第一六四話 加速
・前回までのあらすじ
ダガーによる攻撃を見切ったマグノリアはエリーゼの左脚を長針にて攻撃、その足首から先の感覚を奪う事に成功する。左脚に重大な問題を抱えたエリーゼだがそれでも戦闘を続行すべくワイヤーを繰り出す。マグノリアは過去に目撃したオートマータ『エリス』こそがエリーゼの前身であると確信しており、エリーゼが繰り出す技の本質を見抜いている為、仕合を有利に進めるのだった。
闘技場を取り囲む、すり鉢状の観覧席が沸騰していた。
派手に着飾った貴族達が延々と連なり、歓声と共に拳を突き上げていた。
至強のコッペリア同士が刃を交える姿に、熱狂と興奮を隠す事など出来ない。
皆、思うが儘に声を張り上げ、血と暴力の宴に俗悪な華を添えていた。
血風吹き荒ぶ闘技場の入場門脇に設けられた『待機スペース』。
介添え人として仕合を見守るレオンは、右義肢に仕込んだ『知覚共鳴処理回路』を起動、自身の『脳』と『神経』を利用し、エリーゼの『神経網』を過負荷から保護していた。
そして『知覚共鳴処理回路』を起動した状態のレオンは、エリーゼの身体状況を『ある程度』認識する事が出来る。
故に、エリーゼの『左脚』に発生した異変にも、真っ先に気づいていた。
左脚の、足首から爪先までの感覚が消失しているのでは無いか――そう感じた。
レオン自身の脚に問題が発生している訳では無い。
しかし違和感として確実に伝わって来る。
程無くしてレオンの背後でベンチに座り『小型差分解析機』にて『知覚共鳴処理回路』の制御を行っているカトリーヌも、出力されたデータを通じてレオンとエリーゼの身に、何らかの問題が発生しているのだと気づく。
「……レオン先生?」
不安げな面持ちのカトリーヌが、レオンの背に声を掛ける。
レオンは闘技場を見つめたまま応じた。
「僕は大丈夫だ。エリーゼの様子にも、今のところ大きな変化は無い……」
その言葉が的を射て無い事は、レオンも良く理解している。
ただ、仕合を行っているエリーゼが平静を装っているのだ。
周囲に異変を悟らせぬ様、振る舞っているのかも知れない。
そこには何らかの意図があるのだろう。
ならばエリーゼと繋がる自分も、平静を装うしか無い。
胸の裡から湧き上がる不安を飲み込みながら、レオンは仕合の行方を見守った。
◆ ◇ ◆ ◇
鋭い切っ先を下に逆立つロングソードの上、エリーゼは起立している。
小さな身体を包む純白のドレスをなびかせては、両腕を躍らせている。
背中に装備した円盤状の特殊武装『ドライツェン・エイワズ』より紡ぎ出された、八本のワイヤーを操作しているのだ。
微かな風切り音が響く中、周囲に浮遊する半透明の光球は八つ。
八本のスローイング・ダガーが宙を舞っており、これは『ドライツェン・エイワズ』が紡げるワイヤーの最大数と同数、攻撃に比重を置いた状態と言えた。
マグノリアに痛打され、火力に重きを置く事で巻き返しを図っているのか。
もしくは大幅に手数を増やし、接近を許さないという構えか。
しかし、先の攻撃で負ったダメージ――左足首より先が動かない状況は深刻だ。
エリーゼは足場であるロングソードの柄頭を、右足指のみで捉えている。
これで自在に動く事が可能なのか。
或いは自在に動けぬという理由で、攻撃に偏重したという事か。
マグノリアは左右の手に異なる得物を携えた仁王立ちだ。
右手に長針。
左手にククリナイフ。
見据えるは一〇メートル先、ダガーを乱舞させつつ待ち構えるエリーゼだ。
マグノリアの視線が、エリーゼの左脚に注がれる。
左足首から先が、下方にだらりと垂れ下がる有様を確認している。
ロングソードを捉える足指が、右足のみとなっている。
