第一六八話 慮外
・前回までのあらすじ
強敵・マグノリアに全ての攻撃を回避され、距離を詰められては攻撃を受け、逃げ場を失ってゆくエリーゼ。ついには闘技場と観覧席を区切る外壁、その際にまで追いつめられるのだった。
エリーゼは闘技場と観覧席を隔てる外壁の際にまで後退し、片膝を着いている。
白銀の『強化外殻』に包まれた右の腕も、下方へ垂れたまま動かない。
マグノリアの針による攻撃を受け、左脚と右腕の機能を奪われているのだ。
加えて白いドレスを纏う小さな身体は、幾つもの擦過創に塗れている。
それでもエリーゼは左腕を振るい、自身の周囲に四つの光球を漂わせる。
特殊ワイヤーにて操作され、高速旋回を以て滞空する四本のスローイング・ダガーだ。
しかしワイヤーを操る左腕も負傷しており、紅色の濃縮エーテルが染み出している。
ククリナイフによる一撃にて『強化外殻』ごと斬り込まれた為だ。
満身創痍であり敗色濃厚――そう形容するしかない状況だった。
対するマグノリアは全くの無傷だ。
黒い修道服の裾をなびかせては、一〇メートルの距離を悠々歩いて近づく。
右手には攻撃箇所の『神経節』にダメージを与え、動きを縛る事が可能な長針。
左手には重く分厚く切れ味鋭い鉈の如き刃の有したククリナイフ。
鈍く光る黒曜石を思わせる瞳が、傷つき膝を着いたエリーゼの姿を映している。
その視線は刺す様に鋭く、一切の迷いが無い。
ゆっくりと前進する黒衣の速度は一定であり、澱み無い。
あらゆる攻撃に対する備えを完全に終えている様で、一片の隙も無い。
必殺の気配を全身に漲らせていた。
近づくマグノリアの姿を見据えたまま、エリーゼは左腕にてダガーを操作する。
銀色に煌めきながら、四つの光球は空中にて揺れる。
こちらから攻めるのか、あるいは迎撃するのか。
互いの距離が七メートルに達した時。
銀色の閃光が闘技場の外壁に沿って奔った。
エリーゼがワイヤー付きのダガーを放ったのだ。
直後、外壁に沿ってエリーゼの身体が跳ね上がる。
外壁に連なる石材の隙間を、ワイヤーフックで捉えての牽引跳躍だ。
「……逃さんっ」
同時にマグノリアも疾駆した。
このまま見過ごす筈も無い、当然の追撃だ。
エリーゼは壁伝いに跳躍を繰り返し、着地する事無く横へ横へと移動する。
その移動は軽快であり素早い――が、マグノリアの疾駆に勝る事は無い。
瞬く間に二人の距離が詰まる。
「……っ」
眼前に迫るエリーゼの白い姿を睨みながら、マグノリアは再び思考する。
距離が詰まれば、間違い無く自分が有利となる。
観覧席に逃げ込む事は出来ない、闘技場からの逃亡は反則であり敗北だ。
ならば、なぜエリーゼは退路の無い壁際まで後退したのか。
何も考えずに後退を重ね、切羽詰まっているとは考えにくい。
壁伝いに移動し、腕を振るうエリーゼは、そういう表情をしていない。
つまり、何らかの策があるという事か。
状況を一変させ得る様な策で無くとも、少なくとも反撃の足掛かりとなる様な策が。
「……っ!!」
マグノリアは左手のククリナイフを構えつつ更に加速し、そして気づく。
戦闘中にワイヤーが切れ、放棄されたダガーが周囲に幾つも転がっているのだ。
それなりに離れた場所にではあるが、数にして六本。
これを密かに回収し、不意打ちという形で使用する事も出来るだろう。
移動しながらワイヤーを伸ばし、背後から不意を打つ――そういう使い方が可能だ。
エリーゼの手元に残るダガーは一〇本、それらを全て使い切ったと油断を誘い、そこから放棄された六本のダガーを用いて反撃に出る、そんな手段も在り得る。
そういった策か。
とはいえその可能性に気づいた以上、もはやダガーによる不意打ちは成立しない。
反撃の糸口など掴ませる事無く、このまま圧し切る。
エリーゼは逃れようと跳躍を続ける。
転がるダガーを効率良く、フック付きワイヤーで回収出来る位置にまで移動するつもりか。
だが、それを許すマグノリアでは無い。
遂に追いつき、エリーゼをククリナイフの射程に捉える。
一切逡巡無く、重く鋭い刃が風を切り裂き閃いた。
「はァッ!」
狙うは壁に沿って移動するエリーゼの右脚だ。
恐るべき神速の一閃――だがエリーゼは、これを辛うじて回避する。
背中に装備した『ドライツェン・エイワズ』よりワイヤーを下方へ飛ばし、床の石板を捉えると牽引、加速しながらに落下しつつ身体を捻ったのだ。
しかし完全な回避とはならず、腰から脇腹に掛けて一筋、鮮やかな紅色が飛び散った。
「しィッ……!」
