第一七七話 激突
・前回までのあらすじ
ラークン伯が所有する『コッペリア・ナヴゥル』と、天才錬成技師マルセルが所有する『レジィナ・オランジュ』が、トーナメント準決勝にて、ついに激突する。
筋肉質にして豊満な長身を包むのは、漆黒のレザースーツだ。
長大かつ重厚な鋼鉄の戦斧を肩に担ぎ、口許に獰猛な笑みを浮かべている。
強烈な赤光を放つ瞳は真っ直ぐに、最強の対戦相手を見据えていた。
射竦めるが如き赤い視線を前に、しかし白いシュミーズドレス姿は小動もしない。
優美にして究極の曲線が構成する肢体、神すら惑うほどの艶麗な相貌。
自然に垂らした右手が握る得物は、先端を斜めにカットした単なる木の棒だ。
沸き立つ円形闘技場の中央。
ナヴゥルの黒い姿と、オランジュの白い姿が対峙していた。
「――作法を踏まえさせて貰おうか。我が名はナヴゥル。前世は暴虐と死を司る悪意の精霊『ナクラヴィ』。遍く全てを打倒し圧し潰す……貴様も名乗れ」
低く唸る様にナヴゥルは告げる。
六メートルの距離を挟み、相対するオランジュが呼応して微笑んだ。
「そう……私の名前はオランジュ。前世は水辺で憩う鳥……ヴァッサフォーゲル。あまねく勇者を惑わす精霊……って、ところかしら?」
その言葉にナヴゥルは眉根を寄せる。
脳裏に浮かんだ姿は、逆立つ剣の上に立つ、小さな白い影だ。
「貴様も己が素性を語らぬ類いか……構わん、策を用いる流儀を侮る事はもう無い」
「良い心掛けね、あなたなら私の期待に応えてくれるのかしら?」
囁きにも似た二人の声は、反響する大音声に半ば掻き消されている。
しかしどちらも、一切気にする様子を見せない。
仕合に際して集中力が極限まで研ぎ澄まされ、その様な会話を可能としているのか。
観覧席にぎっしりと連なる貴族達の興奮は、留まる事無く昂ぶり続ける。
興奮と熱狂こそが礼儀であると、その様に認識しているかの様だ。
――と、その時。
オーケストラ・ピット脇の演壇に、黒い燕尾服を着込んだ司会の男が駆け上がった。
男は咳ばらいをひとつ残してすぐに、演壇上の伝声管に向けて叫んだ。
「皆様! 大変長らくお待たせ致しました! これより本日の最終戦! 特別トーナメント準決勝! 第二仕合を執り行います!」
その宣言が呼び水となり、貴族達のヴォルテージが跳ね上がる。
諸手を振るって声を張り上げ、手にしたスカーフを振り回す者もいる。
そんな狂騒を煽る様に、司会の宣言は続く。
「まずはっ……西方門より出でし戦乙女っ! 血風を切り裂き乱舞する撃滅の戦斧! 死と暴虐を司る悪意の精霊! グランギニョール戦績ッ、十四戦十三勝一敗! ゲヌキス領守護兵団所属! ナァヴゥウウウウウルゥッ!」
途端に怒涛の歓声が質量すら伴い、すり鉢状の観覧席から押し寄せて来た。
司会の男は伝声管を握り締めながら、更に声を張り上げる。
「―そして、東方門より出でし戦乙女! 極まりし美と威が示すは『グランギニョール』の頂点に君臨し続ける無敵の女王! グランギニョール戦績四十四戦無敗! マルブランシュ研究所所属! オォラァンジュゥウウウウッ!」
喉も裂けんばかりの大絶叫が、闘技場内に轟き渡る。
乱痴気の極みにて貴族達は、喜悦と共に拳を突き上げ叫び散らす。
漆黒のリベンジャー――ナヴゥルか。
純白の『レジィナ』――オランジュか。
いずれが勝利するのか。
「それでは、お互いに構えて!」
司会進行による開始直前の合図を受けて、潮が引く様に歓声が静まってゆく。
これは『グランギニョール』に於ける習わしであり仕来りのひとつだ。
合開始の瞬間に向けて、会場内全てが意識を集中するのだ。
故に静けさが場内を包もうと、昂る熱気は抑えられない。
鍋の中で煮え滾る湯が、重い鉄の蓋を圧力で持ち上げんとする有様にも似ている。
その瞬間に向けて、皆が集中してゆく。
ジリジリと、ギリギリと、その一点に向けて集中してゆく。
熱と圧力が高まり続けて、そして。
