第一五六話 違法
・前回までのあらすじ
準決勝に向けて自身を極限まで研ぎ澄ませるナヴゥル。しかしそんなナヴゥルを見るラークン伯の眼差しは複雑だった。主従の関係を超えてナヴゥルを大切に思うラークン伯、そんなラークン伯に対し、弱い自分に対するけじめとして、仕合に臨むと告げるナヴゥル。果たして勝利する事が出来るのか。
倉庫を思わせる、広大な空間だった。
窓は無く、床も、壁も、天井も、白く塗り込められていた。
耳鳴りの様に低く響くのは、天井に幾つも取り付けられた換気扇の旋回音だ。
そして無数の歯車が静かに噛み合う、さざ波にも似た機械音。
錬成技師なら馴染み深い音だろう、『蒸気式精密差分解析機』――スチーム・アナライザー・ローカスが稼動する音だった。
ただ、その稼動音が発せられているのは、一ヶ所のみでは無かった。
広大な部屋の至る所から、立ち昇る様に聞こえて来る。
部屋の中には実に二〇基もの『蒸気式精密差分解析機』が、整然と並び連なっていた。
二〇基の『差分解析機』は、どれもが見上げるほどに巨大かつ高性能な代物だ。
エーテル水銀式白色灯に照らされながら、それら全てが同時に稼動する有様は、圧巻の一語に尽きた。
或いは帝国の戸籍や税収、公共事業を管理する『ガラリア帝国民部会』、或いは国防や軍事を司る『ガラリア帝国軍』ならば、大量の『差分解析機』を同時に使用し、機密情報を高速で処理、管理する必要も生じて来るだろう。
しかしこの部屋と二〇基もの『差分解析機』は、公的機関が管理しているのでは無い。
一人の錬成技師が管理所有している。
そう、ガラリア屈指の天才錬成技師だ。
マルセル・ランゲ・マルブランシュ――その人であった。
「ボク以外でこの工房に立ち入った人間は、キミが初めてだよ――イザベラ」
そう言ってマルセルは微笑んだ。
長身痩躯を包む衣装は、白く輝くシルクのドレスシャツに黒のスーツパンツ。
モノクルの下で煌めくグレーの瞳は、興奮した様子のベネックス所長を映していた。
「これは……『こんな場所』に、これほどの設備、いったいどうやって……。莫大という言葉では納まらないほどの金が掛かっている、いや、金なんてどうでも良いな。しかしこれは……これらを使って何をしているんだい? マルセル君……」
ワインレッドのドレスを身に纏ったベネックス所長は、稼動し続ける大量の『差分解析機』を見上げながら、銀縁眼鏡の下で瞳を輝かせている。
ここまで大規模な錬成工房、何よりこの数の『差分解析機』を一斉に稼動させるほどの作業が何であるのか、錬成技師として興味が尽きないのだろう。
「いやなに、大した事はして無いよ、単なる情報処理さ。ただ、処理すべき情報量が多くてね。必要に応じて機材を追加していった結果、こうなっただけなんだ」
マルセルは曖昧に答えながら、聳え立つ『差分解析機』の谷間を歩き続ける。
ベネックス所長は興味深げに周囲を見渡しつつ、後に続く。
――と、その時。
仄かに蒸気を吐く『差分解析機』の前で、身を屈める男の姿を見掛けた。
灰色の作業着を身に纏う、髭を生やした初老の男だった。
手には工具、目許には拡大鏡、眉間にしわを寄せ、作業を行っている。
ベネックス所長はマルセルに近づくと、声を潜めて囁いた。
「――彼はここの作業員かい? 君の研究を手伝っているのは、てっきり君に心酔している様な『錬成機関院』の若い連中だと思っていたよ」
その言葉にマルセルは微笑むと、軽く首を振った。
「言っただろう? ボク以外でこの工房に立ち入った『人間』はキミが初めてだって。彼は『オートマータ』さ――いや『彼ら』というべきかな。彼以外にも、他に一四体もの『オートマータ』が、この工房で作業に従事してくれている。良く働いてくれるし守秘義務も守る、優秀な助手だよ」
