第一七〇話 卑劣
・前回までのあらすじ
闘技場の壁際に追い込まれたエリーゼは、しかし逆にマグノリアを自陣営の『待機スペース』前に誘導していた。己の背後で悲鳴を上げるシスター・カトリーヌの存在にマグノリアは動揺する。
「エリーゼッ! エリーゼッ! もうやめてっ……!」
マグノリアのすぐ背後――『待機スペース』の奥で、カトリーヌが叫ぶ。
取り乱すカトリーヌを、レオンが押し留める。
「下がって、シスター・カトリーヌッ……! 危ないから下がるんだ……!」
「もう嫌ですっ……こんなの間違ってるっ……! シスター・マグノリアッ……! エリーゼを、エリーゼを助けてっ……!」
それでもカトリーヌの悲痛な叫びは止まらない。
理由は明白だ。
友人であるエリーゼが全身に傷を負い、血塗れの姿で目前に飛び込んで来たのだ。
しかもエリーゼを仕留めんと刃を振るうのは、命の恩人であるシスター・マグノリアだ。
どちらもカトリーヌにとって大切な存在だ。
そんな二人が、血で血を洗う凄惨な戦闘を繰り広げている。
心優しいカトリーヌにとってこれは、耐え難い状況だろう。
どれほどの決意でこの仕合と向き合い、心を鬼にして臨んだとしても。
本心からこんな仕合を望んでいる筈も無いのだ。
カトリーヌの脳裏には、南方都市・マウラータの燃え上がる街並みが広がっていた。
爆炎と火薬の臭い、人の燃える臭い、真っ赤な血の色、蜂の巣を思わせる弾痕、業火。
忌まわしい戦災の記憶が、脳裏に次々とフラッシュバックしていた。
トラウマが蘇るほどの、強烈なストレスだった。
「もう止めてっ……止めて下さいっ、お願いですっ! シスター・マグノリアッ! お願いっ、助けてっ……! こんな事、何かの間違いなんですっ……!!」
悲鳴にも似たカトリーヌの声が、背後から響き続ける。
マグノリアは歯噛みしながら、エリーゼを睨みつけた。
恐らくエリーゼは、こうなる事を予想していた。
この状況を、この状態を、カトリーヌの心理を、予想していた。
予想した上で己が『詐術』に利用、こちらの精神を揺さぶるべく利用した。
「貴様はっ……」
卑怯。卑劣。
それは、戦場ならば当たり前の行為だ。
難民を盾に戦闘を行う者など幾らでもいた。
非常時に下衆な本性を覗かせる人間を何度も見て来た。
それが『戦闘』『闘争』に於ける常道なのだ。
ならばエリーゼはどうか。
血染めのドレスを纏い、片膝を着き、左右の腕を躍らせている。
幾筋ものワイヤーが行き交う煌めきの奥から、紅い瞳でこちらを見つめている。
一点の曇りも無い紅い瞳が、キラキラと濡れ光っている。
どの様な後ろめたさも、後ろ暗さも感じ取れない。
濁りも曇りも無い、澄み切った眼差しだ。
マグノリアの胸中に怒りの感情が湧き上がる。
何故、そんな眼が出来る!?
上下左右、あらゆる角度から撃ち込まれるスローイング・ダガー。
疾風の如くに、閃き煌めく刃の数は一五本。
マグノリアの右手に握られた一本を除き、エリーゼは全てのダガーを使用している。
戦闘の最中に弾き飛ばされたダガーをも全て回収し、用いているのだ。
この場所――エリーゼ陣営の介添え人が居並ぶ『待機スペース』前。
ここが、弾き飛ばされ放置されたダガーを回収するのに、最も効率的な場所だった。
更には闘技場を観覧席と隔てる高さ五メートルの壁が、背後に切り立っている。
この壁に阻まれ、観覧席へダガーを叩き込むという、威嚇と陽動も出来なくなった。
そして何より『待機スペース』の内側で取り乱す、シスター・カトリーヌの存在。
これら全てがエリーゼの『策』――『詐術』であるなら。
いったいどの段階からの仕掛けであったのか。
「かあッ……!!」
マグノリアは渾身の力で左右の得物を振るい、押し寄せる刃の弾雨を弾き続ける。
四方八方に火花が飛び散り、硬質な金属音が響き渡る。
その音も、火花も、全く途切れない。
それでもエリーゼの攻撃は澱み無く、止め処も無く延々と続く。
フック付きワイヤーにてダガーを射出し、弾かれたダガーをワイヤーにて即座に捉え、再び猛然と射出する。
ランダムに飛び交う一五本ものダガーは、完全な形でエリーゼに操作されている。
序列四位だったコッペリア『グレナディ』を沈めた大技だ。
恐るべき技量であり、恐るべき精度、狂気のジャグリングだった。
「はッ……!」
それでも。
それでもエリーゼの攻撃は、マグノリアの鉄壁を打ち破る事が出来ない。
極限の経験値と、極限の空間把握能力がもたらす、圧倒的な『先読み』と『見切り』。
人知を超えた二つの能力が、スローイング・ダガーの全方位攻撃すらも凌ぐのだ。
いや、それだけでは無い。
エリーゼの全方位攻撃には、大きな問題が二つあった。
まず、マグノリアの背面を脅かす攻撃が出来ない。
高さ五メートルの壁に加えて『待機スペース』がある為だ。
