第一二一話 大罪
・前回のあらすじ
貴族達の欲求を満たすべく繰り広げられる人造乙女同士の決闘ゲーム『グランギニョール』。エリーゼとベルベットの仕合は、エリーゼ優位のまま展開してゆく。一方、介添え人として『待機スペース』にてサポートとして活動しているカトリーヌは、貴族達の歓声や歌声に嫌悪を感じつつ、それでも懸命に己の仕事をこなそうと力を尽くしていた。闘技場ではベルベットが何度目かの突撃を仕掛ける。その突撃に際しエリーゼは後方への回避を行おうとするが、唐突に牽引用のワイヤーが千切れ、ピンチに見舞われる。
跳躍回避の為にエリーゼの身体を牽引していたワイヤーが、唐突に切れた。
エリーゼは姿勢を崩し、石床の上に片膝を着いて落ちる。
深手を負ったベルベットだが、このチャンスを見逃す筈も無く突撃を仕掛ける。
瞬く間に二人の距離は詰まり、ベルベットは構えた刃を全力で振り切る。
空間を切り裂く二筋の銀光。
――しかし鋭い切っ先はエリーゼを捉えない。
まさに紙一重、掠めるか掠めないか。
ギリギリの位置を、高速の刃が薙ぎ払う。
エリーゼの背に装備された『ドライツェン・エイワズ』。
そこから新たに紡ぎ出されたフック付きワイヤーにて、エリーゼは再び跳躍牽引による回避を行ったのだ。
渾身の斬撃は不発。
真円を描く二筋の残光、次いで鮮烈な紅の色が、パッと広がる様に飛び散る。
ベルベットの傷口から溢れ出た濃縮エーテルだ。
瞬間、エリーゼは血飛沫が目に入らぬよう、両腕でガードする。
視界が塞がったと見るやベルベットは、更なる追撃を加えようと足を踏み出し掛ける。
その行方をワイヤーに繋がれたダガーが三本、上方より飛来して遮る。
「はぁっ……!」
グラディウス一閃、ベルベットは三本纏めて薙ぎ払う。
その隙にエリーゼは射程の外へと逃れた。
低い姿勢でスライドと共に着地するエリーゼ。
ベルベットは刃を振るった姿勢で足を止める。
見合う二人の距離は、またもや六メートル。
振り出しに戻った感がある。
エリーゼはゆるりと立ち上がり、背中の『ドライツェン・エイワズ』を駆動させる。
金属アームの内部機構を用いて、切れたワイヤーをフックごと切断、新たなフックと交換する。
その間も両の腕はしなやかに波打ち、優雅に踊り続ける。
先の攻防にて弾かれたダガー三本を、自身の周囲に引き戻し高速旋回、浮遊させては攻撃に備えているのだ。
一方のベルベットは大腿部と肩に突き立つダガーを、またもや無造作に抜き取ると、投げ捨てた。
どう見ても浅いダメージでは無い、深手だ。
左右の肩、脇腹、左大腿部。
痛覚は抑制出来ても、運動機能に問題が発生する可能性もある。
何より濃縮エーテルはオートマータにとっての血液だ。
これを大量に失う事は失血死を意味する。
にも拘らずベルベットは、余りにもダメージに頓着が無い。
そこに秘密があり、それ故に余裕があるという事か。
「……」
その時。
エリーゼは更に大きく左後方へと跳躍し、距離を取った。
ベルベットが新たな突撃を仕掛けたわけでは無い。
何の前触れも無く、いきなり後方へと退いたのだ。
しかも自身の周囲に漂わせていた三本のダガーを全て放棄、同時にそのダガーを操作していたワイヤー三本も切断する。
この行動を訝しむ者がいたかどうか。
不意に風切り音が低く響く。
エリーゼが腕を振るい、新たなフック付きワイヤーを遠方へと放ったのだ。
だがこれは、ベルベットへの攻撃では無い。
ワイヤーが伸びた先には、先の攻防にてベルベットを脇腹を刺突し、打ち捨てられたスローイング・ダガーが放置されていた。
床に転がるダガーを手元に引き寄せたエリーゼは、差し伸べた手で受け止める。
