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人造乙女の決闘遊戯 ~グランギニョール戦闘人形奇譚~  作者: 九十九清輔
第十八章 死闘遊戯
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第九十九話 童女

・前回までのあらすじ

『グランギニョール』の序列を決める為のトーナメント――その予選二仕合目。クロエは戦闘用のネットを駆使し、ベルベットを完全に追い込む。もはや誰の目にもベルベットは敗北するしか無い状況に思えた。しかしクロエのネットがいきなり破損、そしてクロエ自身も身体に謎の不調を抱え、一気に仕合をひっくり返されてしまう。

 交錯の瞬間、クロエは思考停止の状態に陥っていた。

 左腕の肘から先を刎ね飛ばされ、対応策を見失っていた。

 切断面から溢れ出す大量の濃縮エーテルが、辺り一面に撒き散らされる。


 どうすべきか。

 何をすべきか。

 何か手段を、策を、講じなければ。

 しかし何も思いつかず、防戦する事すら叶わない。

 手にした武器・ミゼリコルドは、左腕ごと床の上に転がっているのだ。


 必死に距離を取ろうと、クロエは後退る。

 だが、遅い。

 身体が鉛の様に重く、脚が思う様に動かない。

 何故これほどに、動きが鈍いのか。

 腕のダメージが、脇腹のダメージが、重く響いているのか。

 ここまで急激に、身体が動かなくなるほどのダメージなのか。

 混乱の中でクロエは、追撃を加えんと眼前に迫るベルベットを見た。


 無残に引き裂かれ、濃縮エーテルに塗れた黒いドレス。

 裂傷を負った素肌から、際限無く濃厚な紅色が滲み出している。

 胸も、腹も、腕も、脚も、傷の無い所など無く、血塗れていない所も無い。

 しかも右胸に負ったダメージは貫通創、致命傷では無いのか。

 何故、ベルベットは動けるのか。


 御下げ髪は乱れてほつれ、血に濡れた頬にへばりついている。

 凄惨な有様で、ベルベットは口角を吊り上げ、嗤っている。

 口許から、獣の如きギザギザとした鋭利な牙が覗く。

 黒縁眼鏡の奥で、黒い瞳がキラキラと煌めいている。

 先ほどまでの、憔悴した表情は何だったのか。

 追い詰められていたのでは無かったのか。


 ベルベットの両手に携えられたグラディウスが、鈍く光る。

 光は帯を引き、そのまま振り被る様に、引き絞る様に。


 もはや逃れる事など。

 脚がもつれ、そのままクロエは後方へと倒れ――


「待てっ! 待てぇっ! 敗北を宣言する!」


 闘技場内に野太い大音声が響いた。

 同時に血相を変えた複数の男達が、待機スペースより飛び出して来る。

 仕立ての良いスーツを着込んだ、クロエの介添人達だ。

 闘技場にて頽れたクロエの元へ、みな全力で走り寄る。


 クロエは竦む脚を震わせながら、石床の上に座り込んでいた。

 震えながら濃縮エーテルの吹き出す左腕を右手で抑え、蒼白の顔を上げる。

 傍らに立つ、ベルベットを見た。


 ズタズタのドレスを纏った血塗れのベルベットは、観覧席を見上げていた。

 両手にグラディウスを携えたまま、笑みを浮かべていた。

 先ほどまでの、獣染みた狂気の形相では無かった。

