第一五四話 捜査
・前回までのあらすじ
レオンの工房へ戻った一行は、エリーゼの治療を開始する。
同時にシャルルとヨハンの二人が、闘技場で見た他の仕合経過について報告する。
次なるエリーゼの対戦相手が、カトリーヌの恩人・シスター・マグノリアである事を理解しているシャルルとヨハンは、カトリーヌに仕合のサポートを辞退する様に促す。
しかしその提案に対してエリーゼが「カトリーヌのサポートが必須だ」と告げ、カトリーヌもその望みを聞き入れる。
広大な空間に窓は無かった、換気扇の音が低く響いていた。
『マリー直轄部会』専用の、大規模な地下工房だった。
地下工房の最深部には、巨大かつ複雑極まる鋼鉄のモニュメントが鎮座していた。
『蒸気式精密差分解析機』――スチーム・アナライザー・ローカスだ。
その威容は、大聖堂に設置されたグランド・スチーム・オルガンを思わせる。
重厚な金属フレームの内側で、一〇〇〇を超えるシリンダーが静かに旋回していた。
差分解析機の傍らに設置された、蒸気を吐き出す巨大な水槽は『錬成用生成器』だ。
強化ガラスの内側は、透明度の高い薄桃色の希釈エーテル製剤で満たされている。
希釈エーテルに身体を浸しているのは、白い肌を晒したシスター・マグノリアだった。
全身の構造解析と、左前腕の傷を癒す為の再錬成措置を受けていた。
それらの作業を行っているのは、枯れ枝の様に痩せた老司祭と、眼鏡を掛けた年若い司祭の二人だ。差分解析機より出力される専用用紙を確認しつつ、シスター・マグノリアの状態確認に務めていた。
更にもう一人、壮年の司祭が生成器の前に立っている。
長身痩躯、猛禽類の如き鋭い眼差し――ランベール司祭だった。
ランベール司祭は低い声で告げた。
「捜査協力を頼んだローカの奴から連絡が来た。配下の内偵調査員が『枢機機関院』の『機密保管庫』で『エリンディア遺跡』での『成果物』に関するリストを発見したそうだ」
「――内容は?」
伝声管を通じてシスター・マグノリアが質問する。
ランベール司祭は黒い修道服の懐から、封筒を取り出す。
封筒の中には、数枚の写真が納まっていた。
そのうちの二枚を手に取り、強化ガラス越しにシスター・マグノリアへ示した。
「まず一枚目。『錬成機関院』の『資料保管庫』にてシスター・ジゼルが撮影した、改ざん痕のある資料だ。『エリンディア遺跡にて完全状態の成果物・四点発見』『ただし遺跡内暴走事故に巻き込まれ二点逸失、回収成功は二点』とある。つまり『錬成機関院』が公式に入手し、極秘裏に管理している太古の『タブラ・スマラグディナ』は『二点』だと記載されている、が……報告通り、数字に改ざん痕が見て取れる」
「……」
「次いで二枚目。ローカの部下が『枢機機関院』の『機密保管庫』で撮影した資料だ。『エリンディア遺跡にて完全状態の成果物・五点発見』『ただし遺跡内暴走事故に巻き込まれ二点逸失、回収成功は三点』……『錬成機関院』の資料と数字情報に差がある。また『枢機機関院』の資料には改ざん痕が無い。こちらが事実だろう」
「――想定通り『錬成機関院』の内部資料と『枢機機関院』に残る資料との間に、齟齬が発生していたか」
強化ガラス越しに写真を見つめ、シスター・マグノリアは呟く。
手にした写真を封筒にしまいつつ、ランベール司祭は尋ねる。
「どうする? 『枢機機関院』内部に『タブラ・スマラグディナ』の不正利用者がいる可能性は高い、この写真は証拠として有効だろう。越権行為で獲得した証拠ではあるが『タブラ・スマラグディナ』は危険な代物だ、『帝国議会』もさすがに動く筈だ」
シスター・マグノリアは軽く首を振り、答えた。
「いや。『帝国議会』は動くだろうが、マルセルに届くまで時間が掛かる。以前にも言った通り、マルセルは足取りを隠す事より、スピードを優先している節がある。『タブラ・スマラグディナ』使用を疑われるオートマータの拡散が性急過ぎる。ここに違和感を覚える。今、状況証拠を提出しても決定的ではない、マルセルと『タブラ・スマラグディナ』の不正利用者に対する牽制にはなるだろうが、向こうに時間稼ぎと証拠隠滅の猶予を与えかねない。それに――」
「それに?」
「――これは可能性のひとつに過ぎないが、マルセルは何故、事態の隠蔽に注力せず、違法性が伴う計画を性急に推し進めているのか、いや……推し進めても良しと判断したのか。此処に仮説を立てるとするなら――『エリク第二皇子』の存在だ」
「……『エリク第二皇子』だと?」
ランベール司祭は驚いた様にシスター・マグノリアを見遣る。
シスター・マグノリアは続ける。
「ああ。『エリク第二皇子』は『錬成機関院』の顧問を勤め『グランギニョール』の発展にも尽力されている。そんな『エリク第二皇子』だが、予てよりマルセルとは懇意だったと聞く。皇帝の警護を務める『第一近衛天兵隊』の錬成にも『エリク第二皇子』が、皇帝直属の錬成技師団に、アドバイザーとしてマルセルを推挙していた。もしこの件に『エリク第二皇子』が何らかの形で関わっているとするなら……マルセルの性急な仕掛けは『エリク第二皇子』の強力な後ろ盾を期待してのものだとも考えられる。それが事実なら、状況証拠を提示し、時間を掛けて揺さぶるやり方では、揉み消される可能性がある」
