第一〇七話 突破
・前回までのあらすじ
五〇年前に発見された『エリンディア遺跡』、その非公式発掘調査隊にマルセルの父親・ファブリスは参加していた。調査隊は遺跡にて未知の技術を用いた古のタブレット『タブラ・スマラグディナ』と、巨大なオートマータを発見する。この大成果に隊員たちは喜び、さらなる成果を求めるべく活動を続けたものの、一人の錬成技師が解析した『タブラ・スマラグディナ』のデータを流用して、勝手に巨大オートマータを蘇生、暴走させてしまい、調査隊は僅かな人員を残し壊滅してしまう。その結果に激怒したガラリア帝国議会は、ファブリスに禁固刑を科した上『錬成機関院』からの除名を決定、その上で『エリンディア遺跡』での成果は一切無かったと対外的に発表、遺跡で得た成果物を全て極秘裏に独占したのだった。
オーケストラ・ピットの管弦楽団が、豪壮極まる旋律を紡ぎ上げる。
青いドレスを纏ったマスク姿の女が、轟く様な高音で哀切に歌い上げる。
観覧席に連なる貴族達は、汗に塗れて拳を固め、根限りに絶叫する。
眼下で繰り広げられる聖戦に彩りを添えようと、声を張り上げ続ける。
熱を帯びた聖歌が響き渡るアリーナに、しかし神聖さは微塵も無い。
闘技場では二人のコッペリアが、火花を散らしていた。
軽装鎧を装着したコッペリア・アドニスの、長大なロングソードが閃く。
コートにキュロットを合わせた男装のブロンシュは、無骨な戦槌を振るう。
互いに一歩も譲らぬまま、既に一〇分が経過している。
仕合開始直前まで貴族達は、序列上位のアドニス有利を確信していた。
しかし蓋を開けてみれば、格下のブロンシュが強烈な連撃にて圧している。
神速の打撃、流れる様な回避。
一方的とは言えぬまでも、歴戦のアドニスが後手に回っている。
その事実に観覧席が沸き返る。
下位リーグで仕合を行っていた頃のブロンシュとは、比較にならない。
どの様な調整を用いたのか、どの様な改良を行ったのか。
様々な憶測を愉しみながら、貴族達は仕合の行方を占うのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
ローカ司祭の人員を借りたい――シスター・マグノリアはそう申し出た。
『枢機機関院』内部に潜伏している『マリー直轄部会』の連絡員を使い、『エリンディア遺跡調査団』に関する資料を確認したいのだと。
ランベール司祭は答えた。
「解った、連絡しよう。『枢機機関院』に潜らせている連絡員の調査、それなりに時間を要するかも知れんが、確実に依頼はこなすだろう」
軽く右手を上げると、背後の座席に座る屈強な司祭が、身を乗り出す。
ランベール司祭は僅かに身を反らし、シスター・マグノリアの要請を言伝ける。
「――調査方針は予定通り、マルセルで決め打ちか。しかし状況的に妥当であっても物証が無い。軍の許可が得られたなら、マルセルと繋がる錬成技師の工房を一斉捜査出来るんだが……軍と貴族が問題に関わっているとなると、無茶も出来ず難しいところだな」
傍らに座る高齢の司祭が、眼鏡の位置を指先で整えつつ、呟く。
立ち去る大柄な司祭の背を見送ったランベール司祭が、低く応じた。
「確かにな……マルセルが疑わしいのは事実だが、決め手に欠ける。枢機機関院の資料から情報が得られたとしても、決定的な証拠では無い、かといって周辺の貴族や錬成技師に聞き込みを行えば、我々の動きがマルセルに知れる、地位と権力と資産にモノを言わせて証拠の隠蔽に走る可能性もある……時間が掛かりそうだ……」
「――いや、時間を掛けるべきでは無い」
冷たく光る瞳で闘技場を見下ろしつつ、シスター・マグノリアは言う。
その言葉を訝しむ様に、ランベール司祭は視線を送る。
「しかし、さっきも言った様に、焦って仕掛ければマルセルに悟られるぞ。それに、軍や帝国議会の支援無しに強硬な手段は取れんだろう。確かに『タブラ・スマラグディナ』の拡散は違法だし、急いで止めねばならん事だが……」
シスター・マグノリアはランベール司祭を見遣り、僅かに首を振る。
