第一四二話 深海
・前回までのあらすじ
シャルルとヨハンが観戦する中、ラークン伯所有の『ナヴゥル』と、錬成機関院所属の『ルミエール』が激突する。互いに一歩も譲らず、勝負の行方は未だ混沌としていた。
円形闘技場中央。
ナヴゥルはスタンスを広く、腰を落して戦斧を構える。
赤い瞳は真っ直ぐに、四メートル先のルミエールを捉えている。
そのルミエールは穂先を垂らしたまま、軽やかにステップを刻み始める。
ナヴゥルを見据え、横へ横へと回り込む動きだ。
時折前方へ鋭く踏み込んでは、素早い突きを放つ。
その攻撃は戦斧にて弾かれるが、ルミエールは構わずサイドへ回り、改めて突きによる攻撃を繰り返す。
攻めあぐねているのでは無い。
カウンターを狙うナヴゥルに、牽制にて揺さぶりを掛けているのだ。
緩急をつけた攻撃で隙を伺い、僅かでも綻びたなら一気に飛び込むつもりなのだろう。
しかしナヴゥルは、盤石の構えを維持したまま崩れない。
ルミエールのヒット・アンド・アウェイを、確実に捌き続ける。
重厚かつ長大な戦斧にて、鉄槍の軽快な連突きを悠々と往なしている。
どれほどの膂力と反射神経が、これほどの動きを可能たらしめているのか。
かつて見せた様な、爆発的な突破力こそ鳴りを潜めてはいるが、決して弱体化などしていないと、ナヴゥルの安定した防御力が物語っていた。
ルミエールは更に八度、九度と、鋭く踏み込みつつ刺突を繰り返す。
が、ナヴゥルにはいずれも届かない、全て弾かれ、逸らされる。
一〇度目の刺突は一際深く踏み込みながらの、脚を狙った一撃だった。
「しっ……」
牽制とは思えぬ強力な攻撃だ、それでもナヴゥルには通じない。
それどころかナヴゥルは、戦刃で打ち込まれる鉄槍の穂先を弾くや否や、手の中で戦斧の柄を激しく回転させると、ルミエールの手元を狙い、突き込んだのだ。
「ふんっ……!」
高速旋回する斧刃は、煌めく円柱となって伸びる。
その有様は、触れた物を削り取るグラインダーを思わせた。
「ちっ……」
ルミエールは前傾した姿勢を強引に立て直すと、ナヴゥルの反撃を避ける。
回避の瞬間、ルミエールの前腕を覆うガントレットから微かに火花が飛び散る。
僅かに掠めたのだ、とはいえダメージは無い。
だが、あと数ミリ距離を見誤っていたならば、指が飛んでいただろう。
一歩、二歩、ルミエールは後方へ大きく退くと、距離を取る。
ナヴゥルは追撃を仕掛けない、戦斧を構えたまま目で追うのみだ。
やがて口許を歪め、低く告げた。
「ふーっ……貴様は悪く無い、良く動き、良く攻める」
「……」
戦斧を握るナヴゥルのガントレット――強化外殻から蒸気が溢れ出す。
その様子をルミエールは、鋭い眼差しで見つめている。
互いの距離は凡そ六メートル。
「しかし、現時点では我に届かぬ。故に退け」
「……っ」
あろう事かナヴゥルは降伏勧告を口にした。
序列上位のルミエールに対する降伏勧告だ。
ルミエールの目つきは鋭さを増し、殺気を帯びる。
侮辱と受け取った為か。
手にした鉄槍を構え直したルミエールは、改めてステップを刻む。
やはりサイドへ、サイドへ、軽快な足取りで回り込む。
先程までと同じ、ヒット・アンド・アウェイを選択したという事か。
「――それでは我に届かぬと言った」
「……」
ルミエールの移動に併せて身体の向きを変えながら、ナヴゥルは言葉を続ける。
声音に嘲る様な調子は無い、しかし挑発以外の何物でも無い。
