第一三一話 歓喜
・前回までのあらすじ
『錬金術師』である母親の才能を受け継いだイザベラは『錬成技師』の青年・マルセルと出会う。マルセルはイザベラの母親に『錬金術に纏わるサンプル』の共同解析を依頼、共に作業にあたる傍ら、イザベラの相談事にも乗り、適切なアドバイスを行ったりもする。イザベラはマルセルの薦めに心を動かされ、更に『錬成科学』へと傾倒してゆくのだった。
進むべき道が拓けたと、イザベラは思った。
私には才能があるのだと、そう信じられた。
尊敬する母親に導かれ、頼りになるマルセルに励まされ。
イザベラは自分が進むべき道へ、踏み出す事を決めたのだった。
「イザベラ、あなた本当に『錬成機関院付属学習院』に入学したいの?」
母親のゾエは、イザベラを問い質す。
イザベラは力強く頷いた。
「ええ……私ね、自分が何をやりたいのか、ようやく解ったの。ママから学んだ『錬金術』に加えて『錬成科学』も学びたい。もっと色々な事を知りたい。自分に何が出来るのか知りたいの」
その言葉に嘘は無かった。
私に『才能』があるのなら、それを活かすべきだと思った。
母から学んだ『錬金術』に加えて『錬成科学』も学びたい。
そして母の様に、皆の役に立つ人間になりたい。
知識と技術を以て、皆に必要とされる者を目指したい。
母親・ゾエは、イザベラの望みを聞き入れた。
ガラリア・イーサの『錬成機関院付属学習院』へ入学する事を認めたのだ。
だけど、最後までイザベラの事を心配していた。
当然だろう、今までずっと共に暮らして来た一人娘だ。
それが単身、都会で一人暮らしを始めるというのだから、心配にならないわけが無い。
それでも母親は、笑顔でイザベラの旅立ちを祝福してくれた。
◆ ◇ ◆ ◇
駅のホームでイザベラを見送るのは、母親と屋敷の使用人達、そしてマルセルだった。
母親・ゾエは、蒸気機関車へ乗り込む娘に優しく微笑み掛ける。
しかしその微笑みは何処か切なげで――寂しさを押し殺しているのだろう。
「イザベラ、身体に気をつけてね?」
「うん、大丈夫。手紙を書くから安心して、ママ!」
母親の気持ちを察してイザベラは、敢えて闊達な風を装う。
敢えてだった、本当はイザベラも寂しかった。
でもここで寂しがっては、母親を心配させると思った。
明るい笑顔を見せれば、きっと安心して貰えると思ったのだ。
「――キミはきっと一流の『錬成技師』になれるよ、イザベラ」
そう言ったのは、母親の傍らに立つマルセルだった。
澄み切ったグレーの瞳が、真っ直ぐにイザベラを見つめていた。
子供の様に純粋な瞳だ。
「うん! 私には『才能』があるんだもの、ね? マルセル」
イザベラはその瞳を見つめ返し、胸を張って答える。
それから軽くウインクしてみせた。
マルセルは穏やかに微笑み、眼を細めた。
やがて発車の時刻を告げる汽笛が、高らかに響く。
そのままゆっくりと、イザベラを乗せた汽車が走り出した。
「それじゃあね、ママ! マルセル! 私、行って来るね!」
イザベラは窓から身を乗り出し、母親とマルセルに手を振った。
母親とマルセルの姿が遠く見え無くなるまで、手を振り続けた。
◆ ◇ ◆ ◇
全く新しい環境での一人暮らしではあったが、イザベラはすぐに順応した。
明るく朗らかな性格だった事に加え、明確なビジョンを思い描いていた為だ。
己が『才能』を活かし、母親と同じく皆に求められる存在となりたい。
『錬成機関院付属学習院』に入学してすぐ、イザベラは頭角を現し始めた。
母親から学んだ『錬金術』と、新たに学び始めた『錬成科学』には類似点が多く、また『錬金術』を学ぶ中で身についた知識と技術は、同年代の学生達とは比較にならないほどの高みへ達していた為だ。
マルセルとの交流も『錬成科学』の理解を深める一助となっていたのだろう。
入学して半年も過ぎた頃、イザベラは教員達の推薦を受け『一般錬成科学』から『高等錬成科学』を学ぶコースへと、飛び級で編入された。
かなり特殊な措置ではあったものの、それは問題無く受理される。
母親・ゾエの功績が関係していたのかも知れない。
しかしイザベラの能力が抜きん出ていた事も事実だ。
いずれにしてもイザベラは、充実した学習院生活を送っていた。
自信と信念を持って『高等錬成科学』に取り組み、新たな知識と技術を習得する。
学ぶ事が楽しく、技術を高める事が喜びに繋がっていた。
そして折に触れては『ジブロール自治区』で暮らす母親に宛て、手紙を書いた。
『ママ、元気に過ごしていますか? 私はとても元気です。寮の暮らしにも慣れ、毎日が充実しています。先日は友達と一緒に『イーサ』の大劇場へ、観劇に行ったりもしました。もちろん学習院での勉学も疎かにはしていません、安心してね。私もママみたいな『錬金術師』を目指しているので、新しい知識と技術を懸命に、楽しみながら学んでいます。こんなにも恵まれた環境を与えてくれてありがとう、ママ――』
