表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人造乙女の決闘遊戯 ~グランギニョール戦闘人形奇譚~  作者: 九十九清輔
第二十八章 堅忍不抜
183/290

第一八二話 失意

・前回までのあらすじ

ナヴゥルvsオランジュの仕合、重傷を負ったナヴゥルだが、一瞬の隙をついて反撃しようとする。しかしそこでオランジュの『能力』が発動し、ナヴゥルは絶対的に手が届かない敗北を喫してしまうのだった。

 シャンデリアを模したエーテル水銀式の照明が、瀟洒な室内を照らしている。

 上質な壁紙、色鮮やかな風景画、革張りのソファとローテーブル。

 そこは『円形闘技場』の地下に設けられた、関係者用の控え室だった。


 シーリングファンが音も無く旋回する下で、カトリーヌはソファに座っている。

 怯えるかの様に背中を丸め、俯いたまま動かない。

 溌溂と明るい普段の様子からは想像もつかない姿だ。

 体調を崩しているのか、顔色も良くない。


 事実、体調は良く無かった。

 カトリーヌは熱に浮かされ、悪夢を見ている様な心持ちでいた。

 目蓋を閉じれば、全身を血に染めたエリーゼの姿が浮かび上がる。

 刃を振るい、血飛沫を上げるシスター・マグノリアの姿が浮かび上がる。

 シスター・カトリーヌッ……危険ですっ……! そう叫ぶエリーゼの声。

 絶え間無く響き渡る金属音、飛び散る火花、濃厚な血の匂い。

 廃墟と化した故郷の街・マウラータを思い出す。

 額に汗が滲み、内蔵が軋み、心臓が早鐘の様に打つ。

 微かに開いた口で、浅く呼吸を繰り返す。


「――大丈夫か? シスター・カトリーヌ」


 声を掛けられる、穏やかな口調だ。

 レオンだった。

 エリーゼの応急処置が終わったのだろうか。

 カトリーヌは顔を上げる。

 レオンがこちらの様子を伺う様に、身を屈めている。


「エリーゼの応急処置を終えた――ただ状態は決して良くない。早急に僕の工房へ搬送して、本格的な施術に移行するつもりだ。君はどうする? 疲れている様なら無理は……」


「……」


 カトリーヌはレオンの言葉に応じようと、口を開き掛けた。

 でも、言葉が出て来ない。

 細く息が漏れるだけで、声が出ない。

 何か言わねば――そうは思えど焦るばかりで、言葉にならない。

 不意に胸が苦しくなる。吐き気が込み上げて来る。

 どうしようも無くカトリーヌは口許を抑え、俯いてしまう。

 嘔気に苛まれ震える背中に、レオンの手が添えられる。

 労わる様にさすられながら、レオンは謝意を聞いた。


「済まない、シスター・カトリーヌ。今日はシャルルの邸宅で、ゆっくり休んで欲しい」


 カトリーヌは溢れ出す涙を抑えられぬまま、首肯して応じる。

 しかし同時にカトリーヌは、こんな事では駄目だと思っている。

 『ヤドリギ園』の為、子供達の為、エリーゼの為、頑張らなきゃ駄目だと思う。


 ――なのに、身体と心が動かない。

 怖くて、恐ろしくて、身体の震えが止まらない。

 今はただ、取り巻く全ての事柄から逃れたくて。

 

「僕はヨハンさんと一緒に、エリーゼを工房まで搬送する。スチームワゴンを使用するから、済まないがシスター・カトリーヌはシャルルと合流してから、あいつのカブリオレで邸宅へ向かって欲しい。それまで少しの間、この控え室でシャルルが戻るのを待ってやってくれないか? あいつには伝言しておくよ」


「――は、はい……」


 カトリーヌは俯いたまま、絞り出すように答える。

 それが精一杯だった。


 程無くして『衆光会』の職員達が、ストレッチャーを押しながら入室する。

 レオンとヨハンは手際良く、エリーゼの搬送準備を整える。

 

