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人造乙女の決闘遊戯 ~グランギニョール戦闘人形奇譚~  作者: 九十九清輔
第二十七章 死闘遊戯
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第一八〇話 幻視

・前回までのあらすじ

オランジュとナヴゥルはギリギリの攻防を続ける中で、双方共に浅い傷を負う。そしてオランジュは、己の頬を傷つけたナヴゥルに対し、賞賛の言葉を贈った。

 貴族達の絶叫にも似た大歓声は、円形闘技場内で反響しては円蓋天井を震わせる。

 オーケストラ・ピットに居並ぶ管弦楽団も、渾身の演奏にて熱気を煽り立てる。

 好奇と興奮に血走る無数の眼差しが向けられる先では、二人の戦乙女が対峙している。


 逞しい長身に黒いレザースーツを纏い、鋼鉄の戦斧を構えるのはナヴゥルだ。

 汗の滲む頬に走るのは、一筋の紅い傷。

 先の交錯でオランジュの指先――整えられた爪がつけた傷だ。

 ナヴゥルは傷ついた頬を気にした様子も無く、オランジュを凝視している。


 優美な肢体を白いシュミーズドレスで包み、木の棒を携えているのはオランジュだ。

 白い頬に走るのは、やはり一筋の紅い傷。

 先の交錯でナヴゥルの『強化外殻』に仕込まれた、鋼鉄の隠し爪がつけた傷だ。

 オランジュは自身の指先に絡むナヴゥルの血を、舌先でチロリと舐めては微笑んだ。


「凄いわ、あなた……」


 その短い呟きは、偽り無く感嘆の響きを帯びていた。

 ブロンドのロングヘアを揺らしながら、エメラルドグリーンの瞳を潤ませる。

 

「過去一〇年、私の肌に傷をつけたのはあなただけよ……?」


「――特に苦も無い、次に与えたるは致命傷よ」


 六メートル先に佇むオランジュを睨めつけながら、ナヴゥルは嗤った。

 唇の端がめくれ、鋭い犬歯が覗く。

 そう、ナヴゥルは確信していた。

 今の攻防にてオランジュの『神経伝達』――その『波動』を掴んだと確信した。 


 それは酷く微弱であり、しかも恐ろしく速い。

 過去に仕合を行ったどのコッペリアとも比較にならない。

 挙動を意識した瞬間にはもう動き始めている、極まった速さだ。

 更には己が行うべき挙動を意識しているのかどうか、それすら危うい微弱さだ。


 つまりオランジュの強さ――『能力』とは。

 己が『意』を極限まで抑制し、『無我』の境地にて、刃を振るえるというものだ。

 全ての挙動が無意識に近く、あらゆる感情から解放されている。

 究極まで洗練された『武』そのものであり『武』の極地だ。

 凡そ感情を有する者ならば、決して至れぬ境地だ。

 しかしオランジュは常に、その地点に在る。

 信じ難い事だ、それを可能たらしめる――それがオランジュの『能力』だ。

 


 だが――それでも捉える事が出来る。

 既に、己が周囲には『エーテル粒子』による半径数メートルの『海』が広がっている。

 しかも高濃度の『海』だ。

 加えて『痛覚抑制』を解いた事で、極限まで知覚が鋭敏になっている。

 いかな『レジィナ』オランジュとて、もはや射程の範囲内だ。

 オランジュの『能力』――その限界値は把握した。


 ならば最悪、こちらが手傷を負う事になろうと、討ち果たせる筈だ。

 相討ちでは無い。

 肉を斬らせたなら、骨を断つ事が可能だと、そう考えている。

 その様にナヴゥルは思考する。


「いいえ、それは無理ね」

 

