を決めた時点で。

 どうあっても遺恨は残ったのだ。

 それは覆らないのかも知れない。


 カトリーヌはラークン伯の事を、無法で残酷な人物だと思い込んでいた。

 子供達の居場所を強引に奪う、冷血で傲慢な貴族なのだと、勝手に想像していた。

 なのでエリーゼが『ヤドリギ園』周辺の土地を買い取るべく、『グランギニョール』へ参加し、資金を獲得するという計画を聞いた時、エリーゼの身を案じこそすれど、その手法が危険だと不安こそ覚えど、それ自体が誤りであるなどとは、考えもしなかった。

 強欲な貴族に奪われそうな『ヤドリギ園』の土地を、被害者である我々が決起し、戦って取り戻す――そんな筋書きを、安易に思い描いていたのかも知れない。


 だけど全ては思い込みで、何もかも想像に過ぎなかった。

 闘技場の地下で、無法な貴族達に襲われ掛けたところを、ラークン伯に救われた。 

 ラークン伯の言動は、エキセントリックではあったけれど不快では無かった。

 ラークン伯に仕える男達も、エリーゼと仕合を行ったというナヴゥルも、礼節を弁えていた。

 皆、カトリーヌに対して誠実な態度を示し、悪意など感じさせなかった。

 それはラークン伯の人となりを示している気がした。

 思い切ってカトリーヌは、『ヤドリギ園』の土地を巡る問題について質問した。

 望む回答は得られなかったものの、ラークン伯は丁寧に答えてくれた。

 紳士的な物腰を最後まで崩す事無く、自らの正当性を主張した。


 そして今、自身が擁するナヴゥルの為、あろう事か跪礼の姿勢で哀願してみせた。

 ラークン伯は貴族――それも伯爵位だ、跪礼など有り得ない。

 それほどの地位と財力があれば、或いはもっと明確に圧力を掛ける事も出来た筈だ。

 でも、そうはしなかった。


 もし早い段階で、ラークン伯と知り合う機会が得られていたなら。

 その人柄を知る事が出来ていたなら。

 立場の違いから意見が対立したとしても、話し合う余地があったのでは無いか。

 こんな『グランギニョール』に参加せずとも、他に解決策を見出せたのでは無いか。

 刃を振るって血を流し、命を賭けて物事を決着する様な、血生臭い真似をせずとも。


 しかし、今となってはどうする事も出来ない。

 その道を辿る事が出来なかった。

 ならば今、可能な限り最善の選択を行うべきだ。


 カトリーヌは胸を張り、ラークン伯に交換条件を提示した。

 重傷を負ったナヴゥルの治療を請け負う代わりに、『ヤドリギ園』周辺の土地の買収計画を白紙に戻して欲しいと、その様に告げたのだ。

 

 それでも遺恨は残るのだろう。

 土地の買収計画が立ち消えになれば、それだけの損失をラークン伯は被るのだろう。

 だけど、ナヴゥルは救われる。

 そしてエリーゼと子供達も救われるのだ。

 何ものにも代え難い大切な存在が、双方に残る。

 この考えを、恥知らずと罵られようが、恨まれようが構わない。

 これ以上の妥協点があるのかどうか。 


 ◆ ◇ ◆ ◇


 カトリーヌは思い出していた。

 炎と爆炎に包まれたマウラータの街を。

 響き渡る銃撃の音を、人の焼ける死の臭いを。

 飢えて乾き、死に掛けていた記憶を。

 苦しく、恐ろしく、痛みに塗れた絶望の記憶。


 だけど、そんな記憶の奥底に、黒い修道服を纏った長身のシスターが立つ。

 シスター・マグノリアだ。 

 地獄と化したマウラータを、私はシスター・マグノリアに手を引かれて走った。

 生き残る為に走り続けた。

 両親も、友達も、知り合いも、住む家も、全てを失った。 

 何もかもが恐怖と絶望に塗り潰された。

 それでも私は生き残った。


 私は差し伸べられたシスターの手を握った。

 私の手を引く、血に塗れた黒い後姿を私は忘れない。

 その後姿が私を守り、その背中が私を導いた。

 血に塗れた背中に、私は進むべき道を見出したのだ。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 だから私も、子供達の為に前を向こうと思う。

