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人造乙女の決闘遊戯 ~グランギニョール戦闘人形奇譚~  作者: 九十九清輔
第二十一章 諸行無常
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第一三二話 失望

・前回までのあらすじ

マルセルに才能を見出され、その事に奮起したイザベラはガラリア・イーサの『錬成機関院付属学習院』にて勉学に励んでいた。イザベラは優秀な生徒として学習院で過ごし、そして長期休暇を迎え久しぶりに帰郷する。未来に夢を抱き、順風満帆のイザベラに対し、イザベラの母親であるゾエは、マルセルと近く結婚するのだと切り出したのだった。

 沈黙が落ちた時間は、ごく僅かだった。

 そうなんだ、おめでとう――イザベラはそう言い、笑顔で母親を祝福した。

 ありがとう、イザベラ――母親のゾエはそう答え、微笑んだ。

 その隣りには、邪気の無い笑みを浮かべるマルセルがいた。

 イザベラはお茶の注がれたカップを傾けながら、口を開く。

 

「……だけど、マルセルとママが結婚しても、私、マルセルの事をパパって呼ぶ事は出来ないな。だって親子って呼べるほど、歳なんて離れていないでしょう? 今まで通り、マルセルで良いよね?」


「勿論だよ、イザベラ。キミの好きに呼んでくれたら良い」


 微笑みを絶やす事無くマルセルは、鷹揚に頷いた。

 隣りでは母親が、何処か気恥ずかしげに、或いは――心苦しげに俯く。

 イザベラは、僅かに唇を尖らせながら言う。

 

「それにママったら、今までの手紙に一度もこんな話、書いてくれ無かったんだもの。私、驚いちゃった。事前に教えてくれても良かったのに」


「ごめんねイザベラ。どうしても……恥ずかしくて、伝えそびれてしまったの」


 母親は目を伏せたまま答え、更に言葉を重ねた。

 それでね、式を挙げるつもりは無いの。私は『錬金術師』だから。ガラリアの流儀に則って、グランマリーに誓い立てるのは違うと思う。判るでしょう? マルセルもそれで構わないと言ってくれているし――照れているのか、少し饒舌になった母親を、イザベラは口許に笑みを湛えたまま見つめる。

 時折、揶揄う様に声を掛けては混ぜっ返し、コロコロと笑った。

 そんな二人の様子に、マルセルは穏やかに微笑んだままだ。

 やがてイザベラは椅子から立ち上がると、明るい表情で告げた。


「それじゃあ私、夕食まで部屋でゆっくりしてるね? 今日は汽車に乗り遅れない様、早起きしちゃったから眠くって」


 イザベラは自室へと戻った。

 

 ◆ ◇ ◆ ◇


 自室に戻ったイザベラは、そのままベッドへ倒れ込んだ。

 ブランケットに顔を埋めたまま動かない。

 室内は冷え切っており、ベッドにすら些かの温もりも無かった。

 それでもイザベラは身動ぎ一つせず、動こうとしない。

 胸の奥から止め処も無く湧き上がる想いが、身体の感覚を鈍くしていた。


 次から次へと、言葉にならない想いが湧き上がり続ける。

 息苦しくて、切なくて、もどかしくて。

 この気持ちはなんだろうと、イザベラは思った。

 胸がキリキリと痛むようで。焼けるようで。


 やがて、これは濁った感情なのだと気づいた。

 これは、憎しみであり、嫉妬なのだと。

 

 でも、そんな感情は、イザベラの理性が許さなかった。


 何故なら、何も無かったからだ。

 マルセルとは、何も無かった。

 私はマルセルに何も伝えなかったし、マルセルも私に何も言わなかった。

 手紙だって出して無い。

 だから、何一つ言える筈も無い。


 そう――手紙すら出して無い、だって恥ずかしかったから。

 だって、家族でも無いマルセルに手紙を出すという事は。

 ――マルセルに好意があると、認める様なものだから。


 好意だとか、誰かを好きになるだとか。

 そんな気持ち、解らなかった。

 気づかなかった。

 ああ……何故、手紙を出さなかったのだろう。

 

 柔らかに冷えたブランケットの上で。

 イザベラは身体を丸めて膝を抱く。

 そして、少しだけ泣いた。

 

