コンプレックスの解消には、まず体からなのです~
御台所清水を後にした俺と水涼さんは、最初の『加護』をもらうべく、北西の町外れにある馬洗い清水を目指して歩いていた。水涼さんは御台所清水で水面に立ったり、水球を作ってみせたりと神様めいたことをしていたわりに、移動するときには普通の人間と同じように歩いて移動している。
着物に草履でおかっぱ頭の女の子、というなかなかハイスペックなアビリティを身に付けている彼女だが、その恰好ではさすがに速く歩くことができない。そのため、俺たちはゆっくりとした歩調で馬洗い清水に向かっていた。
「水涼さん、ところでその恰好……暑くないの?」
全身着物でもちろん長袖。夏物の可能性はあるとしても、とてもじゃないが真夏の猛暑日に着て歩くような格好じゃない。どう見てもドMか何かの類いにしか見えない。
「あ、お気遣いありがとうございます。でも大丈夫ですよ。私、神様ですから暑さは感じないんです」
確かに、水涼さんの額は少しも汗ばんでおらず、いたって涼しい顔をしている。こっちはもう照りつける太陽光線によって、問答無用で汗が全身から吹き出してきているというのに。
「へぇ、羨ましいなソレ。俺なんか暑さでもう溶けちゃってるよ。体も心も」
「これは神様の特権です、あげませんよ~」
「むしろ、くださいって言ってもらえるものなのか」
「無理で~す。神様になるには、それなりの理由っていうのが必要なんですから」
「理由?」
そういえば水涼さんは御台所清水で話しているときに「元は人間ですから……」と言っていた。つまり、水涼さんはもともと人間で、それから清水の神様に成り上がったという構図になるのだろう。でも理由って……なんだろう?
「まあ条件ですね。まず、清水の場所で死ななければなりません」
「はぁ? いきなり無理難題だな!」
第一条件がまずそのレベル……いきなり越えられない壁だとは。恐れいるぜ、神様の条件ってのは。
「それで……はい、じゃあまず、死にましたとする。次の条件は?」
「あとは……分かりません」
「は? そこ一番大事なところじゃん!」
思いっきり肩透かしを食らった俺は、コントのごとくよろけて見せる。
「死んだら、神様になってたんです。不思議ですよねぇ」
「それはこっちの台詞だ!」
相変わらずおっとりした口調でマイペースな水涼さん。キャラ作ってんじゃないかと疑ってしまうほどだ。
「なんか神様にも序列みたいなのがあるようなんですね。それで『狭界』と言われる天国と地獄の狭間のところで、偉い感じの人に『次の方~。あ、はい、じゃ君は……御台所清水の神様ね~』って言われて神様やることになってました」
「神様決め軽いな! そんなんでいいのか本当に……」
今、俺はきっと貴重な体験を聞いている気がするんだが……なんか非常に雑な聞かされ方をしている気がしてならない。死後の世界というのも案外ビジネスライクな世界らしい。
「神様って言っても、何にもしてないんですけどね。雨の降った日に蛙の一日を追っかけたり、水球で一人キャッチボールしたり、遊びに来た子供たちに混ざって遊んだりとか」
「神様自身も軽いな! ってか、子供たちと遊ぶって……そう言えば今もほかの人に水涼さんの姿は見えてるの?」
とても今さらではあるが、気になっていたことを俺は聞いてみる。
「今の段階では一途さん以外の方には見えていませんよ。まあ、同じくらい波長の合う人間か、小動物。あとは小さいお子さんなんても、比較的見えやすい傾向にあるようですね」
なるほど、言われてみれば子供や犬って霊的な存在が見えやすいって言われてるしな。話せば話すほど、水涼さんって本当に神様っていうか、生きてる人間じゃないんだなって思えてくる。
「神様っていうより……なんだか霊的な感じのほうが強いな」
「霊と神様は違いますよ~。霊は自己主張が強く、その念が強すぎるがあまりに現世に影響を与える存在です。必ずしも悪影響とは限りませんが、故人の生前の念の強さに比例します。神様はちゃんと狭界神の方に選んでもらって、人々に『加護』を与える存在ですからね」
「それに具体性がともなってないから言ってるんだよ」
「う~ん、まあそれは追々、ということで♪ 私もほかの神様に会うのが久しぶりなので」
水涼さんは嬉しそうに後ろ手を組みながら歩く。
「そっか、なら良かったな」
にこにこする彼女は笑顔がとても似合う子だが、天然マイペースでおっとりさんだ。裏も表もない、あどけない少女ともとれる彼女が、なんで神様をすることになったのかは分からない。だが分かっているのは……多分、この年齢。直接聞いてはいないが、おそらくなにかしらの理由があって、二十年そこそこでその人生に幕を下ろした、ということになるのだろう。
そう考えると、明るい彼女の裏側に、物悲しい背景を想像せざるを得なかった。
「なあ、さっき神様になるには死ぬことが条件って言ったよな。水涼さんはなんで……死んだんだ?」
俺は思い切ってストレートに聞いてみた。
ふと、水涼さんが足を止める。視線は遠くを見つめ、どことも言えない、ただ東に延びる奥羽山脈の稜線を見つめているようだった。
「私は……自害しました。今から三百年も昔のことです。もうよく覚えていません」
「そう、なんだ……」
彼女は優しくにこりと微笑んだ。ただ、笑顔の奥にどことなく寂しさが感じられる気がした。なんだか、悪いこと聞いたな、配慮に欠けた。
「ほら! 見えてきましたよ、馬洗い清水です!」
水涼さんは微妙になってしまった空気感を取り払うように、目指している方向を指差す。彼女の示すその先には、草木に囲まれる広い清水が見えた。
俺たちは止めていた足を、再び前へ向けて歩き出した。