そのまま紅い濃縮エーテルが付着した、ダガーの切っ先を見遣った。
次いでベルベットの返り血を点々と浴びた、自身の前腕に視線を落す。
「……」
改めて顔を上げたエリーゼは、一〇メートルほど離れた場所に立つベルベットを見る。
ベルベットもまたエリーゼを見つめており、口許には笑みを浮かべていた。
鋭い牙を湛えた、剣呑な笑みだった。
◆ ◇ ◆ ◇
闘技場・入場門脇に設けられた『待機スペース』。
そのベンチに腰を下ろしたカトリーヌは、訝しむ様に眉を顰める。
『蒸気式小型差分解析機』からタイプアウトされる数値に変化が見られた為だ。
とはいえ、決して大きな変化では無い。
が、この数値の変化は、レオンが或る種の不快感を感じている事を示している。
カトリーヌは顔を上げ、闘技場を見つめるレオンの後姿を確認した。
レオンは鉄柵に手を掛けたまま、身動ぎ一つせず立っている。
様子は変わらない。
しかしその上腕部には、痛痒にも似た症状が発生している筈だ。
「……レオン先生、問題はありませんか?」
そう声を掛けた。
レオンは闘技場から眼を離す事無く答える。
「ああ、大丈夫だ。問題無い」
普段通りの声音だ、大した異変では無いという事か。
カトリーヌは、隣りに座るドロテアに視線を送る。
目許を黒い布で覆ったまま、俯き座るドロテアの様子にも変化は無い。
穏やかに眠っている様にも見える。
何か大きな問題が発生しているとは思えない。
だけど、胸騒ぎを覚える。
漠然とした不安を抱えたまま、カトリーヌはタイプアウトされる用紙に注視し続けた。
◆ ◇ ◆ ◇
熱狂の坩堝と化した円形闘技場を見下ろす、観覧席最上段のバルコニー席。
大理石の白い壁に区切られた、瀟洒な小部屋状の特別席だ。
欄干の手摺りはビロード張りで、猫脚のソファもビロード張り。
足元には臙脂色のカーペットが敷かれている。
熱気渦巻く観覧席を離れ、プライベートな時間を楽しみたい貴族に人気の座席だった。
そんなバルコニー席のソファに座り、ベネックス所長はオペラグラスを覗き込む。
豊かな肢体を包むのは、ワインレッドのフリルブラウスに黒のロングスカート。
引き締まったウェストにはボディス・コルセット。
欄干の上にゆったりと肘を乗せ、仕合の行方を見守る姿は、何処か妖艶に思えた。
「ふふん……『コッペリア・エリーゼ』の様子を見るに、仕合の流れが変わったかな?」
そう呟いたのは、ベネックス所長の傍らに立つ天才錬成技師・マルセルだ。
長身痩躯を包むのはダークグレーのタイトなスーツ。
白いシャツに白のクラバット、カフス・ボタンは漆黒のオニキス。
左眼に嵌めた銀のモノクルを光らせつつ、口許には穏やかな微笑を浮かべている。
「ああ、ここからが『ベルベット』の本領発揮さ。スロースターターなのが玉に瑕だが――なに、問題無い。既に流れは掴んだ」
銀縁眼鏡越しに、オペラグラスで闘技場を見下ろしながらベネックス所長は答える。
艶やかな紅い唇が、優美な笑みを形作っている。
ベルベットの勝利を疑っていない、余裕があるという事か。
その艶やかな笑みを見遣りながら、マルセルもまた微笑みを浮かべる。
黄金に鈍く光る左義肢の指先で、軽く顎を撫でながら愉しげに呟いた。
「しかしあれほど被弾を重ねて、ダメージを感じさせぬ挙動は不思議だね。どんな魔法を仕込んだものか、色々考えを巡らせると……想像が捗って楽しいよ」
「……ほう? マルセル君は、どんな魔法が『ベルベット』に仕込まれていると想像しているんだい?」
ベネックス所長は顔を上げ、マルセルを見る。
眼鏡の奥で煌めくヘーゼルカラーの瞳が美しい。
艶やかな視線を受け止め、マルセルは頷く。