「……『オートマータ』? 『男性型』の? 暴走しないのか?」
作業を続ける男の様子を眺めていたベネックス所長は、顔を上げて尋ねる。
男性型オートマータを所有しているという言葉に驚いた為だ。
ガラリア国内の錬成科学を統括する『錬成機関院』も、『オートマータ』は『女性型』として錬成されるべき――国内の錬成技師に対し、この様に通達しているのだ。
それはかつて、幾度と無く行われた『オートマータ』の起動実験に於いて、『男性型』は正常に機能する事無く自壊したり、或いは予兆無く暴走したりという、原因不明の問題行動を繰り返した事に起因していた。
「彼らの魂は『ドワーフ』なのさ。ボクが独自に錬成した。老成してて気難しく自尊心は強いが、約束を違え無い。貴族達が『グランギニョール』で遊興の駒として扱うには難し過ぎるだろうが、ボクなら正しく対応出来る」
「……『ドワーフ』だって? 過去の起動実験で自壊を繰り返した、あの『ドワーフ』か? ひょっとして『女性型』だったから駄目だったのか?」
訝しげに聞き返すベネックス所長。
マルセルは愉しげに応じる。
「そこまで単純な問題じゃ無いんだが、敢えて単純に結論付けるなら『ドワーフ』は『男性型』尚且つ『老齢』でなければ機能しないのさ。これは極秘事項なんだがね、グランマリー教団の上層部も『ドワーフ』の魂を用いたオートマータを運用していると聞く。ボクが錬成したモノとは方向性が違うかも知れないがね。ともあれ、さっきも言った通り『ドワーフ』は頑固で気難しい、闘技場で戦う『コッペリア』にはなり得無いが、共に働く事は出来る……簡単に言えばそんな存在なんだな」
「なるほどね……しかし堂々と『錬成機関院』の要請を破っていたとは……さすがはマルセル君、遵法精神の乏しさは相変わらずだ」
肩を竦めたベネックス所長は、責める様に言った。
公的には未だ錬成の許可など下りてはいない『男性型オートマータ』を、恐らく無許可で錬成したであろうマルセルの行いは、立派に違法行為だ。
とはいえマルセルに遵法精神など無い事は、誰よりも良く知っている。
『ジブロール自治区』での一件を思い起こしてみてもそうだ。
マルセルという男は、道理にも、常識にも、正にも邪にも、全く頓着が無い。
あるのは錬成科学に対する好奇心のみだ、それ以外の事など――。
その時、そんなベネックス所長の想いを代弁する言葉が、投げ掛けられた。
「パパに遵法精神なんてモノは、最初から存在しないわ。そもそも『私』の存在自体、この国では『違法』なんですもの。そうよね? パパ――」
夜を渡る風の様に、透明な声だった。
マルセルとベネックス所長の向かう先、部屋の奥から聞こえた。
一際巨大な『蒸気式精密差分解析機』の前に設置された、赤いカウチソファの上。
シュミーズドレスに包まれた豊満かつ優美な肢体を、しどけなく凭れ掛けさせながら。
煌めくブロンドのロングヘアを揺らし、エメラルドグリーンの瞳を輝かせながら。
残酷なほどに研ぎ澄まされた美貌。
『グランギニョール』序列一位。
『レジィナ・オランジュ』は、艶やかに微笑んだ。
「――その人は信頼に足る人なのかしら? ここはパパの悪事が詰まった犯罪の温床――パパ以外の人間は知る由も無い、誰一人立ち入った事の無い、悪の秘密工房……」
「人聞きが悪いなあ、オランジュ――『叡智探求に伴う止むを得ない措置』って奴さ」
答えながらマルセルは唇を尖らせ、お道化てみせる。
オランジュは眼を細めると小首を傾げ、揶揄する様に続けた。