長針にてエリーゼの左脹脛にある『神経節』を突いた。
それも、後の回復を想定する事無く突き込んだ。
この仕合中は間違い無く動くまい、マグノリアはそう思う。
少なくとも傷ついた『神経網』を再錬成するまでは、機能回復すまい。
肉体を駆使した闘争に於いて片脚の機能を損なうという状況は、半ば勝負が決したと言っても過言では無い。攻撃するにせよ、回避するにせよ、片脚のデメリットは重過ぎる。
これが尋常の仕合であるなら、この場で敗北宣言が成されても不思議では無い。
だが、今対峙している『エリス』――エリーゼが、敗北宣言を行うとは思えない。
関わりのある孤児院の負債を返済すべく戦っているから――では無い。
『エリス』は三〇年前、仕合の最中に何度も血塗れで微笑んでいた。
自身の傷口から溢れ出した血に塗れ、仕合を愉しみ微笑んでいたのだ。
そんな存在が、有利不利如きで仕合を放棄するわけが無い。
恐らく『エリス』は自身の瀬戸際に、命の弦の限界に、闘争の本質を見ていた。
だからこそ、血に塗れるまで被弾を重ね、相手の隙を伺う仕合を繰り返したのだ。
他にも方法はあった筈だ、にも関わらず詐術を用いて被弾する事で、強制的に相手の隙を誘う。
そんな勝ち方に拘る理由があったのか。
自ら危険な状況に足を踏み入れる様な理由が。
どんな理由があったにせよ、そんな戦闘を繰り返すなど狂気の沙汰だ。
狂気を繰り返し、狂気に微笑む。
狂気こそが『エリス』の本質であると、マグノリアはそう認識していた。
左脚の機能を半ば奪われ、それでもエリーゼは完全な平静を保っている。
その表情に、焦りや恐怖など僅かほども浮かばない。
敢えて攻撃を受けた――そんな風に読み解く事も出来る。
或いは、そう誤認させる事が狙いか。
微笑みは無くとも見事なブラフだ。
先の攻防にしても、至近距離に飛び込んだ際、ロングソードを逆風に斬り上げられていたなら、或いは甚大なダメージを被っていた可能性もある。
しかしエリーゼは、ダガー二本による消極的な反撃を選択した。
その意味を考えるならば。
事前の言葉通り『シスター・カトリーヌ』を慮り、不殺の決着を望んでいるのか。
或いはその言葉をブラフとし、そのブラフを補強する意味の演技であるのか。
そういった迷いを、問いを、こちらに投げ掛けて来る。
なるほどその身に毒を蓄え、囀る言葉に毒を滲ませる墓場鳥とは良く言ったものだ。
「征くぞ……」
マグノリアは自身の思考を断ち切る様に低く呟き、ゆっくりと歩き始める。
得物を握る両手を下方へ垂らし、顎を引き、真っ直ぐに歩を進める。
無防備とも思える接近だが、実際には一点の隙も無い。
全てに対応出来る、完全な構えとしての自然体だ。
対するエリーゼは、すぐにでも迎撃可能な状態にある。
足元に抜き身のロングソード、周囲には八本ものスローイング・ダガーが浮遊する。
先の攻防でマグノリアは『縮地』の技を用いて、六メートルの距離を一気に詰めた。
その際、エリーゼが放ったダガー四本を、掠らせもしなかった。
つまり『縮地』に対応すべく、エリーゼは使用するダガーを倍に増やしたという事か。
八本のダガーにて、距離を詰められる前に迎え撃つ――そういう算段か。
――と、その瞬間は不意に訪れた。
マグノリアが歩を進め、互いの距離が八メートルに達した時。
その身に纏う黒い修道服が滲み溶け出し、後方へと帯を引いて流れた。
強烈な加速による残像――『縮地』による圧倒的な踏み込みだ。
「ふンッ……」
「……っ」
同時に、エリーゼの操作する八つの光球が煌めく流星となり、撃ち出されていた。
否、そうでは無い。
エリーゼの攻撃に、マグノリアが再び完璧なタイミングでカウンターを合わせたのだ。
