第一六五話 交錯
・前回までのあらすじ
『縮地』の技を使用し、エリーゼの左脚――その足首から先の動きを封じたマグノリア。対するエリーゼは八本のダガーを用いてカウンターを取ろうとする。しかしマグノリアは『縮地』で示した速度を更に上回る加速を見せ、エリーゼの懐へ飛び込んだ。
初動の踏み込みにて最速を叩き出すマグノリアの技――『縮地』。
しかしマグノリアは『縮地』の最高速を偽り、更なる急加速にて一気に距離を詰める。
それは『縮地』に対応すべく放たれた八本のダガーでは、追い切れない速度だった。
二段階の加速は、エリーゼの想定を超えていたという事か。
もはや抜き差しならぬ距離にまで、長針を構えたマグノリアが迫っていた。
「しィイイイイッ……!」
鋭い呼気と共に、烈風の勢いで針が突き出される。
狙いは右脚――ロングソードの柄頭を爪先に捉えた右脚だ。
回避不能か、そうとしか思えぬギリギリの状況。
――が、次の瞬間。
エリーゼは驚異的な柔軟性で、上体を大きく仰け反らせていた。
「ふッ……!」
足指に捉えたロングソードごと後方へと倒れ込んでゆく。
いや、倒れ込んでいるのでは無い。
上体を仰け反らせ、そのまま背面へと回転したのだ。
同時に白々と光る刀身が、空間に鮮烈な弧を描き上げる。
超至近距離より放たれる、全身のバネを駆使した逆風斬りだ。
マグノリアが放った『縮地』からの加速に対する、強烈なカウンターだった。
寸前で的を外したマグノリアの上体は流れ、前傾している。
針を携えた右腕を突き出している。
その腕に向かって、ロングソードの刃が跳ね上がる。
その腕を切断せんと、エリーゼの一撃が跳ね上がる。
「っ……!!」
耳を劈く音が響き、火花が四方に飛び散った。
マグノリアの右腕を切断したのでは無い。
下から斬り上げられたロングソードの刃が、あろう事か止められたのだ。
刃を止めたのはマグノリアの左手に握られた、ククリナイフだった。
ククリナイフがエリーゼの一閃を、上から抑え込んでいる。
そのままマグノリアは刃を横に流しつつ、絶妙のタイミングで手首を返した。
更に全力で腕を振るうと、エリーゼのロングソードを彼方へと弾き飛ばしてしまった。
本来であれば、いかなマグノリアといえど、エリーゼが放った渾身の逆風を、左腕一本で完璧に防ぎ切る事など、ましてや弾いて飛ばす事など、出来なかっただろう。
しかしこの一撃を放つロングソードは、右足指のみで支えられていた。
エリーゼは左足指の機能を奪われ、万全の状態で剣の柄を保持する事が出来なかった。
故に斬撃の威力は半減、容易くマグノリアに弾かれてしまったのだ。
「しゃあああッ!!」
必殺の一閃を防がれた上、ロングソードも失ったエリーゼは無防備な状態に陥る。
基より全身を反らしながら足指にて刃を振るうという、姿勢制御の難しい斬撃だ。
別に武装があったとしても、二の太刀を繰り出す事は難しい。
対するマグノリアもロングソードを弾いた為、上体は流れている。
左手のククリナイフを振るう事も難しい。
だが、右手に握られている今ひとつの武装は『針』だ、突き込むだけで事足りる。
不十分な姿勢であっても、腕さえ精妙に動けば良いのだ。
「はァアアアッ!」
容赦の欠片も無く、マグノリアは針を打ち下ろす。
狙うはエリーゼの白い首筋か。
当のエリーゼは起死回生の斬撃を回避され、床の上にて伏せている。
もはや成す術は無いのか。
否。
針の一撃にて勝負が決する、その直前。
エリーゼは伏した状態で床を蹴るとマグノリアの足元へ滑り込み、回避を試みたのだ。
マグノリアに詰め寄られ、ロングソードにて逆風でカウンターを取った際。
エリーゼは既にダガーの操作を半ば放棄していた。
全身のバネを用いた必殺の逆風だったが、片脚が使えず姿勢制御に問題が生じていた。
故にダガーでの追撃を諦めたが、次善の策として自由となった数本のフック付きワイヤーを操作、床に敷き詰められた石板の縁を捉え、距離を取るべく自身の身体を牽引したのだった。
マグノリアは前方へ体重が掛かっている為、足元へ逃れるエリーゼを追い切れない。
疾風の如き一突きを放ったマグノリアは、敢然と振り返る。
そこへ飛び込んで来たのは、先の攻防で制御不能となっていたダガー群だ。
数にして四本。
マグノリア目掛け、真っ直ぐに襲い掛かる。
「ふんっ……」
とはいえ精彩を欠いた攻撃だ。
エリーゼが安全圏に逃れるまでの時間稼ぎ――苦し紛れと言い換えても良い。
マグノリアはククリナイフを無造作に振るうと、立て続けにダガーを叩き落す。
その間にエリーゼは、二度、三度とワイヤーを切り替えつつ、大きく距離を取った。
「……」
マグノリアから一五メートルほど離れた位置にて、エリーゼはゆっくりと顔を上げる。
左脚の足首から先が動かない為か、片膝を着いたままの姿勢だ。
それでもエリーゼは一切の動揺を表情に浮かべる事無く、左腕を躍らせた。
周囲に四つの光球が浮かび上がる――高速旋回するスローイング・ダガーだ。
改めて攻防に備えたというところか。
――ただし。
その姿には、明確な異変が生じていた。
右腕だ。
エリーゼの右腕が、下方へ垂れ下がったままだ。
正確には、右腕の肘から指先までが動いていない。
マグノリアは、エリーゼの右腕をも封じたのだ。
エリーゼが回避を選択し、交錯した瞬間。
首筋を狙うマグノリアの針を防ぐように、エリーゼはそこへ右腕を翳していた。
――が、それこそがマグノリアの狙いだった。
真の狙いは首筋では無く、その部位を防御するであろう腕。
だからこそ、一瞬のタイミングで正確に針を打ち込む事が出来たのだ。
「――『強化外殻』で腕を覆ったとしても、関節部には避けようも無く隙がある」
低く呟きながら、マグノリアは歩き始める。
黒い修道服を纏う姿に乱れは無い。
未だ、僅かほどのダメージも受けてはいないのだ。
「左脚に続いて右腕。もはや挽回は覚つかん筈だ――」
黒い瞳にエリーゼを映したまま、マグノリアは言葉を続ける。
「――それでも貴様は敗北を認めまい。しかし介添え人達は違うかも知れん」
石床の上を歩く歩調が、次第に速くなってゆく。
修道服の裾が翻る。
「ならば敗北宣言が成される前に――」
そう呟くや否や、漆黒の姿が空間に融け、長く帯を引いた。
足元の石板を砕きながらに放たれる全力の『縮地』――速攻だ。
エリーゼは左脚と右腕の機能を失い、回避能力と攻撃能力が大幅に削がれている。
だからこその積極的な速攻は、必殺の意思に彩られていた。
・マグノリア=『マリー直轄部会』所属の強力なオートマータ。カトリーヌの恩人。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。