 子供達を救うべく血を流したエリーゼの為に、前を向く。


「それでも私は、私の裡に在る尺度を信じ、胸を張って、この交換条件を提示します」


 この言葉を聞いたラークン伯は、口を閉ざしたままカトリーヌを見つめていた。

 跪いたまま背筋を伸ばし、動く事も無かった。


「――『ヤドリギ園』周辺の土地買収を取り止めて頂けるなら、ナヴゥルさんの治療を請け負うと」


 周囲に居並ぶ男達も同様に、動こうとしない。

 カトリーヌの背後に立つシャルルも、動かない。

 そのまま幾許かの時が流れる。


 ――不意にラークン伯は、天を仰ぐと目蓋を閉じた。

 ゆっくりと息を吐き、再び目蓋を開く。

 改めてカトリーヌを見遣った。


「シスター……あなたは教皇マリー聖下と、直接の面識がおありかな?」


 思いもよらぬ質問に、カトリーヌは僅かに戸惑う。

 数ヶ月に一度、在俗会派の聖職者達には、在俗会本部で催される講和会にて、教皇マリーの講和を拝聴する機会が設けられている。

 カトリーヌもその席で何度か、教皇マリーの講和を傾聴している。

 教皇マリーは威厳と柔和を併せ持つ、凛とした佇まいの老シスターだった。

 近寄り難い印象は無かったが、直接会話する機会など無く、面識があるとは言えない。

 優しげであり穏やかであっても、天上人に等しい存在だ。

 すぐに答えた。


「……いいえ、ありません。在俗謁見の場に参加させて頂いた事はありますが」


 カトリーヌの言葉を聞いたラークン伯の眉が、微かに動く。

 次いで視線を逸らすと、おもむろに口を開いた。

 

「――今より三五年ほど前、私はヴァリス四世皇帝陛下と、教皇マリー聖下立ち合いの下、ゲヌキス領の継承と叙爵を認められた。その際、教皇マリー聖下よりお言葉を賜った」


「……」


 低く響く声で、ラークン伯はそう言った。

 カトリーヌは口を噤んだまま、耳を傾ける。


「当時の教皇マリー聖下は、今のシスター・カトリーヌと、さして変わらぬ年齢だった。その教皇マリー聖下が私に――『己が裡に在る尺度に照らし、事に於いて胸を張れると、そう信じられる道を選択して下さい』……その様に仰ったのだ」


「……」


 ラークン伯の言葉に、カトリーヌは密かに衝撃を受けた。

 それはかつて、シスター・マグノリアより聞かされた言葉と同じだったからだ。


「私は些か当惑した。その言葉は、グランマリー教団の教えに沿った物では無かったからね。私は学業を修める中で、神学にも熱心に取り組んだ。ガラリア貴族として盤石の地位を築く為に、必須の教養だと考えた為だ」


「……」


「ともかく教皇マリー聖下の言葉には、その場に居合わせた帝国の高官達までもが、不思議そうな顔をしていた。教皇聖下が過去に、そういう発言を行った事が無かった為だろう。だからこそ私は、思わず質問してしまったよ。『英知と繁栄』『技術と戦略』では無いのですか? ……とね」


「……」


 ラークン伯の疑問は、カトリーヌも同様だった。

 事実、教皇マリーは過去に行われた講和会に於いて、その様な演説を行った事など、一度も無かった。天より賜りし大いなる英知を以て、遍く人々を正しく繁栄へと導きなさい――常々その様に、グランマリーの教義を説かれていた。


「教皇聖下は仰った――『領主権を有し、数多の民を導く立場に就かれた方は、私以上にグランマリーの教義を理解しておりましょう』……。そして微笑まれた――『今、お伝えした言葉は、私が先代の教皇マリー様より賜った言葉です』……私はその意味を、把握出来んかったが――」


「……」


「ただ――当時、私はゲヌキス氏族の頂点に立つべく、親族全てを破綻させた上、本来家督を継ぐ筈だったラークン家の長男を、謀殺したのではという噂が広まっていた。事実かどうかは皆の想像に任せたがね、その件を踏まえて、教皇聖下は私に戒めとして、グランマリーの教義には無い言葉を授けたのか……と、そう受け取らせて貰った」


「……」


 微かに俯いたまま、ラークン伯は言う。

 その表情は未だ険しいものだったが、しかし眼差しは何処か穏やかでもあった。


「私は年若く、浅はかだった……私よりも更に年若いであろう教皇聖下の言葉に、居心地の悪い物を感じ、不遜な話だが反発を覚えたりもした、小癪な事を……とね。しかし……」


