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人造乙女の決闘遊戯 ~グランギニョール戦闘人形奇譚~  作者: 九十九清輔
第二十三章 暗中模索
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第一四六話 激怒

・前回までのあらすじ

科学熱傷を負ったエリーゼの治療に必要な『リンゲル液』を入手すべく、カトリーヌは闘技場地下の『管理局』へと赴く。しかしその途中で若い貴族達に絡まれ、絶体絶命の窮地に陥る。そんなカトリーヌの窮地に姿を現したのは『ヤドリギ園』の土地を巡って対立するラークン伯とナヴゥルだった。

 カトリーヌの身体に掛かっていた男達の手は、何時の間にか離れていた。

 突然現れたラークン伯と、『コッペリア・ナヴゥル』の姿に動揺した為だ。

 眼前にて嗤う『コッペリア・ナヴゥル』の威容は、大型の肉食獣を思わせる。

 そんな肉食獣の前に立つのは、ブヨブヨと肥え太った、だらしの無い壮年の小男。

 ラークン伯であった。


「――それでは改めてお聞かせ願えんか? キミらはいったい此処で何をやっとるの?」


 ラークン伯は片眉を吊り上げながら唇を歪め、先の質問を繰り返した。

 見ている者の神経を逆撫でする顔つきと声音だ。

 しかしこの男は、広大なゲヌキス領を維持し、絶大な権力を誇る大貴族なのだ。

 見た目と態度からは想像もつかぬほどに優秀な、そして狡猾で攻撃的な男だ。

 フロックコートを着た若い貴族は苦虫を噛み潰した様な表情で、しかし慇懃に応じた。


「この女は南方大陸出身者です。『特別区画』にも『グランギニョール円形闘技場』内にも、立ち入り様の無い存在。この女が身に纏っている修道服然とした衣服も『枢機機関院』の者たちが纏う装束とは違う、偽物ですよ。我々は彼女が、何らかの意図を以てここに侵入したと考え、尋問を行おうとしていたのです――」


「はあ? キミのご両親はアレか? 信仰心が無いのかね?」


 ラークン伯はダブつく顎をしゃくると小馬鹿にした様に、若い貴族を見遣った。

 更に首を傾げると両手のひらを上に向け、肩をすくめながら持ち上げて見せた。

 他人を舐め切ったジェスチャーだ。

 相対するコート姿の貴族は、顔を引き攣らせる。


「なっ……なにを仰っているのでしょう……?」


「そのシスターが纏っている修道服は『グランマリー在俗区会』派に属するシスターの、正式な装束ですよ? 濃紺の生地を使用しているという事は『助祭』の地位にある事を示している……この程度の常識は『ガラリア・イーサ』で暮らす者なら、子供でも知っとる筈ですがね?」


「えっ……?」


 嘲りを含んだラークン伯の言葉に、二人の若い貴族は表情を強張らせる。

 ラークン伯は弛んだ顎と頬の肉を歪ませつつ、更に続けた。


「こんな常識も知らんキミらは、いったい何処の高貴なご身分に在らせられるお方ですかな? まったくもって大変なご両親に育てて頂いた様ですなあ? 偉大なる『聖女・グランマリー』に祈りすら捧げた事も無いとか? そう勘繰られても仕方の無い無知無教養っぷり、私なら恥ずかしくて外も歩けんほどの蒙昧さ、ほほほ、少々言い過ぎましたかな……」


「……っ」


 暴言にも等しいラークン伯の言葉に、相対する二人の貴族は頬を引き攣らせる。

 スーツを着込んだ若い貴族は、苦虫を噛み潰した様な表情で吐き捨てる様に言った。


「しっ、しかしこの女はっ……南方大陸出身者ですよっ? こんな場所にまで出ばって、怪しまれても仕方の無い行動だっ、我々は聖戦を観覧する皆の安全を確保すべく、必要な措置を講じようとしただけだ! 他が為の行動は貴族の義務、それを実行しようとしていただけです!」


 その言葉を受けて周囲の従者達も、それぞれに首肯して応じる。

 ――が、ラークン伯の表情は侮蔑を超えて、憐みへと変化していた。

 