 しかし、その思惑にオランジュは異を唱えた。

 蕩けるような眼差しでナヴゥルを見つめる。


「全ての可能性は私のもの……だからあなたとのゲームはここまで」


「……益体も無い事を言う」


 ナヴゥルはオランジュを見つめ、戦斧を構えたまま吐き捨てる。

 オランジュは右手に携えた木の棒を垂らしたまま、またゆっくりと歩き始めた。


「確かにあなたは凄かった。先の攻防……互いに傷を負う可能性の中にしか勝機を見出せなかった」


 花も月光も恥じ入るほどに端麗な微笑みを口許に湛えたまま、オランジュは言う。

 近づいて来るその歩みは止まらない。


「あらゆる瞬間に存在する無数の可能性……それら全てにあなたは対応していた」


「……」


 言葉を紡ぎながら歩を進めるオランジュに、ナヴゥルは構えを崩さず応じない。

 一切の隙を見逃す事無く、オランジュの動きを知覚している。

 その眼で、耳で、鼻で、肌で、オランジュの全てを知覚している。

 『エーテル粒子』の『波動』から『神経伝達』の微細な変化すらも把握する。 

 死角は無い。


「――でも今の交錯で、あなたの可能性は確定したのよ」


「……」


 ナヴゥルの見つめる先で、白いドレスがオーロラの様に揺らめいている。

 オランジュの美しい微笑みは、凪いだ海原と同じく穏やかに煌めいている。

 右手に握られた木の棒は、ごく自然に垂らされており、何の意思も示そうとしない。

 一〇年無敗の『レジィナ』オランジュは、自然体のまま悠然と歩いて来る。

 何も恐れていないのか、何も警戒していないのか、そうとしか思えぬ足取り。

 それでもナヴゥルは抜かり無く、戦斧を構える。


 己が間合いまで、あと数メートル。

 オランジュの攻撃は、針に糸を通すがの如くに繊細、加えて雷光よりも一瞬である。

 しかし、それでも把握出来る――そうナヴゥルは思う。

 今この瞬間、極限まで張り詰めた状態にある私であれば。

 相討ちとならぬ瀬戸際、極まった紙一重にて『レジィナ』を取れる。


 ――と、次の瞬間。

 ゆっくりと距離を詰めて来たオランジュが、いきなり加速した。

 ドレスの白が淡く空間に滲み、強烈に帯を引くほどの加速だ。

 そして瞬く間も無く、ナヴゥルの間合いへ飛び込む。

 飛び込みざま右手に携えた木の棒を、疾風の如くに突き込もうとする。


「ふッ……」


「しィッ……!!」


 ナヴゥルは超反応を示す。

 オランジュが間合いに踏み込む直前、時間を掛けて形成した高濃度の『海』にて『神経伝達』の『波動』を把握、繊細にして高速なオランジュの挙動を捉え、攻撃のタイミングを完全に読み切ったのだ。

 それは絶対的な瞬間だった、狙うはもちろんカウンターだ。

 左半身前に構えた戦斧を手に、ナヴゥルは全力で踏み込む。

 突き出した戦斧の先端――スピアヘッドにて。

 得物を握るオランジュの右手ごと胸部を貫かんとする、激烈な刺突攻撃だった。


 ――貰った。

 勝利の予感がナヴゥルの脳裏をよぎる。


 ――が、次の瞬間。

 ナヴゥルは眼を見開いた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 ――オランジュは。

 カウンターを取られたと悟るや否や、突き出した得物にて、襲い来るスピアヘッドを脇へ弾こうとした。しかし満身の力で、加えて極限のタイミングで放たれたナヴゥルの刺突を、完全に逸らす事など出来ない。スピアヘッドの軌道は僅かに変化したのみであり、刺突に次いで間髪入れず、重厚極まる戦斧の斧刃が、オランジュの胸部に襲い掛かる。同時に踏み込んだナヴゥルの腹部にも、オランジュの木の棒の先端が迫るが、ナヴゥルは全く意に介さない。元よりダメージなど覚悟の上だ。

 交錯の刹那――ナヴゥルの左脇腹を木の棒が貫通する。

 怯まずナヴゥルは踏み込み、身体を捻り、右腕にて突き込む。

 空間を引き裂く斧刃がオランジュの胸元を捉え、鮮血と共に損壊した。


 

 

 