つまり完全な全方位攻撃となっていない。
更にエリーゼは、未だ頭部と胸部への攻撃を避けている。
この期に及んでなお、不殺に拘り続けているという事か。
マグノリアはそう思う。
ここまで狡猾な『策』を用いながら、シスター・カトリーヌとの約束に拘るのか。
ふざけた矛盾だ。
そんな矛盾を抱えたままで勝てるほど――
「甘く無いッ……」
矢継ぎ早に撃ち込まれるスローイング・ダガーを、マグノリアは全力で弾き、叩き落し、撃ち返しながら、じわじわと前進する。
前進すれば背後にスペースができ、そこから攻撃される可能性もある。
だが、それを恐れていてはエリーゼを討ち取れない。
現在の彼我距離は六メートル、これを四メートルまで詰めたなら。
一気に『縮地』で突っ込む。
多少のダメージを受けたとしても問題無い。
距離が詰まれば、この全方位攻撃も使用不能となる。
そしてこの、身も心も引き裂ける様な泣き声も聞こえなくなる。
シスター・カトリーヌの声だ。
「嫌だッ……エリーゼッ! もう……こんな事ッ……嫌ですッ、シスター・マグノリアッ……! エリーゼをッ、エリーゼを助けてッ……! こんなの間違ってるッ……!」
解かっている。
エリーゼは、シスター・カトリーヌの友人なのだ。
だからこそシスター・カトリーヌは、血に塗れたエリーゼの姿に取り乱すのだ。
だからこそエリーゼも、矛盾に満ちた不殺を貫こうとしているのだろう。
しかしエリーゼは、『神聖帝国ガラリア』の安寧を揺るがしかねない存在だ。
『タブラ・スマラグディナ』は、存在してはならない遺物だ。
『神聖帝国ガラリア』の安寧を護る事こそが、私の存在意義だ。
『教皇マリー』が御座す『神聖帝国ガラリア』の安寧は護らねばならない。
シスター・カトリーヌには悪いが――エリーゼを討ち果たす事は決定事項だ。
「……己が裡に在る尺度に照らしッ!」
マグノリアは低く言葉を発すると、左右の刃を振るう。
甲高い音を立てて、スローイング・ダガーが弾け飛ぶ。
黒衣の周囲がオレンジ色の火花で彩られる。
「私は道を違えぬッ……!」
じわりとまた一歩、マグノリアは歩を進める。
この仕合を決着すべく、エリーゼに近づく。
「事に於いて胸を張れると――」
片膝を着いた姿勢でワイヤーを操作する、血塗れのエリーゼを睨みつける。
斬撃を受けた左腕から、濃縮エーテルと水蒸気が溢れ出している。
針の一撃を受けた右腕を覆う外殻からも、水蒸気が漏れ出している。
「そう信じて此処に在るッ……!」
更に一歩、マグノリアは歩を進める。
残り一歩、踏み込めば『縮地』の射程圏内だ。
一気に『縮地』を仕掛け、仕合を決着する。
その時。
エリーゼの放つスローイング・ダガーの一本が、マグノリアの顔面目掛けて飛来した。
その攻撃は今までの攻撃と違い、気配を感じさせぬ、奇妙な鋭さを秘めていた。
――が、マグノリアは、その一撃を確実に弾いて飛ばす。
次いで撃ち込まれたダガーもまた、急所である胸部に向かって放たれる。
この一撃も驚くほどに鋭く、剣呑なほどに意思を感じさせぬ攻撃だった。
それでもマグノリアは、その攻撃をククリナイフで叩き落す。
――窮したか。
放たれ続けるダガーを火花と共に次々と弾きながら、マグノリアは思う。
距離を詰められる危険を察し、不殺の禁を破る事で事態の打開を図ろうとしたか。
だが、この期に及んでの方針変更はいかにも『逃げ』だ。
確かに先の急所を狙う攻撃は、予想外に危険だった。
害意、殺意――そういった感情を一切匂わせぬ、危うい鋭さを伴っていた。
しかし、視界内から放たれる攻撃であれば対処可能だ。
所詮は及び腰の殺意だ、この私には届かない。
否。
矛盾を抱えて仕合い、苦し紛れの殺意を振りかざす以上は。
正道の前には決して――
またもや、マグノリアの胸部へ剣呑な一撃が閃く。
鉄壁の如くにそれを撃ち返す。
在り得ないのだ、生半可な殺意が私の命に届く事など、決して。
刹那。
立て続けにダガーが二本、新たに撃ち込まれた。
しかし、それら二本は、共に的を外していた。
マグノリアの脇を逸れた。
そのまま後方へと――
「……っ!?」
マグノリアは眼を見開いた。
大きく姿勢を崩し、強引に腕を伸ばすと得物を振るった。
火花が二つ飛び散り、後方へ逸れたダガーは弾かれる――その直後。
地を這う角度から放たれた別のダガーが、マグノリアの右大腿部に深々と突き刺さった。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・マグノリア=『マリー直轄部会』所属の強力なオートマータ。カトリーヌの恩人。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。




