第一二五話 浪漫
前回までのあらすじ
『フェアリー』の魂と『ゴブリン』の魂を併せ持つ不死身のベルベットに、エリーゼは苦戦を強いられていた。ベルベットの主であるベネックス所長は既に勝利を確信しており、傍らのマルセルに嬉々としてベルベットに秘められた謎について語るのだった。
ベルベットは激しく踏み込みながら、右のグラディウスを袈裟に振り下ろす。
疾風の如きその一撃を、エリーゼは大きく仰け反り回避する。
しかし僅かに間に合わない、白い胸元に紅色の傷が一筋走る。
直後、空間に描かれた残光が消えるより早く、ベルベットが二の太刀を打ち込む。
身体を捻り、回転しつつ更に踏み込み、背中越しに斬りつけたのだ。
この攻撃をエリーゼは、ワイヤー牽引によるステップバックにてやり過ごす。
逃すまじとベルベットは追い縋る、右の横薙ぎにて攻撃を仕掛ける。
対するエリーゼは、後方へ退きつつ両腕を勢い良く波打たせる。
呼応する様にスローイング・ダガーが三本、ベルベットの側面を突いて飛来する。
死角よりカウンターを取るべく放たれた、ワイヤーを用いての攻撃だった。
「ふっ……!!」
ベルベットは踏み込む足を軸に身体ごと旋回、左の一閃にて三本共に弾こうとする。
風を裂く音が鋭く響く、とはいえ無造作な一閃だった。
飛び散る火花は二つ。
ダガー二本を纏めて彼方へと弾き飛ばす。
が、残る一本は弾き損ねていた。
にも拘らず、ダガーはベルベットを捉える事無く、脇へと逸れる。
やはりエリーゼの攻撃精度に、問題が生じているのか。
そう――ワイヤーを操作するエリーゼの両腕に、赤い爛れが広がっている。
ベルベットの返り血を浴びた痕だ。
ベルベットの返り血が、エリーゼの両腕を蝕んでいるのだ。
これが攻撃精度の低下に繋がっているのでは無いか。
精彩を欠くエリーゼを前に、ベルベットは些かも怯まない。
なおの事、大胆に距離を詰めて行く。
エリーゼはワイヤーでの牽引跳躍にて、回避と後退を重ねる。
しかし大きく間合いを取る事が出来ない。
ベルベットの連続攻撃が激しさを増しているのだ。
しかもエリーゼがカウンターを取る回数も減っている。
気づけば大腿部に巻かれたダガー・ホルダーにも、ダガーが殆ど残っていない。
二本だけだ。
故に闘技場の床に散らばるダガーを回収し、再度使用する、だが効果的なダメージは通らない。
ベルベットの血液――濃縮エーテルが付着し、刃が腐食している為だ。
毒が回り衰弱する様に、エリーゼは追い詰められていた。
◆ ◇ ◆ ◇
「――元より『ゴブリン』は嫌悪の対象として伝承されて来た。そんな『ゴブリン』の伝承を『ガラリア神聖帝国』は利用した。『ガラリア神聖帝国』に恭順を示さぬ周辺小国の異民族を『ゴブリン』に準え、蔑んだ。『教皇マリー』を擁し『グランマリー』を守護する『帝国神民』こそが選ばれた民だと驕った」
闘技場を遠い眼で見下ろしつつ、ベネックス所長は呟く様に言う。
銀縁眼鏡の下で、ヘーゼルカラーの瞳が冷たく光る。
「そう、私の故郷――南方大陸北部『スロバント』も、移住先の東部『ジブロール』も、『ガラリア神聖帝国』の駐留軍に蹂躙された。自衛の為に立ち上がった者達は『ゴブリン』と断ぜられ弾圧された。長期に渡って行われた弾圧が『ゴブリン』伝承に歪みを与えたのさ」
「……近代の思想が顕現した『ゴブリン』の『意思』に反映されていると」
傍らに立つマルセルは、愉しげに口許を綻ばせる。
モノクルの細い鎖を揺らしながら、灰色の瞳を輝かせる。
「その通り。『ゴブリン』の『死を恐れず』『幾らでも湧いて来る』特性に、『パルチザン』の統率と冷徹、『集団』の不屈と団結、これらの認識を加えたのは『ガラリア神聖帝国』だよ。同時に『ゴブリン』と蔑んだ相手が、祖国を守る為――『守るべき物』の為に決起した者達である事も理解していた。その結果が現在の『ゴブリン』伝承だ――私の『ベルベット』にも反映されている」
「なるほど……『フェアリー』を主人格に据え、『ゴブリン』に帰属意識を持たせている、『ゴブリン』の魂は簡易な術式で顕現が可能、そして命を惜しまない。主たる『フェアリー』を守護すべく、『ゴブリン』の粗暴な性質は抑制される……そういうワケか」
ベネックス所長は微笑みを浮かべ、頷く。
ライトブラウンのロングヘアを揺らしつつ、言った。
「その魂は『フェアリー』。その身は『ゴーレム』。内部骨格の駆動系にて動作する。同時に、血肉に宿る複数の『ゴブリン』が偽装の肉体を連動させる。そして戦闘時、『ゴブリン』の魂は明確に顕現し『フェアリー』を守護する。各部位に宿るそれぞれの『魂』は攻撃を受けたなら切断されて死ぬ――が、『フェアリー』を守護すべく再生が成されれば、すぐに新たな『ゴブリン』の『魂』が宿る」
「各部位ごとに『魂』が……」
「どれほどの『魂』が『ベルベット』の身体に宿るのか、はっきりとは解り兼ねるがね、凡そ三〇〇の『魂』が戦闘時の肉体を維持すべく、常に消滅と再生を繰り返していると考えてくれ給え。そして戦闘が続く間、『フェアリー』の魂は半覚醒の状態となる。守られるべき存在として、無垢なままに夢を見るのさ」