 童女を思わせる、無垢な笑みだった。

 全身全霊を賭し、仕合っていた対戦相手に対する想いや感情――そんな物は微塵も感じさせない、怖いほどに透き通った笑みだった。


 ◆ ◇ ◆ ◇


 観覧席最上段に設けられた、大理石作りの豪奢なバルコニー席。

 歓声に湧き返るアリーナを見下ろしながら、マルセルは軽く口笛を吹いた。


「――なるほど。確かにイザベラが自慢するだけの事はある……が、ベルベットのダメージは深過ぎやしないか? 二週間後の本戦に間に合うのかい?」


「――問題ないさ、二週間後の仕合にも十分に間に合うよ」


 余裕の笑みと共に答えるベネックス所長も、闘技場を見下ろしている。

 視線の先には、死闘を終えてこちらを振り仰ぐベルベットの姿。

 血塗れで微笑むベルベットに、ベネックス所長は軽く手を振り応じる。

 その様子を眺めながら、マルセルは左眼のモノクルを煌めかせつつ告げた。


「ふん……それがキミの言う新機軸という奴かな? まあ良い、ともあれ賭けは成立だ、イザベラ。キミのベルベットが勝つか、ボクのオランジュが勝つか、勝負といこう」


「……勝たせて貰うよ、マルセル君。この世の『神性』を否定する為にね」


 ベルベットを見つめたまま、ベネックス所長は笑顔で応じる。

 マルセルは白い歯を見せながら笑い、踵を返した。


「ボクのオランジュは特別さ、楽に勝てるだなんて思わない事だ」


 そう言い残すと、バルコニー席と廊下を隔てる扉から退出する。

 ベネックス所長は、改めて卓上のデキャンタに手を伸ばした。

 グラスに新たなワインを注ぎながら、小さく呟く。


「キミを追うのは、いつだって楽じゃなかったさ。マルセル君……」


 ◆ ◇ ◆ ◇


 見よ! 彼の者を見よ!

 聖女・グランマリーに選ばれし、勇者たる者の姿を見よ!

 聖戦の高みを望む猛き魂、そのありかを見よ!


 管弦楽団の演奏に、蒼いドレスを着た女の美しい歌声が響き渡る。

 そこに居並ぶ貴族達の混声合唱が加わり、闘技場内は怒涛の聖歌に包まれる。

 狂騒と狂喜に彩られた観覧席を見下ろしながら、シャルルは言った。


「――ベルベットの仕合を見るのはこれで二度目になる、覚えているだろう……エリーゼとグレナディの仕合が行われた日だ」


 レオンはシャルルの横顔に視線を送る。


「ああ、覚えてる」


「あの日もベルベットは、頭部に重篤なダメージを負っていた。どう見ても動けそうに無いダメージだった。そんな状態から逆転したんだ。今回の仕合もそうだ。あれほどのダメージを抱えて……オートマータと言えど、動き回れるものなのか?」


 訝しむ様にシャルルは尋ねる、レオンは答えた。


「……基本的に、戦闘用オートマータの痛覚は抑制されている。だから人間より遥かにダメージ耐性は高い。でも……シャルルの言う通りだ、今の仕合でベルベットが受けたダメージは、身体制御に支障が出るレベルだと思う」


「警戒すべき事柄が、また増えたという事か……」


 シャルルは息を吐き、低く応じる。

 レオンも頷き、肯定の意を示す。


 そもそも『コッペリア・ベルベット』は、あのベネックス所長が送り出したオートマータなのだ。ベネックス所長が優秀な錬成技師である事は、レオンのみならず、誰もが認めている。

