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AMADEUS  作者: 水月
~第一章~ 那由多の宇宙(そら)
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第1話 005

 魔物は無抵抗の俺達を捕まえようとその大きな左腕を伸ばす。左腕が俺達との距離を縮める度に、世界の針は速度を緩めて徐々に死を俺達の魂に刻み込んでいく。

 ――こんな場所に来るんじゃなかった。そんな思いだけが頭の中を駆け巡る。俺があんな噂を二人に話さなければ、いつもみたいに退屈で平穏な日々を送れたんだ。二人には償いきれない罪を犯してしまった。

 自責の念に駆られながらも、終わりの時は刻々と目前まで迫ってきていた。もはや死を受け入れる以外道のない俺達のもとに、背後から、扉の向こう側から何者かが走ってくる足音が微かに耳の端へ届いた。その足音がこちらに向かっていると理解した時には――それまで固く閉ざされた扉が格子状の破片となり崩れ落ちており、一人の女生徒が魔物へ向かって疾走していた。

 静止しかけていた世界に忽然と現れた女生徒は、両手に持っているナイフを魔物の胴体へ突き刺すと、その勢いをナイフに乗せたまま押し込んで、数メートル先まで吹っ飛ばした。青黒い血が魔物の下腹部から太腿を伝って床に滴り落ちているが、魔物は顔色一つ変えずに冷徹な緋色の眼を不気味に光り輝かせて女生徒を威圧する。女生徒は凛々しい顔立ちで、魔物の鋭い眼光をものともせずに再び低い姿勢になり猛進していった。魔物は耳を(つんざ)く程の雄たけびを上げて、唸り声と共に白い蒸気を吐き散らすと、手をかざして百冊を優に超えるであろう本を次々に女生徒に向けて飛ばす。


 「無駄よ!!」


 女生徒は空間を引き裂くように両手を交差させると、迫りくる本を目には見えない何かで切り裂きながら魔物のもとへ間合いを詰めていった。人間のそれを超越した動きをする女生徒を前に、魔物は俺達の存在などには目もくれずに標的を女生徒に変更する。魔物は左腕を振りかぶるもその腕は空を掴んでおり、女生徒は魔物の手の甲を台代わりにして高く飛び上がった。女生徒が交差していた両手を広げると、魔物の左腕から血が噴水のように吹き出し、やがて肉の断片が四方八方に飛散していった。刹那、魔物の飛散した左腕付近に女生徒の手元からピアノ線のようなものが蜘蛛の巣の如く張り巡らされているのがわかる。

 あれは――糸?

 魔物は大きく体勢を崩し、失った左腕を抑えるような素振りを見せる。左腕が収められていたその場所は綺麗な円を描き、骨の断片がむき出しになっていた。女生徒は魔物を注視しながら俺達のもとへ駆け寄る。


 「みんな怪我はない?」

 「はい、特には――痛っ」

 「君、頬からちょっと血が出てるわね。三人とも絶対にその場から動かないでね」

 「わ、分かりました」

 「………………」


 女生徒はそう言い残すと、再び魔物のもとへと走り去った。左腕を失った魔物は天を仰ぐと憤怒の咆哮を上げ、力任せに携えていた杖を女生徒へ投げ飛ばす。女生徒は魔物に向けて一直線に走りながら、突風を纏う杖を格子状に生成した糸で受け止めると、杖は綺麗な四角形の糸に切り刻まれてバラバラに分解された。


 「これで終わりにしましょう」


 女生徒が魔物の懐へと入り込み両手を広げようとしたその時だった。魔物はタイミングを見計らっていたように右腕を天井高く上げて、床に叩きつけた。膨大な量の土煙が辺り一面を覆い隠す。土煙は俺達のもとまで到達し十数秒の間、視界の自由を奪った。


 「ぐっ――」


 暴れ狂う粉塵の中から鈍い音とともに女生徒の声が聞こえる。土煙が晴れて視界が良好になった時、魔物はその途轍も無い程の大きな右腕で女生徒を捕縛していた。魔物は強靭な右腕で強く握りしめると女生徒は苦痛の声を上げる。


