第一六七話 壁際
・前回までのあらすじ
マグノリアの針による攻撃を受け、左脚と右腕の機能を制限されたエリーゼ。マグノリアは有利に仕合を進めながら、過去に観た『エリス』と現状のエリーゼとの違いに、エリーゼの弱体化を感じ、幾許かの怒りを感じつつも冷静に必勝を狙う。
エリーゼは後方へ跳躍し、マグノリアから距離を取ろうとする。
しかし左足首が動かぬ為、十分な跳躍は望めない。
故にフック付きワイヤーを用いた牽引を併用する。
とはいえ右腕も動かず、左腕は迫り来るマグノリアへの牽制攻撃に使う必要がある。
後方へのワイヤー投擲は、背中の特殊武装『ドライツェン・エイワズ』に設けられた小型金属アームを用いるしか無いが、金属アームは蒸気駆動であり、投擲距離は決して長くない。
安全圏まで一気に後退出来ないという事だ。
次善の策としてエリーゼは、三メートルほど後方に敷かれた床石の縁を、投擲したフックで次々に捉え、短い跳躍を重ねつつ、左右に蛇行しながら後退する。
蛇行しているのは、マグノリアの『縮地』を警戒しているのだろう。
そして退きながら左腕を波打たせ、ワイヤーに繋いだダガーを牽制の為に放つ。
逃げるエリーゼを追って、マグノリアは疾駆する。
飛来するダガーを、左手のククリナイフで乱暴に弾き飛ばしながらの猛追だ。
ダガーはワイヤーに繋がれており再び攻撃に使用されるだろうが、激しく弾かれたなら直後の反撃は不能となる、そう見越した上での強打だろう。
また、蛇行するエリーゼの動きに振り回されぬ様、『縮地』は使用していない。
それでもエリーゼとの距離は徐々に詰まってゆく。
着地と跳躍を繰り返す後退ではタイムラグが発生する。
『縮地』など使う必要が無いという事か。
「……っ」
この窮地を脱すべくエリーゼは、更に迎撃のダガーを放つ。
同時に二本、次いで時間差で二本。
放たれたスローイング・ダガーは、鋭利な軌跡を空間に刻みつける。
そのままマグノリアの頭上を、足元を、危険な煌めきとなって一気に脅かす。
「……ふんっ!」
――が、マグノリアはこれを全く問題としない。
ククリナイフの無造作な一閃が、確実にダガーを打ち据え、寄せ付けない。
足元へ滑り込んだダガーすら、身体を捻りながらに刃を閃かせ、彼方へと弾く。
エリーゼの攻撃は後退しながら放たれたものだ、精彩を欠いている点は否めない。
その分を差し引いたとしても、マグノリアの反応は凄まじい。
これが四五年という膨大な戦闘経験の蓄積によって培われた能力か。
圧倒的な空間把握能力と行動予測能力――『見切り』と『先読み』の能力という事か。
人間であれオートマータであれ、これほどに戦闘経験を積んだ者は存在しない。
もはや神懸かり的な超反応と言っても過言では無い。
マグノリアを切り崩せる者がこの世に存在するとは、とても思えない。
それほどの領域に達している。
いまやマグノリアとエリーゼの距離は、あと数歩というところにまで迫っていた。
ここまで近づいてしまっては、ワイヤーとダガーを用いた攻撃は危険だ。
先の攻防と同じくワイヤーをマグノリアに逆利用され、腕を絡め取られる恐れがある。
その可能性を察してか、エリーゼはダガーによる攻撃を放棄した。
左腕にて振るうワイヤーも確実な退路確保の為に、後方へと勢い良く飛ばす。
『ドライツェン・エイワズ』の小型金属アームを利用した投擲では距離が稼げない、このままでは逃れ切れないと判断したか。
だがマグノリアの方が速度で勝っているのだ、逃げ切れるものでは無い。
エリーゼは後方へワイヤーを放つと同時に跳躍、牽引に任せて距離を取ろうとする。
そこへマグノリアが、ククリナイフを振り被った姿勢で突っ込んで来る。
着地から跳躍へと移行する一拍の隙を突かれたのだ、完全に射程内に捕らえられていた。
「はァあああッ!!」
ククリナイフの分厚い刃が、唸りを上げて振り下ろされる。
狙いはエリーゼの首筋か。
跳躍は間に合わず、身体を捻りダメージの軽減を図ろうとククリナイフの一撃は甚大だ。
致死に至るこの一撃に対し、エリーゼはどう抗するのか。
何の躊躇も無く、左腕が突き出される。
『強化外殻』で覆われた左腕を盾に、刃を弾くつもりなのだ。
更には前腕部の防御力を上げるべく、外殻には特殊ワイヤーが幾重にも巻きついていた。
そこへ斬光一閃。
