第一一八話 速攻
『グランギニョール』の序列を再構成する『トーナメント』が遂に開始される。レオンとカトリーヌ、そしてオートマータのドロテアは、介添え人としてエリーゼをサポートすべく、闘技場の『待機スペース』に足を運ぶ。一方エリーゼは、闘技場にてトーナメント一回戦の相手『ベルベット』と対峙していた。
貴族達がその身に纏うタキシードは、実に多彩だ。
黒に限らず臙脂に緑、白に紫、グレーにブルー、思うが儘に着飾っている。
婦人達の装いは、更に華やかさが増す。
柔らかな風合いのバッスルドレスに色数の制限など無い、咲いて誇る華の様だ。
そんな様々な色彩で溢れ返る観覧席が、歓喜と熱狂にゆらゆらと波打っている。
演壇に立つ初老の男がコールする度に、貴族達は歓声を上げ、手を打ち鳴らす。
これより演じられる最高の戯曲を愉しみ尽くすべく、羽目を外して狂喜する。
その有様をカトリーヌは、待機スペース奥のベンチに座り、見上げていた。
この国の実権を握る貴族達が享楽に耽る様を、呆然と見上げるばかりだった。
「――シスター・カトリーヌ、備えた方が良い。じきに始まる」
「は、はい!」
傍らに立つレオンの声を聞き、カトリーヌは我に返る。
眼前に用意された作業用テーブル、その上に設置された『蒸気式小型差分解析機』――スチーム・アナライザー・アリスを改めて確認する。
ケーブルの接続は既に終えていた、蒸気を吐き出す差分解析機の側面部から、レオンの右腕義肢接続ソケットに向かって、赤いラインが緩やかな弧を描き繋がっている。
更に右義肢から延びる青いケーブル三本は、カトリーヌの隣りに座るドロテアの、白い頸椎部に埋設された接続ソケットに挿入済みだった。
「ドロテア、君も準備は良いかい?」
肩越しに問うレオンに対しドロテアは、右手の親指を立てると白い歯を見せた。
戦闘時、エリーゼの『神経網』に掛かる莫大な負荷を、レオン自身の『脳と神経』を以て軽減する為のシステム――『知覚共鳴処理回路』。
その稼働準備は、既に整っていた。
◆ ◇ ◆ ◇
「作法を――」
歓声響き渡る闘技場でも、その声は涼やかに流れた。
柔らかで穏やかな娘の声だ。
俯いたまま上目遣いにエリーゼを見遣る、ベルベットだった。
「――作法を踏まえ、自己紹介させて頂きます。私は『ベルベット』。裡に抱えし魂の形は、憎悪と怨嗟の精霊『レギオン』。私の主・エリザベート・ピナリス・ベネックスの命により、あなたを討ち果たします」
黒いワンピースと端正な顔立ち、黒縁眼鏡におさげ髪。
愛らしいとも言える容姿に相応しい、涼やかで良く通る声だ。
しかしその口角は吊り上がり、獣を思わせる鋭い牙がゾロリと覗いている。
表情と言葉と気配に一貫性が無い、明らかに異質異様な佇まいであった。
「私はエリーゼと申します。前世は夜鳴ウグイス――『ナハティガル』。求道者を惑わせし精霊にございます」
エリーゼも、これまで通りの口上を述べる。
小さな身体を包むタイトな純白のドレスに、白々と輝く美貌。
紅い瞳で真っ直ぐにベルベットを見据えている。
「――トーナメント決着のルールはみっつ! 損壊沈黙即敗北! コッペリアによる敗北宣言! ならびに介添人による敗北宣言! このみっつを以って、決着とします!」
観覧席はオーケストラ・ピット脇の演壇に立つ、初老の男が宣言する。
今回のトーナメント戦は『グランギニョール』の序列を再編成する為の仕合だ、決死決着が絶対の条件では無い。
故に介添え人による敗北宣言という、新たな基準が設けられていた。
「それでは、お互いに構えて!」
壇上の男が促す様に叫ぶ。
同時にベルベットは、両脚を左右に開くと浅く腰を落す。