日々の幸せな生活と、感謝の気持ちを母親に伝えた。
充実した学院生活は、全て母のおかげだと思っている。
幾ら感謝してもし足りないほどだった。
それと同時に――本当はマルセルにも手紙を出したかった。
私に『才能』があると、そう教えてくれたのはマルセルだった。
マルセルが私の背中を押してくれたのだ。
イザベラはそう考えていた。
だから、マルセルにも感謝を伝えたかった。
……でも出来なかった。
仲良くして貰ったのに、『錬成科学』について教わったのに。
色々と相談事にも乗って貰ったのに。
それでも、どうしても、手紙を出す事が出来なかった。
それは言葉にし難い感情だった。
強いて言うなら、恥ずかしかったのだ。
イザベラにとってのマルセルは、話しやすい人物で――きっと兄の様な存在だった。
だから気兼ね無く話し掛ける事が出来た、どんな事でも相談出来た。
兄の様な人だったから。
――だけど、本当は違った。
離れてみて、初めて気づいたのだ。
母親に感じる思慕と、マルセルに感じる思慕は、また別の感情なのだと。
マルセルに対する想いは、恐らく兄に対する感情では無かったのだろう。
ただ、それがどういう感情なのか。
母親と二人で生活していたイザベラには、どうしても解らなかった。
◆ ◇ ◆ ◇
瞬く間に一年が過ぎ、イザベラは十八歳になった。
勉学に励みつつ友人達との交流も広げた、充実の一年だった。
そして『グランマリー聖誕祭』前の『長期休暇』が近づいた頃。
珍しく母親の方から手紙が届いた。
『イザベラへ。元気に過ごしていますか? そろそろ長期休暇の時期ですが、帰省する予定はありますか? 実はイザベラに話しておきたい事があります。それに、あなたの顔も見たいのです。どうでしょう、一度帰って来ませんか?』
その手紙にイザベラは、くすぐったい様な喜びを覚えた。
久しぶりに逢いたいという手紙なのだ、心配してくれていたのだろう。
もちろん帰省する、私もママの顔が見たいと手紙にしたため、返信した。
◆ ◇ ◆ ◇
空は生憎の曇天模様だった。
山の稜線は白々と滲み、その白さはなだらかな斜面の中腹にまで広がっていた。
吐く息もまた白く、頬を撫でる風は冷たく研ぎ澄まされて感じられた。
通りに連なる建物の窓は、室内との寒暖差で白く曇っている。
久しぶりの『ジブロール自治区』には、粉雪が舞っていた。
「おかえりなさい、イザベラ」
迎えの駆動車を降りたイザベラに、母親のゾエはそう言って微笑み掛けた。
一年ぶりに逢う母は何も変わっておらず――むしろ以前にも増して、美しくなっているとさえ感じた。
イザベラは母親に抱きつき、ただいまと言って応じる。
母親の後ろに並ぶのは屋敷の使用人達と、そしてスーツ姿のマルセルだった。
マルセルも一年前と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべて言った。
「おかえり、イザベラ」
屋敷に帰ったイザベラは荷物を自室へ運び、そのままリビングへ向かった。
リビングでは母とマルセルが、熱いお茶とお茶受けの菓子を用意して待っていた。
イザベラは二人と向かい合う形で、テーブルに着く。
そして二人に乞われるがまま、イーサでの暮らしや学習院での生活について話した。
学習院では学ぶ事が多く刺激に溢れている、私と同様に『錬成技師』を目指す友人も出来た、たまの休みには街へ出て演劇や食事を楽しむ事もある、寮は質素だけれど部屋が広くて居心地が良い……
一頻り自身の事を語ったイザベラは、微笑みながら母に言った。
「私ばっかり話してるから、今度はママの話が聞きたい。ほら、マルセルから頼まれていた『サンプルの解析』作業っていうのは進んだの? マルセルがここにいるって事は、その話も聞かせて貰えるんだよね? 私も未来の『錬金術師』で『錬成技師』なんだし」
母親はその言葉を聞いて後、ふと視線を手元のカップに落す。
そっと唇を湿らせる様、お茶を口にする。
その様子は何処か奇妙で、何かを言い澱んでいる様にも思えた。
――が、母親のゾエは顔を上げると、おもむろに口を開いた。
「あのね、イザベラ。ママは……イザベラに伝えておきたい事があるの」
「うん、何でも言って?」
母親のゾエはヘーゼルカラーの瞳で、娘のイザベラを真っ直ぐに見つめる。
そして言った。
「私ね、マルセルと――再婚しようと思う」
・ゾエ=イザベラの母親。偉大な錬金術師。
・イザベラ=偉大な錬金術師の娘。後のベネックス所長。
・マルセル=錬成技師の青年。後の天才錬成技師。