「はは、それはロマンティックだね。眠れる姫の為に尽くす小人たちの様だ」
マルセルは小さく笑うと、臙脂色のカーテンが掛かるバルコニーへ近づいた。
そして死闘が続く闘技場を見下ろすと、口を開いた。
「――ただね。『グランギニョール』ってのは、ロマンだけじゃ生き残れないのさ」
「どういう意味かな? マルセル君」
傍らのマルセルを見上げ、ベネックス所長は尋ねる。
煌めくモノクルのレンズに、死闘を繰り広げるエリーゼとベルベットを映しながら、マルセルは告げた。
「刃を握る『コッペリア』達には意思がある。闘争を我がものとして捉える意思が。果たして『コッペリア・ベルベット』の有する魂は、眼前に在る敵を、討ち果たすべき目標として正しく捉えているのかな?」
「もちろんさ。『ゴブリン』の本質は『怒り』と『悪意』だからね。戦闘時の『ベルベット』は己が命を惜しむ事無く、死と再生を繰り返しながら、眼前の『エリーゼ』に強い敵愾心を抱き、悪意を以て斬って捨てるよ」
マルセルの問いに、ベネックス所長は答える。
ゆっくりと頷いたマルセルは言った。
「そうなるか、どうなるか、この先を見てみようか」
◆ ◇ ◆ ◇
ベルベットは留まる事無く攻撃を仕掛け、間断無く双剣を振るい続けていた。
一方で身に纏うワンピースドレスは無残に裂けてほつれ、血に塗れている。
全身に余す所無く、手傷を負っている証拠だ。
強引過ぎる猛攻の代償だった。
にも拘らず、ベルベットの動きに淀みは無い。
むしろ勢いを増している。
対するエリーゼは防戦一方に追い込まれ、逆転の機を掴めずにいる。
こちらも纏うドレスが紅の色に染まっている、元が純白であったとは思えぬほどだ。
激しい攻撃に曝され、回避が徐々に覚束なくなっている。
僅かずつ被弾を重ね、しかも激しく刃を振るうベルベットの返り血をも浴びている。
その返り血は、徐々に肌を蝕む酸の様な、悪質な性質を帯びた血液だ。
それ故に回避が遅れる、ワイヤーの操作に乱れが生じる。
そんなエリーゼの状況を、ベルベットは把握しているのだろう。
だからこそ過剰なほど攻撃に偏重し、血飛沫を撒き散らしている。
エリーゼの更なる状態悪化を促しているのだ。
ベルベットは激しく深く踏み込む。
そのまま右のグラディウスを、内から外へ左薙ぎに振るう。
次いで流れのままに、左のグラディウスを逆袈裟に叩きつける。
エリーゼは上体を逸らすと右の攻撃を回避、続く左の斬撃を右前腕にて受け流す。
直後、細かな火花と濃縮エーテルの飛沫、細かく千切れたワイヤーの束が飛び散る。
右腕前腕に即席の鎖帷子として、特殊ワイヤーを縦横に巻きつけ備えたのだ。
先の攻防でも見せた技だが、しかしそう何度も可能な防御法では無い。
斬撃を防ぐとはいえ、肌は刃に斬り裂かれているのだ、ダメージは残る。
しかもその腕は火ぶくれの様に爛れている、返り血のダメージも広がっているのだ。
それでもエリーゼは傷ついた両腕を振るい、後方へフック付きワイヤーを放つ。
闘技場の床に敷き詰められた石板の隙間をフックで捉え、跳躍と同時に牽引回避する。
一気に長い距離は移動出来ない、床面へ向かっての牽引である為だ。
絶えず新たなワイヤーを背後へ放ち、後方へ、後方へ、或いはサイドへ移動する。
逆転の隙が見出せるまで逃げ続ける――そういう姿勢なのか。
或いは逃げる事で手一杯なのか。
と、その時。
ワイヤーを用いたエリーゼの後方跳躍が、僅かに遅延した。
操作ミスによるものか、ダメージによるものか、それは解らない。
何にせよ、その隙をベルベットが見逃す筈も無い。
血みどろの黒いワンピースドレスが、禍々しく閃く。
ベルベットは身体を大きく逸らすと、双剣を担ぐ様に振り被る。
そのまま、真っ向から唐竹に斬り込んだのだ。
迫る白刃を前にエリーゼは、右腕を翳そうとする。
腕を犠牲にして、切り抜けるつもりか。
しかし腕を失えば、勝機も失う。
――が、次の瞬間。
エリーゼの小さな身体は、床の上へ吸い込まれる様に倒れ込んでいった。
自身のすぐ背後に配置された石板をフックで捉え、ワイヤーにて巻き上げたのだ。
と、同時に、エリーゼは傷だらけで血に塗れた右腕を大きく横に払った。
途端に、パッと血が飛び散る。
飛び散った血は、ベルベットの銀縁眼鏡――その左側のレンズを塞いだ。
「……っ!?」
刹那、ベルベットの視界から、倒れ込んだはずのエリーゼが消失した。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・ベルベット=ベネックス所長所有のオートマータ。短剣を駆使する。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・ベネックス所長=レオンの古い知人であり有能な練成技師。