一切応えようとはせず、ルミエールはフットワークを続ける。
ナヴゥルを中心に、回り込む様に、回り込む様に。
――と、次の瞬間。
何の予備動作も無く、ルミエールは深く大きく踏み込んだ。
早さも申し分の無い強烈な刺突だ――狙いは戦斧を構えるナヴゥルの腕だった。
「小賢しやっ!」
ナヴゥルは短く吐き捨てると、ルミエールの踏み込みに併せ、自らも踏み込んだ。
突き込まれた穂先を、差し出した斧刃で脇へと弾き逸らす。
更にその勢いを殺す事無く、前に出るルミエールの胸元へスピアヘッドを――
微かな金属音が響いた。
ルミエールが突き出した鉄槍の穂先からだ。
穂先から左右に一五センチ程の刃が、音を立てて飛び出している。
対ジゼル戦でも用いられた仕込みの刃だ。
その刃を以てルミエールは、戦斧を握るナヴゥルの指、左手の指を削ぎにいったのだ。
反応するには薄すぎるほどの刹那。
仕込み刃は一気にナヴゥルの指を削ぐかと――再び金属音が響く。
防ぐ事など不可能、そう思えたルミエールの一撃が止められていた。
「小賢しいと言った!」
仕込みの刃を止めたのは、ナヴゥルのガントレットより突き出した鋼の鉤爪だった。
四本の鉤爪が鉄槍の穂先より伸びた刃を拉ぎ、捉えているのだ。
これによりルミエールの鉄槍は、突く事も、引く事も叶わぬ状況に陥る。
そしてナヴゥルは、右腕一本でも自身の得物を自在に振るう事が可能だ。
つまり、この時点でルミエールは『詰み』と言えた。
――が、しかし。
「はぁああああっ!!」
ルミエールは咆哮する。
敗北を察した為では無い。
ナヴゥルを睨む眼に、弱さは微塵も無い。
つまりここから逆転する策が残されていると――
――いきなり、戦斧を経てナヴゥルの手に掛かる鉄槍の圧力が消えた。
ルミエールの使用する鉄槍が、在り得ぬほどに大きく湾曲したのだ。
「――!」
否、湾曲では無い。
正確には鉄槍の柄が八つに区切られ、分裂したのだ。
それぞれの部位は凡そ二五センチ。
それぞれの部位を繋ぐのは金属の鎖だ。
東洋には『九節鞭』なる鉄製の鞭が存在するが、ルミエールの鉄槍は一瞬にして『九節鞭』と近似の状態に変化していた。
「はぁっ!」
鉄槍は大きくうねり、同時にナヴゥルの拘束から穂先が逃れる。
鎖の擦れる音がギリギリと響き、研ぎ澄まされた穂先と張り出した刃が波打つ。
その有様は、獲物を狙う蛇の様だ。
光を反射させ、渦巻き、そして一気にナヴゥルの喉を引き裂くべく閃いた。
直線の動きから、いきなり繰り出される曲線軌道。
穂先を確実に捉えたと確信した直後。
しかも、鉄槍の柄を結束する鎖にて射程も伸びている。
間髪置かず積み上がる、三つの予測不能。
これに対応出来るオートマータなど存在しない。
――筈だった。
三度響いた金属音は、酷く濁った音だった。
ナヴゥルの喉を裂くべく放たれたルミエールの鉄槍。
その穂先を。
獰猛に剝き出されたナヴゥルの歯が喰い締め、完全に捕らえていた。
「……っ!?」
驚愕の中で眼を見開くルミエール。
それでもルミエールは右腕を打ち振るう。
多関節の鉄槍をうねらせ、穂先を奪い返し様、ナヴゥルの顔面を打とうとしたのだ。
しかし、その反撃は叶わなかった。
「しいぃいいいっ……」
ナヴゥルの右手より放たれた戦斧のスピアヘッドが、鎧に覆われていないルミエールの左肩を貫通していた。
その衝撃にルミエールは、大きく後方へと姿勢を崩す。
