第一六二話 肉迫
・前回までのあらすじ
エリーゼとマグノリアの仕合が始まる。開始と同時に大きく距離を取ったエリーゼは、マグノリアの出方を伺う様に、ダガー四本で権勢を仕掛ける。対するマグノリアはこれを簡単に往なし、悠々と更なる接近を開始する。
管弦楽団とスチームオルガンが紡ぎ出す重厚な演奏が、闘技場内の大気を震わせる。
目許をマスクで隠した青いドレス姿の女が、美麗なソプラノ・ボイスで聖歌を歌い上げる。
舞い踊るが如くに斬り結び、祈るが如くに血花咲かせよ!
斬り結びてこそ輝ける魂、我らが神に捧げよ!
甘美極まる歌声に誘われてか、観覧席に連なる貴族達も揃って声を張り上げる。
これぞ人が咲かせる叡智の花ぞ!
この世の悪意に抗う花ぞ!
我らが聖女・グランマリー、見給えこれぞ聖なる戦ぞ!
神に捧ぐる兵の舞を観給え、血花咲く様を観給え、御霊の許へ届き給え!
清と濁の混声合唱が、ソプラノ・ボイスと管弦楽団の演奏に絡みつく。
糜爛と絢爛が熱を帯びた愉悦を生み、眼前の死闘に腐敗と官能の華を添える。
仕合う戦乙女達が、そんな華を望むかどうかは関係無い。
ガラリア・イーサの選民たる貴族達の、今宵の享楽に必要な華だ。
絶える事無く咲き誇れとばかりに皆で歌う。
熱と狂気の宴に酔い痴れながら、声の限りに歌い続ける。
仕合は未だ、始まったばかりだった。
◆ ◇ ◆ ◇
黒い修道服と同色のロングヘアを揺らしながら、マグノリアは静かに歩を進める。
漆黒の瞳は、一〇メートル先のエリーゼを、真っ直ぐに見据えている。
右手には長さ三〇センチの針。
左手には刃渡り四五センチのククリナイフ。
左右それぞれに異なる得物を携え歩き続ける。
白いドレスを纏うエリーゼは、逆立つロングソードの上に起立している。
白銀の鎧に覆われた両腕を緩やかに躍らせ、柄頭の一点を爪先で捉えている。
信じ難いバランス感覚で静止する純白の姿を彩るのは、半透明に煌めきながらエリーゼの周囲を浮遊する四つの球体だ。
それらは空中にて高速旋回を続ける四本のスローイング・ダガーであり、特殊武装『ドライツェン・エイワズ』より紡ぎ出されたフック付きワイヤーを介し、エリーゼが腕と指先を用いて自在に操作している代物だった。
歩み寄るマグノリアを牽制する様に、ワイヤーとスローイング・ダガーは風切り音を響かせつつ妖しく揺らぎ、周囲に光を乱反射させる。
が、そんな牽制などまるで意に介さぬとばかりに、マグノリアの歩みは止まらない。
無造作としか思えぬ足取りで、躊躇無く距離を詰めて来る。
先の攻防に、如何ほどの脅威も感じなかったという事か。
対するエリーゼは未だ動きを見せない。
白々と光る刃を足場に直立し、『強化外殻』に包まれた両腕を躍らせるのみだ。
特殊ワイヤーが波打ちながらうねり、四つの光球が上下左右に浮遊する。
それら交錯するうねりと光の奥から、エリーゼは紅い瞳でマグノリアを見つめている。
互いの距離が六メートルに達した時。
エリーゼは弾ける様に左右の腕を振るった。
空中に留め置いたスローイング・ダガーを、四本同時に解き放ったのだ。
放たれた四条の光が、驚異的な速度で空間を切り裂く。
「しィッ……!」
――と、全くの同時に。
マグノリアは黒い長身が霞むほどの、強烈な加速を見せていた。
その踏み込みには、一切の予備動作が無かった。
微かな行動の予兆すら、感じさせなかった。
初速が既に最高速であり、最高速のまま距離を詰める――そういった技術だ。
それはかつて、ナヴゥルと対戦した『コッペリア・メリッサ』が使用した技だ。
『縮地』と呼ばれる技であった。
前方へ倒れ込みざまに踏み込む事で挙動を悟らせない、それが『縮地』の基本だ。
加えてマグノリアはメリッサと同様に、爪先で激しく地を蹴る事で加速力を得ている。
故に初速からの最速が実現されており、対戦者は著しく距離感を誤認するのだ。
ただ一つ、メリッサが使用した『縮地』とは大きな違いがある。
マグノリアはエリーゼの攻撃に対し、完璧なタイミングで『縮地』を使用していた。
つまり、カウンターを合わせたのだ。
