第一五七話 窃取
・前回までのあらすじ
天才錬成技師・マルセルは、極秘裏に造り上げた『秘密の工房』へ、ベネックス所長を招いていた。広大な工房には二〇機もの『差分解析機』が並び、しかも禁忌の存在である男性型オートマータが作業に従事していた。
旋回する巨大な金属シリンダーが数百本、干渉し合いながら解析作業を続けている。
『蒸気式精密差分解析機』――スチーム・アナライザー・ローカスが、仄かに蒸気を漂わせながら稼動する有様は、泰然とした巨大生物の佇まいを思わせる。
その姿を愛おしげに見上げているのは、天才錬成技師と呼び声の高いマルセルだ。
マルセルは黄金の左手で、鈍く光る『差分解析機』のフレームをなぞりながら言った。
「そう――『サンプリング』だ。数多の情報から有用な物を抽出、集積、再構成している」
「……『サンプリング』? どういう意味だい? それは」
少し離れた位置に立つベネックス所長は、銀縁眼鏡の下で訝しげに眉を顰める。
その疑問に答えたのは、カウチソファにゆったりと身体を預けるオランジュだった。
ソファの上、しなやかに伸ばした脚を組み替えながら言った。
「窃取して利用するって事よ」
「窃取して利用……?」
「窃取は無いだろう、オランジュ。これはギブ・アンド・テイク――いや、むしろウィン・ウィンの関係だ」
視線を戻したマルセルは、不満そうに唇を尖らせる。
ベネックス所長が改めて問い質した。
「説明しろ、マルセル君」
マルセルは鷹揚に頷くと『差分解析機』のフレームを軽くノックする様に指で打つ。
おもむろに口を開いた。
「――コイツは一基で一〇〇〇万クシールはする。はっきり言って才気溢れる若い錬成技師が、ポンッと支払える金額じゃ無い。仕方なく彼らは、貴族お抱え錬成技師の下につくか、或いは企業の雇われ錬成技師となって下積みを行う。どちらにしても自らの夢や理想をすぐに追う事は出来ない、ありきたりな『コッペリア』整備、工業機器の管理維持――これらの作業に貴重な若き日々を費やし、瑞々しい発想を枯らし、萎えさせてしまう」
「……」
眼を細めたマルセルは額に指を添え、芝居掛かった仕草で寂しげに首を振る。
ベネックス所長は口を噤んだまま、鋭い視線で話の先を促す。
マルセルは軽く頷き続けた。
「だからボクは、優れた才能を有する若者を見つけては、声を掛けたんだ。才能在る者はその才能に見合う『義務』を果たすべきだ――そう言ってね。そして実際に、その才能を支えるべくバックアップした。最高品質の『蒸気式精密差分解析機』を、半ば無償で提供したのさ」
「……なに?」
眉根を寄せたベネックス所長は、低く声を上げる。
オランジュがくつろいだ笑みと共に言った。
「パパがやっている事、なんとなく察したかしら?」
「つまり『窃取』というのは……若い錬成技師達に『差分解析機』を与え、そこから何らかの方法で、彼らの研究成果を盗み取っていると?」
言いながらベネックス所長はマルセルを睨めつける。
マルセルは両手を左右に広げて笑った。
「待ってくれ、半ば無償での提供なんだ――だから『ウィン・ウィン』なんだよ。何よりボクは彼らが画期的な発明を行い、特許取得に動いたと知っても、それを妨害しないし、権利を奪った事も無い。むしろ彼らの発明を推奨し、ライセンス料の支払いに貢献さえしている――そう、レオンが開発した『神経網』や『血管』だって、『シュミット商会』のヨハン君が開発した『電信』システムだって、ボクが『錬成機関院』に普及を働き掛けたんだよ? 『錬成科学』の新境地だってね」
「……」
「いいかい? ボクは金にも名声にも権力にも興味が無い……ま、有れば便利だとは思うがね。そんな事よりボクは、若い才能が生み出すモノを、誰よりも早く深く知りたいのさ。数多の若い才能を素材に、ボクは自身のインスピレーションを働かせ、更なる錬成科学の高みを目指し続けているんだ。確かにこの世界じゃあ、ボクが行っている情報の取得方法は、違法って事になるだろう。しかしだね? そんな事より、もっともっと遥か高みにまで錬成科学を到達させる……その事の方が重要だとは思わないかい?」
「……とんでもない言い分だ」
ライトブラウンの前髪をかき上げながら、ベネックス所長は呆れる。
マルセルは悪びれる事無く続ける。