「シスター・カトリーヌ、しばらくは僕が代わりにレオン君をサポートしても良い。君は無理せず養生してくれたまえ」


 俯いたままのカトリーヌに、ヨハンが声を掛けた。

 カトリーヌは以前、ヨハンから覚悟は在るのかと問い質された事があった。

 シスター・マグノリアとエリーゼとの仕合に、立ち会う覚悟はあるのかと。

 大丈夫です、やります――カトリーヌはそう答えた。


 でも、仕合を目の当たりにして、カトリーヌは凍りついた。

 身体を震わせて、泣き叫んだ。

 仕合を止めてと、何度も何度も絶叫した。

 何も見たくないと、その場に蹲った。

 ヨハンの懸念が的中してしまった。


 そして今も、何も出来ぬままに身体を丸めている。

 胸中に湧き上がる恐怖を抑え込むだけで、精一杯で。

 それでもヨハンは、そんなカトリーヌを責めたりはしない。

 紳士的な態度で、代わりを申し出てくれる。

 その気遣いに、しかしカトリーヌは応えられない。

 震える声で、はい……と、答える事しか出来ない。


 レオンとヨハンはエリーゼを乗せたストレッチャーと共に、戸口の方へと歩き始める。

 ストレッチャーを押すのは『衆光会』の職員だ。

 退室する際にレオンは、ストレッチャー上のエリーゼに何事かを話し掛けた。

 それに対してエリーゼが、短く返答する。

 なんと言っているのか、カトリーヌには聞こえない。

 だけど、耳をそばだてる気にならない。


「……シスター・カトリーヌ、僕達は先に工房へ向かう。もし何かあった場合、シャルルの邸宅には僕の工房と繋がる直通の電話回線がある。それを使って連絡をくれたら良い」

 

 レオンに、そう声を掛けられた。

 カトリーヌは機械的に、はい……と、答えるばかりだ。

 見送る事すら出来ない。

 やがてレオンとヨハンはエリーゼを伴い、控え室を後にした。


 室内にはカトリーヌがひとり、残された。

 『衆光会』の職員とシャルルの運転手は、隣りの小部屋にいるのだろう。

 酷く静かだ。

 天井で旋回するシーリングファンの音だけが、微かに聞こえる。

 カトリーヌは、弱々しく息を吐く。

 そして、自身の不甲斐無さを恥じた。


 私は、もっと強いと思っていた。

 何があっても耐えられると思っていた。


 なのに、何も出来なかった。

 レオンの助手を務める事も出来なかった。

 エリーゼを労う事も出来なかった。

 居た堪れなかった。


 脳裏に浮かぶのは、真っ赤に燃え盛るマウラータの街並みだ。

 近所のおばさん達が、一緒に遊んでいた友達が、路上で真っ赤に染まっていた。

 恐怖に逃げ惑い、振り返れば、お父さんとお母さんも、真っ赤に染まっていた。

 耳を劈く爆撃音。金属音。火薬の匂い。血の匂い。

 耐え難くて、堪え難くて。


 同時に、シスター・マグノリアの事を思い出す。

 全てを失った私に第二の人生を与えてくれた、シスター・マグノリアの事を思う。

 血に塗れながら私の手を引き、燃え盛るマウラータの街から私を救い出してくれた。

 あらゆる困難を排して道を切り開き、私の為に少ない食料と水を分けてくれた。

 血に塗れても揺るがない、あの黒い修道服を覚えている。


 シスター・マグノリアの事を尊敬している。

 今だって尊敬している。この気持ちに嘘偽りは無い。

 この私を救ってくれたのだ。

 

 でも――シスター・マグノリアは、エリーゼを殺そうとしていた。

 エリーゼを損壊すべく、私の目の前でその力を行使していた。

 エリーゼは子供達の居場所である『ヤドリギ園』を守る為に戦っていた。

 そんなエリーゼに対して、シスター・マグノリアは力を振るったのだ。


 何か大きな、錬成科学的な問題や秘密が絡んでいるのだろう、そう感じる。

 それほどにエリーゼは特殊な存在なのだろう、そう思う。

 また、レオンとヨハンが過去に何度か、不穏な会話を行っていた事も知っている。

 エリーゼの秘された部分が、ガラリアの法に則っていない、そういう事なのかも知れない。だからシスター・マグノリアが何らかの要請を受け、エリーゼと対峙する事になったのだろう。