「はあ? なんとまあ……つまりキミらは、この私と戦争がしたいと?」


「なっ……何を仰るっ!? そんな事は一言も!」


 焦りと混乱に、二人の若い貴族と従者達の顔が青褪める。

 ラークン伯はその様子を無視しつつ、右手を自身の胸元へ添えて目を伏せた。


「――『グランマリー在俗区会』の若きシスターよ、どうかこちらへ。私めは、ゲヌキス氏族が末裔・ジャン・ゲヌキス・ポンセ・ラークンと申す者。不安はあるかと存じますが、どうか私めを信じ、この者の傍へ……」


 左手を伸ばすと、自身の背後に立つナヴゥルを示す。

 ラークン伯の言葉を受けて、ナヴゥルは姿勢を正す。更に右手を胸元へ添えて微笑むと、左手を前方へ――カトリーヌの方へ差し伸べた。


「どうか私の傍へ、シスター……」


 低く掠れた声で、ナヴゥルは囁く。

 カトリーヌは自分の周囲で固まっている男達を、警戒しながら見回した。

 全く動きが無い事を確認すると、戸惑いながらもナヴゥルの方へ歩み寄る。

 そのまま背後へ――枝道から一般通路へと抜け出した。

 そこには黒のラウンジスーツを着込んだ男達が複数並んでいた。

 皆、ラークン伯の従者なのだろう。

 カトリーヌが近づくと彼らは、左手を胸元に添え、軽く目を伏せた。

 グランマリー式の、右手を胸に添えて――では無い。

 緊急時に備えて何時でも懐の拳銃を取り出せる様、右手は確保してあるのだ。


「――社交界に集う方々は皆、私という男を良く知っている」


 ラークン伯は、目を伏せたまま言った。

 先程までの、侮蔑的な響きは失せていた。


「ゲヌキス領主・ラークン家の病弱な四男、それが私だった。当主だった父は、既に財産分与について考え始めていた。故に私は、父からも母からも、兄弟達からも、なんなら家に纏わる者全てから、酷く疎まれてねえ……半ば存在しない者として扱われていたんだ、そんな私を育ててくれたのは、年老いた乳母だったよ――」


「え……?」


 突然始まったラークン伯の昔語りに、二人の若い貴族は訝しむ。

 が、次の言葉に二人とも凍りついた。


「――私の乳母は、南方大陸出身者だった」


「……っ!」


 顔を上げたラークン伯は、周囲の男達を細い目で睨めつけながら続けた。


「これがどの様な意味を持つか、お解りか? 明確に家族から疎まれ、不要な存在であると解かる貴族の四男――そんな赤ん坊を、自らの領内で虐げる様に扱っていた南方大陸出身の女に任せたのだ、要するに……事故でも起これば良いという下衆な期待を込めてな」


「……」


 ナヴゥルの影から様子を伺っていたカトリーヌは、その言葉に胸が締めつけられるのを感じた。


「しかし南方大陸出身の乳母は、私を大切に育ててくれた。病に臥せりベッドから起き上がれぬ私を、甲斐甲斐しく育ててくれたのだよ……私が十二歳になるまで、母親代わりとして立派に勤めを果たしてくれた。そして病に倒れ、死んだ――」


「……」


 ラークン伯は胸を反らすと口許を歪め、笑った。

 

「――どうかね? 大した美談だろう? 私が自分で社交界に広めたんだ。ははは! 社交界で、私のこの話を知らん貴族なんておらんよ! そういう風に、私は私を売り込んだのさ! お涙頂戴の悲しい過去って奴さあ! あはははは!」