マグノリアは追撃すべく、右手の長針を突き出そうとする。
――が、その攻撃を停止する。次いで長針が放棄される。
そして次の瞬間、自由となったマグノリアの右手はダガーを鷲掴みにしていた。
マグノリアの足元へ逃れたエリーゼが、大腿部に巻かれたベルトからダガーを抜き出し、投擲した物だった。
その一撃を、マグノリアはあっさりと掴み取っていた。
「ふンッ……」
攻撃の瞬間にすら隙が無い。
完璧な『見切り』。
予知能力に近い『先読み』。
『経験則』に裏打ちされた絶対防御。
これを崩し得るコッペリアなど、もはや存在するとは思えない。
「しィいいいッ!!」
床へ逃れたエリーゼを追撃すべくマグノリアは踏み込みざま、身体を低く沈み込ませる。
そこから薙ぎ払う様にククリナイフを振るった。
迫り来る白刃をエリーゼは、またもやフック付きワイヤーによる牽引にて回避する。
ただ、これも僅かに間に合わず、白磁を思わせる艶やかな頬に傷が一筋刻まれる。
構う事無くエリーゼは、二度、三度と『ドライツェン・エイワズ』に備わる小型の金属アームからワイヤーを繰り出しつつ右脚一本で跳躍、壁に沿って後退し、マグノリアから距離を取ろうとする。
「はァああああッ!!」
マグノリアは距離を取る事を許さず、刃を振るいながらに追い詰める。
振るわれた刃が、ドレスを纏うエリーゼの胸元を切り裂く。
背筋を掠めて紅色を描く。
更には右手に掴んだままのスローイング・ダガーを用いて刺突する。
エリーゼの首筋に危険な傷が刻まれる。
もはやここから逆転の手段があるとは思えない。
エリーゼの纏う白いドレスが、紅色に染まるほどの劣勢だ。
ただ、この状況にマグノリアは既視感を覚えていた。
純白のドレスが、紅色に染まるほど追い込まれ。
あと一押しで勝てると、仕合う相手は仕留めに掛かり。
そこから逆転するというエリーゼの――『エリス』の仕合を四度観た。
――ならば、この状況はどうだ。
過去に観た『エリス』の仕合、あの再現では無いのか。
否。
否であると感じる。
『エリス』は明確に弱体化している、それは間違い無い。
加えて左脚と右腕が使えぬという現実、これは覆らない。
ここからどう反撃に出るのか。
私の精神は張り詰めている。
神経は研ぎ澄まされている。
そして『エリス』の手口は把握している。
何か策があったとしても、この『死地』を完全に脱する事など出来よう筈も無い。
むしろ今の様な迷いが、精神的な死角を生み、判断を誤らせる可能性に繋がる。
ここで決めるべきだ。
迅速に、圧倒的に、一気呵成にマグノリアは攻め立てる。
全身を躍動させながら刃を閃かせる、ダガーにて突き込む。
エリーゼは身を捩り、捻り、それでも被弾を重ねながら、逃れる。
右へ、左へ、ワイヤーでの牽引に跳躍を併せ、無理矢理に逃れ続ける。
超近距離故に反撃の余裕すら無い。
その上、片脚と片腕が機能していない。
もう、どうする事も出来ない。
逆転する事など、絶対に不可能――
不意にエリーゼが、鋭く叫んだ。
「シスター・カトリーヌッ! ご主人様ッ! 危険ですッ!」
「……ッ!?」
その声を聞いた直後。
ガシャンッ……と、衝撃的な金属音が響いた。
エリーゼが鉄柵に身体をぶつけたのだ。
鉄柵――闘技場と『待機スペース』を隔てる鉄柵だ。
マグノリアは視界の隅に、黒いラウンジスーツ姿の青年を捉える。
更にその後ろ――『待機スペース』の奥で、ベンチから立ち上がる濃紺の修道服。
「エリーゼッ? ……エリーゼッ!?」
「……ッ!!」
シスター・カトリーヌが、大きな眼に涙を浮かべ、悲痛な声を上げた。
その瞬間をマグノリアの眼は、はっきりと捉えていた。
刹那――エリーゼは鉄柵を離れ、闘技場側へと大きく跳躍する。
跳躍しながら『強化外殻』に包まれた両腕を、左右に大きく広げた。
左腕が踊る。
更には、動かぬはずの右腕も踊る。
指先まで流麗に、しなやかに踊る。
同時に複数の風切り音が響き、幾筋ものワイヤーが空間を疾走り抜けてゆく。
「……ッ!?」
マグノリアは動揺を噛み殺しつつ態勢を整え、首を巡らせる。
見据えた先には床の上にて片膝を着く、血塗れのエリーゼ。
濡れ光るピジョンブラッドの瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
・マグノリア=『マリー直轄部会』所属の強力なオートマータ。カトリーヌの恩人。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。




