第一〇〇話 挑発
・前回までのあらすじ
コッペリア・クロエとの仕合に勝利したベルベットは、しかしかなりのダメージを負ってしまう。ベルベットの主であるベネックス所長は、その事をマルセルに指摘されるものの気にした風も無く、賭けの成立に喜んで見せる。
円形闘技場内は熱気に包まれ、狂乱の坩堝そのものと化していた。
仰天の逆転劇にて『コッペリア・ベルベット』が勝利を収めた第二仕合。
その興奮も冷めやらぬ中、次戦が執り行われようとしていた。
トーナメント予選・第三仕合。
入場門・西側。
ラークン伯爵所有、暫定序列十一位『コッペリア・ナヴゥル』。
入場門・東側。
バルザック辺境伯所有、暫定序列六位『コッペリア・メリッサ』。
失う事を恐れよ! 途切れる事を恐れよ!
立ち上がりて刮目せよ! 死を司る精霊を迎えよ!
見よ! かの者を見よ! 死を司りし戦乙女の姿を見よ!
死に際を朱に彩りし戦慄の戦乙女! その勇姿を拝め!
喜色満面に拳を突き上げる貴族達が、声を枯らして聖歌を謳う。
激闘に華を添えようと、根限りに絶叫しては闘技場内の空気を掻き回す。
西側の入場門より姿を見せたコッペリアは、屈強かつ優美であった。
短くカットされた黒い頭髪に、ルビーを思わせる紅い瞳。
研磨された刀剣の如くに、精悍な美貌。
ラークン伯爵が所有する『コッペリア・ナヴゥル』だった。
一九〇センチに届く長身は、漆黒のレザースーツに包まれていた。
露出した肩の筋肉は、鋼のワイヤーを束ねたかの様に、力強く隆起していた。
スーツ越しに見える腹筋も、背筋も、脚部の筋肉も、見事に張り詰めている。
にも関わらず身体のラインは、しなやかなS字を形作るほどに豊かだ。
その佇まいは、妖艶さと獰猛さを兼ね備えた、猫科の大型肉食獣を思わせた。
左右の前腕部を指先まで覆うのは、金属製の強化外殻だ。
各関節部が淡く発光し、仄白い蒸気をゆらりと立ち昇らせている。
右手に携えた得物は、巨大な戦斧――ハルバード。
長さは二・五メートル、重さは三〇キロを超えているだろう。
先端から柄尻まで全てが鋼鉄製の、人間では扱えぬ武装だ。
悠然と歩くナヴゥルは、やがて闘技場の中央で足を止める。
そのまま手にしたハルバードの柄尻を、石床に突き立てた。
鈍い金属音が響くと同時に、東側の入場門が開かれる。
姿を現したのは、オフショルダーの紅いイブニングドレスを纏った美麗な娘。
バルザック辺境伯が所有する『コッペリア・メリッサ』だった。
長い睫毛に縁取られた切れ長の眼、煌めく瞳はサファイアの藍。
真っ直ぐに通った高い鼻梁、笑みを形作る紅い唇。
ブロンドのロングヘアは形良く結い上げられ、白い背中が美しい。
小さなトーク帽はドレスと同色で、白いダリアがあしらわれている。
黒いリボンが揺れる胸元はふくよかで、ウエストは細く括れている。
スリット入りのロングスカートからは、白くしなやかな脚が垣間見える。
足は素足だ、形の良い足の指先が見えていた。
およそ戦いの場にそぐわぬ風情だが、その手には得物が携えられている。
メリッサの手に握られているのは、ゆったりと束ねられた鞭だった。
それもただの鞭では無い。金属ワイヤーで編まれた鞭だ。
この鞭を用いてメリッサは、過去に数多のコッペリアを葬っている。
序列六位の実力に、一切の偽りは無い。
闘技場中央まで歩み出たメリッサは、ナヴゥルを正面に見据えて立ち止まる。
二人の間は、距離にして六メートルほどか。
観覧席に設けられた演壇の前に立つスーツ姿の男が、伝声管に向かって叫ぶ。
これより第三仕合を執り行いますっ――改めて貴族達の歓声が湧き上がる。
西方門よりいでし戦乙女『コッペリア・ナヴゥル』、その魂は死と暴虐を司る悪意の精霊『ナクラビィ』――男はそう絶叫した。
東方門よりいでし戦乙女『コッペリア・メリッサ』、その魂は死を告知する一見必殺の精霊『デュラハン』―― 腕を振るった男は、そう続けた。
鋼の鞭を携えたメリッサは、微笑みながらナヴゥルを見遣る。
紅いイブニングドレスを揺らし、ゆっくりと首を振りながら言った。
「――『衆光会』の愛玩人形に惨敗し、決死決着の則をねじ曲げて生き恥を晒す貴方と、闘技場でまみえようとは。ほほ……貴方の主は随分と『グランギニョール』の栄誉を軽んじておられるのですね?」