「……」


「実際にゲヌキス領を統治運営するにあたって、極まった困難と直面した際、不思議と思い出されたのは、教皇マリー聖下のお言葉だった。そんなつもりは無くとも、我が領民に対し、恥じる事の無い選択を行えば、何故か物事が上手く回った……」


「……」


 顔を上げたラークン伯は、改めてカトリーヌを見据える。

 細い眼の奥で、青い瞳が力強い光を放っている。

 ラークン伯は告げた。


「――確かにナヴゥルは私にとってかけがえの無い存在。しかし、シスターの提示した交換条件、そのまま受けては我がゲヌキス領の運営にも影響が及ぶ……そんな妥協は、きっとナヴゥルも、我が領民も受け入れまい。故に私の方から、譲歩の案を提示したい」


「譲歩、ですか……?」


 思わずシャルルは尋ねる。

 ラークン伯は頷く。


「その通り。まず最初に、シスターが最も懸念されているであろう事柄を、可能な限り払拭する案を提示しましょう。あなた方が運営する孤児院――『ヤドリギ園』を、我がゲヌキス領へ移転させるというのは如何か? 移転費用と移転先の確保は、我々が責任を持ちます」


「移転?」


「移転ですと?」


 カトリーヌと同時にシャルルも声を上げた。

 ラークン伯は続ける。


「左様。その上で我々は、当初の予定通り、あの貧民街を一大物流拠点として再生する。新たな雇用を創出し、停滞したガラリアの経済を活性化させる」


「ですが、それでは『歯車街』に暮らす人々は……」


 シャルルは再び口を挟んだ。

 『歯車街』には『ヤドリギ園』経由の援助を、頼みとしている人々がいる。

 それを見捨てる事になるだろう……その様にシャルルは考えたのだ。

 しかしラークン伯は、シャルルを見遣り首を振ると、はっきり断言した。


「あの貧民街に暮らす者達全てを救う事など、現時点でも出来てはおらぬ筈だ。鉄屑と煤煙に塗れて寝起きし、貴様ら『衆光会』からの配給食糧を頼みの綱にして働き口も無い、そんな生活の先に、どんな未来があるのだ? あの状態が救済なのか? 状態の先送りに過ぎん。『衆光会』のやっている事は馬鹿げた綺麗事であり自己満足だ、やがて全てが劣化する、待っているのは破綻という絶望の現実だけだ――」


「……」


 シャルルは口を開き掛けたが、言葉が出て来ない。

 ラークン伯の言葉は、正鵠を射ていた。

 改めてラークン伯は、カトリーヌに向き合う。


「――孤児院の子供達にしても同じ事です。あの『ヤドリギ園』の建つ場所、どれほどに安住の地と言い張ろうが、あそこは工業地帯の隣りに広がる違法なゴミ捨て場だ、産業廃棄物が放置されている危険な場所だ。子供達が生活するのに相応しい場所であるのかどうか。更にはあの孤児院を巣立った子供達は、どこへ行けば良いのか。首都イーサは現状、仕事口を探す事も困難な、不景気な状態ではありませんか」


「……」


「少なくとも、私が領主を務めるゲヌキス領には仕事がある。複数の鉱石が産出されている、採掘の仕事も、運搬の仕事も、経理の仕事もある、物流を支えるサービス業も必要だ。確かに孤児院の子供達全員と、シスター達の受け入れには、大きな出費が伴うが……新たな物流拠点開設で得られるメリットの方が大きい。また、ゲヌキス領にも身寄りの無い子供がおるはず、メリットはあると言える。その上で……現在『ヤドリギ園』に集う子供達の未来にとって何が必要か、考えて頂きたい」


「……」


 カトリーヌはラークン伯の顔を真っ直ぐに見つめている。

 ラークン伯は眼を逸らす事無く、断言する。


「私も私の裡に在る尺度に照らし、胸を張って、この譲歩を提案しましょう」

・カトリーヌ=孤児院「ヤドリギ園」のシスター。レオンの助手を務める。

・シャルル=貴族でありレオンの旧友、オートマータ・エリーゼに甘い。


・ラークン伯=ヤドリギ園一帯の土地買い上げを狙う実業家であり大貴族。

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