第一七二話 博打
前回までのあらすじ
エリーゼの奸計によってシスター・カトリーヌの眼前に誘い込まれ、精神的圧力を掛けられるマグノリア。そのままシスター・カトリーヌを巻き込む形で、危険なチキンランに持ち込まれてしまう。
哀願と悲嘆に掠れた声が、刃を振るうマグノリアの数メートル後方から響く。
闘技場の外壁奥に設けられた『待機スペース』からだ。
鉄柵で区切られたその向こう――シスター・カトリーヌだった。
「もう嫌ですっ……もう止めてっ……! エリーゼッ……! シスター・マグノリアッ! もう止めてっ……お願いっ……!」
悲鳴にも似た叫びが、マグノリアの胸に深く突き刺さる。
こんな凄惨な場面に、居合わせて欲しくは無かった。
こんな無残な場面を、目の当たりにして欲しくは無かった。
エリーゼの『詐術』によって、この状況に引き摺り込まれた。
カトリーヌの眼前で刃を交えるべく誘導された。
悪辣極まりない奸計だ。
マグノリアは得物を振るいながら、エリーゼを睨みつける。
その視線を受け止めるエリーゼに、迷いの色など一切無い。
濡れ光る紅い瞳でこちらを見据えたまま『強化外殻』に包まれた両腕を振るい、ワイヤーを自在に操作する。
放った『詐術』が、己の敗北と破滅を賭けた『両刃の剣』である為か。
対等以上のリスクを背負っての仕掛けである以上、恥じるべき点など無いという事か。
もしそうであるなら、エリーゼの価値観は狂っているの一語に尽きる。
あらゆる闘争に慈悲など無いとしても、その発想は在り得ない。
空中を舞う一四本ものダガーは、留まる事無くマグノリアを襲い続ける。
エリーゼが繰り出す全身全霊の全方位攻撃だ、強烈無比にして苛烈極まりない大技だ。
だが、大技を支えるべきエリーゼの両腕は傷つき、消耗し、危うい状態にある。
加えて全身至る所にダメージを負い、濃縮エーテルが傷口から染み出し続けている。
故に、放たれる攻撃に確実性が伴わず、不確実な偶発の可能性をはらんでいる。
それこそがエリーゼの狙いだ。
偶発はマグノリアの卓越した『見切り』と『先読み』の能力を阻害する。
エリーゼの『意思』が伴わぬ、予想外の挙動だからだ。
全身を蝕むダメージがそのまま、マグノリアに対する刃を化している。
それでもマグノリア自身に向けられた攻撃なら、対応出来る。
向かって来る刃なら、どの様な形であっても反応は可能だ。
が、自身に向けられた攻撃では無い場合、反応は鈍る。
その状況から導き出される最悪の展開は――
「……ッ!」
激しい攻防の最中、交錯するダガーの一本が、また不意に後方へと逸れた。
床すれすれの位置から跳ね上がる様に、マグノリアの後方へ。
そこにはカトリーヌがいる。
制御を失ったエリーゼのダガーが、カトリーヌのいる『待機スペース』目掛けて――
――これが二度目の、これが『偶発』であり『事故』だ。
これを懸念していた。
「くッ……」
マグノリアは大きく後方へ身を捻り、左手のククリナイフを振るう。
しかし『見切り』と『先読み』が利かぬ失投故に、反応が遅れた。
しかも先の攻防で右脚に突き刺さったダガーが影響し、姿勢も崩れる。
それでも横薙ぎに閃いたナイフが、辛うじてダガーを捉えた。
耳障りな金属音を響かせながら、弾かれたダガーは床の上を滑り転がる。
直後、黒衣を纏う崩れた姿勢に、エリーゼの放つダガー群が容赦無く襲い掛かった。
「しィいいいッ……!」
マグノリアは強引に身体を起こすと上体を捻りながら、右手に握ったダガーを振るう。
エリーゼの使用するダガーを掴み取った物だが、刃渡りは六センチに満たない。
この刃で複数のダガーを同時に防ぎ切る事など至難だ。