「マルセルの目的が、単に『タブラ・スマラグディナ』の拡散、一般化だとするなら、こんな違法性の高い方法を、敢えて選択する必要は無い。マルセルの人望と人脈があれば、普通に発表するだけで賛同者も現れる筈だ。例えすぐには認められ無くとも、いずれは帝国議会も耳を貸す。にも拘わらず、リスクを冒して急進的な行動をとった理由は何だ?」
錆びた声が低く響いた。
黒いベールの下、抜き身の刃を思わせる美貌に変化は無い。
代わりに、ランベール司祭の顔色が変わった。
呻くように応じる。
「――『錬成機関院』と『枢機機関院』、加えて複数の貴族と裏で手を組み、事後承諾的に『タブラ・スマラグディナ』を議会に認めさせる、そんなやり方も考えられる、マルセルはそのポジションにいるし、その力がある。ローカの奴もそのつもりで動いている……が、確かに現時点では違法、事を急いで危ない橋をわざわざ渡る必要は無い、か……」
「リスクを犯してでも、マルセルは先を急がねばならなかった――そういう事か。しかし……ではどうする? シスター・マグノリア。捜査方針を変更して、イチかバチか強硬な手段に打って出るのか? 軍の後ろ盾無しには無理だ、貴族も錬成技師も違法捜査を主張する……」
老司祭は、横目でシスター・マグノリアを見遣りながら尋ねる。
再び闘技場へ視線を戻しつつ、シスター・マグノリアは続けた。
「基本的な捜査方針に変更は無い。調査は継続だ。それとは別に、物証を手早く回収する方法がある、タイミングが合えば、マルセルも射程に入る」
「……どういう事だ?」
眉間に皺を寄せつつ、ランベール司祭が確認する。
「トーナメントに参加しているオートマータ八名のうち、現時点で訝しむべき相手は五名だ。事の発端になった『エリーゼ』、 練成機関院所有の『ルミエール』、可能性の高い『コルザ』に『ブロンシュ』、そしてマルセルが所有する『オランジュ』。『八分の五』だ」
「……」
「仕合の決着は、オートマータ本人もしくは介添え人による『敗北宣言』、或いは『決死決着』だ。不殺である必要は無い」
「……酷い事を考えよるなあ」
老司祭はそう呟き、皺深い口許を歪めて薄く嗤う。
シスター・マグノリアは告げる。
「――決着の際に『頭蓋』を砕き、その場で『内部』を摘出、確認する。『グランギニョール』の禁止事項に触れる要素は無い。合法的に証拠を手にする好機だ。『タブラ・スマラグディナ』が確認出来たなら、該当する貴族と錬成技師の身柄を、闘技場内で拘束し、口を割らせる事も出来る筈だ」
「それは……」
当惑した様に声を上げるランベール司祭を他所に、シスター・マグノリアは闘技場で仕合うコッペリアを見ながら言った。
「……が、機会は『八分の四』、ちょうど五分になりそうだな」
◆ ◇ ◆ ◇
敷き詰められた石板の上を、男装のブロンシュが疾駆する。
テールコートを靡かせて、手にした戦槌を全力かつ連続で打ち振るう。
圧倒的な手数と素早い動きで、仕合を優位に進めている。
対するアドニスは、ロングソードによる的確な防御にて対応する。
ブロンシュの打撃を悉く打ち落とし、つけ入る隙を与えない。
この仕合、序盤からブロンシュがアドニスを圧倒している様にも見えたが、その実、ただの一度も加撃には至ってはいない。時にアドニスのカウンターもブロンシュを捉えておらず、双方共に無傷のままだ。
仕合は長期戦の様相を呈していた。
距離を詰めるブロンシュ、戦槌を用いた打撃は袈裟掛けの打ち下ろし。
その軌跡は鈍色の帯となり、空間に残像を描く。
高速の打撃を、アドニスはロングソードできっちりと受け流す。
そこから流れる様に姿勢を入れ替え、火花散らす白刃にて斬り込む。
絶妙なタイミングでのカウンターだ。
しかしブロンシュは紙一重で身を翻し、仰け反る様な姿勢にてこれを回避。
しかも掬い上げる様に、下から戦槌を振るう。
カウンターにカウンターを重ねた反撃で、剣を握るアドニスの腕を襲う。
これに対しアドニスは、甲冑小手の側面で弾いて受け流す。