 予想を超えた特殊な技術が用いられていたとしても、なんら不思議では無い。

 倒さねばならぬ敵となったならば――容易い相手では無いだろう。

 かつての恩人であるベネックス所長を、敵として考えねばならぬ現状に、レオンは苦いものを感じていた。


 ◆ ◇ ◆ ◇


「ただいま戻りました、皇子」


 警備員がバルコニー席の扉を開けるなり、にこやかにマルセルは口を開く。

 スーツの襟とシャツの袖口を整えつつ、小部屋へ立ち入る。


「おかえり、マルセル。ベネックス勲爵士くんしゃくしの要件は何だったのかな?」


 そう声を掛けたのは、欄干脇に設えられたソファに座る美丈夫だった。

 年齢は、三〇を僅かに過ぎた頃か。

 引き締まった肉体を包むのは、シルバーグレーのタキシード。

 ウェーブ掛かったブラウンの頭髪に、透き通った蒼い瞳。

 品良く整えられた口髭、右手にはワイングラス。

 ガラリア皇帝『ヴァリス四世』の第二皇子。

 エリク・ドミティウス・ドラージュ・ガラリア――その人であった。


「賭けに誘われましたよ、トーナメントでどちらが勝ち残るのか……ってね」


 マルセルはビロード張りの椅子に腰を降ろしつつ、軽く応じる。

 エリク皇子は手にしたワイングラスを揺らし、微笑む。


「なるほど……それで?」


「賭け事は大好きなんでね、受けました」


「大博打かね?」


「ええ。ボクが勝てば、彼女が錬成した『コッペリア・ベルベット』の情報を開示して貰う。仮に彼女が勝ったなら――ボクと皇子が推し進めている事業に参加させる……」


 膝を組みつつ、事も無げにそう告げた。

 エリク皇子はワイングラスを傾けつつ、目を細める。


「……ほう? ベネックス勲爵士は、私と君が推進している事業の内容を、把握していると?」


「どうでしょうかね、完全には理解していないでしょう……ですが」


 マルセルはそこで言葉を切ると、卓上のデキャンタに手を伸ばす。

 そして己のグラスにワインを注ぎながら続けた。


「彼女はボクという人間を良く理解している……長い付き合いですからね、何かしら察しているのかも知れない。そして彼女は――」


 ワインで唇を湿らし、マルセルは微笑む。


「帰るべき場所も、守るべき物も、何も無い人間ですから」


「へえ……パパに似ているのね?」


 可憐な声が揶揄う様に、心地良く響いた。

 微笑む皇子の向かいに設置された、猫脚ビロード張りのカウチソファ。

 そこへゆったりと撓垂れ掛かる、純白のシュミーズドレスを纏った娘だった。


 優雅に波打ち煌めくブロンドのロングヘア。

 長い睫毛に縁取られた、エメラルドグリーンの双眸。

 蜜を含んだようにトロリと濡れ光る、紅い唇。

 シルクの如き光沢を帯びた、白い肌。

 その肢体は優美であり、絢爛であり、その相貌は絶美であった。

 天より降臨した美姫も斯くやと思うほど――それほどに美しい。

 『グランギニョール』序列第一位、『レジィナ』の称号を与えられた娘。

 マルセルの錬成したオートマータ、オランジュだった。


「パパも、そういう人間でしょう?」


 歌う様に問うオランジュの美貌を、マルセルは見遣る。

 モノクルの下で、片眉を吊り上げてみせながら応じた。


「どうかな? いやあ、半分ってトコロだろうね」


「半分なのかね?」


 エリク皇子は楽しげに尋ねる。

 黄金に輝く義肢を胸元に添え、マルセルは答えた。


「ええ。ボクも帰るべき場所は不要だし、守るべきモノも無い。だけどボクは彼女と違って、過去に捉われない、常に明日を、未来を見据えている――」


 綻ぶ口許から、真珠の様に白い歯が零れる。

 輝くグレーの瞳は、夢見る少年の様だ。


「――未来を望むこの想い、胸の奥から湧き上がるこの衝動、嘘偽りの無い、完全なる意志、ボクの全ては未来にこそある。先へ、前へ、未来へ、辿り着かねばならない場所だけが、ボクにはあるんです」


「なるほど、未来か。実に良いね……」


 エリク皇子は、ソファに背を預けながら満足そうに息を吐く。

 ゆっくりと目蓋を閉じつつ告げた。


「共に征こう――同志よ」

・ベルベット=ベネックス所長所有のオートマータ。短剣を駆使する。

・クロエ=ランドン男爵所有のオートマータ。戦闘用の投網を操る。


・ベネックス所長=レオンを裏切りった有能な技師。ベルベットの主。

・マルセル=達士アデプト、天才と呼ばれる錬成技師。レオンの実父。

・オランジュ=マルセルが錬成した最強のコッペリア。『レジィナ』の称号を持つ。

・エリク皇子=皇帝の息子であり、稀代の資産家。マルセルの才能を評価している。

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