第一二六話 不意
前回までのあらすじ
ベルベットの返り血を浴び、徐々に動きが阻害され、追い詰められてゆくエリーゼ。そんなエリーゼを仕留めようと猛攻を仕掛けるベルベット。二人の仕合を観覧しながら勝利を確信するベネックス所長。しかし決着間近と見えた次の刹那、エリーゼはベルベットの視界から忽然と消えたのだった。
攻めるベルベット。
後退するエリーゼ。
交錯の瞬間、エリーゼは床の上へ仰向けに倒れる。
否、倒れたのでは無い。
ワイヤー牽引の加速を用いて、自ら勢い良く床に身を投げたのだ。
同時にエリーゼは、眼前に翳した右腕を横に振るっていた。
傷つき血に塗れた右腕を。
途端に血飛沫が、眼前のベルベットに向かって撒き散らされる。
双剣を振り下ろさんとするベルベットの眼鏡――左のレンズが血糊で塞がれた。
「……っ!?」
次の刹那、ベルベットはエリーゼの姿を見失っていた。
いや解る、死角へと逃れたのだ。
つまり左側へと。
即座に首を巡らせエリーゼを探す、どうにか視界内に捉える。
床に倒れた状態から両脚を旋回させて後転、上体を起こしていた。
ベルベットは身を捩ると大きく踏み込み、近づこうとする。
が、エリーゼは既に新たなワイヤーを放っていた。
特殊ワイヤーが伸びた先はまたもや死角だ。
エリーゼは急激に左側へ牽引され、再び消えた。
「ちぃいいいっ!!」
全力で振り向くベルベット、しかしエリーゼの姿を追えない。
視界の左側が、血糊の着いたレンズで死角となった弊害は大きい。
これが単なる伊達眼鏡なら、首でも振って外せば良いだけの事だ。
しかしベルベットの眼鏡は、眼球を保護する為のゴーグルなのだ。
簡単には外れぬ様、固定されていた。
ベルベットは『ゴブリン』の魂を有するが故に『錬成ガリウム合金』を素材とした身体を用いて、自己再生が可能となった。これは圧倒的なアドバンテージだ。
だが『ゴブリン』の魂を有するが故、戦闘技量は決して高く無い。
また身体は自己再生するが、眼球は再生しない、構造が違うのだ。
ベルベットの眼球は、数少ない弱点のひとつだった。
そんな弱点である眼球を保護すべく、強化ガラスのゴーグルが用いられていた。
この配慮が仇となったのだ。
立ち止まったベルベットは、刃を構えたまま身体を捻る。
エリーゼの姿を追ったのだ。
同時に、ベルベットは甲高い風切り音を聞いた。
直後。
死角より飛び込んで来たスローイング・ダガーが、身体に突き刺さった。
「――っ!」
下腹部――位置で言えばへその下であり、恥骨の上に当たる個所だ。
そこへ深々と突き刺さっていた。
人間ならば完全に動けないダメージだ。
オートマータであっても戦闘続行不能に近い。
しかしベルベットは違う。
こんな物はなんのダメージでも無い。
刃を振り被りつつ肩越しに見据えた先、エリーゼの姿を捉えた。
「っ……!?」
それは異様な姿勢であった。
闘技場の石床の上。
寝そべる様に仰向けとなり、両手を左右に広げ、その手にワイヤーを絡めていた。
両手から左右に伸びたワイヤーは、床に敷き詰められた石板の縁を捉えている。
それら二本のワイヤーを支点にエリーゼは、血塗れの身体を強烈に捻り上げていた。
捻りながら背面に、弓なりに、激しく仰け反っているのだ。
ギリギリと全身を撓ませ、更には両脚も後方へと引き絞っている。
その爪先にて捉えている物は、抜き身のロングソードだ。
試合開始直後、最初の攻撃時に放棄したロングソードだ。
足指にてロングソードの柄頭を捉えている。
煌めく銀の刀身は極限まで弧を描いて撓み、力を蓄えている。
撓むロングソードの切っ先は、床に敷かれた石板と石板の隙間にて固定されていた。
エリーゼの紅い瞳が、ベルベットを見ている。
ガラス玉の様に乾いた、何の感情も籠らない瞳だった。
ベルベットはグラディウスを両手に身体を翻す。
そのまま一気に踏み込もうとする。
その間、コンマ一秒、あるかないか。
その隙間に。
エリーゼの放つロングソードが輝きを伴い、弾けて波打ち、滑り込んだ。
全身のバネと刀身のバネを余す所無く用いた、渾身の突き――刺突だった。
「おおっ……」
そのロングソードの煌めきを、ベルベットは認識していた。
が、踏み込むタイミングに合わせたカウンターだ。
回避出来ない。
ならば踏み込めば良い。
エリーゼの刺突を食らいながらに、振り被った刃を振り下ろせば良い。
『ゴブリンズ・バタリオン』は『死なずの軍隊』だ。
死を恐れず、再生を繰り返す不死身の軍隊だ。
故に――
「うおおおおおおおっ!!」
ベルベットは全力で踏み込む。
同時に振り上げたグラディウスを渾身の力で振り下ろそうと。
そんなベルベットの腹部へ、エリーゼのロングソードが真っ直ぐに突き込まれる。
腹部へ――スローイング・ダガーが突き立ったままの箇所へ。
小さく火花が散った。
ロングソードの切っ先は、ベルベットに刺さったダガーの柄頭を捉えていた。
「……っ!?」
スローイング・ダガーが、完全に押し込まれる。
ベルベットの腹部へ。
黒いワンピースドレスを纏った身体が、くの字に折れ曲がる。
「ああっ……あ……あ……」
振り下ろされたグラディウスは、エリーゼを捉える事無く床を打ち、火花を散らす。
姿勢を崩したベルベットは、よろめきながら数歩歩き、やがて膝を着いた。
◆ ◇ ◆ ◇
「なっ……!?」
猫脚のソファが音を立てて軋む。
ベネックス所長が立ち上がったのだ。
ビロード張りの欄干に手を掛け身を乗り出すと、改めてオペラグラスを覗き込んだ。
ワインレッドのフリルブラウスに包まれた背中へ、マルセルの声が響いた。
「――皮膚を裂かれ、肉を斬られ、腱を断たれても、自己再生し続ける『ゴーレム』。とはいえ『内部骨格』及び『エメロード・タブレット』へのダメージは如何ともし難い。そこを突かれたかな?」
「馬鹿な……『ベルベット』の『内部骨格』を……? そんな……『エメロード・タブレット』の位置を把握するなど……そんな事が……」
オペラグラスを握る手が震える。
信じられぬとばかりに、ベネックス所長は眼を見開いている。
「強力なコッペリアとして顕現する『精霊』の『魂』は、己が意思で刃を振るう。どの様な理由であれ、最終的には闘争を我がモノとして捉え、我々の思惑を超える。それはボクですら制御し切れるモノじゃあ無い。イザベラ……キミは錬金錬成の技に見たロマンが、現時点で既に魔法の域へ達していると、そう思っていたのかね?」
そう言って、マルセルは笑った。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・ベルベット=ベネックス所長所有のオートマータ。短剣を駆使する。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・ベネックス所長=レオンの古い知人であり有能な練成技師。




