スマートライフにはストップ&ゴー、なのです!
連日、茹だるような暑さが続く。
流道の元でのトレーニングを終えた俺は、次の日も水涼さんのいる御台所清水までは走って向かった。もはや癖になってしまったのかもしれない。一日でも手を抜くと、せっかく手に入れた体も元に戻ってしまう気がして怖かった。真愛に俺の姿を見せるまでは、この体型は維持したい。
時間は午前十時過ぎ、まだ陽は完全に昇りきってはいないが、気温はすでに三十度を超えている。幼いころにも三十度を超える日は稀にあった。しかし、昨今の異常気象の流れは間違いなく進行しており、これほどまでに毎日が暑かったという記憶はない。いまやそれが夏のデフォ。蝉の声だけは昔と変わらずやかましく、耳をつんざく音の数だけは一向に減る気配を見せない。それに対して、カブトムシやクワガタ、ホタルなんてのは、それこそ昔は当たり前のように見られたはずなのに、今は明らかにその数を減らしている。移りゆく時代とともに、周囲を取り巻く環境もまた少しずつ変化していくものなんだなと、なぜだかしみじみ思った。
「おはよう、水涼さん」
石畳に腰掛けて、水面の水を蹴って遊んでいる水涼さんに声を掛ける。彼女はこちらの声に気づくと、笑顔でこちらに顔を向ける。
「あ、一途さん。おはようございます」
彼女は立ち上がってこちらに向き直り、軽く一礼をする。
「言い忘れてたけど、真愛と夜市に行くことになったんだ」
「夜市ですか!」
水涼さんが目を輝かせて体を寄せてくる。
「それも想いを寄せる相手と、二人っきりで……これはもう、夏の恋物語の鉄板! 賑やかで陽気な雰囲気の中、はぐれないようにとぎこちなく繋がられる互いの手。それは恋物語の間違いないスパイスとなり、二人の距離は猛スピードで縮まって――」
「あの……水涼さん?」
一人二役で何やら自身のワールドに入りきっている水涼さんに呼び掛ける。女の子だからかな、好きなのだろう、こういうの。
「とにかく、あと三日ある。その間に、次の清水の神様にも会えるかな?」
目をぱちくりして、水涼さんはすぐに元の振る舞いに戻る。
「もちろん、そのつもりで今日はお待ちしておりました」
さすが水涼さん、話が早い。
「じゃあ、早速案内してもらっていいかな?」
水涼さんは「は~い」と言いながら石段を駆け上がっていく。そういえば、御台所清水の『加護』って何なんだろう? 俺はふと疑問に思った。水涼さんを見ている限り、流道のような特別な力というのは感じない。聞こうかとも思ったが、なんとなく俺は口にはしなかった。
水涼さんは俺の隣まで来て、「よろしくお願いします」とまた軽く礼をする。律儀なのか、天然なのか。いや、圧倒的に後者だろうな。
「今日は……神清水の神様に会っていただきます」
「神清水か」
神清水は町の北外れにある清水で、馬洗い清水からそれほど離れてはいない。
「はい、そこでは一途さんの『美』について『加護』を与えていただこうかと思います」
「美ってことは……美しさ、見た目ってこと?」
「はい、ざっくり言えばそのような感じです」
ざっくりすぎて分からんが、美をどうこうするっていうのはどうするんだろうか。流道のときは体、というはっきりと分かりやすい目標だったから容易に想像はついたけど、美となると……それこそ神様の力でぱっと超イケメンにしてくれるとか、そんな……甘い考えは通用しないよな、どうせ。
俺はふう、と小さく息をついた。水涼さんが「ただ……」と呟いた。
「神清水の神様は……少し、変わった方です」
「変わった、というのはどんなふうに?」
うーん、と考え込む水涼さん。よっぽどやばいやつなのだろうか。
「なんていうか、世界観。そう世界観がすごいです。世の中には自分しかいないんじゃないかって思わせるくらいの!」
「それ、完全な自己中心的なやつじゃないか」
うん、それは面倒そうだ。まあそれくらいのほうが神様らしいと言えば神様らしい気もするが。とはいえ、ここまでくるともはや何が普通の神様か分からなくなってくるけど。
「まあ、とりあえず会ってみれば分かります。話はそれからですよ~」
「そ、そうか。、じゃあまず行ってみるとするか」
俺と水涼さんは御台所清水を後にして、神清水へと歩き出した。
***
神清水。町の北側、道路沿いにある公園も併設された清水だ。ここの清水は水深が一メートル近くもあり、入るには少々キツい。清水そのものは渾々と湧き出ているが、水の流れがあり、まるで川のように感じる清水だ。周囲には柳の木が植えられ、夏になると風に揺れる柳の葉の音が涼しさを感じさせてくれる。
公園は広くはなく、色とりどりの敷石が敷かれて舗装されている。中央に四阿が設置されていて遊具などはない。公園の敷地一帯が生垣で囲まれている。社などもないが、本当にこんな清水にも神様はいるんだろうか?
水涼さんが道路側から神清水に向かって呼び掛ける。
「ごめんくださーい、澪琴さーん。御台所の水涼でーす!」
ご近所さんじゃあるまいし、何なんだその呼び方……。
しばらく清水に変化は現れなかった。と思っていると清水の脇に生えた一本の柳の根から、水が巻き付くように上がっていく。やがてその水は根元から幹へ、そして垂れ下がった枝を伝い、一本の枝に集っていく。その枝はしなりを増して、水が枝先の一点に集中した後、受けきれなくなった枝先から滴が落ちる。それが清水の水面に落ち、波紋を作ると同時に波紋の中心に白く輝く人のシルエットが浮かび上がった。
光が失われると、そこに現れたのは一人の男。それもかなりのイケメン、この世のものとは思えないほど美しく整った顔立ちをした銀髪の男だった。
白に水色のラインがところどころに入った袴を着こなし、シルエットが膨らみがちなその袴を着ていてすら分かる線の細さ。肌は白く、鋭く整った顎のライン。目鼻立ちが凜々しく、青い瞳をしている。手には鞘に収まった長い太刀を持って肩に掛けている。
ていうかこの人、日本人なのか? とにかく一言で容姿端麗、まさにこの神のためにある言葉かと思うほどだった。