 「なかなか……やるじゃない」


 魔物は女生徒の言葉になどに耳を向けずに大きく口を開いた。

 底の見えない深淵が女生徒を呑み込んでいく。

 およそ体の半分が深淵に呑まれたとき――深淵は深く閉ざされた。

 下半身を残して――。


 「嘘……そんな」

 「………………」


 女生徒は俺達の目の前で、凄惨な光景とともに喰いちぎられた。鮮血の海が魔物の口元から零れ落ちる。魔物は珊瑚色の蒸気を撒き散らすと、剣よりも鋭い眼光で俺達を睨みつけた。

 ――次はお前達だ、と。


 「まだ戦いは終わってないわよ?」


 どこからともなく反響する女生徒の声。魔物が背後を振り向くと、本棚の影から女生徒が歩いて出てきた。

 自分でも何が起きたかわからない。確かにあの女生徒は魔物に喰われたはず。魔物が握りしめていた女生徒の下半身だったものは、みるみるうちにその姿を糸へと変貌させていった。


 「彼らには指一本触れさせないわ。さあ、私を殺したいならかかってきなさい」


 魔物は女生徒と数秒睨み合った後、女生徒に向かって猪のように突進していった。魔物が力任せに女生徒を粉砕しようとするも、突如として体内から無数の円錐が突き出す。魔物の体からは現実では考えられない量の血が流れ出ており、悲痛の叫びを洩らしながら地面に倒れ込んだ。大きな地響きと共に魔物は息絶えた――そう思っていた。しかし、魔物は満身創痍の体をゆっくりと起き上がらせる。体を動かす度に傷口から水のように溢れ出てくる蒼色の血は、まさに砂浜に流れる(さざなみ)のようだった。この波が止まった時、魔物は――。


 「この攻撃に耐えるなんて、相当タフなのね」


 魔物は自分の血にまみれた蒼い拳を強く握りしめて振り下ろそうとするが、女生徒は魔物の拳が頂点に達した瞬間のわずかな硬直を狙い、その一瞬に糸を魔物の右肩へと巻き付けた。身動きの取れない魔物は必死の抵抗を図るが、糸を振り切ることは叶わない。女生徒は巻き付けた糸を強く引っ張ると、魔物の右肩は綺麗な円を描きながら地面へ落下した。両腕を失った魔物は後退してしばらく静止すると、女生徒は人間技とは思えない跳躍力で魔物の頭上を捉えて両手を再び交差させた。


 「さようなら」


 女生徒が両手を広げてそう告げると、格子状の糸が立方体を形成して魔物の四方八方を取り囲んだ。六つの立方体は魔物の周りをぐるぐると周回を始めるが、指を鳴らすと同時に格子状の立方体はそれぞれが魔物へ特攻を開始して、魔物の全身をバラバラになるまで解体した。魔物は断末魔の叫びを上げる間もなく肉片の集合体と化していた。

 女生徒は華麗に床に着地すると、魔物の残骸の中へ足を運び顔色一つ変えずに残骸の中から何かを探し始める。肉片かき分けて残骸の中から黒い結晶のようなものを見つけると、それを手に取った。暗黒を秘めた宝石と呼ぶに相応しい漆黒の塊を右手に乗せると、花を咲かせるように左手を広げた。

 何もないはず手のひらから突如眩い光が生まれてくる。

 光が収まった頃には手のひらの上に光る液体の入った水晶のようなものを出現していた。漆黒の塊を水晶の近くに当てるとそれは忽ち朽ち果て、神々しい粒子を放出し水晶の中へ溶け込んでいった。


 時を同じくして歪んでいた周りの景色も元通りになり、そこには魔物の残骸もなく本だけが散らかった図書室の光景が広がっていた。窓から夕日が射し込んでいるのを見ると、時はほとんど経っていないようだ。

 女生徒は体を翻すと俺達のところへ歩いてきた。


 「幽霊が出るって生徒の間で噂になってたから来てみたけど、やっぱり来て正解だったようね。それと三人には話したいことがあるから、生徒会室に行っててもらっていいかしら。三人も聞きたいことがあるだろうし」


