第一五一話 余裕
・前回までのあらすじ
トーナメント一回戦・第四仕合『レジィナ・オランジュ』vs『コッペリア。コルザ』の死闘が続く。
積極的に攻め続けるコルザだが、オランジュは余裕の回避にてコルザの攻撃を全て往なし、序列一位の実力を見せつけるのだった。
闘技場内に籠る熱気は湿度を帯びていた。
鼓膜が張り裂けんばかりの大歓声、臓腑を揺らす足踏みの音。
眼下で繰り広げられる極限の死闘に、観戦する全ての貴族達が歓喜していた。
狂乱で波打つ観覧席の最上段、小部屋状に区切られたバルコニー席。
シャルルはソファから身を乗り出し、オペラグラスを覗き込みつつ呟く。
「あれが『グランギニョール』の頂点――『レジィナ・オランジュ』か……」
「ああ――とはいえ未だ実力の半分も示していない。過去に何度か『レジィナ・オランジュ』の仕合を観戦した事があるが、あれは完全に『魔法』の領域に達していたよ」
そう応じたのはラウンジスーツ姿のヨハンだ。
シャルルの傍らに立ち、闘技場を見下ろしている。
「――『魔法』? というと、目にも止まらぬという早さという感じか?」
ちらりとヨハンを見上げるシャルル。
ヨハンは軽く首を振る。
「いや……単純に早いという話じゃ無い。早いには早いんだろうが……そういう事じゃ無い筈だ。信じられないほどに精密なカウンター・アタックを行っている、といった感じだろうか」
「カウンター・アタック……」
「そうだ。互いの攻撃が交差した次の瞬間には、手にした『木の槍』が相手を刺突している。そこで半ば決着だ。観覧席から刺突の瞬間は捉え切れない、これは『シュミット商会』に所属する他の錬成技師達も同じ感想だった。その瞬間を捉え切れぬと」
「不可視の攻撃故に『魔法』か……」
再びオペラグラスにて闘技場を見下ろすシャルル。
ヨハンは頷く。
「ああ、『魔法』を思わせる不可視のカウンター・アタックだ。『レジィナ・オランジュ』はこれまでの仕合、全てカウンターにて勝利を上げている」
◆ ◇ ◆ ◇
「カウンターを取っているワケじゃ無いのさ」
銀のモノクルを光らせながら、天才錬成技師・マルセルは楽しげにそう言った。
西方門脇に設けられた『待機スペース』。
仕合を行う『コッペリア』の『介添え人』が待機する為の空間だ。
「……だけど私が見た仕合でも、『オランジュ』はカウンターで勝負を決めていたよ」
マルセルの言葉に応じたのはベネックス所長だった。
仄暗い『待機スペース』の奥、木製のベンチに腰を下ろしている。
バルコニー席で見せた、取り乱した様子は既に無い。
何処か気だるげに、闘技場を見つめている。
西側の『待機スペース』には、マルセルとベネックス所長の二人以外、誰もいない。
通常『コッペリア』を有する貴族の使用人達が『介添え人』として集い、仕合の行方を見届ける場所だ、二人しかこの場にいないという状況は珍しい。
とはいえマルセルは高名な錬成技師であり一代貴族、周囲に護衛の者が一人もいないという事は無い――『待機スペース』外の通路に控えているのだろう。
ベネックス所長は言葉を続けた。
「相手の踏み込みに併せ、木の槍で胸か腹を突く――それで決着だった。三仕合観たけれど、全てカウンターによる決着だった筈だ、それが違うと?」
「そう……それが違うのさ。どう違うのか見て欲しくてね、観覧席では無く、この『待機スペース』に来て貰った」
「……」
「いやなに……キミの『同志』にはキッチリと話をつけておくから、何も問題は無いよ。所詮は『ジブロール自治区』での利権目的に群れ集った安い貴族だ、キミのパトロンかも知れないが、キミには何も出来ないし、キミが得る物も無い」
マルセルは笑いながらそう言うと、黄金に煌めく義手の肘を鉄柵に預ける。
ベネックス所長は微かに眉根を寄せ、タキシードを纏った後姿に視線を送る。
寂しげに、呟く様に言った。
「……君はそうやって彼らを馬鹿にするがね、少なくとも私は本気だったのさ」
「キミの本気に応えられるのはボクだけだ、イザベラ」
マルセルは肩越しにベネックス所長を見遣り、微笑む。
改めて闘技場へ目を向けると、口を開いた。
「おっと……そろそろ仕合が動くよ? 見ていたまえ」
◆ ◇ ◆ ◇
大鎌を振り被りつつ、低く身構えるコルザ。
コルセット風のレザーアーマーに包まれた身体に力を漲らせている。
全身のバネを極限まで撓め、渾身の突撃を仕掛けるつもりか。
対するオランジュはコルザの前方七メートル先にて、変わる事の無い棒立ち。
シュミーズドレスを揺らし、手にした一六〇センチの木の棒を下方へ垂らしている。
エメラルドグリーンの眼を細めては、口許には艶やかな微笑を湛えている。
――が、その微笑みを許さぬとばかりに、コルザが全力で疾駆した。
構えた大鎌を肩に担ぎ上げ、タックルを狙う様な低い姿勢での正面突撃だ。
