第一四三話 内面
・前回までのあらすじ
エリーゼとの再戦を熱望するラークン伯所有のナヴゥルは、『錬成機関院』の息が掛かった謎の多いコッペリア『ルミエール』を、完全に封殺する立ち回りを見せて圧勝した。
「――凄いな、序列二位を完封か」
アリーナ最上段に設けられたバルコニー席。
ヨハンは暗い眼差しで闘技場を見下ろしながら、低く呟く。
シャルルもハンカチで額の汗を拭うと、口を開いた。
「全くの無傷で勝ち上がった、トーナメント戦ではかなり有利な状況だ」
「確かに――それにしても『コッペリア・ナヴゥル』は確実に強くなっている。エリーゼ君との仕合から半年も経っていないのに、この変化は驚異的だ」
冷静に応じるヨハンの表情は、しかしどこか暗く沈んでいた。
観覧席ではオーケストラ・ピットの管弦楽団が、勇壮な曲を奏で始める。
同時に、全身を派手に着飾った貴族達による大音声が広がり始める。
清濁入り乱れた怒涛の混声歌唱は、偉大なるグランマリーと戦勝したナヴゥルの功績を讃えつつ、興奮状態に陥った貴族達の滾りを、効率良く昇華する為の儀式でもあった。
聖歌が反響する中、シャルルは物憂げな様子のヨハンを見遣る。
「モルティエさん、先ほどから表情が冴えないが……やはりエリーゼの負傷が原因かな。怪我の程度が、一週間後の仕合に差し障るという様な……」
気づかわしげなシャルルに、ヨハンは束の間逡巡したものの、低く応じた。
「いや……万全では無いという、先にお伝えした言葉通りだよ、ダミアン卿。それについては部分的に『強化外殻』を装備する事で対応しようという話になった。恐らくそれで凌げる筈だ。しかし……」
「やはり何か問題があるのか?」
訝しむシャルルに、ヨハンは告げる。
「エリーゼ君だが、身体面より心理面に問題を抱えているのだと感じる……」
「心理面?」
ヨハンは控え室でのやり取りを、要約して伝えた。
シャルルは当惑した面持ちで、椅子に座り俯いているドロテアへ視線を向ける。
「――エリーゼは、仕合をしたく無いと考えているのか……」
「エリーゼ君は否定していた……が、彼女の神経とリンクしていたドロテアは、その様に認識している。過去の例から考えて、間違っているとは思えない」
ヨハンの言葉にシャルルは、眉根を寄せて俯く。
やがて呻く様に、口籠りながら言った。
「正直なところ……俺はエリーゼに戦って欲しく無い。とはいえ状況的に無理だという事も理解している。だけど、エリーゼが本当に戦いたく無いと考えているのなら、俺は彼女に無理強いなんて出来ない……」
「難しいところだが――エリーゼ君自身、自覚が無いまま深層心理下に、戦闘を忌避する想いが生まれた……そんな風に考える事も出来る。なので外部から接触したドロテアには認識出来たが、エリーゼ君は自覚出来ないのかも知れない」
俯くシャルルを見遣り、ヨハンは答える。
その回答を受けてシャルルは、更に苦い表情を作る。
「――他に負債の返済方法があるなら、すぐにでもそちらを選択したい……例えば俺が、俺の所有する地位と権利を全て手放したなら……或いは……」
ヨハンは首を振る。
そして諫める様に言った。
「それは間違っているよ、ダミアン卿。そんな事をすれば、貴方の友人であるレオン君だって許さないだろう。確かに状況は良く無いが……可能性を放棄したくも無い、恐らくエリーゼ君も同じ筈だ。だからこそ彼女は戦闘続行の意思を示したのだと思う」
ヨハンは再び、闘技場へ視線を向ける。
トーナメント一回戦、最終の仕合が始まろうとしていた。
◆ ◇ ◆ ◇
天井に取り付けられたシーリング・ファンが緩く旋回する、闘技場地下の控え室。
カトリーヌは治療器具を片付けると、傍らの医療用簡易ベッドに視線を送る。
そこではエリーゼが顔を伏せ、静かに身を横たえている。