「……本当にそんな大物がマルセルの疑惑に関わっていると? いや、無いと断定は出来ないが……事実なら捜査は難航する……。やはり一週間後の仕合で『エリーゼ』の首を獲り、レオン経由でマルセルまでの繋がりを一気に手繰る策が、最短かつ的確か……」
ランベール司祭は眉間に深い皺を刻みながら頷く。
漆黒の瞳にその様子を映しながら、シスター・マグノリアは言う。
「もちろん証拠の裏付けは多い方が良い。トーナメントに参加した『コルザ』と『ブロンシュ』の主――『ジュスト男爵』と『ダンドリュー男爵』、それ以外にも下位リーグで急激に頭角を現したコッペリアが幾らかいる、これらの調査を進めてくれ。可能なら『エリク第二皇子』についてもな」
「解っている、出来る限りカードは揃えるつもりだ。『エリク第二皇子』に関しては……難しいところだが、調べてはみよう」
ランベール司祭はそう答えると踵を返し、歩き始める。
シスター・マグノリアは黒い背中を見送り、やがて目蓋を閉じた。
◆ ◇ ◆ ◇
広々とした部屋は、豪華壮麗という言葉が相応しかった。
淡黄色の壁はダマスク模様、白い大理石製のマントルピースが設けられていた。
天井は高く、クリスタルのシャンデリアが穏やかな明かりを灯している。
磨き抜かれた木製の床は、ヘリンボーン柄の組み木造りだ。
その滑らかな床の上、一糸纏わぬナヴゥルが真っ直ぐに起立していた。
広背筋が張り詰め、見事に隆起する背中、ワイヤーを束ねた様な力強い肩。
強烈に引き締まったウエスト、張りのある艶やかな臀部。
しなやかに伸びた両脚を揃えての爪先立ち。
全身の筋肉が美麗な陰影を描く長身は、同時に豊かさにも満ちていた。
そして右手に携えられているのは、長大な戦斧――ハルバード。
更に目を惹くのは、目許を覆う黒い布――目隠しだった。
ナヴゥルは全裸にて両眼を布で封じ、戦斧を手に佇んでいた。
そんなナヴゥルの周囲には複数のフラワースタンドが、取り囲む様に配置されている。
スタンドには高低差があり、中心に立つナヴゥルからの距離にもばらつきがある。
二メートルから三メートルといったところか。
それぞれにワインボトルが一本ずつ置かれ、またそれぞれに薔薇の花が一輪ずつ生けられている。
薔薇の花は数にして一〇本、紅い薔薇だった。
紅い薔薇に囲まれたナヴゥルは、ゆるりと戦斧を持ち上げる。
右腕一本、大きく横へ構えた。
そのまま、二秒、三秒、四秒、五秒。
六秒を超えた瞬間。
重厚な戦斧は透明な帯と化し、空間に煌めく真円を描いた。
軽く跳躍したナヴゥルは、身体ごと旋回しつつ渾身の力で戦斧を振るったのだ。
重い風切り音。
次いで、爪先から着地するナヴゥル。
体重を感じさせぬ、軽やかさだ。
振り切った戦斧は、横へ払われた状態で静止している。
――と、ナヴゥルは静止させた戦斧を軽く縦に振るい、下方へと垂らした。
微かな風圧が周囲に広がったのか、ワインボトルに生けられた薔薇が微かに揺れた。
直後。
ナヴゥルを取り囲む全ての薔薇の花が、淡く揺らいだ。
同時に、コロリと頭を垂れる様、花となる部位が垂れ下がった。
花を支える茎――その茎が薄皮一枚を残して、斬り裂かれた為だ。
異なる高さ、異なる距離に置かれた薔薇の花を一〇本、一閃の元にである。
それも目視する事無く、視界を布で封じた状態で行ったのだ。
恐るべき精度、恐るべき空間把握能力。
――ナヴゥルには知る由も無いが、それは『コッペリア・グレナディ』が行った試技の再現でもあった。
かつてグレナディは、八人いた娘達の視覚を通じ、周囲の様子を認識していた。
多角的な視覚を用いて、絶妙な空間把握能力を獲得していた。
ならばナヴゥルは視界を封じた状態で、如何に周囲を認識しているのか。
それは海魔『ナックラビー』が有した『命の調べ』を手繰る能力の再現だった。
ナヴゥルは、生命体より発せられる『エーテルプルス』を認識しているのだ。
この演武にてナヴゥルは、自身の身体から溢れ出す微弱な『エーテル粒子』を以て、切り花となった薔薇より発せられる微かな『エーテルプルス』に干渉――その残滓を感じ取り、位置と距離を正確に把握するという、そんな神業を実現せしめたのだ。
痛覚神経の抑制を解除し、自身の肌を晒し、視界を塞ぐ。
極限まで知覚を高めた上での試し斬りだった。
完璧な形で試技を終えたナヴゥルは片膝を着き、戦斧を床に置く。
眼を布で覆ったまま屈むナヴゥルは、顔を上げると口許に笑みを浮かべた。
「如何か? 我が主よ」
微笑み掛ける先に居るのは、樽の様に丸々と太った体躯の主――ラークン伯。
壁際のソファに腰を下ろしたラークン伯は、弛んだ顎肉を揺らしながら頷く。
「見事だ、ナヴゥルよ……」
ラークン伯の表情は、凪いだ海の様に穏やかだった。
――が、その細い眼の奥には、何処か切なげで、不安げな光が宿っていた。
・シスター・マグノリア=『マリー直轄部会』所属のシスター。カトリーヌの恩人。
・ランベール司祭=『マリー直轄部会』所属の司祭。
・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。
・ラークン伯=ヤドリギ園一帯の土地買い上げを狙う実業家であり大貴族。