左右に握る双剣――グラディウスを、身体の前面へ腕ごと垂らしている。
やや俯き、黒縁眼鏡越しに見える眼は三白眼だ。
口許に浮かぶのは獣の笑み。
白く光る牙がギザギザと、艶やかな唇の下から覗いている。
対するエリーゼは全くの無構え――自然体だ。
ロングソードの鞘を両手で握り、前へ垂らしたまま足を揃えて立っている。
が、これについて訝しがる観客はいない。
過去二戦とも、この半ば棒立ちの状態から仕合を開始している為だ。
この立ち姿にこそ秘密があるのだと、観客席でそう囁く貴族もいる。
或いは油断を誘う為に、これほどの隙を見せているのだと考察する者もいる。
事実は解らない。
背筋を伸ばして立つエリーゼの胸中は、誰にも解らない。
やがて観客席のざわめきが遠退いて行く。
徐々に鎮まり、やがて静けさが広がり、沈黙が張り詰めて行く。
その瞬間に向けて会場にいる者全てが息を殺し、目を凝らす。
そして――
「始めぇ……っ!!」
仕合の開始が高らかに宣言された。
◆ ◇ ◆ ◇
先に動いたのはベルベットだった。
左右に握った剣を前方へ垂らしたまま、左側から回り込もうとする。
腰を落しての足捌きは思いの外、軽快だ。
闘技場に敷き詰められた石板の上を、黒いワンピース姿が滑る様に移動する。
垂らされた剣の切先が、石板の上に繊細な二筋の火花を描いていた。
対するエリーゼは動かない。
タイトな白いドレスの裾が、微かに揺れるのみだ。
鞘に納まったロングソード――その鞘部分を両手で握り、前に垂らしている。
どうという構えも見せない。
ただ紅い瞳だけが、ベルベットの動きを追っていた。
観覧席の貴族達は、左へ回り込むベルベットの意図を予想し、愉しむ。
エリーゼが手にしたロングソードの柄頭――これがエリーゼから見て右側、故にエリーゼの利き腕を右と考え、左側への抜剣は難しいと判断した為か。
或いは左へ抜き放つならば、剣を持ち替える必要があるとの思惑か。
何れにせよ行動に一手遅れが生じる、その隙を突こうという動きか。
貴族達は様々に読み解こうとし、次の展開に心を躍らせる。
ベルベットの行動は、凡そ貴族達の読み通りだろう。
素早く移動し、相手の隙を伺い、一気に速攻を仕掛ける。
それは過去四仕合ともに、ベルベットが選択した戦法だった。
戦闘のセオリー――定石を踏まえた、理に適った動きだと言える。
小兵であるベルベットが射程の短いグラディウスを使用するのだ、当然の選択だろう。
――が。
ベルベットはこれまでの仕合、あまりにも正攻法な速攻を繰り返していた。
回り込みつつ距離とタイミングを図り、隙を見て飛び込む――それはセオリー通りであり、教科書通りであり、しかし明確に読まれ易い速攻だ。
事実、ベルベットは全ての仕合に於いて悉く速攻を回避され、反撃を受けるという展開を繰り返している。
故に、定石は踏まえている、しかし何の工夫も無い――そう考える者も多い。
或いは、杓子定規に繰り出される速攻は、ベルベットの魂である『レギオン』の特性に因るものでは――その様に考える者もいる。
それでも四度、勝利を重ねている事実について貴族達の多くは、ベルベットの不死身性こそが強さの秘密であり、ベネックス所長の錬成技術に因るところが大きいと、その様に結論付けていた。
ベルベットは低い姿勢のまま、迅速に移動する。
左へ、左へ、更に左へ、軽快にステップを踏む。
エリーゼを中心に回り込み、徐々に距離を詰めようという動きだ。
エリーゼは脚の位置をずらし身体の向きを変え、ベルベットと対峙し続ける。
――と、次の瞬間。
ベルベットは大きなストライドで、一気にエリーゼ目掛けて踏み込んだ。