腕に脚、肩から胸元、腰から腹部、全身に巻かれた圧迫止血用の包帯が痛々しい。
応急処置を終え、今は輸液措置と音響測定による構造解析を受けているところだ。
隣りではレオンが診察デスクに向かい、卓上の『蒸気式小型差分解析機』――スチーム・アナライザー・アリスから出力される専用用紙に、目を通している。
カトリーヌはベッド脇の丸椅子に腰を下ろすと、小さな声でエリーゼに話し掛けた。
「……エリーゼ、少し良い?」
「はい、シスター・カトリーヌ」
エリーゼは普段と変わらぬ声音で応じる。
カトリーヌは僅かに逡巡しつつ、尋ねた。
「エリーゼは『アーデルツ』さんの事を、レオン先生に相談した事ある? その、『アーデルツ』さんの『想い』について……」
「――いいえ、ございません」
エリーゼは短く答える。
カトリーヌは頷くと続けた。
「私は……レオン先生に相談した方が良いと思う。どうかな?」
「――シスター・カトリーヌが、そう仰るのでしたら」
エリーゼの応対は普段通りだ。
カトリーヌは、少し安心する。
改めて頷くと、レオンの方へ向き直った。
「レオン先生、お話があるのですが……宜しいですか?」
「ああ――構わないよ、シスター・カトリーヌ」
レオンは顔を上げて応じる。
カトリーヌはエリーゼの様子を確かめながら言った。
「エリーゼの事で、相談したい事があるんです……」
言葉を選び、丁寧に説明する。
エリーゼの胸中に芽生えたという『アーデルツ』の想いについて。
価値観の変化について。
不殺の約束を交わした理由について。
「――エリーゼは、レオン先生が錬成した『アーデルツ』さんの身体を得た事で、物事の価値観が変化したそうです。戦闘で得られる高揚感以上に、優先すべき事に気づいたのだと、そう言っていました……」
口を噤んだまま話を聞き終えたレオンは、思案顔で目を伏せると、口許に手をやる。
カトリーヌは不安げな面持ちで、その様子を見つめる。
幾許かの時が流れて後、レオンはエリーゼに尋ねた。
「エリーゼ。君は自身の内側に『アーデルツ』の『意識』を感じているのか?」
エリーゼは簡易ベッドの上で首を巡らせ、紅い瞳でレオンを見上げる。
落ち着いた口調で答えた。
「恐らく私は『アーデルツ』という方の『想い』や『感情』を、認識しているのでしょう。ですが『意識』や『記憶』を共有している訳ではございません」
レオンは探る様な眼差しで、エリーゼを見つめたまま続ける。
「その事で『行動』や『思考』に支障が出るという事は?」
エリーゼは僅かの間、口を閉ざしていたが、程無くして口を開くと応じた。
「……ございません。ただ――」
「ただ?」
「ただ、仕合うに際し『怖れ』を感じる様になった……それは事実です」
「……その『怖れ』が原因で、戦闘を忌避する感情が湧いた――という事は?」
カトリーヌは二人の会話に耳を傾けながら、胸元に手を添えて口を噤んでいる。
傷包帯が巻かれたエリーゼの相貌を、辛そうに見つめている。
エリーゼは、いいえ……と、答えた。
「戦う事、仕合う事。いずれも私が私である為に、必要不可欠な事柄。ご主人様も薄々お気づきの事でしょう。私という存在は、刃を捨ててこの世に在る事など、全く出来かねるほど……それほどに業の深い存在でございます」
囁く様に言いながら、エリーゼはそっと目蓋を閉じる。
長い睫毛が微かに震える。
そして細く息を吐きながら、改めて言葉を紡ぎ始めた。
・ヨハン=シュミット商会の代表。マルセルの再来と呼ばれる程、腕が立つ。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。エリーゼのサポートを行う。
・シャルル=貴族でありレオンの旧友。篤志家として知られている。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。