二本、三本とダガーを弾くが、最後の四本目が間に合わず、肩口に突き刺さる。
「ちぃっ……」
脚に続いて肩、想定外のダメージにマグノリアは舌打ちをする。
だが、エリーゼの『暴発』も、これで二度目だ。
更に打ち返したダガーを二本、ワイヤーで捕捉できず彼方へ弾き飛ばしている。
万全の状態であれば、全てのダガーを完璧に受け止め、使用し続けるのだろう。
徐々にエリーゼの両腕も、制御が覚束なくなっている。
そうなれば、エリーゼの策が破綻する可能性もある。
ただ、マグノリア自身が防御をしくじる可能性も無視出来ない。
『見切り』と『先読み』の精度が低下している為だ。
なにより――この位置での攻防は、カトリーヌを巻き込みかねない。
いずれにせよ、このままチキン・ランを続け『偶発』の末に決着を待つのは愚策だ。
この状況は、エリーゼが意図的に作り出した状況だ。
『弱体化』と『不殺』の問題を抱えてなお、勝利を手にする為の仕掛けだ。
その上で実際に『偶発』という運否天賦に全てを賭けているとは思えない。
ここから更に一手、仕掛けて来るのかも知れない。
己の両腕が制御不能となる前に。
やはり、こちらから仕掛けるべきだ。
受けに回らず四メートルの距離を『縮地』で詰める、それが最善手。
被弾の恐れは言わずもがなだ。
唯一問題があるとするなら、カトリーヌに対する危険な『偶発』『暴発』だ。
その一点は『賭け』となる。
仕掛けたその瞬間、不慮の『事故』が発生したなら防ぎ切れない。
しかし『賭け』脅えて踏み込まねば勝機を逃す。
或いはそれも、エリーゼの狙いか。
マグノリアは嵐の如くに押し寄せるダガーの閃きを捌きながら、タイミングを図る。
右大腿部に重大なダメージはある、それでも強引に『縮地』を用いる。
その為に、この距離にまで近づいたのだ。
ここで『縮地』を用いればダメージ的に、この仕合中は使用不可能となるだろう。
それでも踏み込むべきタイミングが訪れたなら、確実に踏み込む。
踏み込むべきタイミング――それは飛び交うダガーの位置と角度が可能な限り、カトリーヌを巻き込まぬ形となった瞬間だ。
その瞬間に、全力で飛び込む。
絶好のタイミングを待ちつつ、マグノリアはエリーゼの攻撃を凌ぎ続ける。
交錯するダガーを弾く、叩き落す、打ち据える。
『待機スペース』へと飛び込み掛けたダガーも、確実に弾いて飛ばす。
例え読み切れぬ攻撃であっても、極限の集中力で瞬時に反応する。
ただ、飛び込むタイミングを図る間に、エリーゼが何らかの策を設けて来たなら。
後手に回らざるを得ない、確実な対応を取らねばならない。
己か、相手か、刹那に切り替わる勝敗の潮目を確実に見切らねば。
何の前触れも無く、唐突に潮目が訪れた。
弾かれたダガーをワイヤーで受け止める、エリーゼがその操作にしくじったのだ。
それも二本同時に後逸した。
ワイヤーの操作が一瞬、全てディフェンシブに切り替わる。
ミスを警戒した為か。
エリーゼの意識が、視線が、微かに己が後方へと流れるのを感じた。
それは、髪の毛一筋ほどにも満たぬ隙だった。
『縮地』――。
漆黒の姿が、僅か四メートルの距離を詰めるべく流星と化す。
完全なタイミング。
完全な無防備。
その瞬間を突いた。
四メートルという短距離から繰り出される、圧倒的な速度。
もはや小手先の技術は問題とならない。
このまま左腕を突き出し、エリーゼの胸へ――
――同時に。
目標となるエリーゼの姿が、眼前から消えた。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・マグノリア=『マリー直轄部会』所属の強力なオートマータ。カトリーヌの恩人。