 ◆ ◇ ◆ ◇


 そのまま数日間、イザベラは屋敷に滞在した。

 母親や、使用人達の前では今までと変わらぬ態度を心掛け、笑顔で過ごした。

 婚約者となっていたマルセルは、未だ母と共に暮らしてはいないらしい。

 市街地に程近いコンドミニアムで、ひとり暮らしを続けていた。

 それはイザベラにとって、都合が良かった。

 母親とマルセル、二人の前で演技を続けるのは苦痛だったからだ。


 無邪気さを装い続け、やがてイーサの学習院へ帰る日になった。

 その日も母とマルセルが、旅立った時と同じく、駅のホームで見送ってくれた。

 

「それじゃあね、ママ。身体に気をつけてね。マルセルもね」


「ええ、イザベラも身体に気をつけて頑張ってね――」


 イザベラの言葉に母親は応じる。

 その表情には何処か陰が差し――やはり別れが寂しいのだろうと思う。

 母の隣りにはマルセルが立ち、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべている。

 一点の曇りも屈託も無い笑みだ。

 その子供の様な笑みから視線を逸らし、イザベラは汽車へ乗り込む。

 と、その時。


「……ごめんね、イザベラ」


 震えて掠れた小さな声が、イザベラの耳朶を打った。

 母親のゾエだった。

 美しい眉が悲しげなハの字を描き、微かに眉根を寄せている。


「ごめんなさい……」


 もう一度、母親はそう呟いた。

 そして俯く母親の肩を、マルセルがそっと抱き寄せる。

 イザベラが口を開き掛けた時、目の前で汽車のドアを駅員が閉ざした。

 汽笛が響き、車窓の外の景色が流れ出す。

 遠ざかって行く母親とマルセルの姿を、イザベラは見つめる。

 身を寄せて佇む二人の姿は、どんどん小さくなり、やがて涙に滲んで消えた。

 

 ◆ ◇ ◆ ◇


 つまり、母は気づいていたのだ。

 私がマルセルに想いを寄せている、その事に。

 私自身、自覚も出来ない感情だった。

 だけど母は気づいていた。

 なのに、気づいていたのに、ママはマルセルと。


 私は、言葉にも、態度にも、示さなかった。

 だから、私の想いはマルセルに伝わる筈も無い。

 だけど母は気づいていた。

 私がマルセルに想いを寄せていると、気づいていたのに。


 これは――裏切りなのだろうか。

 揺れる汽車の中、イザベラは車窓から灰色の景色を見送り続けた。

 

 ◆ ◇ ◆ ◇


 『錬成機関院付属学習院』に舞い戻ったイザベラは、再び勉学に励んだ。

 今まで以上に、これまで以上に、錬成科学の知識を吸収しようと努力した。

 そうせずにはいられなかった。

 

 もう――母親の様な人物を目指そうという気持ちは、無くなっていた。

 マルセルの言葉で奮起した自分が、恥ずかしいと思った。


 それでも――自分が歩んだ道は正しかったのだと信じたかった。

 せめて己が身に宿った『才能』だけは、本物であると信じたかった。 

 勉学に打ち込む事で、嫌な事を忘れたかった。

 幼過ぎて何も理解出来なかった無知な自分を、忘れたかった。


 その年の夏、イザベラは帰郷しなかった。

 今は、学びの時間を大切にしたいと手紙に書いた。

 『グランマリー聖誕祭』の長期休暇にも帰らなかった。

 グループで研究に取り組んでいるので、帰る事が出来ないと手紙で伝えた。


 帰れなくて残念です。

 ですがこちらでは問題無く、元気に過ごしています。

 ママも身体に気をつけて。


 その様に記した。

 