「しぃいいっ……!」
コルザの姿が黒い影となって尾を引く。
瞬く間に距離が詰まる、もはや大鎌の射程距離だ。
しかしコルザは大鎌を振るわない。
振るわぬまま、更に踏み込む。
オランジュが手にした木の棒――木製の槍を恐れぬという事か。
否、対応可能だ――コルザはその様に考えている。
オランジュとの仕合で、真に恐れるべきはカウンターだ。
過去に行われた全ての仕合をカウンターにて制している。
そんなオランジュに、カウンターを放つしか無い状況を作り、差し出したなら。
間違い無く喰いつく筈だ。
大鎌は振るわず鋼鉄製の柄を用いて、オランジュの刺突によるカウンターを弾く。
弾いた上で木の棒の射程――その内側へと一気に潜り込む。
超近接の間合い、そこからガントレットの仕込み刃にて勝負を掛ける。
それがコルザの狙いだった。
一気に間合いへと踏み込む。
同時にオランジュの手にした木の棒が、下段から軽やかに跳ね上がった。
完璧なタイミングだ。
だがその動きは、完全にコルザの想定そのものだ。
故に、カウンターとはなり得ない。
胸元へ真っ直ぐに伸びて来る木の棒――斜めにカットされた先端を。
コルザは手にした大鎌の柄を用いて、弾き逸らした。
「しゃああああっ!!」
鋭く尖った木の先端は、コルザの頬を掠めては浅く傷つけ朱色の線を引く。
それでも一切怯まない、飛び込む。
その間合いは、既に大鎌の射程では無い。
もちろん木の棒を携えたオランジュの射程でも無い。
互いに得物を振るう事の出来ぬ距離、間合いの内側だ。
この超至近距離ならば。
コルザはガントレットの仕込み刃を起動させた。
左右の肘から真っ直ぐに、蒸気を吹き出しながら鋭い切っ先が突き出る。
大鎌を放棄する。
「ふんっ……!!」
半ばショルダータックルを行うかの様に、コルザは全力で肘の刃を振るった。
どこを狙うという攻撃では無い。
どこに当たろうと重大なダメージとすべく振るわれた、捨て身の超近接攻撃だ。
仮にオランジュがナイフを隠し持っていたなら、相打ちとなる可能性もある。
それすら許容した特攻であった。
「……っ!?」
にも関わらず。
この絶対的な捨て身の一撃が、オランジュを捉えない。
一瞬にしてその姿が、視界から消えた。
否――回避したのだ、コルザは悟る。
オランジュは極限まで上体を反らし、更に前後に大きく開脚しながら下方へと逃れていた。
驚くばかりの柔軟さだ。
「ちっ……!」
それでもコルザは追撃する。
足元へ身体を沈み込ませ逃れようと、爪先にも仕込みの刃は備わっている。
「しぃっ……!!」
鋭い踏み込み。
爪先の刃で狙うはオランジュの顔面だ。
素早い回避には無理のある姿勢だ、簡単に逃れられるものでは無い。
「……ッ!!」
だがその攻撃は、硬質な金属音にて遮られた。
床へと逃れたオランジュは、半ば身を横たえた姿勢のまま、左手を伸ばしていた。
コルザが攻撃の最中に投棄した、大鎌の柄を捉えたのだ。
大鎌の、鋼鉄製の柄を使い、コルザの爪先に仕込まれた刃を弾いたのだ。
「くっ……」
コルザはもう片足の爪先からも刃を弾き出し、執拗に加撃を狙うが間に合わない。
オランジュは地を這うが如き低い姿勢のままゆるりと、近接攻撃射程の外へ逃れる。
更に距離を取りざま、右手に握った木の棒を跳ね上げ振るった。
斜めにカットされた先端部分が、今度はコルザの大腿部を傷つける。
頬と同じく朱色の線が走り、微かに血が滲む。
身体を起こしたオランジュは、軽くステップバックを繰り返して距離を取る。
一歩、二歩、三歩。
対峙する二人の距離は六メートル程となった。
やはり構えようとはしない。
シュミーズドレスも変わる事無く純白のままだ。
ふと――オランジュは携えた木の棒を、手の中で軽くスライドさせ、持ち替えた。
そのまま、斜めにカットされた棒の先端部分を、口許に寄せる。
濡れた赤い舌先でチロリと舐め、オランジュは微笑んだ。
「――今の攻防、あなたには何度かチャンスがあった。にも関わらず、あなたはそのチャンスを活かせなかった。残念だけれど、ここまでかしら?」
「あなたが決める事では無い……」
オランジュの涼やかな言葉にコルザが低く応じながら、床に落ちた大鎌を手に取る。
改めて大きく振り被ると低く深く身構え、全身に力を漲らせた。
・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友。篤志家として知られている。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・ベネックス所長=レオンの古い知人で実の姉。有能な練成技師。
・オランジュ=マルセルが錬成した最強のコッペリア。『レジィナ』の称号を持つ。
・コルザ=ジュスト男爵所有のオートマータ。巨大な鎌を操るが、謎を秘めている。




