混沌①
【2018/07/01 18:30】
「今日、プロポーズされた」
あまりの突然の出来事に、俺は言葉を失った。
会社帰りの駅のホーム。
電話越しに聞こえてくる優佳の声は、嬉しいのか悲しいのか、分からないトーンだった。
「そ、そっか…」
懸命に紡ぎだした言葉。これ以上、言葉は出てこない。
「先週ね、彼氏とハワイに行って…」
そこから先の話は、全く耳に入ってこなかった。
俺と優佳は、両想い…の、はずだった。
いや、実際両想いだった。
大学4年の2月。俺らは出会った。もう少しで付き合うはずだった…が、俺は別の女を選んだ。
そのことを優佳には隠していた。隠したまま、二人で飲みに行ったり、デートに行ったりした。
離れてほしくなかったから。
今思えば、ずいぶんと身勝手だったと思う。最悪な奴だ、自分。
そうしているうちに、優佳は他の男と付き合った。大学院、修士1年の、夏。
それでも、お互い二人で密会していた。
優佳も男がいるのを黙っていたが、友達伝いで噂は耳に入るものである。
そう考えると、実は俺の話も優佳に入ってきていたのだろうか。
そして、お互い卒業した。卒業式前日、二人で飲んだ最後の日、初めて想いを確かめ合った。
両想いだった。
だが、就職先はお互い遠く離れた場所になってしまった。
涙の別れを、した。
社会人になって3か月。突然、優佳から電話がかかってきた。
それが、これである。
本当は心から祝福すべきなのに、なんでこんなに悲しいのだろうか。
俺は必死に感情を殺す。
「おめでとう。幸せでな。」
「う、うん…ありがとね」
優佳の声を俺はそれ以上聞いていられなくなり、祐樹から電話を切った。
俺は今、列の先頭で電車を待っている。
電車は、まだ来ない。
どうして、こうなってしまったんだろう。
社会人一年目。知らない土地で心機一転頑張ろうと思っていたが、周りにうまくなじめず、仲良くしてくれる同期などいなく、職場では上司に怒鳴られてばかり。
相談する相手も、いない。
どうして、こんな人生になってしまったのだろうか。
2年前、俺がもし、優佳と付き合っていたら。
俺がもし、あの時優佳を選んでいたら
過去なんて、変えられるはずがない。
でも、変えられるなら、変えたい。
せめて、その世界を見てみたい。
ホームから見える、錆が無く光を反射しているレールを見ながら俺は思った。
…そんなこと、できるわけがない。
全て俺が選んだ人生。全て、自分のせい。
ああ、もう、どうでもいいや。
悩みなんて吹き飛ばしてもう少し頑張ってみようと思っていたが、全身の力が抜けた。
生きる力を、失った。
『まもなく、電車が到着します…』
今の俺の耳に、構内放送の音など入ってこない。
ああ、目の前にあるレールに吸い込まれそうだ。
大学時代に受けていた講義で聞いたことがある。
すべての物体は、引力を持っている、と。
今、見ているレールが、ものすごく強力な引力を持っているように感じた。
俺は気が付くと、まるで誰かに後ろから押されたかのように、見つめていたレールに吸い込まれていた。
「きゃああああ!」
後ろで女の人の悲鳴が聞こえる。
祐樹は、宙を舞っていた。
ふと右を見ると、電車の運転士と目が合った。
電車との距離は1メートルもない。
さようなら、みんな。
ごめんなさい、みんな。
優佳、幸せでな。
祐樹は静かに、目を閉じた。