更にナヴゥルは、うねる鉄槍の柄を左手で掴んだ。
身体を固定され、獲物を捕獲され。
もはや完全に『詰み』であった。
「ふはぁーっ……仕込みの武装に仕込みの刃、初見であればこそ有効な仕掛けよ」
ナヴゥルは歯に捉えていた穂先を吐き出すと、低く呟いた。
ルミエールは自身の左肩を貫いた、戦斧のスピアヘッドを引き抜こうと身体をゆする。
だが、ビクともしない。
ナヴゥルが腕一本にて、刺し貫いたルミエールの身体を僅かに持ち上げている為だ。
痛覚抑制が施されていなければ、激痛で失神しかねないところだ。
もちろん前へ進む事も出来ない、巨大な斧刃が張り出している。
「先に行われたエキシビジョン――貴様の仕掛けは、我が主より凡そ聞き及んでいる」
ナヴゥルはルミエールが、複数の仕込み武装を使用すると知った上で、仕合に臨んでいた。これはトーナメント予選にて『コッペリア・アドニス』が『コッペリア・ブロンシュ』を下した時と同じ理由だ、いかに巧妙な仕掛け――仕込み武装であっても、それを使用すると警戒したなら、仕込み武装の威力は半減する。
とはいえルミエールも、そんな事は百も承知で戦っていたのだ。
仮に仕込み武装の使用を予め想定されていたとしても。
卓抜した技術と体術を組み合わせたなら、十二分に有効な武装として成立する。
が、ナヴゥルには通じなかった。
何故ならば――
「そしてこの場は既に、我が『深海』の領域よ。『深海』に至らば、我は『命の波動』を手繰る事が出来る。貴様がどの様に立ち回るのか、全て知覚出来る」
――そう。
『水妖・ナクラビィ』の魂を有するナヴゥルは、体内に有した『エーテル粒子』を、両腕のガントレットから溢れる蒸気と共に散布する事で、周囲一帯を『海』と見立て、その場に存在する者の『神経伝達』を『波動』として、把握する事が出来るのだ。
つまり、敵の『挙動』を『神経伝達』の『波動』として事前に知覚し、行動を読み解く事が可能なのだ。
それは経験則に基づいた『先読み』すら超越した、ナヴゥル固有の特殊能力だった。
しかもナヴゥルは、痛覚の抑制も解除し、極限まで自身の知覚を高めている。
この状態のナヴゥルにはもはや、欺瞞や眩ましといったフェイントの類いも通用しない。
『エーテル粒子』散布という条件さえクリアしてしまえば。
もはや防御に於いて一切の死角など無い。
そう断言しても過言では無いレベルに、ナヴゥルは達していた。
「この戦斧を抜けば、貴様は静脈からの大出血にて仕合うどころでは無くなる――敗北を認めよ。此度の仕合、決死決着の約定は無い、我に勝利したくば次の機会に託せ」
「……っ」
ナヴゥルの言葉にルミエールは、歯噛みしながら俯く。
一秒、二秒。
おもむろにルミエールは、分割された鉄槍から手を離す。
そのまま右手を掲げた。
『錬成機関院』の関係者が控える『待機スペース』の奥から、困惑の声が響く。
しかし程無くして、スーツ姿の介添え人達が、よろめきながら闘技場に姿を見せる。
彼らは動揺を隠す事も出来ぬまま、震える声で宣言した。
「わっ……我々の敗北をっ……せっ、宣言するっ……!!」
汗塗れの貴族達で埋め尽くされた観覧席が、盛大などよめきに揺れた。
『序列二位』の陥落であった。
・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。
・ルミエール=『錬成機関院』所属コッペリア。グランギニョール序列二位。