攻撃の『起こり』はエリーゼが先でも『踏み込み』はマグノリアが勝っていた。
そういうタイミングなのだ。
マグノリアはエリーゼが放つスローイング・ダガーの特性を、既に見切っている。
フック付きワイヤーによる射出は、ごく僅かではあるがタイムロスが発生する。
また、複数の角度から同時に攻撃を行う際には、更にタイムロスが大きな物となる。
その隙を突く形で、マグノリアは『縮地』を用いてカウンターを取る。
結果、瞬間的に距離を詰めるマグノリアを、エリーゼのダガーは捉え切れないのだ。
低く、速く、地表を滑るが如く大胆に。
得物を携えた両腕を眼前にクロスした状態で、深く踏み込む。
必要最小限の防御という事か。
黒く霞む修道服を、ワイヤーに誘導されたダガーが追い切れていない。
瞬く間に距離が詰まる。
しかし先の攻防と違い、今回は二メートルほど間合いが遠い。
一気に懐へ飛び込むには、僅かに至らぬ距離だ。
これをエリーゼは想定したのか。
何れにせよ八本に増やしたダガーで、全く同じ攻撃を繰り返す愚は犯さなかった。
マグノリアに向かって放たれたダガーは四本、この四本は先の攻撃と変わらない。
空間に弧を描きつつ、四方向から襲い掛からんと風を切って飛来する。
だがこの四本は、マグノリアに回避される可能性を考慮した攻撃だろう。
本命は恐らく残りの四本。
先の四本と同じタイミングで放ちつつも、実際には僅かに射出速度が違う。
つまりは時間差攻撃――『縮地』を用いたマグノリアのカウンターに対し、エリーゼは時間差にてカウンターを取り返そうとしたのだ。
『縮地』は圧倒的加速を可能とする反面、急激な方向転換が難しい。
時間差による攻撃は、単純な対応と思えども効果は覿面と言えた。
エリーゼまでの距離は残り三メートル。
疾駆するマグノリアの腹部と脚を狙うダガーが四本、左右から唸りを上げて迫る。
一度目と違い、エリーゼにしてみれば射程に若干の余裕がある。
ククリナイフでの防御に際しては、ダガーの軌道を寸前に操作する事も可能だ。
更に、先に放ったダガー四本も方向を空中で転換し、マグノリアの背後を脅かす。
前方から迫る四本の対応を誤れば、背後からの攻撃に追いつかれる。
そうなればカウンターは成立しない、守勢に回らざるを得ない。
如何にこれを回避するのか。
或いはエリーゼに加撃する事が出来るのか。
「……はァッ!!」
その時。
マグノリアの足元に敷かれた闘技場の石板が爆ぜて砕け、後方に飛び散った。
次いで帯を引いて霞む漆黒の修道服が、煙の如くに消えて失せた。
ごう、という、危険な音が響く。
答えは『更なる加速』だった。
『縮地』とは、初動にて最高速を獲得し、相手の懐へ飛び込む技だ。
前方へ倒れ込みざまに激しく踏み込み、更に足指を用いて急加速する。
だがマグノリアは『縮地』に於ける最初の加速で、全力を出してはいなかったのだ。
二の矢を――更なる加速の脚を残していた。
そう、最初の『縮地』を回避された場合に備えていた。
『縮地』によるカウンター攻撃は、フェイントに弱い。
時間差による迎撃を完全に回避し得ない。
その回避を可能とすべく、マグノリアは二の矢を用意していたのだ。
二度目の『縮地』にて確実に懐へ飛び込み、必勝する為に。
「……っ」
マグノリアは、エリーゼが放った八本のダガー全てを置き去りにした。
眼前に迫るエリーゼの白い姿目掛け、マグノリアは改めて右手の長針を突き出した。
・マグノリア=『マリー直轄部会』所属のオートマータ。カトリーヌの恩人。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。




