第一六六話 幻滅
・前回までのあらすじ
必殺の逆風にてカウンターを取る様に反撃したもの回避され、左脚に続いて右腕の機能まで奪われたエリーゼ。絶体絶命のエリーゼを確実に追い詰めるべく、マグノリアは改めて距離を詰める。
『待機スペース』の鉄柵に手を掛けて立つレオンは、状況の悪さに唇を噛んだ。
もはや疑いようも無く、エリーゼは追いつめられている。
エリーゼの危機的状況を、レオンは『疑似信号』として体感している。
右義肢に内蔵された『知覚共有処理回路』が、エリーゼの身体に生じた異変を伝える。
エリーゼの左脚と右腕が、正常に機能していない。
以前、ヨハンが語っていたマグノリアの技――『石化』だったか。
『バジリスク』の伝承に倣った技であり、相手の動きを『針』で縛るのだという。
恐らくは手にした針で体内の『神経節』に干渉、その機能を制限しているのだろう。
レオン自身も右腕切断の『事故』に遭った際、その技術を体験している。
マグノリアに打ち込まれた『針』の効果で、完全な痛覚の抑制と止血が促された。
恐らくあの治療技術を、戦闘に応用した技なのだ。
つまりエリーゼはマグノリアと交錯した際、左脚と右腕を攻撃されたという事か。
針による攻撃、これほどの効果を発揮するとは。
痛みも無く、感覚も無く、何か重りをぶら下げられたかの様な。
これを実際に体感しているエリーゼは……果たして戦えるのか?
もし――万が一の場合、エリーゼには合図を送る様に伝えてある。
背中に装備した『ドライツェン・エイワズ』、これを解除する事が敗北宣言の合図だ。
しかしエリーゼは、戦闘続行の姿勢を崩さない。
左腕のみでフック付きワイヤーを操り、ダガーを用いた迎撃状態を維持している。
エリーゼが勝算も無く、闇雲に戦闘続行を選択するとは思えない。
敗北しても構わぬという様な、そんな戦闘を行う事は無い。
仕合を続行する以上は、勝算を以て全身全霊を尽くす筈だ。
エリーゼの言動、思考、これまでの仕合ぶりを考慮するなら、そうだ。
ならばまだ、介添え人の立場から勝手に仕合放棄を宣言するわけにはいかない。
「レオン先生、出力される数値に異常が見られます、これは……」
背後のベンチに座るカトリーヌが、上擦った声を上げる。
焦りと動揺の色が滲む声音だ。
彼女とドロテアに『知覚共鳴処理回路』の制御を頼んでいる以上、当然だ。
『小型差分解析機』から出力されるデータを、偽る事など出来ない。
レオンは肩越しに振り返ると、緊迫した様子のカトリーヌを見遣る。
「大丈夫だ、シスター・カトリーヌ。エリーゼも僕も、まだ大丈夫だ」
その言葉が気休めに過ぎないという事は、カトリーヌも既に気づいている筈だ。
レオンとエリーゼの異変は『小型差分解析機』より出力されるデータで明らかなのだ。
それでもカトリーヌは、口を噤んだまま頷き応じる。
ここで戦闘続行の判断に異を唱えても、場が混乱するだけだと思っての事か。
レオンは心の中でカトリーヌに詫びながら、改めて闘技場の方へ向き直る。
エリーゼはやはり、戦闘続行の姿勢を崩さない。
それはつまり、勝利を目指すという事だ。
この状況にあっても、エリーゼが勝利を目指すというのなら。
それを信じて見守るのみだとレオンは思う。
出来る事は無いが『知覚共鳴処理回路』を介し、エリーゼの為に身を削る覚悟はある。
その覚悟を以て祈りとし、仕合の勝利を見届けようとレオンは考えていた。
◆ ◇ ◆ ◇
マグノリアは疾駆した。
黒い修道服を纏った長身が一瞬にして、漆黒の影と化すほどの加速――『縮地』だ。
『縮地』にて一気に、エリーゼまでの一五メートルを詰めるつもりなのだ。
仮にエリーゼが万全の状態であったなら、ここで『縮地』は選択しなかっただろう。
圧倒的加速を生み出す技の特性上、左右への回避行動に問題が生じる為だ。
カウンターを取らずに使用する『縮地』は危険だと言える。
だが、右腕と左脚に問題を抱えた現状のエリーゼが相手であれば。
左右への回避を考慮せずとも対応出来る、カウンターを取る必要も無い。
確かに懸念すべき事柄はある。
エリーゼの詐術だ。
この状況が、或いは意図的に作り出されたものならば――そういう迷いはある。
しかし真贋の見極めさえ着けば。
もはや恐れる攻撃は無い。
マグノリアはそう判断していた。
エリーゼは石床の上で片膝を着いたまま、勢い良く左腕を振るう。
背後に漂う四つの光球が、激しく弧を描くや否や、閃光と化して流れる。
風切り音と共に振るわれるワイヤーの、強烈な遠心力を得て放たれたダガーだ。
人が目視する事など叶わない、それほどの勢いで空間を切り裂く。
狙うは当然、マグノリアだ。
ワイヤーに操作されたダガーは、鋭角的に蛇行しながら突き進む。
『縮地』にて迫るマグノリアの脚を、腹部を、四本のダガーが狙う。
「……」
その刹那――その刹那の狭間にて、マグノリアは思考する。