しかしエリーゼは、四本ものスローイング・ダガーを放っている。
これにカウンターを合わせるなど、無謀では無いか。
解き放たれた鋭い切っ先に、正面から突っ込む事になるのでは無いか。
にも関わらず、次の刹那。
閃光と化し、マグノリアへ殺到したスローイング・ダガーは、全て的を外したのだ。
四本のダガーは、黒い修道服を素通りしていた。
否――素通りでは無い。
四本とも、ギリギリのところで回避されていた。
マグノリアが如何に精妙な体術を用いたとして、そんな事が起こり得るのか。
回避の謎は、エリーゼの攻撃方法に秘められていた。
エリーゼのダガーを用いた攻撃は、ワイヤーによる『遠心力』にて成立している。
ワイヤーを振るう事で発生する『遠心力』が、放つダガーに威力を与えている。
射出直前、ワイヤーに繋がれたダガーの軌道は、しなる鞭と同じく波打つ形となる。
変幻自在に軌道を変えるワイヤーを用いたエリーゼの攻撃だが、射出直前には必ず『遠心力』を生み出す為の『しなり』『波打ち』、そうした『溜め』が必須だった。
『溜め』とはすなわちタイムラグである。
マグノリアは『しなり』『波打ち』の瞬間を見切り、そこへ『縮地』で飛び込んだのだ。
もちろん極端に大きな『しなり』や『波打ち』では無い。
とはいえ四本のダガーは、四方向からの攻撃を意図していた。
故にワイヤー四本の『しなり』『波打ち』は、直線的な射出より明確なものだった。
そこにマグノリアの身体能力と正確な見切り、更に『縮地』の技が加味されたのだ。
何よりマグノリアは、エリーゼの用いる策を、技術を、既に『熟知』していた。
それら複数の要素が、神懸かり的な回避と極限のカウンターを成立せしめていた。
前傾姿勢のマグノリアが、黒い影となって疾駆する。
剣の上に立つエリーゼは、微かに柳眉を顰める。
「……っ」
状況の悪さが表情となって現れたか。
とはいえ傍観のまま、対応を放棄する事は有り得ない。
白銀の鎧に包まれた嫋やかな両腕を躍らせ、飛び交うワイヤーを強く引き絞った。
マグノリアを逃した四本のダガーは、空中で急旋回すると黒い修道服の背中を追う。
同時にエリーゼは、身を屈めながら足元のロングソードを後方へと傾ける。
全身のバネと刀身の弾力を用いて跳躍、距離を取ろうという事か。
が、マグノリアは既に目前まで迫っている。
あと僅かに一歩踏み込めば、刃が届くという距離だ。
エリーゼは後方へ跳躍しながら、左右の腕を激しく振るう。
背中の『ドライツェン・エイワズ』から新たなワイヤーが二筋、紡ぎ出される。
そのワイヤーを用いてエリーゼは、大腿部のベルトより追加のダガーを二本抜き出す。
二条の光が後方から前方へ、弧を描いて疾走した。
狙いはマグノリアの腹部だ。
鋭い刃が最短を駆け抜ける。
突っ込んで来るマグノリアを穿つのに、コンマ一秒も要さないだろう。
更には背後から迫る四本のダガー。
マグノリアはどう動くのか。
何の迷いも無い。
苦し紛れの攻撃であると断じたか、欠片の躊躇も見せない。
マグノリアは黒衣を翻し、深く激しく踏み込んだ。
そのまま左のククリナイフで、前方を大きく薙ぎ払う。
小さな火花が二つ弾けた。
「はァッ……!」
「……ッ!!」
更にマグノリアは、ククリナイフを捻って振るう。
呼応するかの様に、跳躍直後のエリーゼが空中にてぐらりと姿勢を崩す。
マグノリアの左腕とククリナイフに、ワイヤーが絡まっていた。
そのワイヤーの繋がる先は、鎧を纏うエリーゼの右腕だ。
防御直後、マグノリアは腕を振るった。
その際、エリーゼの右腕にワイヤーを絡めていたのだ。
近距離故に可能な仕掛けだ。
エリーゼはワイヤーにて右腕ごと身体を引かれ、姿勢を崩したのだ。
大きな隙だった。
「しィイイッ……!」
これほどに大きな隙を、マグノリアが見逃す筈も無かった。
マグノリアは右手の針を、躊躇無くエリーゼに突き込んだ。
・マグノリア=『マリー直轄部会』所属のオートマータ。カトリーヌの恩人。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。