 そう言うと、女生徒は俺達に鍵を手渡した。


 「私はこの本を片付けてから向かうから、鍵を渡しておくわね。それと――」


 女生徒は俺の頬に絆創膏を貼ると、何も言わずに後ろを振り返って本を片付け始めた。俺達は言われたとおりになゆたとなつめと一緒に図書室の外へ出るが、二人とも一言も喋ろうとしない。それもそのはずだろう。不可解な怪奇現象に加えて鬼のような魔物にも遭遇したのだから。


 「智也君――だ、大丈夫だった?」

 「ああ、大丈夫。かすり傷だ」


 なゆたはこの重い空気の中、俺の身を安じてくれたが、なつめは軽く下唇を噛んで口を閉ざしたままだった。生徒会室へ向かう廊下。普段は友人と喋りながら歩いている廊下も今では虚無の狭間と化している。無言で歩くというのはとても長く苦行のようだった。

 誰一人喋らないまま生徒会室まで着くと、俺は貰った鍵を使って生徒会室の扉を開ける。生徒会室の中は綺麗に机が並べられており、様々な資料が山積みに置かれていた。そんな物に目を向けるがやはり場の空気は息が詰まるほどに重たい。


 「さっきの、なんだったんだろうね」


 そんな中、口を開いたのはまたしてもなゆただった。誰も喋りたがらないこの状況で少しでも会話を増やそうという気遣いだったのだろう。


 「俺もあんな化け物に会ったのは初めてだしな。きっとあの人が教えてくれるんじゃないか?」

 「そうだよね」


 なんとか重たい空気を脱却しようと俺も会話を伸ばそうとするがうまく繋がらない。なつめは依然として口を固く閉ざしたまま俯いている。

 静かな生徒会室。時計だけが虚しく世界を刻む音を奏でている。


 「あの人が来てくれなかったら、あたし達どうなってたのかな?」


 久しぶりに口を開いたなつめの言葉に、その場の空気が氷河期のように凍りつき重くなる。


 「それは……」


 俺はそう言って答えを濁した。いや、濁したというのは正確ではない。答えられなかったのだ。


 「ごめん、あたしが行こうなんて言わなければこんなことにはならなかったのに」

 「なつめは悪くないよ。俺だって噂のことを言わなければここへ来ることもなかったんだ 「………………」


 再び場は沈黙に包まれる。カチカチと時計の針だけが進み、窓からは橙色の光が生徒会室を照らす。それからは女生徒が来るまで口を開こうとする人は誰もいなかった。


 「待たせたわね。やっと本の片付けが終わったの」


 静寂に包まれた生徒会室に一人の女生徒が扉を開けて入ってきた。


 「いえ、大丈夫です」

 「やっぱりあんなの見ちゃったらビックリしちゃうわよね。そうそう、自己紹介を忘れていたわ。私の名前は水瀬 瑠璃。三年で副生徒会長も勤めているの。あなた達の名前を教えて貰ってもいいかしら」

 「俺は八坂 智也です」

 「私は神尾 なゆたといいます」

 「古川 なつめです」

 「うん、覚えておくわね。三人は同じ学年?」

 「はい、二年です」

 「よろしくね後輩ちゃん達。適当に掛けてくれていいわよ。今飲み物を持ってくるからね」


 先輩は生徒会室にある冷蔵庫から冷えたお茶を持ってきた。棚から湯のみを取り出すとそれに注ぎ込む。


 「それじゃ、質疑応答といこうかしら。何か質問があれば答えるわよ」


 その発言に真っ先に反応したのは俺だった。あの鬼のような魔物が何なのか、常識的には考えられないものに襲われたのだから俺達に知る権利はあるはずだ。


 「それじゃあ、さっき戦っていた魔物について教えて貰ってもいいですか?」

 「そうね、簡潔に言うわ。あれは人を襲う魔物――悪魔よ」

 「悪魔……ですか?」


 想像もしていない返答に俺達は戸惑うばかりだった。俺達の知っている悪魔といえば、せいぜい心霊番組なんかで見る人が豹変して暴れだすような程度だ。


 「悪魔は文字通り悪の根源――私達を破滅へ誘う存在。その圧倒的な力の前にただの人間は為す術もなく殺される」

 「それじゃ、先輩は一体……」

 「悪魔に対抗する手段はただ一つ――」


 先輩は右手の上にキラキラと光る水の入った水晶を出現させてこう言った。


 「天使になることよ」

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