「え? え、ええ……」


「あはははははははっ!」


「はは……」


 男達はどう反応して良いか解らず、思わず追従の笑みを浮かべた。

 いきなりラークン伯は、真顔に戻る。


「――貴様ら、私を舐めとるのか?」


「……え?」


「つまり貴様らは、私の過去を知りながら、このシスターを侮辱した事になる」


「えっ? ……あっ!」


 二人の貴族は青褪めた。

 ラークン伯の言葉の意味を理解したのだ。


「社交界で私を知らん者はおらん。そして私の美談を知らん者もおらん。貴様らはそれを知った上で、私の前でこのシスターの出自を侮辱したな? 私に弓を引いたな?」


「い、いやっ……それは違うっ! 本当に知らなかったんだ!」


「知らんだと? ラークンなど知らんてか? この私に興味すら無いてか? ああ?」


「いやっ……そうでは無い! そうでは無くて……」


 ラークン伯の前に立つ若い二人の貴族は、蒼白のまま弁解しようとする。

 しかしラークン伯は聞き入れようとせず、喉の奥で唸る様に言った。


「しかも貴様ら、こんなところで何をやっとったんだ? この先にあるのは『管理局』だが、この通路に沿って並んどる部屋は資材倉庫だ。いかに三流貴族とはいえ、貴様らの様な人間が自ら足を運ぶ所じゃあるまい。こんな人気の無いところで何をやっとったんだ? ああ?」


「い、いや……それは……」


「はんっ! そっちのフロックコート……貴様、『グランギニョール』の下位リーグに『コッペリア』を参加させとったよなあ? そうだろう? 本戦前の前座で、はしゃいどったのを私は覚えておるよ。数時間前だ、だらしなく負けておきながら、貴様は上機嫌だったな?」


「そ、そんな事は……」


「八百長か……? 八百長仕掛けて儲けを出して喜んどったのか……?」


「――っ! い、いや、ち、違う、ラークン伯、わ、我々は、ただ……」


「違うか違わンかなンぞォッ!!! そンなもン既に関係無いィイイッ!!!」


 ラークン伯は細い眼を見開き、野太い声で絶叫した。

 その声にカトリーヌは身を固くする。

 が、身を固くしているのはカトリーヌだけでは無い。

 ラークン伯と対峙する男達もまた、指一本動かせずにいた。


「若き『グランマリー在俗区会』のシスターに狼藉を働き! 私の育ての親を侮辱し! 私をも愚弄し! おまけに八百長疑惑だと!? お前ら全員覚悟しろよっ!? お前らもっ……お前らの親兄弟もっ……親類縁者全員っ!!! ゲヌキス氏族に戦争を吹っ掛けたも同然だ! 否ァ!! 既にっ! このラークンにっ! 宣戦布告状態だ!! なああああァっ!?」


「えっ!? いやっ! ラ、ラークン伯っ……わ、我々は決して……その様な……」


「破滅させてやるからなっ!? ええっ!? 破滅したいんだろうっ!? おおっ!?」


「け、決して……決して……その様なっ、我々、我々は……ラークン伯……違う……」


「そうじゃあ無いだろォっ!!? うおおおおンッ!?」

 

 畳みかける様な怒号に、二人の若い貴族は全身から脂汗を滲ませ震えている。

 顔面に一切の血の気が無い。

 背後で俯く従者達もまた極寒の地で寒さに耐えているかの様に、歯を鳴らしている。

 

 ラークン伯は肩で息をしながら、男達を見回す。

 そのままゆっくりと三回呼吸を繰り返し、そして改めて口を開いた。


「――謝罪したまえ」


「は……」


「は……じゃないよ。こちらのシスターに、謝罪したまえと言っておるのだ」


 ラークン伯の要求に、男達は戸惑いながらも口を開こうとする。

 が、それをラークン伯は右手で制し、続けた。


「言っておくが私は、人が嘘をついておるかどうか、一発で見分ける事が出来るからな? 誠心誠意で謝れよ? そこに嘘があれば戦争だ。誠意が足りなくても戦争だ。私は半年で貴様らを破滅させる。貴様らの親兄弟も、親類縁者全員の人生を、無茶苦茶にしてやる。謝罪の言葉は良く考えて選べよ? チャンスは一度しか無いぞ?」


 はらわたを震わす様な低い声で、ラークン伯は告げる。

 居並ぶ男達は、恐怖に顔を引き攣らせながら頭を深く下げた。

 フロックコートを着た若い貴族が、掠れた声で謝意を述べる。


「こ、この度は……我々の、む、無知から……」


「貴様らは名無しか? あ? 名乗らんつもりか? 戦争か?」


 発言に割り込むラークン伯の怒気に、若い貴族は口籠る。

 頭を上げる事無く、言い直した。


「わっ……わっ……私ことマックス・バルモヌ-ス・ザール・ゴルブルイとっ、ギヨム・ サバロズ・アニア・フバドスはっ……知らぬ事とはいえ、シスターに、た、大変なご迷惑をお掛けしてしまった……。先程の非礼を心より謝罪する……本当に申し訳なかった……」