 ◆ ◇ ◆ ◇


 月日が過ぎて、再び夏の長期休暇が訪れる頃。

 国内に不穏なニュースが流れた。


 七月中旬『ジブロール自治区』内にて大規模な暴動が発生。

 同自治区内での資源採掘反対運動が過激化した事が原因。

 帝国は治安の維持を図るべく、治安維持軍の派遣を決定。

 事態が収束するまで『ジブロール自治区』への移動は制限される。


 まさかという想いがあった。

 しかし、戦争や動乱は現実に起こり得る事なのだと、イザベラは理解していた。

 幼少の頃、神聖帝国ガラリアの侵攻にて故郷を失っているのだ。

 半ば霞んでいた記憶ではあるが、戦争のリアルは覚えていた。


 イザベラは悔やんだ。

 こんな事になるのなら。

 母に逢いに行けば良かった。

 母の事を許せば良かった、マルセルの事を許せば良かった。

 全ては己が幼さ故の我が儘だったのだと、そう思えば良かった。

 

 母とマルセルの無事を確認すべく、手紙では無く電信を送った。

 無事でいるのか、どんな状況なのか。

 数日後、電信が返って来た。

 暴動は市街地のみ、こちらには影響無し。

 私もマルセルも、屋敷の者達も全員無事です。


 簡潔な内容だったが、イザベラは胸を撫で下ろした。

 母親とマルセルの無事が確認出来たのだ。

 それほど酷い状況では無いのかも知れない。


 ――が、その後も新聞等で報じられる内容に、好転の兆しは見られなかった。

 むしろ状況の悪化ばかりが記されていた。

 『ジブロール自治区』で発生した暴動が、組織的抵抗に変化したらしい。

 完全な内戦状態に陥ったのだと、そう締め括られていた。

 イザベラは困惑の中で、母親に電信を送る。

 無事でいるのか、本当に大丈夫なのか。

 気を揉みながら、母からの返信を待つ。

 だが、なかなか返信が無い、何かあったのだろうか。


 二週間後、漸く手紙にて返信があった。

 手紙の主は、マルセルだった。


 返信が遅くなってしまい、すまない。

 治安維持軍の要請で電信の使用が制限されており、時間が掛かってしまった。

 まずひとつ、キミの母上は少し体調を崩している。

 市街地と屋敷は遠く離れているので直接の被害は無いが、心労が重なった様だ。

 だけど、大した事は無い。

 屋敷の者も、ボクも、医者も傍についているので大丈夫。

 また逢える日を楽しみにしていると、伝言を頼まれた。

 キミの健康を祈っていると言っていた。

 勿論、ボクもキミの健康を祈っている。

 立派な『錬成技師』を目指して欲しい。


 イザベラは両手で顔を覆った。

 胸が痛み、不安が募る。

 再び自分を責める。

 あの時、母親を許す事が出来たなら。

 マルセルを許す事が出来たなら。

 少なくともこんな想いを抱える事は無かった筈だと。


 『ジブロール自治区』で発生した内戦は、未だ納まる事無く続いているらしい。

 陸路であれ、空路であれ、正規のルートは完全に封鎖されている。

 逢いに行く事など不可能だった。

 手紙でのやり取りだけが、頼みの綱だった。 


 数ヶ月が過ぎ、『グランマリー聖誕祭』の時期が近づいた時。

 マルセルより手紙が届いた。

 

 キミの母上・ゾエの体調が芳しくない。

 そして今から書き記す事柄は、ゾエに口留めされていた事柄だ。

 キミに隠し事をするのは心苦しかったが、彼女の意向を尊重していた。

 まず――彼女が内乱に巻き込まれ、心労で倒れた事は事実だ。

 しかし同時に、彼女は新しい家族を、その身に身籠っていたという理由もある。

 その為、体力的に厳しい状態にあったのだ。

 近々、キミの弟か妹が産まれる事になる。


 動悸が激しくなり、息苦しさを感じた。

 解かっている、理解している。

 マルセルは母親の夫だ、解っている。

 私も、その事を認めた筈だ。

 だから何度も、許す事が出来たならと思ったのだ。


「どうして……」


 なのに。

 胸は苦しく、冷たい汗が滲む。

 私は何に対して、苦しい想いを抱いているのだろう。

 この狂おしい想いは、何なのだろう。

 許した筈なのに、反省した筈なのに。

 イザベラは奥歯を食い締めながら、手紙の文字を何度も読み返していた。

・イザベラ=偉大な錬金術師の娘。後のベネックス所長。

・ゾエ=イザベラの母親。偉大な錬金術師。

・マルセル=錬成技師の青年。後の天才錬成技師。

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