直線的かつ強烈な突撃だ。
エリーゼとの距離が瞬く間に詰まる――かに思えた。
しかしそうはならなかった。
全く同じタイミングで、エリーゼも後方へと跳躍したのだ。
いや、単なる跳躍では無かった。
直前まで直立状態だったのだ、タイミング的に膝のバネを用いた跳躍は出来ない。
背中に装備された蒸気駆動の特殊武装――『ドライツェン・エイワズ』を用いたのだ。
円盤状の本体に仕込まれた八本の小型金属アーム、その一本からフック付きワイヤーを、数メートル後方へと放っていた。
ワイヤーの先端に取り付けられた小型フックは、闘技場の床に敷き詰められた石板の隙間を捉えている、足首の反動のみで僅かに跳躍したエリーゼは、フックを支点にワイヤーにて、大きく後方へと牽引されたのだ。
更にエリーゼは疾駆するベルベットに対し、カウンターを用意していた。
後方牽引と同時に、携えていたロングソードを放棄、両腕を跳ね上げる。
『ドライツェン・エイワズ』から新たに繰り出されたフック付きワイヤーを指先で操り、大腿部に巻かれたベルトから四本のスローイング・ダガーを抜き取ると、風を引き裂く勢いにて、強烈に撃ち込んだのだ。
エリーゼの足元から四本の光条が波打ち、大きくうねりながら飛翔する。
二本は床面スレスレを這う様に、残る二本は左右から光る弧を描き突き進む。
狙いは、猛然と突っ込んで来るベルベットの両脚と両脇腹だ。
交錯の刹那。
ベルベットの両腕が閃き、左右に携えたグラディウスが全力で振るわれた。
内から外へ火花が飛び散り、甲高い音が響く。
スローイング・ダガーが、打ち払われた音だ。
うち一本は、石床へと激しく叩き落されていた。
うち二本は、あろう事か、観覧席の方へ撥ね飛ばされていた。
フック付きワイヤーと繋がった状態で無ければ、弾かれたスローイング・ダガーは貴族達に被害を及ぼしていたかも知れない。
そして残る一本は、ベルベットの左わき腹へ突き刺さっていた。
防御に失敗し、弾き損ねたのだ。
黒いワンピースドレスの腹部から、紅色の濃縮エーテルがジワリと染み出す。
「はぁーっ……」
足を止めたベルベットは軽く息を吐きながら、わき腹のダガーへ視線を落す。
グラディウスを握った左手の指先で摘まむと、力を込めて抜き取る。
紅色に染まったダガーを、足元へ投げ捨てた。
ワイヤーの牽引にて距離を取ったエリーゼは、低い姿勢で床の上に滑り込む。
弾かれた三本のダガーを、接続されたままのワイヤーにて傍らへと引き戻す。
エリーゼが両腕を躍らせると、ダガーは空中に留まり、高速にて旋回を開始する。
すぐにダガーは輪郭を失い、半透明の球体と化し、エリーゼの背後に浮遊した。
純白のドレス姿が、ゆらりと立ち上がる。
背後に連なり浮かぶ三つの光球は、どこか不吉な鬼火を連想させる。
その時、場違いなほどに穏やかな声が流れた。
「……次は逃しません」
ベルベットだった。
脇腹から溢れ出る濃縮エーテルを気にする様子も無く、再び低く身構える。
黒縁眼鏡のレンズを光らせながら、手にしたグラディウスを握り直す。
口角を吊り上げて微笑む口許からは、白く煌めく尖った牙。
「左様でございますか」
エリーゼは表情を変える事無く、短く答える。
死闘の行方は、未だ見えなかった。
・エリーゼ=レオンが管理するオートマータ。高性能だが戦闘用の身体では無い。
・ベルベット=ベネックス所長所有のオートマータ。短剣を駆使する。
・レオン=孤児院「ヤドリギ園」で働く練成技師。エリーゼの後見人。
・カトリーヌ=グランマリー教のシスター。レオンのアシスタントを務める。
・ドロテア=ヨハンが錬成したオートマータ。エリーゼのサポートを行う。