鉄と鉄が擦れる耳障りな音が甲高く響き、細かな火花が飛び散った。
同時に――深紅の飛沫が花咲くように飛び散った。
マグノリアの一撃が『強化外殻』の装甲を切り裂き、エリーゼの前腕にまで達したのだ
「……っ」
決して浅くは無い傷だ。
裂けた『強化外殻』の隙間から、蒸気と濃縮エーテルが吹き零れている。
が、この一撃にてマグノリアは僅かに姿勢を崩していた。
そう――エリーゼは左前腕を、ただ差し出していたのでは無い。
絶妙な角度でククリナイフの刃を受けると同時に、滑らせていた。
マグノリアの全力をギリギリで受け流していたのだ。
でなければエリーゼの手首から先は、斬り飛ばされているところだった。
いずれにせよエリーゼは、この攻防で大きく後方へ退く事に成功する。
――とはいえこれは、成功と呼べるのか。
エリーゼが逃れた先は、円形闘技場の外壁から数メートルも離れてない場所だ。
左右に蛇行していたとはいえ、後方跳躍を何度も繰り返したのだ、既に後が無い。
マグノリアとの距離を取る為に、もはやこれ以上の後退は望めない。
だからこそマグノリアは左腕への一撃を加えた後、姿勢を崩した状態から無理に追撃を仕掛けなかったのだ。
いや、それだけでは無かった。
それと同時にマグノリアは、エリーゼの退避について思索を巡らせていた。
後が無くなるほど退く――こんなミスを、果たしてエリーゼが犯すのか。
あの『エリス』が、たとえ弱体化したとしても、こんなミスを犯すのか。
この後の無い状況に、追い詰められた状況に、何か仕掛けがあるのでは無いか。
既に『エリス』の幻影など振り切ったつもりでいた。
一〇メートルほど離れた外壁の傍で片膝を着き、こちらを見据える白いドレス姿の娘は、もはやただのオートマータだ、『エリス』などでは無いと。
にも関わらず、迷いが生じる。
迷いを払拭出来ない。
――と。
濃縮エーテルの紅に染まる、白銀の『強化外殻』に包まれたエリーゼの左腕が踊った。
マグノリアの耳に、微かな風切り音が響いた。
「ふっ……!」
マグノリアは鋭く跳躍すると空中にて高速で前転、左腕のククリナイフを振るう。
回転するマグノリアの周囲を煌めきが覆い、同時に四つの火花が飛び散り弾けた。
弾き飛ばされたのは、エリーゼが放ったダガーだ。
後退を繰り返す中で放棄したダガーを引き寄せ、マグノリアの後方を脅かしたのだ。
足元へ、腰へ、背中へ、肩口へ。
しかしマグノリアはそれら四ヶ所への攻撃を、驚くほどあっさりと跳ね返した。
膨大な実戦経験によって培われた『空間把握能力』と『行動予測能力』は、極限まで研ぎ澄まされ、張り詰めた状態にある事が理由のひとつ。
加えてエリーゼに撃ち込まれたダガーの威力が明らかに衰えていた為だ。
死角を突いた背後からの攻撃であっても、その切っ先が鈍ければ防御など容易い。
この鈍さは『強化外殻』ごと斬りつけられた、左腕のダメージに起因するものか。
左腕のダメージが深く、ダガーとワイヤーを正確に操作出来ずにいるのか。
――或いは、そう思い込ませる為の策か。
そういう詐術を以て、無理攻めを誘う手なのか。
いや――追い詰められたこの状況で、背後からの攻撃を敢えてしくじる必要など無い。
片腕片脚が利かぬ状況、好機を見送ってまで危険な策を仕掛けるとは思えない。
だが、それでも。
「――『墓場鳥のエリス』、やはりその身に毒を有するか」
マグノリアは低く呟く。
エリーゼの――『エリス』の手口を知るが故、迷いが生じる。
エリーゼの弱体化を確信してなお、迷いが生じる。
詐術という『毒』、その手口を知ればこそだ。
正誤の際を常に疑いながら戦う、その事を強いられている。
それこそが『詐術』と『エリス』の危険性なのかも知れない。
「しかし」
何がどうであっても。
必勝必殺以外に辿るべき道など無い。
『詐術』の危険を知るならば、その点も踏まえて対応するのみだ。
慎重に、正確に、確実に。
全神経を集中し、この状況を終了させる。
すべき事は何も変わらない。
「ここで仕留める」
後の無いエリーゼの方へ、マグノリアはじわり締め上げるが如く、静かに歩き始めた。
・マグノリア=『マリー直轄部会』所属の強力なオートマータ。カトリーヌの恩人。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。