「本当に? それは本当を示す本当か? 嘘の気配がするなあ? 宣戦布告か?」


「ほっ……本当にっ、本当でございますっ! これは真のっ! 心からの謝罪ですっ!」


「あああああっ? 宣戦布告かあ!? 戦争がお好きかなああああっ!?」


「いえっ! 申し訳ございませんでした! シスター! どうかっ……どうかお許し下さいっ! ご勘弁下さいっ! マックス・バルモヌ-ス・ザール・ゴルブルイとっ! ギヨム・サバロズ・アニア・フバドスの謝罪を! どうか受け入れて下さいっ……!」


 ラークン伯は、謝罪を終えて未だ頭を上げようとしない男達から視線を逸らす。

 ゆっくり振り返ると存外に落ち着いた口調で、カトリーヌに話し掛けた。


「――恐れ入ります、シスター。如何でしょう、彼の者らの謝罪を受け入れますか? 納得出来ぬと仰るなら、このラークンにお任せあれ。妥当の万倍に値する報いを受けさせます故」

 

 ラークン伯に声を掛けられたカトリーヌは、しかし混乱の極みで固まっていた。

 何をどう言えば良いのか。

 いや……現状をどう判断すれば良いのか。

 あまりの事に身体が硬直していた。


 その時、低く掠れた囁きがカトリーヌの耳朶を打つ。

 厳つく隆起する力強い肩越しに、そっとこちらを見下ろすナヴゥルだった。


「案ずるに及ばず……我が主は妥当な采配を選択しよう。シスターの手を煩わせる事は無い故、如何様なりともご随意に申されよ……」


 彼女の赤い瞳は、エリーゼと似た色彩を帯びていた。

 不思議と穏やかな光を宿していた。


 その声音に、瞳の色に、カトリーヌは落ち着きを取り戻す。

 そして今、最も重要な事は何か――それだけを考えたならば。

 エリーゼにリンゲル液を届ける、それが最優先だ。

 それ以外の事はもう……ラークン伯が全て納めたと考えるべきだろう。

 若い貴族達の謝罪に、嘘があるとは思えない。

 カトリーヌは口を開いた。


「謝罪を受け入れます。先の件は誤解に因るものなのでしょう、彼らの言葉を信じます」


「聞いたかね、諸君」


 ラークン伯が後を引き継ぎ、声を上げた。

 腰に手を当て、高圧的な口調で続ける。


「若き『グランマリー在俗区会』派に属するシスターの、かくも寛大な対応を、貴様ら努々忘れるな。そしてこの私の事も忘れるな……ゲヌキス氏族が当主・ラークンは、貴様らのふざけた所業を決して忘れんからな?」


「は……はい……」


 もはや土気色の顔で、若い貴族らと男達は力無く応じる。

 膝を震わせて立つ姿は、彼らの限界を示していた。

 追い打つ様にラークン伯の言葉が飛ぶ。

 

「もし今後、このシスターの身に何かあったなら……私は貴様らの仕業だと断ずる! 言い訳弁解一切無用っ! 嘘も脅しも通じんからな!? ゴルブルイ家とフバドス家だと!? こっちは戦争する用意など何時でも出来とるからな!? どこの誰とでも半年で燃えカスも残らんほど徹底的にやる覚悟はとうの昔に出来とるからな!? そうなりたくなきゃ貴様らは、この若きシスターに救われた事をひたすら感謝しろっ! そしてシスターの幸運を死ぬまで祈り続けろ! その足りない脳みそに深く深く刻み込めい!」


「ひあぁ……はい……」


 消え入りそうな声で、二人の貴族は応じる。

 道理も法律も介在する余地の無い圧倒的理不尽を前に、ただ震える事しか出来ない。

 しかしこの理不尽は自らの無法な行いが招いた結果である以上、弁解の余地も無い。


「……消えろっ、消えて失せろっ、二度とこのラークンの前に顔を見せるなっ」


 蝿を追うような仕草を見せ、ラークン伯はそう吐き捨てた。

・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。


・ラークン伯=ヤドリギ園一帯の土地買い上げを狙う実業家であり大貴族。

・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。

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