どちらも信じがたい技量で、攻防一致による極限の加撃を狙う。
それほどに実力が拮抗しているのだ。
――が、このタイミングで、ブロンシュは奇策に打って出る。
アドニスの側面へと回り込む素振りをみせながら、唐突に踏み込んだのだ。
それは、床を這うほどに深く身を沈めながらの、変則的な踏み込みだった。
その姿勢のままブロンシュは、横殴りに戦槌を振るう。
狙いはアドニスの脚だ。
これが並みの相手であったなら。
この一撃にて、たちどころに脚を砕かれていただろう。
しかし今の相手は、序列五位のアドニスだ。
回避困難なこの攻撃を、神懸かり的な見切りを以て回避する――被弾の刹那に脚を引き、脛を覆うグリーブの装甲で下方向へと受けて流したのだ。
そしてアドニスの見下ろす先には、無防備に曝け出されたブロンシュの背中。
その背に向かって、アドニスはロングソードを――
これこそがブロンシュの狙いであった。
地を這う様な低い姿勢、攻撃を回避された直後、無防備な背中。
この一瞬を、アドニスが見逃す筈など無い。
この刹那に反撃されるならば。
アドニスの姿勢、立ち位置、振るう太刀筋、完全に読める。
故に。
地に伏すが如き、低い姿勢から。
右腕は前へ、右脚は前方へ、左脚は後方へ――その左脚を。
ブロンシュは勢い良く、背面へと跳ね上げたのだ。
爪先が持ち上がり、膝が持ち上がり、腿が持ち上がる。
更には腰が柳の様にしなり、美麗な弧を描き、背面へと仰け反った。
ブロンシュのその姿は、あたかも砂漠を這うサソリを思わせた。
跳ね上がった左脚が、サソリの尾だ。
そしてサソリの尾には、致死の毒針が仕込まれている。
ブロンシュの足――そのブーツの踵からは。
鋭い仕込みの刃が飛び出していた。
ブロンシュを見下ろし、その背中に刃を突き立てんとするアドニスの死角。
無防備な側頭部目掛け、ブロンシュの隠し刃が襲い掛かった。
位置も、タイミングも完璧な不意打ちだった。
――にも拘らず。
アドニスは死角から跳ね上がるブロンシュの足首を、左手で捕らえた。
「……っ!?」
次の刹那。
アドニスはロングソードを放棄すると同時に、ブロンシュの右肘を使って肩に担ぎ、膝関節を逆方向へ折り砕きつつ、全力で前方の床へと投げ落とす。
顔面から床へと叩きつけられたブロンシュは、粉塵と、砕けた石板の破片と、溢れ出す濃縮エーテルの赤に塗れ、ノロノロと手足を動かすが、どうやっても立ち上がる事が出来ない、身体機能に何らかの問題が生じたのだろう。
「……お前を含め、急激に、ランキングを上げた、コッペリアは、皆が皆、同じ様な、戦い方を、する――」
突っ伏したブロンシュを見下ろしつつ、アドニスは掠れた言った。
身を屈めると、足元に転がるロングソードを拾い上げる。
「――タネが、割れていたなら、奇襲も、仕込みも、成立しない。お前如き、腕では、『レジィナ・オランジュ』に、届く、筈も無い……」
つまりアドニスは、仕合開始前からブロンシュを警戒していたのだ。
ここ数カ月の間に連勝を繰り返し、急激に勝ち星を増やしたコッペリア達の戦いぶりを確認しており、その異常性と特性を理解していたのだ。
彼女達には横の繋がりなど無い――にも関わらず、全て共通の戦闘スタイルであり、奇襲と仕込み武器を多用している。
この事実がブロンシュにも当て嵌まっていた為、アドニスは警戒したのだ。
自分から打って出る事無く、慎重に仕合を展開していたのも、その為だ。
アドニスが手にしたロングソードを、敢えてゆっくりと振り被る。
とどめを刺す――声に出す事無く、アドニスは宣言している。
直後、ブロンシュの介添え人達が闘技場へ雪崩れ込み、敗北宣言が成された。
・アドニス=ギャンヌ子爵所有のコッペリア。暫定序列五位であり強力。
・ブロンシュ=ダンドリュー男爵所有のコッペリア。最近急激に頭角を現した。
・ランベール司祭=『マリー直轄部会』所属の司祭。
・老司祭=『マリー直轄部会』所属の司祭。ランベールよりキャリアが長い。
・シスター・マグノリア=『マリー直轄部会』所属の戦闘用オートマータ。