それは大貴族・ラークン伯爵に対する、明確な侮辱だった。
この発言を傍で聴く者が他にいたならば、きっと卒倒しただろう。
貴族社会に於いて、ラークン伯爵の絶大な権力と、強烈な気質を知らぬ者などいない。
多くの貴族たちが、大貴族であるラークン伯を恐れているのだ。
「貴方の主……そうそう、ラークン伯でしたわね? 美食飽食がご趣味だとか。趣味が高じて随分と貫禄に満ちた、ご立派なお姿だったと記憶しております、似合うスーツを探すのにも一苦労しそうなほどに、ほほほ……」
にも拘わらずメリッサは、平然と暴言を吐き続ける。
しかし彼女の主を知る者ならば、この言葉にも納得するだろう。
『バルザック辺境伯』という後ろ盾があるならば――そう頷く筈だ。
メリッサの主――バルザック辺境伯。
神聖帝国ガラリアと、ウェルバーグ公国との国境付近に広大な自治領を有する大貴族であり、その家名は古のゲヌキス氏族であるラークン伯にも劣らない。
また、バルザック辺境伯とラークン伯は、予てより陸運事業の利権を巡って激しく対立している事も、ガラリアの貴族間では有名な話だ。
政治力を駆使し、財力を駆使し、互いに互いの事業を妨害し合う、憎悪を以て反発し合う関係だった。
そういった事情を知っているのか、メリッサは悪し様にラークン伯を罵る。
「己が噂すら気にならぬ、それほどに鷹揚なお方だからこそ『グランギニョール』のしきたりにも、まったく頓着が無いと、そういう事なのでしょうね」
しかしナヴゥルは、顔色ひとつ変える事は無かった。
メリッサを真っ直ぐに見据えたまま、口を開く。
「――幾許も無く貴様は死ぬる故、せいぜい戯れよ」
低く掠れた、凄みのある声だった。
しかしメリッサは些かも動じ無い。
ナヴゥルの紅い眼差しを正面から受け止め、白い歯を見せて嗤う。
「ほほほ……出来もしない大言壮語は聞き苦しい、聞き苦しい、薄汚い『ナックラビィ』ならではの、つまらぬブラフ――…」
右手に握られていた鋼の鞭が、だらりと解けて床にわだかまった。
直後、メリッサが軽く手首を返すと、風を裂く音が、次いで炸裂音が弾ける。
ごく僅かな一挙動で、鞭の先端が音速を超えたのだ。
気づけばメリッサの周囲を取り囲む様に、鞭は石床の上で弧を描いていた。
「――身の程を教えて差し上げます。貴方にも、貴方の飼い主にも」
メリッサの美しい双眸が、すっと細くなる。
唇の笑みは消えない。
演壇前に立つ男が宣言する。
「それでは、お互いに構えて!」
紅いイブニングドレスの裾が揺らめき、メリッサは僅かに右足を後方へ引く。
ほぼ直立に等しい構えだが、それは鞭という得物の特性ゆえか。
ナヴゥルは傍らに突き立てたハルバード――戦斧を、改めて両手に保持する。
両脚を広げては膝に溜めを作り、腰を低く落して身構える。
観覧席に居並ぶ貴族達は、息を殺して行方を見守る。
激突の瞬間を見逃すまいと、瞬きすら止め注視する。
やがて――
「始めぇ……っ!!」
仕合の開始が高らかに宣言された。
◆ ◇ ◆ ◇
先に動きを見せたのは、ナヴゥルだった。
が、一気呵成に攻める様な事はせず、ゆっくりと左サイドへ回り始める。
過去に一度も見せた事の無い、静かな立ち上がりだった。
戦斧を低く構え、前腕部を覆う強化外殻から蒸気を立ち昇らせつつ移動する。
対するメリッサは左脚を軸に、身体の向きだけを僅かに変えて応じる。
こちらも攻め急ぐ素振りを見せない。
鞭を握る右手も垂らしたままだ。
――と、次の刹那。
メリッサは前方へ二メートルほど、一気に距離を詰めていた。
観覧席からどよめきが起こる。
誰一人として、加速の瞬間を捉える事が出来無かった為だ。
溜めや踏み込みといった予備動作が、一切存在しない動きだった。
同時に鮮烈な風切り音が響き、炸裂音が轟く。
弾ける様にナヴゥルが後方へと、飛び退る。
――が、回避は叶わなかった。
ナヴゥルの左頬に紅い傷が一筋、細く長く伸びている。
やがてそこから、じわりと濃縮エーテルが滲み始めた。
◆登場人物紹介
・ナヴゥル=ラークン伯所有の非常に強力な戦闘用オートマータ。
・メリッサ=バルザック伯が所有するオートマータ。非常に強力。