 ◆ ◇ ◆ ◇


 ――オランジュは。

 カウンターを取られたと悟るや否や強引に身体を捻り、回避しようとした。しかし極限のタイミングにて放たれた戦斧の刺突を、容易く回避する事など出来ない。スピアヘッドはともかく、大きく張り出した斧刃を回避するには至らない。それでもオランジュは、右手の得物を止める事無く、鋭く激しく打ち込もうとする、狙いはナヴゥルの右手か。そうする事で攻撃を止めようという事か。

 交錯の瞬間、ナヴゥルの右手――その指を四本、木の棒が削ぎ落す。

 それでもナヴゥルは怯まず踏み込み、腰を捻ると左腕一本で戦斧を突き込む。

 空間を引き裂いた斧刃はオランジュの腹部へ吸い込まれ、激しく鮮血を撒き散らした。


 

 

 




 ◆ ◇ ◆ ◇


 ――オランジュは。

 カウンターを取られたと悟るや否や、身体を極限まで深く沈み込ませた。驚くほどの柔軟性にて、ナヴゥルの刺突を掻い潜ろうという事か。しかしナヴゥルは突き込みながらに激しく手首を返すと、戦斧の柄ごと斧刃を高速で旋回させた。それは闘技場に敷き詰められた石床すら砕く破壊力を秘めている、いわば鋼のグラインダーにも等しい。この破砕のグラインダーを掻い潜るは至難だ。

 交錯の瞬間、オランジュは右手の得物を下から突き上げる様に放つ。

 しかしその一撃を高速旋回するナヴゥルの斧刃が粉砕、木の棒はたちまち砕け散る。

 空間を引き裂いた斧刃はオランジュの頭部に打ち込まれ、美貌を鮮血と共に削り取った。

 

 

 




 ◆ ◇ ◆ ◇


 ナヴゥルは、自身が勝利する瞬間を、何度も、何度も、体感していた。

 否、全ての瞬間を、同時に体感していた。


 ――私はいったい、何を感じ取っている!?


 ナヴゥルは戦斧を突き込みながら愕然とする。

 勝利の瞬間を感じ取り、しかし勝利には至らず、歓喜が歓喜に至らない。

 まるで決着の瞬間を、何度も、何度も、繰り返しているかの様な。

 

 己が能力である『海』にて掴んだオランジュの挙動が、己の勝利を知らしめている。

 この瞬間に感じた勝利が、挙動が、完全なる事実であると伝えている。

 にも関わらず、決着には至らない。

 ふりだしに引き戻されるかの様に――いや、そんな事が有り得るのか。

 こんな馬鹿な、こんな有り得ぬ事が。

 

 眼前のオランジュは、未だ得物を突き込んでなどいない。

 そのオランジュに対して私は、戦斧にてカウンターを併せようと。

 これはいったい、何が――






 ◆ ◇ ◆ ◇


 ――オランジュは。

 カウンターを取られたと悟るや否や、自身が手にした木の棒を、足元の石床へ向かって突き込んだ。そのまま木の棒に体重を預けつつ全身のバネを用いて、一気に身体を宙へと跳ね上げる。そこへナヴゥルの戦斧が叩き込まれ、石床に逆立つ木の棒を、その中ほどでへし折った。オランジュの身体は空中にあり、その右手には叩き折られて半分の長さとなった棒が握られている。会心の刺突が回避されたナヴゥルは戦斧を放棄、左右の前腕から鋼の隠し爪を打ち出し、空中のオランジュを引き裂かんと腕を振るった。

 交錯の瞬間、空中にて身を捻ったオランジュは、迫り来る鋼の爪を回避する。

 更に回避しざま、右手に握った折れた木の棒を強烈に突き込んだ。

 空間を引き裂いた木の棒は、そのまま真っ直ぐ、ナヴゥルの右眼に打ち込まれる――


 

 

 




 ◆ ◇ ◆ ◇


「……っ!?」


 真紅に染まる視界が、ぐらりと揺れた。

 何が起こったのか、私は攻撃を受けたのか?

 攻撃を受け、そのダメージ故に足元が覚束ないというのか。


「馬鹿な……」


 もはや立っている事が出来ない。

 ナヴゥルは、その場に膝を着いた。

・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。

・オランジュ=マルセルが錬成した最強のコッペリア。『レジィナ』の称号を持つ。

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