御台所清水の水涼さん 3
車を停めて降りてきたのは、細身で高身長、サングラスを掛けた短髪の男。中に白いタンクトップを着ているものの、この熱い日に七分袖のデニムジャケットに黒いスキニーパンツ、革靴。そして金色のネックレスが太陽の光に反射してきらりと光る。ガタイが良ければサーファー系のオラオラ野郎だが、細身の彼はどちらかと言うとすっきりした印象だ。
彼を知っている。本藤玻雀だ。
町会議員の息子で、町長の参謀とも言われる人の長男。小さなこの町ではちょっとしたエリート王子様。歳は俺たちより三つ上で、大学卒業後に薬剤師となり、隣町の大仙市総合病院に勤めている。「とってもイケメン君なの」と以前母さんから聞かされた記憶があった。今の姿を見て分かるように、この辺では目立つ存在。明朗で爽やか、誠実なイメージと大人たちの間では通っていたようだが、ここ半年くらいは素行があまり良くないらしいことも、先日電話で母さんから聞いたばかりだ。
「玻雀さん……」
サングラスを外して、車から降りてくる玻雀を見て真愛が呟く。真愛の目を見る限り、二人は知り合いのようだ。だが彼女は少し困惑した表情を浮かべている。
「やあ真愛ちゃん、こんにちは。今日も暑いなか頑張ってるんだね」
玻雀は真愛を気遣うように優しく声を掛ける。とても爽やかだがどこか嫌な感覚を覚えた。俺のことなど視界に入ってない、そんな雰囲気を出している。気のせいだろうか。
「玻雀さん、こんにちは。いつもありがとうございます」
少しかしこまったように、真愛は軽く会釈をして答える。
「気にしないで、俺が好きでやってるボランティアだからさ。またホールのイベント日程表、分けてよ。うちの病院でも好評でね。気がつくとすぐ無くなっちゃうんだ。真愛ちゃんがいるからって言う患者さんもいるみたいでさ。可愛いって大変だね」
「そ、そんな、大げさです。全然そんなことないですから」
にこりと白い歯を見せて真愛に微笑みかけた玻雀は、ちらりと俺に初めて視線を向ける。「ところで」と言いながら、俺の足下から頭のてっぺんまでじっくりと観察するように眺める。
「この人は? お知り合いかな」
「あ、はい。同級生の……」
「只野一途です」
遮るようにただ一言、俺は自分の名前を口にした。「ふうん……」と、あらかた俺の観察が終わったと同時に玻雀は俺の目を見る。
「本藤玻雀です。真愛ちゃんには、ここでいつも世話になっていてね。よろしく」
「ども……」と俺は小さく頭を下げた。
「じゃあ真愛ちゃん、いつもの。もらいに行っていいかな」
「あ、はい。今準備しますね」
「あと――」
慌てて行こうとする真愛に、玻雀は引き留めるように声を掛ける。そしてポケットから白いハンカチを取り出して、真愛の額に軽く当てる。
「汗、大変だね。無理したらダメだよ」
「あ――その、大丈夫。大丈夫ですから」
顔を赤らめながら、真愛は『湧くや』に向かって走り出した。途中、振り返って俺にごめんねという仕草を見せた。
玻雀はゆっくりと真愛の後を付いていくように足を向けたが、彼女が『湧くや』に入ったのが見えたと同時にこちらに向き直り、俺の前で立ち止まると、顔を近づけてきた。百八十センチは越えている玻雀は、百七十五センチの俺をあからさまに見下すように顎を引いて、頭を少し傾けて見せた。
「……気遣いってのは、ああやるんだよ。僕ちゃん」
「なっ……」
にこりと笑顔で話す玻雀。こいつ、本性を表しやがった。
明らかに舐めきった言い方。俺は確信した、さっきのは俺を品定めしていたんだ。視界に入っていない雰囲気を出したのも、わざとだ。
「お前、真愛の何なの? 彼氏?」
「別に、何でもないですけど……」
お前こそ何だよ、と思いながら俺は目を逸らして歯切れ悪く答える。
「あんまりさぁ、ダサい格好で彼女の周りうろつかないでくれる? っていうか真愛の視界に入らないでくれる?」
一体こいつは何様なんだ? でも言われてることは事実、こいつに比べて今の俺は恐ろしくダサい恰好だ。真愛に会いに来るような恰好じゃなかったかもしれない。
自分のコンプレックスをストレートに指摘され、自尊心が削ぎ落とされていくのが分かる。こういう相手は苦手だ。威圧的な態度、年上。挙げ句に地位も容姿も、存在そのものが、こいつに勝るような点がひとつだって見つからない。こういう相手に、俺は萎縮してしまう。
「……でも、友達なんで。玻雀さんに言われることじゃ――」
それでも、真愛のことをとやかく言われる筋合いはない。
俺は萎縮しながらも、懸命に声を絞り出した。背中に暑さ以外の理由で放出されている汗が滲んできているのが分かる。
すると玻雀は体を半身、俺に当てて周りに見えないように胸ぐらを掴んできた。その力はものすごく強く、俺が少し抵抗したくらいではまるでビクともしない。
そして耳元で先ほどより一段低いトーンで囁いた。
「真愛に近づくなって言ってんだよ、雑魚が。薄汚いテメェは目障りだっての」
ドン、と俺が転ばない程度に突き飛ばす。玻雀はまた元の爽やかな笑顔に戻っていた。
「分かったかな、僕ちゃん。俺の真愛ちゃんには手を出さないようにね」
「ぐ……」
俺は何も言い返せない。そんな自分が情けなくて、腹立たしかった。
「真愛ちゃん、健気だねぇ。こんな廃れた町のために、あんなに全力で頑張る子、なかなかいないよ? 今どき」
「……? どういうことですか?」
玻雀の含んだ物言いに、何が言いたいのか、俺は問いただした。
「観光客も減ってきているからね。この『湧くや』だってもちろん業績が落ちてる。いくら町との共同出資とはいえ、長いこと元が取れないとねぇ……町からの援助は僕のお父さんの一声で何とでもなる。分かるよね?」
この『湧くや』は十五年前の市町村合併が行われる前に出来た町の象徴的な施設。売上が芳しくないことは聞いていたが、真愛や運営会社の人たちは町おこしと事業再生のため、観光事業も含め、物販からイベントまで、今まで一生懸命に誘致や商談を進めてきたはずだ。
「俺は真愛が欲しい、彼女の対応次第で、俺にはこの『湧くや』を、この町を、どうにでもできるカードがあるってことだよ」
「な……!」
こいつ、どこまでも下衆い、ぶん殴ってやりたい。
でも、そうしたところで何が解決できる? 余計に真愛や、一緒に町おこしのために頑張っているほかの人たちを苦しめてしまうんじゃないか? どの道たかが一人の町民にすぎない俺に『湧くや』を救う力もない。
好きな人の窮地を救う力もないなんて……なんて俺は無力なんだ。
「時期が来たら、彼女にはプロポーズするよ。頑張り屋で誰よりも優しい彼女のことだ、現実を知ったら……断れないだろうねぇ」
不適な笑みを浮かべる玻雀。真愛の優しさに平気な顔してつけこむなんて……許せない。
「真愛は可愛いからね。惚れてるのか知らないけど、あんまり汚いハエのように、僕の真愛には近づかないでね」
「バ~イ」と『湧くや』へ向かいながら、手を上げて歩き出す玻雀。俺は怯えながらも、怒りや悔しさ、自分への情けなさで歯を強く食いしばりながら、奴の背中を見つめていた。