エリーゼは仕合開始直後から致死性の高い攻撃を行っていない、そう考える。
頭部や胸部、喉といった部位への攻撃を行わない。
脚や腕、肩口、腹部、ダメージはあれど致死性の低い攻撃ばかりを繰り返している。
足止めが狙いであるにせよ、危険な攻撃を交えてこそ、末端への攻撃は有効なのだ。
怖さの無い攻撃など、読み切る事など容易い。
そこにどの様なブラフ、詐術的な意図があったとしても。
片脚片腕の機能を奪われた状態で行うべき仕掛けでは無い。
こんな仕掛けは無効だ、私には通用しない。
この状況で敢えて、そんな攻撃に拘る理由を考えるとするなら。
エリーゼは本気で『決死決着』を避けるべく、手加減しているという事か。
敗北すれば命を落すという状況でなお、私相手に手を抜いていると。
「しィッ……!」
マグノリアの足元を薙ぎ払う様に、二本のダガーが襲い掛かる。
マグノリアは疾走しながらに身を沈めると、ククリナイフにて一気に叩き落す。
――と、その次の瞬間、更に二本のダガーが間髪置かずに飛び込んで来る。
波打つワイヤーに操作され、左右からマグノリアの背中を狙っていた。
「はあ……ッ!」
マグノリアは低い姿勢のまま、速度を落す事無く、全力で前方に飛び込む。
そのまま身体を捻ると、一切の加減無く、渾身の力でククリナイフを振るう。
硬質な金属音と火花を二つ残し、二本のダガーは驚くほど無造作に弾けて飛んだ。
「……っ」
同時にエリーゼが、勢い良く後方へと退く。
マグノリアの対応に、何かを感じたという事か。
エリーゼは片脚跳躍に加え『ドライツェン・エイワズ』のワイヤー牽引を併用する。
とにかく後ろへ、マグノリアと距離を取ろうとする。
足から着地したマグノリアは、逃げを打つエリーゼを追い、改めて加速する。
加速の最中、僅かに唇を歪めた。
――生ぬるい。
生ぬるいと感じざるを得ない。
エリーゼの対応がだ。
三〇年前に見た『エリス』ならば、こんな対応を行う筈も無い。
いや、数ヶ月前に行われた『グレナディ』との仕合と比較しても、明らかに生ぬるい。
何があったのかは知れない。
だが、もはや疑いようも無く、エリーゼは『弱体化』している。
今の攻防にてマグノリアは、最後の確認を行っていた。
何を行ったか。
エリーゼの放ったダガー二本を、意図的に『観覧席』へと弾き飛ばしたのだ。
それは『グランギニョール』の規約――観覧席へ飛んだ武器等が観客に被害を及ぼした場合、『武器を所有している側』が責任を負う事になる――この規約を利用し、エリーゼの反応を確かめたのだ。
フック付きワイヤーで接続された状態のダガーだ。
故にフックが外れぬ限り、観覧席まで飛ぶ事は無い。
しかし衝撃を受けた際にフックが外れたなら、或いはワイヤーが切れたなら。
間違い無く、観覧席へと叩き込む勢いで弾いたのだ。
その様に意図して弾き飛ばした。
対するエリーゼの反応は『後退』だった。
リスクを犯してでも攻めるという姿勢を見せなかった。
エリーゼの技量と精神性を考慮するなら。
例え片腕の機能が制限されていたとしても、ここで退くという選択はすまい。
それでもエリーゼは退いた。
主であるレオンの、或いは『衆光会』の立場を慮ったか。
もしくは『カタリナ』――シスター・カトリーヌに絆されたか。
いずれにせよ状況を一変させるような、リスクの高い攻撃をエリーゼは選択しない。
例えば『グレナディ』との仕合で見せた攻撃――ワイヤーとダガーをジャグリングの様に用いた、全方位から間断無く繰り出される異常な連続攻撃。
ああいった、危険な大技を仕掛けて来る事は無い。
私が躊躇無く、放ったダガーを観覧席に打ち込むと悟った時点で。
エリーゼの高い火力を有した連続攻撃は、半ば封殺されたも同然だ。
詐術にて危機を演出し、不用意に踏み込んだところで逆転を狙うつもりかと考えたが。
逆転に至る手段が無いという事だ。
脚を奪われ、腕を奪われ、攻める手段も失って。
『弱体化』故に、思考の歯車が狂ったか。
ここにはもう、闘争に歓喜する『エリス』など存在しない。
主であるレオンと、友人である『カタリナ』の為に戦う、ありきたりなオートマータが居るのみだ。
否――そうでは無い。
断罪に足る巨悪を抱えながら、生きようと足掻く咎人だ。
己が悪事を精算する事無く、真っ当に生きられると思い上がる罪人だ。
ならば私は、粛々と『タブラ・スマラグディナ』を回収するのみだ。
ただただ咎人を断罪し、『ガラリア・イーサ』の治安を維持する。
『グランマリー』の名の基に、悪しき芽吹きを摘み取り枯らす。
マグノリアは胸中に湧いた怒りを飲み込み、疾走した。
・マグノリア=『マリー直轄部会』所属の強力なオートマータ。カトリーヌの恩人。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。