「うーん、そうだね……例えば、ここ一〇年ほどで『エーテル』に関する趣深い研究成果が『錬成機関院』にて次々と発表されている。まず『エーテルは独自の錬成概念を形成している』という学説だ。この説を基に発想を飛躍させ、エーテルが保有する錬成概念は『可能性』と『時』に対する干渉では無いかと、そんな意見が取り沙汰されている――」
「……」
ベネックス所長の眼が、すっと細められる。
マルセルはお道化た様に片眉を上げてみせた。
「――笑わないでくれ給えよ? グランマリーに阿る数多の『錬成技師』達だって、本気で一生懸命なんだ、イザベラ。キミら『クレオ派』の『錬金術師』達が百年以上前に通り過ぎた場所へ漸く辿り着いたのも、彼ら『グランマリー派』の『錬成技師』達が努力したからだ。もちろんボクは彼らに助言なんか与えない。ボクが『クレオ派』の秘術を知っていたとしてもね」
「……そうだったね。マルセル君は『私の母』から、幾らでも『クレオの秘術』を聞き出せる立場にいたんだった」
吐き捨てる様に、ベネックス所長は言う。
マルセルは肩を竦める。
「トゲのある言い方だなあ……まあ良いさ。ともかく過去四仕合の展開と、先の学説を踏まえて考察するなら、『ベルベット』に仕込まれた魔法は『エーテル』に付随する『時間』への干渉概念を流用した、ある種の『自己再生能力』なんじゃないかと、ボクは考えるね」
そう言うとマルセルは、反応を伺う様に軽く首を傾げてみせる。
ベネックス所長は視線を逸らすと口を開いた。
「ふん……それだけヒントがあれば、そこに辿り着くのは容易か。ま、とはいえ半分だ。いや、半分にも満たない。私の『ベルベット』は、その程度の代物じゃあ無い」
言いながらベネックス所長は、改めてオペラグラスを構えた。
再び闘技場を見下ろしながら呟く。
「何にせよ、ヒントを幾つも知るマルセル君だからこそ、その考えに辿り着いたのさ。だけど、あの子――レオンには無理だ。何の予備知識も無く『ベルベット』と対峙した時点で、死神に魅入られたも同然だ。あの子には私の理想の為に、ここで潰えて貰う」
「……やれやれ、イザベラはそんなにレオンの事が嫌いかい? アイツが子供の頃は、良く面倒を見てくれていたじゃないか」
マルセルは軽く首を振りつつ、呆れた様に言う。
ベネックス所長はオペラグラスを覗き込んだまま返答する。
「嫌いじゃ無かったさ。ずっと可愛かったよ――だけど憎しみは募るんだ。恵まれた血筋に生まれ、恵まれた環境にありながら、レオンは『義務』を果たそうとしなかった。そうだろう? 才能在る者は、その才能に見合う『義務』を果たすべきなんだろう? マルセル君」
その言葉に、マルセルは小さく頷く。
闘技場に視線を落し、口許に酷薄な笑みを浮かべた。
「――確かにね、その通りだ。才能在る者は『義務』を果たすべきだ。『錬成技師』を目指すべき人間が、その才能を放棄して燻るだなんて、裁かれて然るべき大罪だ。キミが『姉』として『弟』の過ちを断罪するというのなら……ボクがそれを見届けよう、イザベラ」
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・ベルベット=ベネックス所長所有のオートマータ。短剣を駆使する。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。レオンのサポートを行う。
・マルセル=達士、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。
・ベネックス所長=レオンの古い知人であり有能な練成技師。