「本当の事だもの。ここは違法と脱法の巣窟じゃない。パパはその人が裏切らないって信じているのかしら? 裏切られて困るのはパパなのに。良いの?」
その微笑みは美しかったが、口から零れる言葉は辛辣だ。
ベネックス所長は傍らのマルセルを見上げると、口を開く。
「随分と好き放題に言われているけれど、マルセル君はそれを否定しない――つまりここは犯罪の温床であり、違法と脱法の巣窟であると……そういう事かね?」
マルセルは黄金の指先で自身の顎をなぞりながら、笑みを浮かる。
モノクルの下、悪戯っぽい眼差しでベネックス所長を見た。
「ま、否定はしないかな。何より今更だろう? 半年前――レオンに渡してくれとキミに小包をことづけた際、ボクは言ったよね? 小包の中身が気になるなら、確認したまえってね。それは必ず、キミも興味をそそられる物だと」
「……あの時は、キミの正気を疑ったよ」
マルセルの視線を避ける様に、ベネックス所長は『差分解析機』を見上げた。
銀縁眼鏡のレンズに、回転を続ける夥しい数のシリンダーが映る。
「覚醒状態の『エメロード・タブレット』を簡易濾過装置で維持してあった、この時点で違法だ。そして維持されてる『エメロード・タブレット』も違法な代物――すぐに解った、これが国内で錬成も所持も禁止されている『タブラ・スマラグディナ』だってね」
マルセルはベネックス所長を指で示すと、嬉しそうに言った。
「ほら! キミはちゃんと理解してくれている。キミはアレを見て、アレの異常性に気づきながら、治安官事務局にも錬成機関院にも通報せず、ボクの願いを聞き入れて、自身の夢を追ったんだ。ボクはそんなキミだからこそ、ボクの傍にいて欲しいと思った」
ベネックス所長は『差分解析機』を見上げたまま、不満そうに呟く。
「……私にはやるべき事があった、大事の前の小事だと判断したんだ。良いかい? アレの存在を伏せた事について、私は君に対して大きな『貸し』を作ったつもりだ」
「『貸し』か……つらいところだが仕方ない、まあ良いさ。『借り』はいずれ返すよ」
マルセルは気にした風も無く応じる。
しかしソファに身体を預けたオランジュが、穏やかな笑みを浮かべたまま混ぜ返した。
「ふーん……パパったら安請け合いしているけれど、本当に『借り』を返せるのかしら? その人が知る事になるパパの悪行は、半端じゃないのに。取り合えず――ここに並んでいるたくさんの可哀想な『蒸気式精密差分解析機』が何をしているのか、それを教えてあげたら?」
「そうだな……私も気になっていたよ。さっき『差分解析機』について尋ねた時、マルセル君が言葉を濁した様に感じた。よほどの悪事が隠されているって事なのかな?」
オランジュの言葉を受け、ベネックス所長も挑戦的な笑みを浮かべる。
二人の視線に晒されたマルセルは、片眉を軽く吊り上げて見せた。
「二人とも酷いなあ。ボクはそこまで凶悪な事はしてないよ。さっきも言っただろう? 『叡智探求に伴う止むを得ない措置』だってね――まあ良い、ここに並んでいる『差分解析機』で何をしているのか教えておくよ」
そのまま数歩、マルセルは静かに稼動し続ける『差分解析機』のひとつに近づくと、黄金の義手で重厚な金属フレームに触れた。
ベネックス所長に向けて微笑み掛け、口を開いた。
「一言で要約するならつまり――『サンプリング』さ」
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・ベネックス所長=レオンの古い知人で実の姉。有能な練成技師。
・オランジュ=マルセルが錬成した最強のコッペリア。『レジィナ』の称号を持つ。