司会の男が絶叫した。
「始めェッ……!!」
◆ ◇ ◆ ◇
開始の宣言に伴って湧き上がる、貴族達の叫びと歓声が響き渡る中。
ナヴゥルは鋼鉄製の戦斧を旋回させると斧刃を前方へ、下段に構えた。
軽く膝に溜めを作り、僅かずつ距離を詰めてゆく。
慎重かつ冷静な立ち上がりだ。
過去に見せた、序盤から一気呵成に攻め立てるスタイルは鳴りを潜めている。
しかし攻めに転じた際の火力と正確性は、以前より遥かに増している。
このスタイルこそが、ナヴゥルにとっての最適解である事は明白だった。
対するオランジュは右手に握った木の棒を、下方へ垂らしたままの棒立ちだ。
構えも何も無い、無防備としか言いようが無い。
闘技場内に渦巻く熱気が、ドレスの裾を淡く揺らめかせるのみだ。
しかしこの立ち姿のままにオランジュは、相手の攻撃を全て見切り、捌き切るのだ。
過去の仕合、全てに於いてそうだった。
その上で放たれる必殺のカウンター一閃。
それがオランジュの、絶対的な戦闘スタイルだった。
おもむろにオランジュは、ゆったりとした足取りで歩き出した。
ジリジリと摺り足で移動するナヴゥルと違い、散策でもするかの様な気楽さだ。
一切警戒する事無く接近し、下段に構えたナヴゥルの戦斧をどの様に回避するのか。
互いの距離は六メートルしか無い、加えてナヴゥルの戦斧は二・五メートルだ。
程無くして射程に入ってしまうだろう。
それでもオランジュは気にした風も無く、歩みを止めない。
あと二歩でナヴゥルの射程――そのタイミングで。
すっ……と、ナヴゥルが後退した。
自ら距離を取るナヴゥルの姿に、観覧席はどよめく。
やはり圧倒的な火力で、強引に攻め立てるイメージが強いのだ。
それでも失望の気配などは感じられない。
どの様な形で攻めに転じるのか、期待の方が強い。
敗戦を経てからの数試合で、ナヴゥルに対する貴族達の評価は格段に上がっていた。
ただ――そういった事柄を踏まえてなお、相手は『レジィナ』オランジュだ。
圧倒的な女王として一〇年以上『グランギニョール』に君臨し続ける存在だ。
オッズの数値も、オランジュ勝利を予想する者の多さを示していた。
それだけに敗戦を乗り越えて生まれ変わったナヴゥルが、どこまでオランジュに迫るのか、一矢報いるのか、或いは奇跡の勝利を捥ぎ取る事が出来るのか――貴族達の期待は、大きなものとなっていた。
進むオランジュ、退くナヴゥル。
三メートルほどの距離を保ったまま、二人は静かに移動して行く。
近づけば下がり、近づけば下がり。
これを幾度か繰り返す。
しかし移動する二人が、仕合開始地点に戻った、その瞬間。
ナヴゥルが猛然と、踏み込んでいた。
低く、大きく、速く。
静から動への急激な転換は、目視に能わぬものだった。
戦斧の先端部を用いた、必殺の刺突であった。
狙いはオランジュの胴体、水月の辺りだ。
正中線であり、瞬間的な回避の難しい箇所と言える。
その鋭くも厳しい一撃に対しオランジュは、手にした木の棒を軽く差し伸べた。
斜めにカットされた棒の先端が、霞むほどの勢いで迫る分厚い斧刃の縁を捉える。
――と、同時に。
オランジュの身体は軽々と空中に浮き上がった。
圧倒的な力で突き出された戦斧の勢いを、木の棒で受け止め、後方へ飛んだという事か。
オランジュは七メートルほどの距離を低い軌道で飛び、やがて爪先から音も無く着地した。
仕合開始直後と何ら変わりの無い、鷹揚な立ち姿で微笑んでいる。
ただ、手にした木の棒の先端が、丸く潰れ掛けていた。
重厚な戦斧の一撃を、正面から受け止めた為か。
オランジュは愉しげに眼を細めつつ、呟いた。
「少しは愉しめそう……かも?」
・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。
・オランジュ=マルセルが錬成した最強のコッペリア。『レジィナ』の称号を持つ。