「世界中の錬成技師達が手を取り合い、想いをひとつに活動すれば、この世に存在するあらゆる謎は、次々と解き明かされるとボクは思うんだ……しかしそれは無理だ。何故なら皆それぞれに欲が有る、名声を欲しがる、富を求める、譲れないモノだってある。それは仕方の無い事なんだ、錬成技師だって人間だからね。でも、ボクのやり方なら、誰ひとり損をしない、誰も困らない。人知れずではあるが、数多の英知がひとつに束ねられ、繋がれてゆく……そうやって錬成科学の真理へと繋がる一筋の道を探る事が出来る。ボクはただひたすら、真理へ辿り着きたいと考えている。それ以外に、全く興味が無い」
「……やれやれ、君は『ジブロール自治区』を蹂躙した頃から何も変わっちゃいない」
額に手を当てたベネックス所長は、ヘーゼルカラーの瞳でマルセルを見つめる。
マルセルはその視線を真っ直ぐに受け止め、口許に微笑みを湛えたまま揺らが無い。
二人のやり取りを横目に、オランジュは口を開く。
「――ね? 私のパパはろくでなしでしょう? 今の話を帝国議会にでも訴えれば、『ベネックス創薬科学研究所』所長である貴方の話なら、信じる人も多いでしょうね……どうする? 積年の恨みと共にパパを断罪してみる?」
揶揄う様な言葉に、しかしベネックス所長は首を振る。
そして嗤った。
「まさか。いまさらマルセル君の所業を断罪して、私にいったい何の得がある? 私はマルセル君に夢と理想を奪われたんだ、その償いをして貰うまでは、断罪如きじゃ釣り合わないね。次は私が、マルセル君から新たな夢と理想を奪い取るのさ」
「キミならそう言ってくれるとボクは信じていた!」
パチンッ……という、小気味の良い音が響いた。
マルセルがフィンガースナップを鳴らしたのだ。
そんな気取った振る舞いを無視して、ベネックス所長は尋ねた。
「――ふん。マルセル君がこの『地下工房』で、なりふり構わず錬成科学の『真理』に挑んでいるのは解ったよ……それで? 具体的に君が何を目指しているのか、そろそろ教えて貰えないかね? 何も解らないままじゃ、私の気持ちも揺らごうってものだ」
「勿論だ。キミにボクの目的を教えないなんて事は有り得ない、全てを伝える」
ベネックス所長の鋭い視線を受けてマルセルは、軽く頷く。
左の義肢――煌めく黄金の人差し指を立てて告げた。
「――とはいえ順序良く伝えたいのさ、大掛かりな計画なんだ。計画のごく一部では無く、全てをキミに伝えるつもりだからね。ひとつずつ間違い無く、全てを伝えたいんだ」
「……そのひとつめが、この『地下工房』へのご招待ってわけかい?」
ベネックス所長は腰に手を当てると、広大な工房内を見渡した。
仄かに蒸気を吹きながら稼動する『差分解析機』の連なりと、その整備に勤しむ『ドワーフ』の魂を有したオートマータ達を眺めながら言った。
「なるほどね、理解したよ。シレナ川沿いに延々と広がる『工業地帯』――その地下に設けられたキミの『工房』。要するにこの『工房』自体、『違法』に造られたってワケだ。やってる事が『違法』だから誰にも勘繰られたく無い。『水』と『濃縮エーテル』の消費量も、地上の『工業地帯』から捻出して誤魔化している、そういう事かい?」
マルセルは破顔して両手を広げる。
嬉しくて堪らないとばかりに首肯し、モノクルを煌めかせて答える。
「ご明察! その通りさ。『特別区画』から遠く離れたボクの『地下工房』。ここに招いた時点で――ボクがどれほどにキミを信頼しているか、想像がつくだろう?」
ワインレッドのドレスを揺らしながら、ベネックス所長は艶やかに微笑む。
「……私が他に選択しないと思っただけだろう? まあ良い、聞かせてくれ、マルセル君の企みをね」
◆ ◇ ◆ ◇
外洋まで繋がる巨大な河川・シレナ川。
その沿岸には無数の工場が延々と連なり、大規模な工業地帯を形成していた。
製鉄と製造、各種工業用品の生産が行われており、昼夜問わず稼動し続ける。
『ガラリア・イーサ』の心臓部とでも言うべき、経済の要だった。
そんな工業地帯の地下四五メートル地点。
そこにマルセルの『秘密工房』が存在する。
誰に悟られる事も無く、誰に咎められる事も無い、マルセルだけの工房だ。
法規を無視した研究を行う為、マルセルが『ドワーフ』達に造らせた工房だ。
ここで人知れず行われている研究が、いったいどんな物であるのか。
世の人々が知るのは、未だ先の話である。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・ベネックス所長=レオンの古い知人で実の姉。有能な練成技師。
・オランジュ=マルセルが錬成した最強のコッペリア。『レジィナ』の称号を持つ。