 それが事実だったとしても、どうであっても。

 とても納得出来るものでは無い。

 何故ならエリーゼは、私の友達だからだ。


 エリーゼは私の大切な友達だ。

 何時だって私を励ましてくれた。

 私に色々な事を教えてくれた。

 些細な事でもエリーゼに認められると、なんだか嬉しかった。

 私もエリーゼに、色々な事を教えてあげた。

 エリーゼと共に過ごす時間は、楽しかった。

 私が困った時、何を差し置いても力になってくれた。

 『ヤドリギ園』の為に、子供達の為に、力を尽くしてくれて。

 心からの感謝と敬意に値する、エリーゼは本当に大切な友達だ。


 そんなエリーゼに、どんな秘密が隠されていたのだとしても。

 いきなり命を奪われる様な、そんな理屈が罷り通って良い筈が無い。


 だけど、でも、シスター・マグノリアは、私の命の恩人だ。

 シスター・マグノリアに救われなければ、私は死んでいた。

 私を救い出してくれた、私を導いてくれた、私が目指すべき理想のシスターだ。


 エリーゼは私の友達で。

 大切な女の子だ。

 シスター・マグノリアは私の恩人で。

 目指すべき理想だ。


 どうすれば良いのか、これからどうすべきなのか。

 エリーゼの裡に、法的な問題が有るのだとすれば。

 シスター・マグノリアは、再びエリーゼに襲い掛かるのでは無いか。

 そんな最悪の事態も十分に考えられる。

 どうすればそれを止められるのか。

 何をどうすれば良いのか。

 

 そんな事が、そんな事ばかりが、頭の中を巡り続ける。

 答えが出ない事を考え続けてしまう。

 どうしようも無い無力感。

 この無力感と、眼前で繰り広げられた血塗れの闘争が入り混じって。

 血塗られて燃え盛る、瓦解したマウラータの街並みを思い出してしまう。

 絶望の故郷で蹲ったまま動けない、無力だった自分を思い出してしまう。

 何も出来ない、何も救えない、そんな自分を思い出して。

 エリーゼは自身の肩を抱きしめながら、震えるばかりだった。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 一五分か、二〇分ほど過ぎた頃。

 控え室のドアがノックされ、シャルルだ――そう告げる声が聞こえた。

 入室したシャルルは室内を見渡し、ソファに座り俯いているカトリーヌに気づく。

 カトリーヌがどんな状態であるのか、既にレオンから言づけられているのだろう、シャルルはソファの傍に歩み寄ると、カトリーヌに声を掛けた。


「――シスター・カトリーヌ、待たせてしまって申し訳ない。雑事に時間を取られた」


「……ダミアン卿」


 顔を上げたカトリーヌは、掠れた声で応じる。

 シャルルは穏やかな表情で、床の上に片膝をつき頷く。


「疲れたろう、今夜は私の屋敷で休むと良い。明日以降の事は、明日考えよう」


 優しい言葉だった。それだけに心苦しい。

 自分は周囲に甘えているだけなのでは無いかと思う。

 でも、身体の芯まで凍える様な悪寒は事実で、拭い難い。


「それじゃあ行こうか。忘れ物は無いかな」


「はい……」


 カトリーヌはソファから立ち上がる。

 シャルルに促され、部屋の戸口へ向かって歩く。

 その時、向かう先のドアがノックされた。


「恐れ入ります、旦那様」


 閉ざされたドアの向こうから声を掛けたのは、シャルルのお抱え運転手だった。

 落ち着いた声音で言葉が続く。


「ラークン伯爵が、面会を求めておいでです――」


「ラークン伯が?」


 驚きの声を上げるシャルル。

 ドアを開けた初老の運転手は、シャルルに一礼を捧げる。

 頭を下げる運転手の向こう――仄暗い地下通路に、スーツ姿の男達が並んでいた。

 男達の中央に立つのは、丸々と太った身体をフロックコートで包み込んだ男だ。

 背が低く、頭髪は薄く、頬と顎の肉がだらしなく垂れ下がっている。

 しかし、こちらを見据える眼差しは、切迫感に満ちた真剣なものだった。

 ガラリア・イーサ屈指の大貴族、ラークン伯。

 なぜ彼が、このタイミングで『衆光会』の控え室を尋ねたのか。

 シャルルには見当もつかなかった。

・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。

・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。

・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。

・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